2015年7月10日金曜日

第1回上代文学会夏季セミナー「萬葉写本学入門」のお知らせ

『萬葉集』の古写本を基礎から学ぶセミナーです


来る2015年8月21日(金)に、第1回上代文学会夏季セミナー「萬葉写本入門」が開催されます。

上代文学会夏季セミナーは、主に大学院生を対象として、日本上代文学研究を進めるために必要なメソッドを伝えることを目的として、2015年より開催されることのなった、上代文学会の新たな企画です。

また、日本上代文学を専攻する若手研究者だけでなく、平安文学・中世文学・近世文学・近代文学、日本史学・古文書学・日本思想史などを専攻し、『萬葉集』や『古事記』などの研究史や享受史に関心を持っている方々にも、是非参加していただきたいと思っております。

上代文学研究のメソッドや研究成果を伝え、研究情報を共有する機会としたいと考えております。

第1回は「萬葉写本学入門」です。

現在、『萬葉集』の写本研究は、日本上代文学研究の中でも、最も熱い研究分野となりつつあります。
原典にもどることで、新しい研究テーマが見えてきます。

そして、原典である写本を扱うためには、専門的な知識と技術が必要です。それをわかりやすく解説します。

「萬葉写本学」の世界の豊かさを是非体験してみてください。

大学院生に限らず、学部生の皆さんも参加できます。『萬葉集』の古写本に関心のある方ならばどなたでも大歓迎です。

開催要領は下記の通りです。

開催日時・会場
2015821日(金) 13:0017:30
青山学院大学青山キャンパス 総研ビル3階 第11会議室
150-8366 東京都渋谷区渋谷4-4-25  
JR山手線、東急線、京王井の頭線「渋谷駅」宮益坂方面出口より徒歩10
東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道駅」B1出口より徒歩5

プログラム
12:30~    受付
13:0013:05 開催挨拶     上代文学会代表理事 梶川信行(日本大学教授)
13:0513:10 第1回セミナー趣旨説明        小川靖彦(青山学院大学教授)
13:1013:50 講義⑴『萬葉集』の諸本、系統       田中大士(国文学研究資料館教授)
13:5014:30 講義⑵『校本萬葉集』の理念と方法     小川靖彦(青山学院大学教授)
14:3015:10 講義⑶『萬葉集』の受容史         城﨑陽子(國學院大學兼任講師)
15:3016:10 ワークショップ「写本の見方」  新谷秀夫(高岡市万葉歴史館学芸課長)
16:3017:30 ラウンドテーブル(懇談会)
                  総合司会:景井詳雅(洛星中学・高等学校教諭)
18:0020:00 懇親会

参加要領
《参加資格》
・上代文学会夏季セミナーは、主に大学院生を対象にしていますが、学部学生も参加できます。日本上代文学研究のメソッドに関心のある方なら、大学院生・学部学生でなくとも参加を歓迎します。
・上代文学会会員・非会員であるにかかわらず、参加することができます。
《申込方法》
2015731日(金)必着で、下記のメールアドレスに参加者が直接申し込んでください。これは事前に人数を確認するためのものです。当日参加も可能ですが、できるかぎり事前にお申し込みください。
yasuhiko.ogawa122[at]gmail.com
・申込メールは、件名を「上代文学会夏季セミナー申込」として、本文に氏名、所属(大学院生・学部学生の場合は学年)、学会員・会員外の別を明記してください。
《参加費用》
・資料代として、当日お一人500円をいただきます。
《懇親会について》
・懇親会に参加する場合には、メールの本文に「懇親会参加」とお書きください。会場は青山学院大学青山キャンパス周辺の予定です。懇親会費は、4,000円程度と考えていますが、参加人数によって変わります。

《問い合わせ先》yasuhiko.ogawa122[at]gmail.com 


2015年5月5日火曜日

変化する文学作品の「本文」












(大木惇夫詩集『海原にありて歌へる』国内版初版、カバーは再版の際のもの)

ジャカルタ版大木惇夫詩集『海原にありて歌へる』


私たちは、『万葉集』などの古典文学の「本文」を固定的なもの、不変のものと考えがちです。しかし、書物学の立場では、古典文学の「本文」とは、書や版木・活字、そして、「書物」の素材・装丁・レイアウトによって、その都度、姿を与えられるもの、と考えます。「書物」の外形に応じて変化してゆくものが、「本文」であると捉えるのです。

ここでいう“「書物」の外形”とは、単に物質的(フィジカル)なものをさすのではありません。書写者の美意識や、編集者の判断、その「書物」の制作を命じた人の意図、時代の要請、またはもっと漠然とした時代の雰囲気なども含みます。

最近、日本近現代詩の「本文」について調べる機会がありました。最初に発表された雑誌、最初に収められた詩集、再版本、再編成されたその詩人の個人詩集、晩年の全詩集などの間で、「本文」が大きく揺れていることに、驚かされました。

