2008年1月16日水曜日

青山学院大学授業予告(その2)

昨年末の記事で、2008年度開講予定の2つの授業について、紹介しました。青山キャンパスでの、残る「日本文学特講」についても、次のようなテーマで開講することにしましたので、お知らせします。

■「古代書物の美」
(学部・日本文学特講)〔火曜日午後。対象=3、4年生〕

巻子本を中心とする、日本古代の書物の装丁(ブックデザイン)について、装飾と実用、外形と内容の関係などを考察します。

��前 期] 奈良時代の史料には、巻子本の、多彩な装丁が記録されています(例えば、孝謙天皇所持の『金光明最勝王経』は、紅紙・紅表紙・斑綺・赤木軸)。①料紙、②表紙、③紐、④軸、を組み合わせて作り上げられる、巻子本の姿が、書物の種類(仏教経典ならば、経典の種類)、利用方法、製作年代などと、どのように関係しているかを分析します。分析には、現存する、日本古代の巻子本も手懸かりとします。合わせて、敦煌写本の、紐を中心とする、装丁についての調査結果も紹介します。

��後 期] 桂本(かつらぼん)をはじめとする、平安時代に書写された、『萬葉集』の写本を、一部の「書物」として考察します。『萬葉集』の写本は、正しい本文を復元するための、重要な資料とされてきました。しかし、それらは、時代の価値観や美意識に深く根ざしたものであり、それぞれが、ひとつの“萬葉集”であると言えます。書・料紙・下絵(鳥虫草木などのデザイン)・レイアウト・装丁、そしてそれらと内容の関係を、総合的に捉えながら、生成し続ける「書物」として『萬葉集』の歴史を追います。


2008年1月13日日曜日

消残りの雪にあへ照る(大伴家持)

ヤブコウジ

この季節には、センリョウやマンリョウの、美しい赤い実を、目にします。しかし、古代の人々が好んだ、「山橘」(ヤブコウジ科ヤブコウジ)の実を見る機会は、なかなか得られません。

大伴家持の次の歌を読んで以来、ヤブコウジの実を見たい見たいと思っていました。

気能己里能由伎尓安倍弖流安之比奇乃夜麻多知婆奈乎都刀尓通弥許奈(巻20・4471)

消残りの 雪にあへ照る あしひきの 山橘を つとに摘み来な
(けのこりの ゆきにあへてる あしひきの やまたちばなを つとにつみこな)


〔訳〕消え残った白い雪に合わせて、照り輝やく、(あしひきの)山橘を、みやげに摘んで来たいものです。

この歌は、天平勝宝8歳(756)11月5日の作です。この年の2月に、密告によって、左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)が、辞職しました。5月2日には、聖武上皇が崩御しました。

上皇崩御を機に、時の権力者・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)と、仲麻呂を打倒しようとする、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ。諸兄の子)を中心とするグループの間の緊張が、一挙に高まりました。崩御から間もない、5月10日には、早くも、大伴一族の長老・古慈斐(こしび。時に69歳)が、淡海三船(おうみのみふね)とともに、朝廷を誹謗した罪で捕らえられるという事件が起こりました。

古慈斐らはすぐに釈放となりましたが、家持の受けた衝撃は大きく、6月17日に、誉ある先祖の名を絶やさぬようにと、大伴一族に諭す長歌とともに、無常を悲しみ、出家に心惹かれ、さらに命の長さを願う痛切な短歌を作りました。この後、家持はしばらく歌を詠まなくなります。

��か月に及ぶ沈黙を破って、久しぶりに詠まれたのが、上の歌です。家持は、冬枯れの季節を彩る、山橘の実の美しさを、残雪の白さと対照させながら、「照る」(光り輝く)ものと、歌いました。

この歌の題詞は、この日(太陽暦では12月5日)に、少しばかり雷鳴がして、雪が庭に積もったこと、そしてこの光景に家持が感興を覚えたことを、記しています。「つとに摘み来な」と歌っていることも考え合わせると、この山橘は、家持が、今現に見ているものではなく、想像しているものなのでしょう。

家持は、越中国司時代の、天平勝宝2年(750)12月に、山橘の歌を詠んでいます。

  この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む(巻19・4226)
  (このゆきの けのこるときに いざゆかな やまたちばなの みのてるもみむ)

都の、家持の邸宅の庭一面に降り積もった雪は(天平勝宝8歳の初雪であったと思います)、照り輝く山橘の実を想い起こさせ、さらにそれは、越中時代の記憶にも繋がるものであったのでしょう。山橘の実が、家持の傷心を癒すものであったことが窺えます。

『源氏物語』をはじめ、平安時代以後の文献では、山橘の実は、強い生命力の象徴とされています。家持も、この赤い実に、強い「いのち」を感じたことと思います。

��山橘の実は、正月に贈る卯槌(うづち。邪気を払う槌)に添えられたり、童子の髪を肩で切り揃え、その成長を祝う髪そぎの儀式に用いられたりしました。


私は、花屋さんに、山橘(ヤブコウジ)を取り寄せてもらいました。その姿を見て、家持の思いが納得できました。本当に小さな、愛らしい木でした(10~13㎝)。1本がつける実の数も、センリョウやマンリョウに比べれば、はるかに少なく、4、5個程度です。しかし、1個の大きさはセンリョウなどよりやや大きく、何よりも深い赤色が、この植物の芯の強さを感じさせました。

