2008年12月28日日曜日

蘇った古代メキシコの赤:「白田良子の世界」展

白田良子展

天然染料の力強さと優しさ

1959年に単身メキシコに渡り、現在、古代メキシコ(マヤ・アステカ)の染色の研究を進めている、白田良子(しらた・よしこ)さんという日本の女性研究家がいることを、日経新聞の別冊で知りました。

別冊は、その白田さんの復元した古代メキシコの染料を使った、白田さんの染織作品が、JICA横浜事務所の1・2階のギャラリーで、2008年12月11日(木)から12月22日(月)に展示されることを伝えていました。
 *主催:白田良子展実行委員会
   後援:メキシコ―日本アミーゴ会、JICA横浜国際センター

私は巻物の装丁への関心から、色や染織についての展示会には注意するようにしています。しかし、古代メキシコの染織は、中国文化圏の巻子本からは、はるかに遠い世界でしたので、研究上の関心からというよりは、軽い気持ちで展示会場を訪ねました。

しかし、実際に会場に足を運んでみると、目を瞠りました。まず2階に展示された、紫地に織られた藍色の魚の力強い色と姿の、強烈な印象が、心に残りました。その先には、メキシコの人々が、サボテンに寄生する、貝殻虫科のエンジムシから、コチニールという赤の染材を採取する方法について、図による詳細な説明がありました。

なお、コチニールを用いた赤は、日本には、戦国時代から桃山時代にかけて、南蛮船によってもたらされたようです。「猩々緋(しょうじょうひ)」と言われる鮮烈な赤は、このコチニールによって染められたものと言われています(以上、小笠原小枝氏による。小笠原氏の本には、東京国立博物館蔵「小早川秀明所用猩々緋羅紗地違鎌文様陣羽織」の写真が掲載されています)。私にとって、どちらかと言えば、馴染みの薄い赤でした。

改めて白田さんの作品を見て、その赤の鮮やかさに目を奪われました。それと同時に、その鮮やかなはずの赤が、それを確かに見ていたはずなのに、私に突出した印象を残していなかったことを、不思議に思いました。

��階の展示会場で、その秘密がわかったように思いました。「紫」(EL MUNDO MORADO)という作品に出会いました。コチニール、スオー、ログウッド、アカワル、刈安(かりやす)で染めた糸で、波状の模様を織り出した上品な作品です。深く濃い赤、暖かな赤、華やかな紅、落ち着いた紫などの多彩な赤系統の色、そこに黄色と黄緑・緑・青がアクセントを加えています。多彩な赤に、驚かずにはいられません。

そして、展示会場の隅のテーブルの上に、白田さんご自身が作られた、色見本が置かれていました。その中に、コチニールを5種類の媒染材によって染めた糸をまとめたページがありました。さらに、媒染材の濃度の違いによって、異なる色に染め上がった糸が、各4種類示されていました。

暗い赤から、華やかなピンク、鮮やかな赤、落ち着いた紫、灰色、黒まで、なんと20種類の、コチニールが生み出した色が、そこにはありました。

白田さんの赤を使った作品は、鮮やかな赤だけを用いるのではなく、多様な赤を交響させながら、一つの作品を織り上げていたのです。そして、時に強く、時に優しいそれら多様な赤の源は、コチニールという一つの染材であったのです。

天然染料に宿る、多様な色の可能性、そしてそれを引き出してゆく白田さんの技術に、深い感銘を受けました。遠いものと思っていた古代メキシコが、「色」を通じて、一挙に身近なものに感じられました。

染められた糸(白田良子展)

*パンフレットによれば、白田良子氏は、1929年北海道富良野市生まれ。1965年、U.F.M(メキシコ女子大)卒業。同年より、国立人類学歴史研究所(I..N.A.H.)職員。メキシコの遺跡・古い教会の修復に携わる。1982年から、メキシコ市郊外で染色の研究と実証に没頭、1994年にメキシコの天然染料についての研究を集大成した「メキシコの染織」(色見本)を出版。この頃からタペストリーと編み物の製作を始める。2006年、メキシコ政府文部省から褒章を受賞。
��今後も、白田氏の作品の展示会が開かれることと思います。またメキシコの天然染料に関する新著も出版される予定とのことです。