詩のことば自体が、変わっていることもあります。しかし、それだけではなく、句読点、スペース、空行(連分け)、漢字表記(漢字にするか平仮名にするか、どの漢字にするか)、送り仮名、振り仮名などの細かい点にも、変化がありました。

その異同をきちんと記録しようとすると、古典文学の場合よりも難しいと言えます。そして、それらのさまざまな「本文」を見比べていると、どれか一つが“正しい本文”であるとは思えなくなります。その時々の、作者の意図や、編集者・印刷者の意識、さらにその背後にある「時代」を反映したものとして、それぞれ独自の価値を持っているのです。

今回の調査の中で、最も深い感銘を受けたのは、大木惇夫(おおき・あつお18951977)の詩集『海原にありて歌へる』の「本文」です。北原白秋に師事して、詩を制作していた大木は、太平洋戦争で海軍報道班員として、ジャワ島攻略戦に従軍しました。その経験を作品化した詩を集めて出版したのが、詩集『海原にありて歌へる』です。

大木はこの詩集によって、日本文学報国会から第一回大東亜文学次賞を受け、一躍、「戦争詩」「愛国詩」の名手として、人気を博することになりました。そのため、戦後には、文学者たちから戦争協力者として烈しく批判され、今日では、詩人としてのその名は忘れられています。

実は、詩集『海原にありて歌へる』には、1942年(昭和17111日にジャカルタのアジヤ・ラヤ出版部が刊行した現地版と、1943410日にアルスが刊行した国内版の二つがあります。日本国内で人気を博したのは、国内版の方です。そして、『大木惇夫全詩集』(金園社、1969、復刻版・1999)に収められているのも国内版だけです。

ところが、現地版と国内版とで「本文」が大きく違っているのです。その典型が、「椰子樹下に立ちて」という作品です(活字の種類・大きさ、細かいレイアウトなどの違いは、省略します。旧漢字は新字体に直しました。行頭の番号は引用者)。

【現地版】

     椰子樹下に立ちて
              ××の宿営にて
1    極まれば死もまたかるし
2    生くること何ぞ重きや、
3    大いなる一つに帰る
4    永遠(とは)の道たゞ明るし。
5    仰ぐ空、青の極みゆ
6    ちり落つる花粉か、あらぬ
7    椰子の芽の黄なる、ほのなる
8    ほろほろとしづこゝろなし。

【国内版】

     椰子樹下に立ちて
                   ラグサウーランの丘にて
1    極まれば、死もまた軽し、
2    生くること何ぞ重きや、
3    大いなる一つに帰る
4    永遠(とは)の道ただに明るし。

5    わが剣(けん)は海に沈めど
6    この心、天をつらぬく。

7    ()かる妙(たへ)、雲湧く下(もと)
8    散り落つる花粉か、あらぬ
9    椰子の芽の黄なる、ほのなる
10   ほろほろと、しづこころなし。

大木は、ジャワ島バンダム湾で、味方の魚雷の誤射によって乗船していた佐倉丸が沈没し、海に投げ出されました。この「椰子樹下にて」は、九死に一生を得た大木が、ジャワの美しい風景の中で、生きる喜びに満たされ、「死」も永遠に連なるもの、と悟った作品です(国内版の末尾に大木自身による解説が付いています)。

現地版56行の、極まりない空の青さと、その中を椰子の黄色い花粉が散り落ちるという情景は、「生と死」と超えたものを感じさせます。

ところが、この情景が国内版では、56行のような壮士的述懐のことばと、7行のような
「日本神話」的な情景に、大きく変えられています。

確かに、国内版の「本文」で読むと「椰子樹下に立ちて」は、「戦争詩」であると言えます。しかし、現地版では、南国の明るい自然の中で「生と死」を感得した作品となっています。

大木の詩集『海原にありて歌へる』は、戦争下では、もっぱら国内版で読まれ、また最近の研究も、国内版によって進められているようです。現地版は、私の知る範囲では、現在公共図書館・大学図書館では国立国会図書館(デジタルコレクション)と岐阜県図書館の蔵書があるのみです。


現地版と国内版の「本文」を詳細に比較することで、大木の詩の基層にある高い抒情性、その抒情性を大木が戦時体制とどのように融和させていったか、なぜ国内版がそれほどまでに銃後の人々に訴えかける力を持ったかが、明らかになるように思います。

2015年5月4日月曜日

ブログの引越しのお知らせ


先にブログの引越しをお知らせしました。

その後、いろいろ調べてみたところ、現状では、このブログがGoogle検索に、ヒットしないことがわかりました。旧URLで、必要な処置を飛ばして、急いで引越しをしたためです。

これを機会に新しいブログを立ち上げることにしました。こちらのブログは「万葉集と古代の巻物」のタイトルをそのまま継承して、『万葉集』と書物学に関わる話題を、書き継いでゆきたいと思います。

6 May 2015

小川靖彦


2015年4月11日土曜日

陸軍特別攻撃隊員・穴沢利夫少尉が婚約者に贈った『萬葉集』

知覧からの手紙
(水口文乃『知覧からの手紙』新潮文庫、新潮社、2010年)

