2013年11月2日土曜日

佐佐木信綱没後50年

短歌往来2013年11月号

信綱の業績を新しい目で捉える
��「短歌往来」25巻第11号、ながらみ書房、A5判、144頁、2013年10月15日刊、750円〈税込〉)

月刊短歌雑誌「短歌往来」の2013年11月号において、「佐佐木信綱(没後50年)」の特集が組まれました。

佐佐木信綱は1872年(明治5)に生まれ、1963年(昭和38)に亡くなりました。2013年で没後50年、また生誕141年になります。

先の記事「「佐佐木信綱研究」創刊」で、佐佐木幸綱氏が、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、佐佐木信綱研究会を立ち上げたことを紹介しました。

今回の「短歌往来」の特集も、まさに同じ問題意識に立つものです。信綱の歌人としての業績を中心に、国文学者としての研究業績も含めて、新しい目で信綱の功績を捉え直そうという、意欲に満ちた特集となっています。

「短歌往来」の2013年11月号の冒頭には、この特集と関わって、佐佐木幸綱氏の21首の短歌からなる作品「凌寒荘」が掲載されています。幸綱氏の作品は、人生の節目における信綱の姿を象っています。その作品は、ある時は信綱を外から見つめ、ある時は信綱の心となってのものとなっています。信綱と幸綱氏との交感が生き生きと感じられます。

特集では、まず5編の評論が信綱の業績を論じています。信綱の多面的活動や人的ネットワークが鮮やかに描かれ、また従来の信綱の短歌への評価に対する批判が鋭く提出されています。

私も「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」という一文を寄せました。今回は、歌人としての信綱に注目して、その萬葉学について考えたいと思い、「佐佐木博士」や「佐佐木」ではなく、「信綱」という呼称を使いました。信綱の萬葉学の基礎に、強烈な「和歌」の普及の意識があったことを改めて確認しました。信綱に戦前・戦後を通じて変わることなく研究を続けさせたものを垣間見たように思いました。

評論に続く「信綱の素顔」は、信綱の生きざまについての貴重な証言です。また6氏による「佐佐木信綱の五首」には、現代的視点に立って、新たに信綱秀歌が選ばれています。再録された「佐佐木信綱自選百首」と対照して読むとさらに興味が深まります。

特集を通じて、信綱の充実期の作品が、「全体の調和の中で過剰な自我の主張はせず、それでいながら確かな強度をもった『われ』」を確立した上で、古典和歌に帰ってきたものであると捉えた森本平氏の見解と、「境遇や、生きていた時代や、性別が作者と相違する人物、さらには、人間ならぬ生き物を〈われ〉に設定している」信綱の発想の自由さが古典和歌に由来するという安田純生氏の指摘が、私の心に特に強く残りました。

私の論文「願はくはわれ春風に身をなして」や、「佐佐木信綱研究」創刊0號に寄稿した「ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉」で、信綱の万葉学を通じて考えてきたことと、問題意識を共有するものと思います。信綱の〈われ〉は、現代短歌にとっても、万葉集研究にとっても大きな問題を投げかけています。

特集には、佐佐木信綱研究会の会員の方たちも多く執筆されています。この特集号を機に、新たな信綱像への関心が高まることを期待しています。

【特集の目次】
��特集評論=
 佐佐木信綱 そのとき三十一歳にして(藤島秀憲)
 佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作(小川靖彦)
 佐佐木信綱と近世和歌研究(盛田帝子)
 『常盤木』という契機(渡英子)
 信綱と現代(森本平)
信綱の素顔
 ミイラの歌というか(大野道夫)
 熱海の信綱(松井千也子)
佐佐木信綱の五首(山本陽子/安田純生/中西由起子/今野寿美/塩野崎宏/前川佐重郎)
佐佐木信綱自選百首(「短歌研究」昭和38年3月号より)
佐佐木信綱著作概略(高山邦男編)


【お詫び】
私の「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」に誤りがありました。
 ・40頁上段12行 (誤)「新編日本古典文学大系」 (正)「新編日本古典文学全集」
また、41頁下段17行の「浅香社」の表記は、「あさ香社」の方が適切でした。
【補記】
小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」(『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月)がウェブに公開されました。
http://www.agulin.aoyama.ac.jp/metadb/up/upload/00013027.pdf