2011年6月11日土曜日

「町奉行与力の風流な生活―橘千蔭の場合―」展

橘千蔭展図録


和学と書

昭和女子大学光葉博物館では、江戸時代後期の和学者・橘千蔭(たちばなのちかげ。1735〈享保20〉~1808〈文化5〉)についての興味深い展覧会が開かれています。

 特別展「町奉行与力の風流な生活―橘千蔭の場合―」
 会場:昭和女子大学光葉博物館 期間:2011年5月16日(月)~6月18日(土)
 開館時間:10時~17時
 休館日:日曜日
 入館料:無料

『万葉集』を研究する者にとって、橘千蔭の名は、その注釈書『万葉集略解(まんようしゅうりゃくげ)』とともに大変親しいものです。

一方、江戸から明治にかけての書道史においても、千蔭は見逃すことのできない存在です。千蔭は、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)を祖とする滝本流の書を慕い、流麗な千蔭流を打ち立てました。千蔭流は江戸時代後期に大流行します。樋口一葉もこの流れを汲みます。

そして、言うまでもなく、千蔭は歌人でもあります。千蔭のこの多面的な活動を、総合的に示したのが、今回の特別展です。

73点からなる展示と、充実した図録からは、新たに学ぶことが数多くありました。

図録に収められた鈴木淳氏(国文学研究資料館教授)執筆の「橘千蔭のこと」は、江戸の町奉行所の与力が、実は臨時収入が多く、贅沢に走る者もいたことや、田沼意次(たぬまおきつぐ)の用人の娘を前妻とした千蔭が、松平定信による、町奉行刷新のターゲットとされ、罰せられたことを記しています。

定信も千蔭もともに、「元暦校本(げんりゃくこうほん)万葉集」や『源氏物語』に深く心を寄せていました。その二人の実生活上の因縁が、私には興味深く思われてなりません。

展示では意外な『万葉集』に出会いました。28肉筆万葉集手本は、雲母(きら)を塗って銀色に光る料紙に、万葉秀歌を女手(おんなで)や草仮名(そうがな)で、流麗に書いた冊子本です。また、30萬葉新採百首は、千蔭の和学の師・賀茂真淵(かものまぶち)の編著『万葉新採百首』の万葉集歌の読み下し文を、草仮名も交えながら、柔らかな女手で書いたものを、版行した書物です。万葉集歌と、曲線を得意として、洒落っ気のある千蔭の書との不思議な出合いが、これらの書物では行われています。