戦争下の『萬葉集』

『萬葉集』の近代

2014年4月に、私は『万葉集と日本人』(角川選書)を上梓しました。平安時代から近代まで、『萬葉集』がどのように読み継がれてきたかを考察した本です。

考察を進める中で胸をしめつけられたのが、近代日本における『萬葉集』の受容でした。明治時代に“『萬葉集』は日本人の祖先が、天皇から庶民に至るまで、素朴な心をありのままに強い調べで歌った「国民的歌集」”とされました。そして、日中戦争・太平洋戦争時には、『萬葉集』は「国民」の心を支える歌集となってゆきました。

『萬葉集』は政府と軍によって戦意高揚のために政治利用されました。しかし、それだけはでなく、戦争下を生きる人々の心の深いところにまで関わっていたのです。


特攻と『萬葉集』

それを教えてくれたのが、水口文乃(みづぐちふみの)氏の『知覧からの手紙』(新潮文庫、2010)です。昭和18年(1943)10月に志願して陸軍航空隊に入隊し、20年4月の沖縄特攻に出撃して帰らぬ人となった学徒出身の少尉穴沢利夫(あなざわとしお)さんと、婚約者伊達智恵子(だてちえこ)さんの戦争下の生を、智恵子さんのことばをベースに描いた労作です。

ふたりの心を支え、結び付けていたのが『萬葉集』です。穴沢さんは陸軍合格を伝える手紙で、喜びの中にも智恵子さんを想い揺れる心を大伴旅人(おおとものたびと)の「ますらをと 思へる吾や 水(みづ)(くき)の 水城(みづき)の上に 涕(たみた)(のご)はむ」(巻6・968)に託しました。

特攻隊に指名された穴沢さんを訪ねて詠んだ、来世での再会を希(ねが)う智恵子さんの絶唱、

  わかれてもまたもあふべくおもほへ(ママ)ば心充(み)たされてわが恋かなし

                                      (来世への希(ねが)ひ)

は、田辺福麻呂(たなべのさきまろ)の歌「
別れても 復(また)も逢ふべく 思ほえば 心乱れて 吾(あれ)恋ひめやも」(巻9・1805)を踏まえたものです。

『註解萬葉集』

水口氏のご厚意で、穴沢さんが陸軍航空隊入隊の際に智恵子さんに贈った『萬葉集』を拝見する機会を得ました。

驚いたことに、それは佐野保太郎(やすたろう)(高知高等学校長)・藤井寛『註解萬葉集』(藤井書店、1942、1943〈再版〉)でした。幕末の国学者鹿持雅澄(かもちまさずみ)の『萬葉集古義(こぎ)』の訓を本文に、全歌を一冊に収め、語義や訓の異同も注記する、A5判850頁からなる専門性の高い本です。

この本には智恵子さんによると思われる赤鉛筆の印や、黒の万年筆の印と書き込みがあります(もちろん968番歌には濃い赤鉛筆の印があり、索引で1805番歌の所を万年筆で二重に囲んでいます)。印の付けられた歌は、当時よく読まれた勇壮なものもありますが、その多くは〈待つ恋〉の歌です。

「自分の意志ではない人生」(『知覧からの手紙』)を生きる悲しみを、〈待つ恋〉の歌の嘆きと祈りに重ね合わせたのでしょう。

智恵子さんは2013年に永眠されました。今、戦争下の『萬葉集』を見つめ直すことの大切さを痛切に感じています。


*この記事は、青山学院大学日本文学会会員向けの『会報』第49号(2015年3月19日発行)に「戦争したの『萬葉集』」のタイトルで掲載されたものです。伊達智恵子さん愛蔵の『萬葉集』を拝見する機会を賜りました上、『青山学院大学日本文学会会報』へのその報告の掲載、その記事の、ブログ「万葉集と古代の巻物」への転載をお許しくださった水口文乃氏に、心より御礼申し上げます。
��穴沢利夫少尉は、昭和20年(1945)4月12日に出撃戦死しました。同年4月9日の日記と、16日に伊達智恵子さんのもとに届いた遺書には、出撃を前に読みたい本として、
  『萬葉集』
  『芭蕉句集』
  高村光太郎詩集『道程』(*大正3年〈1914〉10月、感情詩社刊)
  三好達治詩集『一点鐘』(*昭和16年〈1941〉10月、創元社刊)
  大木実詩集『故郷』(*昭和18年〈1943〉3月、桜井書店刊)
    *大木も海軍の兵士として出征しました。
      戦争の時代を、生活者として、自分の心に誠実に生きた詩人の、静かで感動的な作品集です。

が挙げられています(それらは、もはや穴沢少尉の手元から離れていました)。最後まで『萬葉集』を読みたいと願っていた穴沢少尉の心に、胸が痛みます。ご冥福を心よりお祈りします。(2015年4月12日記)