2008年7月18日金曜日

これからの日本文学研究

IDPNewsletter27
(写真=IDP News No.27, Spring 2006)

20世紀の初頭に始まり、第二次世界大戦後に大きく飛躍した、近代的日本文学研究は、現在、細分化の道を突き進んでいます。その研究の様子は、同じ日本文学研究者でも、分野が異なると、わかりにくいものとさえなっています。

このような近代的日本文学研究の現状に対して、さまざまに、新しい方向が模索されています。先の記事「「日本語・日本文学研究―これからの百年―」(全国大学国語国文学会)」で紹介した、基調講演とシンポジウムも、そのひとつの試みでした。

新しい方向のひとつとして、今日追求されているのが、「国際性」です。毎月、どこかの大学や研究機関で、日本文学に関する国際シンポジウムが開かれています。

その背景には、海外における日本文学研究の発展と、インターネットによって、日本文学研究に関する情報交換が容易になったことがあります。さらには、インターネットに支えられた、アメリカを中心とするグローバリズムの流れもあるのでしょう。

確かに、このような海外の日本文学研究者との共同研究は、日本文学研究に、今までにない視点をもたらしています。
*アメリカ・ヨーロッパの日本文学研究の方法と、20世紀初頭以来、日本で培われてきた方法との間には、かなりの隔たりがあります。現時点では、異なる方法による発表が、並存したままで、交わらない国際シンポジウムも見受けられますが、今後、さらに異なる方法間の対話が深まることを、信じています

この「国際性」は、日本の研究者が、海外の研究者から刺激を受けたり、協力を得たりしながら、新しい日本文学研究を拓いてゆく、という行き方です。しかし、私は、日本文学研究が、世界と関わる、もう一つの道が存在していると思います。

20世紀初頭以来蓄積されてきた、日本文学研究の成果を携えて、世界の研究者とともに、「書物」とは何か、「文字」とは何か、「文学」とは何か、また「自然」とどう関わればよいのか、さらには「人間」とは何か、などといった普遍的な問題について、考察してゆくことができるのではないでしょうか。

このような道があることを、強く感じたのは、大英博物館所蔵の敦煌写本の調査においてです。私は、『万葉集』の原本の復元を目的に、2002年から敦煌写本の装丁(ブック・デザイン)の調査を進めています(紐を中心に、これと関わる表紙・発装・本紙についての調査を行っています)。

6~8世紀の中国文化圏の巻物が、書物としてどのような姿を持っていたのか、という私の研究テーマと、それを追究するためのアイディアに、大英図書館の研究者の皆さんは、強い興味を持ち、協力を惜しみませんでした。

そして、日本文学研究、より厳密には、その基礎学である書誌学が、はぐくんできた、書物の装丁を、細部まで丁寧に観察する技術が、大きな力を発揮しました。画像からではわからない、貴重なデータを数多く得ることができました。

日本文学研究が蓄積してきた経験・技術・智慧や、日本文学研究独自の発想力が、敦煌写本の研究に貢献できることを、強く実感しました。さらに、これらは、世界の「書物」の初期の形態である、巻物一般についての研究にも、貢献できるに相違ありません。

さまざまな地域の研究者とともに、互いに智慧を出し合いながら、より精度の高い巻物の調査方法や、確実な保存方法を開発し、また巻物とは、どのような「書物」であったか、そもそも「書物」とは人間にとって何なのかについて、考えを深めてゆくことを想像すると、心躍ります。

日本文学研究を通じて、世界の研究に貢献してゆくという道がある、と私には思われてなりません。


*写真は、敦煌写本についての、私の調査の一部をまとめたものです。大英図書館内にある、国際敦煌プロジェクト(International Dunhuang Project)のニューズレターに掲載されました。
Ogawa, Yasuhiko. “A Study of the Silk Braids on Stein Chinese Scrolls.” IDP News (Newsletter of the International Dunhuang Project) No.27 (Spring 2006).