この時取り寄せたヤブコウジは、なかなか地植えができないでいるうちに、この頃住んでいた場所特有の、異常な強風のために枯らしてしまいました。その後、都内に転居しましたが、昨年末に、花屋さんの店頭に置かれたヤブコウジを、偶然見かけ、思わず購入してしまいました。それが、上の写真です。

ところが、室外の寒さを好む植物なので、ベランダに置いたところ、目立たぬようにしたのにもかかわらず、鳥に見つけられてしまいました。今は、白い花と常緑の葉ばかりとなってしまいましたが、深く、清冽な赤色の実を思い出すと、心が洗われるようです。


*古典に見える山橘については、国文学編集部編『知っ得 古典文学植物誌』(学燈社、2007年7月刊)をご参照ください(「橘」「ゑぐ」「山橘」の項目を、私が執筆しています)。

酒井抱一描くヤブコウジ
(現在、東京国立博物館で開かれている「宮廷のみやび」展に出品されている、「四季花鳥図屏風」(酒井抱一筆。陽明文庫蔵)[158]の左隻の左下方には、雪の下のヤブコウジが描かれています。是非ご覧になってください。)

2008年1月6日日曜日

東京国立博物館「宮廷のみやび」展

『宮廷のみやび』
(写真=図録『宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝』)

書物文化研究の宝庫・陽明文庫

2008年1月2日(木)から2月24日(日)まで、東京国立博物館で、陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」が開かれています。

五摂家(ごせっけ。摂政・関白の職を継承する五家)の筆頭である近衛家は、藤原家に伝わる儀式作法に関わる書物の収集に努め、王朝文化を伝える家として道を歩んできました。そして、書画などにも造詣の深い文化人を、輩出しました。

今回の「宮廷のみやび」展は、近衛家の収集した膨大な文書・典籍・美術工芸品約200点を、公開するものです。これほどまでに大規模に、近衛家の伝えた、貴重な文化財が展示される機会はなかなかありません。必見の展示です。

そして、この「宮廷のみやび」展は、日本の書物文化に触れる、絶好の機会です。写真だけではわからない、日本の書物の生き生きとした姿に触れることができます。

1月4日に、私も観覧に行きました。「万葉集と古代の巻物」の立場から、見所を紹介します。


[13]白氏詩巻(国宝。1巻。平安/寛仁2年〈1018〉写。東京国立博物館蔵)

・色変わりの料紙が使われています。各紙の横の寸法が、写経に比べて短いことが、注目されます。


[19]源氏物語(重要文化財。54帖。鎌倉/14世紀。陽明文庫蔵)

・縦15.7㎝、横14.8㎝という、小ささに驚きます。「書物」としての『源氏物語』のイメージが、変わることでしょう。

[88]本阿弥切(古今和歌集断簡)(重要美術品。1葉。平安/12世紀。陽明文庫)

・巻子本でありながら、縦16.7㎝という、小さなものです(巻子本の標準的な縦の寸法は、25~28㎝)。11世紀後半には、やはり縦14.3㎝の巻子本である曼殊院本古今和歌集が製作されています。これらを開いた時の印象は、冊子本を思わせるものがあります。
・11世紀後半から12世紀にかけての、「書物」として古今和歌集を考える、興味深い材料と言えます。
・「書物」としての大きさに対応した、文字の繊細さにも、心惹かれます。

[166]益田池碑銘断簡(1巻。平安/12世紀。宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔1月27日(日)まで〕

・空海の碑文を、紙に写したものです。その豪放な文字をじっと見ていると、料紙の界線が気になってきます。界幅の、比較的広い、写経料紙が使われています。界線は細く、きちんと引かれています。

[173]安宅切(あたかぎれ)(和漢朗詠集断簡)(1巻。平安/11~12世紀。宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔1月27日(日)まで〕

・色変わりの料紙や、様々な装飾加工紙を継いで、著しく変化に富む巻子本です。その多彩な料紙をまたいで、金銀で、細長い土坡(どは)が描かれます。書体は、比較的統一されています。変化と統一の妙を感じます。

[186]草書孝経巻(そうしょこうきょうかん)(1巻。中国・唐/7~8世紀。宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔1月27日(日)まで〕

・極めて希少な、唐代の儒教経典写本です。界線が不思議です。縦界線が、天と地の横界線を超えて、紙の端にまで及んでいます。よく見ると、縦界線が二重になっているようです。あるいは、墨の界線の上から、箆(へら)などで、もう一度界線を引いているのかもしれません。
・また、横界線が、料紙の継目でずれていることも、気になります。

[191]倭漢抄下巻(国宝。2巻。平安/11世紀。陽明文庫蔵)

・頂に五弁の花、側面に鳥の文様のある、軸端(じくばな)にも注意したいと思います。

[196]多賀切(たがぎれ)(和漢朗詠集断簡)(重要文化財。1幅。平安/永久4年〈1116〉。陽明文庫蔵)〔1月27日(日)まで〕

・多賀切は、訓点(訓読するための符号)を書き込んだ、現存最古の、和漢朗詠集の写本です。この多賀切が、界線の引かれた料紙を用いていることは、大変興味深いことです。
・和漢朗詠集の、早い時期の写本では、装飾的な料紙が使われています。美術工芸品から、漢学のテキストへの変化は、料紙にも現れているようです。


*1月29日(火)から展示替えとなります。
��会場は、「第1章・宮廷貴族の生活」のセクションばかりが、異様に混雑しています。先に進めば進むほど、観覧者はまばらになります。第1章で、全精力を使ってしまわないことが、コツです。
��図録はかなり重いので、これに書き込みながら観覧することは、今回は諦めました。