2008年3月19日水曜日

平仮名を選び取った平安人たち:漢字と「かな」(4)

古今集春上・2番歌
(写真=『古今和歌集』春上・2番歌。「そてひちて むすひしみつの こほれるを はるかたけふの かせやとくらむ)

ことばの自立・自律
��この記事は、「平仮名の空間構成力:漢字と「かな」(3)」に続きます)

紀元1世紀に、漢字と出合った、古代の日本の人々は、以後、この漢字を、唯一の文字として、使用していきます。7世紀末には、漢字を用いて、漢詩・漢文ではなく、日本で生まれた、「やまと歌」を書き記すための、安定した表記法を、確立しました。

この表記法である、『万葉集』の《文字法》は、文脈に依存して、大胆に、歌の「ことば」の表記を省略しながら、歌の「意味」を効率的に伝えるものでした。さらに表記者個人の創意工夫も、働かせることができました。

ところが、9世紀の終わりから10世紀の初頭にかけて、古代の日本の人々は、この《文字法》を、あえて捨て去り、「和歌」の表記媒体として、意識的に、平仮名を選び取ります。「あえて」と言ったのは、この時期の人々には、この《文字法》が読解でき、また、その利点も知っていたと思われるからです(参照、先の記事「平安時代に万葉集は読めたか」)。

この時期の人々が、平仮名を選び取ったことは、①言語と文化に関する、意識の変革、②それを支えるだけの、技術的条件の達成、によるものと思います。そして、③平仮名を、歌の表記媒体として選び取ったことによって、「やまと歌」は「和歌」へと変質し、二度と後戻りができなくなりました。

9世紀半ばに、唐を中心とする、東アジア諸国の政治的文化的繋がりが弱まり、唐の周辺諸国が、それぞれの地域や国にあった、新しい進路を模索し始めます(中国史の研究者・氣賀澤保規氏による)。

日本でも、律令制度を建前とし、また遣唐使廃止後も唐との人的・物的交流を保ちながらも、中国的な律令制度は、9世紀を通じて、確実に空洞化してゆきます。その中で、「日本」固有の言語と文化を、意識的に、作り上げることが、めざされました。

漢字に発しながら、もはや漢字の「意味」とは完全に切れた、平仮名という、「日本」固有の文字で、「日本」の歌=「和歌」を書き記すことは、中国からの政治的・文化的独立を宣言するものでした。

歌の「ことば」一つ一つを、完全に文字化する平仮名は、一方では、「日本」の歌を、〈音〉として書き留めようとするものです。『古今和歌集』の序文の、紀貫之の、“鶯、蛙を始め、すべて生きものは歌を詠む”という発言も、平仮名の「和歌」であるからこそ、言えるものでしょう。

しかし、平仮名で書かれた「和歌」は、単に〈音〉を文字化するものではありません。先の記事「平仮名の空間構成力」で述べたように、あくまでも、「文字の歌」として、「和歌」を視覚的・空間的に表現するものです。この点で、平仮名の「和歌」は、「やまと歌」を、「文字の歌」として視覚的に定着しようとした、『万葉集』の《文字法》を、受け継いでいると言えます。。
*なお、小松英雄氏は、平仮名の「和歌」が、清濁を区別して書かないことに注目して、上代の韻文が一次的に聴覚的であるのに対して、平安時代の和歌が視覚的である、と述べています。

平仮名は、「文字の歌」として、「日本」の歌の〈音〉を書き留めるものであり、それを可能にするだけの、連綿と放書(はなちがき)の技術の開発がありました。さらに濃淡・肥痩、文字の配置や形態の工夫が、「文字の歌」としての、平仮名の「和歌」を洗練してゆきます。

そして、歌の「ことば」一つ一つを文字化する平仮名は、文脈に依存する、『万葉集』の《文字法》ではできなかった、ダイナミックな、ことばとことばの関係の構築や、イメージの重層を可能にしました。

例えば、『古今和歌集』の紀貫之の歌を、挙げてみます。

 そてひちて むすひしみつの こほれるを はるたつけふの かせやとくらむ (春上・2)
 (袖ひちて 結びし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ)
 〔訳〕暑かった夏の日に、袖の濡れるのもいとわずに、手ですくった水、それが冬の寒さで
  凍りついているのを、立春の今日の暖かい風が、今頃解かしていることだろう。


 袖ひちてむすびし水のこほれるを』春立つけふの風やとくらむ
 b 袖漬而結師水之凍流乎春立今日之風哉将解


この歌は、一首の中に、夏・冬・春と、移りゆく季節を、詠んでいます。この大きな時間の推移の表現を、可能にしているものは、大胆な構文です。初句から第3句までの、長い修飾語(この修飾語の中で、夏から冬への時間が表現されます)を伴った目的語を、第5句の述語「とくらむ」が受けます。

このような構文は、『万葉集』の歌には、見ることができません。『万葉集』の歌では、主語・目的語・述語の関係は、もっと単純です。

この歌を、『万葉集』の《文字法》で表記することは、不可能ではありません。仮に表記してみたのが、bです。しかし、これを、頭から暫定的に読み下していこうとすると、目的語から述語があまりに遠いため、第3句の『乎』を、どのように解釈してよいか戸惑います(格助詞か、逆接の接続助詞か、迷います)。

『万葉集』の《文字法》では、文脈は明確で、シンプルでなくてはなりませんでした。貫之たちは、平仮名によって、文脈から解き放たれ、自由に「ことば」(=文字)を駆使することを、手に入れました。「やまと歌」は、「ことば」の自律する「和歌」へと、変質したのです。

*平仮名による「和歌」から、遡って考えると、大伴家持が積極的に試みた、「万葉仮名」による、一首の歌の表記は、家持なりの、「日本の歌」の姿を求めての模索であったと思われます。しかし、古屋彰氏が明らかにしたように、家持は、当初『万葉集』の《文字法》で書かれた歌を、「万葉仮名」表記に書き換えてゆきますが、巻19ではそれを断念します。
��上に掲げた写真は、『古今和歌集』の高野切第一種(11世紀半ば書写)の、〔春上・2〕の歌の透写です。透写してゆくと、活字で読む以上に、この歌が、物語的に、生き生きと感じられてきます。なお、第4句は、通行の本文とは異なります。


��主な参考文献]
��.小川靖彦「萬葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年
��.小林芳規『図説 日本の漢字』大修館書店、1998年
��.築島裕『仮名』日本語の世界5、中央公論社、1981年
��.氣賀澤保規『絢爛たる世界帝国 隋唐時代』中国の歴史06、講談社、2005年
��.秋山虔『王朝の文学空間』東京大学出版会、1984年
��.小松英雄『やまとうた 古今和歌集の言語ゲーム』講談社、1994年
��.古屋彰『万葉集の表記と文字』和泉書院、1998年