2008年7月16日水曜日

「日本語・日本文学研究-これからの百年-」(全国大学国語国文学会)

全国大学国語国文学会2008夏
(当日配布された要旨)

日本文学研究の未来のために

2008年6月7日(土)から8日(日)に、和洋女子大学にて開催された、全国大学国語国文学会夏季大会で、「日本語・日本文学研究-これからの百年-」をテーマとする講演会とシンポジウムが開かれました(7日)。

基調講演  秋山虔氏(東京大学名誉教授)
シンポジウム
         「近代国文学成立の光芒に学ぶ-新たな〈学〉への希望のために」
                       神野藤昭夫氏〔かんのとう・あきお〕(跡見学園大学教授)
         「日本語・日本文学研究と国際性の問題」
                       辻英子氏(聖徳大学教授)
         「近代文学研究の現況と今後」            
                       山田有策氏(東京学芸大学名誉教授)
          コーディネーター   辰巳正明氏(國學院大學教授)       

日本語学・日本文学研究の、これからの100年を見通そう、という思い切った企画でした。

今回の基調講演とシンポジウムは、その第一段階として、今までの100年を検証するものと、私には受け止められました。(以下、敬称は、「氏」で統一します)

秋山氏の基調講演は、国文学が、学問として危機的状況にあるという問題意識のもと、国文学が誕生以来、どう社会と切り結んできたかという歴史を、生々しい証言も交えながら、たどるものでした。

神野藤氏は、新たな資料を開示しながら、大学校・開成学校・東京帝国大学における〈国文学〉が、単線的に「進化」してきたものではないことを、示しました。そして、〈国文学〉がナショナリズムと関わってきたことを踏まえて、今後の〈学〉が、他者性を抱え込む必要があること、を説きました。

辻氏は、ウィーン大学、ライデン大学、イギリスにおける日本研究の歴史を、豊富な資料によって、細密にトレースしました。日本の経済状況の動向が、ヨーロッパでの日本研究の盛衰に大きく影響していることが、浮かび上がってきました。

山田氏は、明治から現代に至る小説が、文語文体から口語文体に、また物語的なもの(伝承・民話)から小説的なものに転換した後も、実は文語文体や物語的なものに補強されていたこと、ところが今や、その支えを失っていることなどを論じました。

コーディネーターの辰巳氏は、以上の基調講演とパネリストの報告を受けて、日本文学研究の現状と課題について、
① 国民国家を基盤とする国文学研究は終焉した
② 戦後体制下の国文学研究も終焉し、日本文学研究の国際性が今や大きな課題となっている
と整理しました。

各氏の論は、全国大学国語国文学会の機関誌『文学・語学』にまとめられることと思います。ここでは、秋山氏の基調講演について、もう少し触れておきたいと思います。

約60年にわたり、国文学に生きてこられた秋山氏の言葉は、大変重いものでした。静かな語り口の中に、どうしても伝えたい、という強い思いが、たたえられていました。

秋山氏は、日清・日露戦争後に、国家意識・民族意識が高まり、国文学もその方向へ組織されてゆく中、あくまでも「文学というもの」に、直に触れることをめざした高木市之助、また戦時下にあって、文学を内部から研究することを主張した岡崎義恵(おかざき・よしえ)、戦争の危機意識に対して、豊かな感受性と強靭な主体性によって、研究の姿勢を作っていこうとした近藤忠義らの研究を紹介されました。

そして、戦後、安保闘争以後、大学で養成された国文学研究者が増大し、さらに研究情報が氾濫してゆく中、研究者が、細分化されたテーマの中に、それをなぜ追究するかがわからないままに、立てこもるという状況になっていることを、指摘されました。

秋山氏は、この状況からは悲観的見通ししか得られない、としながらも、いくつかの処方箋を示されました。

それらの中で、私の心に強く残ったのは、時代と切り結んできた国文学(高木、岡崎、近藤、そして風巻景次郎、西郷信綱ら)の遺産を継承してゆくことの大切さでした。

もちろん、私は、このような国文学の遺産も、歴史的に検証し、批判することが必要であると思っています。しかし、今日では、それ以前に、国文学の遺産に、たどり着くことさえ、容易ではないのです。これらの研究者の著作の多くは、絶版で入手困難となっています。