��第一次世界大戦以前から、日本とメキシコの間には様々な関わりがあります。メキシコの歴史についてもっと私たちは知る必要があるように思います。

��参考文献]
��.小笠原小枝『染と織の鑑賞基礎知識』至文堂、1998年


2008年12月18日木曜日

吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い』

満身これ学究・古筆学

原爆と学問と
��吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い』文藝春秋、四六判312頁、2008年12月刊、1,857円〈本体〉)

ルポライター・吉村克己氏による、古筆学者・小松茂美先生の評伝が刊行されました。完成に至るまで、5年余りの歳月をかけ、小松先生を中心に、先生に関わる人々からの120時間以上のインタビューを踏まえた誠実な書物です。312頁という読みやすい分量ですが、その1行1行の背後に、地道な取材や裏付け調査の跡が垣間見えます。

小松先生が、独力で「古筆学」という新しい学問を樹立するまでの苦闘は、今までに先生御自身も『平家納経の世界』(中公文庫)などで記されています。しかし、今回の吉村氏の書物は、小松茂美という古筆学者を支え続けた家族、支援者たち、教え子、理解者たちに光を当てました。

「平家納経」を中心に、平安の美の世界に迫るために、従来の学問の枠組にとらわれずに、ありとあらゆる力を尽くして来られた先生の情熱と、その先生に深い共感を覚えて夢を託した人々の、熱い人間のドラマが描き出されています。

吉村氏は、先の著書『全員反対!だから売れる』(新潮社、2004年)で、技術者たちが、常識を超えた大胆なアイデアを、周囲の強い反対を受けながらも、粘り強い努力と少数の理解者の支援によって実現してゆく過程を、丁寧な取材によって明らかにしています。その底を流れるのは、“創造する”とはどういうことなのかという鋭い問いかけです。

本書『満身これ学究』も、創造的な学問とは何か、それはどのようにして生まれるのかという意識に貫かれています。それと同時に、小松先生が明らかにされた、日本文化の豊饒さを是非多くの人々に伝えたいという強い願いが込められています。「古筆」の世界への良き入門書でもあります。

ところで、吉村氏のきめ細かな取材は、原爆投下後の広島に関する、極めて貴重な記録をも残してくれました。第二章「国鉄とピカドン」で、国鉄職員であった小松先生が、御自身も被爆しながら、広島で目の当たりにした、地獄のような凄まじい光景には、言葉を失います(特に77~86頁)。また、その中で小松先生を始めとする国鉄職員の人々が、負傷者の救出のため、迅速に献身的に対処したことには、深い感動を覚えます。

救出を行って帰宅した翌日から、小松先生は40度の高熱に見舞われ、医師から死を宣告されます。奇跡的に生命を取り留める中で、日本の装飾経の中でもとりわけ美しい「平家納経」を一目見たいという情熱が留めようもなく湧きあがってきます。“命”と「学問」が結びついた瞬間です。

また、小松先生を支えてこられた丸夫人の、含蓄に富むお言葉は、本書にさらに清らかな光を添えています。

*今年、ドイツに対して行われた「絨毯攻撃」を、文学から論じた、W.G.ゼーバルトの『空襲と文学』の日本語訳が出版されたことも偶然とは思えません(白水社刊)。
��原爆投下の惨劇について、早くも1963年に、イギリスのイアン・キャンベル・フォークグループ(The Ian Campbell Folk Group)が、“The Sun is Burning[太陽は燃えている]”という哀しくも力強い歌を発表しています(The Folk Collection. Topic Record Ltd. 1999に収録されています)。また1964年には、サイモン・アンド・ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のカヴァーが録音されています(Wednesday Morning, 3 A.M. [水曜の朝、午前3時] ソニー・ミュージック、2001)。是非、多くの日本人に聞いてもらいたいと思います。