この特別展は、江戸時代における、和学・書・和歌、そして画(千蔭の画も展示されていました)を、横断的に捉えることの面白さを味わえる、またとない機会です。


【出品リスト】(*「萬」「万」の表記は図録に拠る)
1 加藤(橘)千蔭像  長谷川貞忠・渡辺広輝画 橘千蔭自賛 1幅(パネル写真)
2 自画像  橘千蔭画并賛 1幅(パネル写真)
3 三社託宣  橘枝直筆 1幅
4 江戸切絵図「八町堀細見絵図」(部分)(パネル写真)
5 江戸町鑑(パネル写真)
6 旧記拾要集 第五上  旧幕府引継書の内(パネル写真)
7 加藤(橘)千蔭和歌十首(自筆)  橘千蔭筆 1幅
8 贈答歌「花といふ花」あき子・藤子・千蔭詠  各自筆 1幅
9 うけらが花  享和2年・江戸大和田安兵衛板 刊4冊
10 半切「貴賤迎春」 1幅
11 萬葉集略解  橘千蔭著 名古屋永楽屋東四郎板 刊30冊
12 萬葉集略解目録  安政3年・名古屋永楽屋東四郎板 刊2冊
13 萬葉集略解  第四(辻本修学堂版)・五編(図書出版) 2冊
14 橋姫巻の詞并柴舟図  橘千蔭書画 紙本1幅
15 寿文字の詞  橘千蔭筆 1幅
16 室我宛橘千蔭書翰  1巻(5通)
17 めでた物語  手柄岡持著 刊1冊
18 大嘗会便蒙  荷田在満著 元文4年・江戸小川彦九郎板 刊2冊
19 東歌  橘枝直詠 享和2年・芳宜園蔵板(江戸大和田安兵衛製本) 刊3冊
20 入木道源底集  持明院基定伝 写1冊
21 安幾破起帖  小野道風原書 刊1帖
22 井関隆子日記  写12冊
23 和漢朗詠集断簡  橘千蔭筆 1幅
24 和漢朗詠集  文化12年・江戸内野弥平治板 刊4冊
25 黒川盛隆宛橘千蔭書翰他  1巻(書翰7通、詠草2)
26 雖二大徳宛橘千蔭書翰  1幅
27 芳野道の記  松花堂昭乗著 橘千蔭模写 寛政5年・江戸万笈堂(英平吉)板 刊1冊
28 肉筆万葉集手本  橘千蔭筆 写1帖
29 止可談風月  橘千蔭書 紙本1幅
30 萬葉新採百首  橘千蔭書 享和3年・江戸温故堂板(江戸須原屋善五郎、村田屋正蔵) 刊1冊
31 ゆきかひふり  橘千蔭書 寛政4年・江戸蔦屋重三郎板 刊1冊(上冊欠)
32 須磨帖  橘千蔭書 文化8年・東京墨池堂 刊1帖
33 山居帖  橘千蔭書 文政13年・江戸須原屋佐助板 刊1冊
34 大歌所御歌  橘千蔭書 文化14年・江戸前川六左衛門板(求板) 刊1冊
35 和漢朗詠集  橘千蔭書 刊
36 新三十六首  橘千蔭書 刊1冊
37 古今和歌集序  橘千蔭書 江戸英平吉板 刊1冊
38 千歳筐  賀茂真淵書 寛政8年・江戸逍遙堂 刊1帖
39 禹碑銘  橘千蔭模写 1冊
40 万葉集二首  橘千蔭書 写1幅
41 千蔭法帖  文化2年奥書版 刊1帖
42 月なみ消息  橘千蔭書 文化5年・江戸永楽屋西四郎他板 刊1冊
43 楷草二体千字文  橘千蔭書 刊1帖
44 名利帖  橘千蔭書 江戸家満茂登板 刊1冊
45 浅紅帖  橘千蔭書 刊1帖
46 玉梓帖  橘千蔭書 江戸須原屋佐助板 刊1冊
47 弁梅帖  橘千蔭書 文化9年・大阪加賀屋善蔵板 刊1冊
48 うらやす帖  橘千蔭書 嘉永5年・原義(制作) 刊1冊
49 千蔭詩歌  橘千蔭筆 写2帖
50 新百人一首  橘千蔭筆 享和3年・江戸岡野(近江屋)与兵衛板 刊1冊
51 新百人一首  橘千蔭書 享和3年・江戸岡野(近江屋)与兵衛板 刊1冊
52 新百人一首  橘千蔭書 明治26年・東京更生書館 刊1冊
53 橘千蔭翁楫滴帖  文化14年・翰香館版 刊1帖
54 源氏物語(花宴)  橘千蔭筆 写1帖
55 『虫十番歌合絵巻』  田中訥言画 彩色絵入り 写1巻
56 吉原通図巻  鳥文斎栄之画 紙本着色 1巻
57 杜若に水鶏図并和歌讃  伝松村景文画 橘千蔭・平春海賛 絹本着色 1幅
58 版刻賀茂真淵像  橘千蔭画 刊1幅
59 門松船図  橘千蔭画 橘枝直賛 紙本淡彩 1幅
60 『吉原傾城新美人合自筆鏡』  北尾政演画 色摺 蔦谷重三郎 刊1帖
61 文晁秋月図千蔭和歌  谷文晁画 橘千蔭賛 紙本墨画 1幅
62 『抱一画譜』  酒井抱一画 写1冊
63 山の井茅屋図并和歌  橘千蔭画并詠 絹本墨画 1幅
64 抱一富士図千蔭和歌  酒井抱一画 橘千蔭賛 紙本墨画 1幅
65 花美人図  山口素絢画 橘千蔭賛 絹本着色 1幅
66 抱一藤図千蔭和歌  酒井抱一画 橘千蔭賛 絹本着色 1幅
67 船岡の歌と雪松図  橘千蔭詠并画 紙本墨画 1幅
68 扇面元日和歌并画  橘千蔭詠 絵師未詳 1幅
69 人麻呂像并和歌  橘千蔭書画 絹本着色 1幅
70 人麻呂像并和歌  橘千蔭書画 絹本着色 1幅
71 水月図并和歌  橘千蔭書画 紙本墨画 1幅
72 秋山瀑布図  橘千蔭画 紙本着色 1幅
73 団扇を持つ美人図  橘千蔭画并賛 紙本着色 1幅

��所蔵者は、昭和女子大学、センチュリー文化財団など。


【付記】
東日本大震災後の困難な時期に、このような画期的な特別展を開催された、増田勝彦館長を始めとする昭和女子大学光葉博物館の皆様に、深い敬意を覚えています。また、この特別展の開催を私にお知らせくださった岸田依子先生(昭和女子大学教授)に厚く御礼申し上げます。