他の研究分野では、その分野の代表的著作の一部や論文を集めた、リーディングズ(Readings)が出版されています。国文学、あるいは日本文学研究においても、そのようなリーディングズが、編集されなければならない時期に来ていると思います。

国文学の遺産が、容易に読めるようになった時、これについての、本格的な、歴史的検証が始まると思います。そして、その検証を通じて、私たちは、研究者たちを突き動かしていた力の根源にも触れることになるでしょう。

理論の確かさや、方法の精密さ以上に、この力こそが、学問というものを、次の時代に伝えてゆくものではないかと私は考えています。


2008年7月4日金曜日

巻物を調べる時に敷く紙

レーヨン紙

巻物を調べる時には、机の上に置いて広げて見ます。ふつうは、図書閲覧用の机を使います。日本では、ヨーロッパの保存修復室にあるような、表面のやわらかい、特別な机が設置されているところは、あまりないようです。

そこで、巻物を机の上に置くところから、細心の注意が必要になります。

普通の図書閲覧用の机や、大学の教室の机の上にそのまま置くと、何かのはずみで傷をつけてしまったり、汚したりする危険性があります。また、虫食いや水濡れなどで、傷みの激しい巻物の場合、表紙や本紙の一部がはずれ、その小紙片を見失ってしまう恐れもあります。貴重な情報を失うことになりかねません。

古い巻物はもちろん、写本・刊本・文書や、複製本でも貴重なものを調べる場合には、紙を敷きます。

以前、私は、白いフェルトを用いたこともありますが、表面がやや毛羽立っているので、写本の表紙や料紙がからむことが心配でした。

日本女子大学の永村眞先生(日本中世史)から、巻物や文書の調査の際には、強めの、薄様の紙を、4~5枚敷いていることを伺いました。さらに、いつもお世話になっている神田の山形屋紙店で、意見を聞きましたところ、比較的安価な、レーヨン紙がよいでしょう、とのことでした。

レーヨン紙は、木材パルプなどのセルロース部分を、化学薬品などで溶解して製造した繊維(再生繊維)を原料とする紙です。やわらかく、表面が極めて滑らかです。

以後、巻物を調べる時には、私は、必ずレーヨン紙を持ってゆくようにしています(長いレーヨン紙を切らずに、軽く折りたたんで持ってゆきます)。そして、4~5枚重ねた上で、巻物を開いています。
*今まで、このブログに掲載した、さまざまな本の写真で、本の下に敷かれている紙も、レーヨン紙です。

ただし、レーヨン紙と一口に言っても、やわらかさ、表面の滑らかさ、光沢、風合などの点で、さまざまな種類があります。

私は、山形屋紙店のものと、東急ハンズ(池袋店)のものと使っています。山形屋紙店のレーヨン紙は、和紙風、東急ハンズのレーヨン紙は、洋紙風または布風です。イギリスのコンサバター(修復家)の知人に見せたところ、東急ハンズのものを大変気に入った様子でしたので、何枚か進呈しました。

ところが、今年の5月、久しぶりに東急ハンズ池袋店に行ったところ、和紙やレーヨン紙を扱っていたコーナーは、別のフロアに移動・縮小されており、しかもレーヨン紙を見つけることはできませんでした。店員さんに尋ねると、そもそも「レーヨン紙」というものが何かを、知りませんでした。

残念ですが仕方がありません。新たなレーヨン紙を探してみることにします。

なお、レーヨン紙は、薮田夏秋先生の『あなただけの巻物・折り本づくり』や、中藤靖之氏の『古文書の補修と取り扱い』にも、作品や、修復する本紙を保護するための養生紙として登場しています。

私も、下敷きとして使うばかりだけでなく、巻物の表紙や本紙の厚さを測るために使う、木製の台を包むのにも用いています。

��関連文献]
��.薮田夏秋『あなただけの巻物・折り本づくり』日貿出版社、2002年
��.神奈川大学日本常民文化研究所監修、中藤靖之著『古文書の補修と取り扱い』雄山閣出版、1998年(第1刷)、1999年(第3刷)