2008年2月29日金曜日

万葉集の文字法(3)

万葉集の文字法
(「万葉集の文字法(1)」に掲げた写真と同じ)

表記のめりはり
��この記事は、「万葉集の文字法(2)」に続きます)

再び、天平2年(730)の大伴旅人送別の宴に戻って、『万葉集』の《文字法》の特徴を見てみたいと思います。

先の記事「万葉集の文字法(2)」では、助詞・助動詞を記すために用いられる「正訓字」(日本語のことばと、ほぼ同じ意味を表す漢字)や、『者』のような「正訓字」に近い万葉仮名が、固定されていることを見ました。

助詞・助動詞という点で言えば、天平2年の送別の歌群の漢字本文を改めて見ると(上の写真)、助詞・助動詞の表記が、しばしば省略されていることに気づきます。

例えば、助詞では、以下です(〔 〕は、現在の訓。下線を引いた助詞の表記が省略されている)。

 ① 立毛居毛 (巻4・568)〈写真3行目) 〔たちもゐも〕
 ② 辛人之衣染云 (巻4・569)〈写真6行目〉 〔からひとのころもそむいふ〕
 ③ 山跡辺君之立日乃 (巻4・570)〈写真7行目〉 〔やまとへきみがたつひの〕
 ④ 野立鹿毛 (巻4・570)〈写真7行目〉 〔のたつしかも〕

①では、並列を示す接続助詞「て」、②では、言うことの内容であることを示す格助詞「と」、③④では、動作の帰着する場所や動作の起こる場所を示す格助詞「に」の表記が、省略されています。

どの場合も、読み下す時には、前後の文脈と、歌の音数律から、省略された助詞を、誤りなく補うことができます。

助詞の表記の省略は、「万葉集の文字法(1)」で紹介した、動詞の活用語尾の無表記と同じように、漢字の視覚的印象を、強く前面に押し出し、歌のことばの「意味」を簡潔に伝えるものとなっています。

しかし、その一方で、大伴旅人送別の宴の歌群にも見えるように、時間の前後関係を示す接続助詞「て」(『而』)、確定条件を表す接続助詞「ば」(『者』)や、詠嘆の終助詞「かも」(『鴨』など)は、決して省略しません。その他、以下の助詞も、表記を省略しません。

 ・動作の対象を示す格助詞「を」
 ・並列関係や共同の相手であることを示す格助詞「と」
 ・経過を表す「ゆ」
 ・出発点を示す「より」「から」
 ・「し」以外の副助詞(「だに」「すら」「さへ」など)
 ・係助詞「ぞ」「なむ」「や」「かも」「こそ」
 ・「そ」以外の副助詞

文の骨格に関わる助詞は、必ず表記するということです。また、詠嘆の表現を、「歌」の本質に関わるものとして、重視していたのでしょう。

このように、必ず表記する助詞が決まっています。ところが、それ以外の助詞については、表記しても、表記しなくてもよいのです。ただし、あくまでも、文脈がきちんとたどれ、それに基づいて容易に読み下せるように表記するという、条件付きですが。

例えば、①の「立(た)ちても居(ゐ)ても」は、『万葉集』の歌に、広く見られる表現です。そして、①の『立毛居毛』の他に、次のような表記が見られます。

  立座妹念 (巻11・2453)人麻呂歌集略体歌
  立而毛居而毛君乎思曽念 (巻10・2294)作者未詳歌

は、『万葉集』の《文字法》が確立する以前の、古い表記法です。一切、助詞を表記しません。「立座」という大づかみな表記は、“立ったり座ったりしても、どうしても相手が思われてならない”、という動作を、視覚的に、ダイレクトに伝えるものです。しかし、いざこれを読み下すとなると、一瞬戸惑います。

①の『立毛居毛』では、『毛』が表記されているために、「たちてもゐても」と読み下すことは、よりも容易です。

は、『万葉集』の《文字法》の範囲の表記ですが、助詞は全て表記しています。「たつ」「ゐ」を、『立』『居』と、「正訓字」で表記し、また活用語尾を一切表記しないという点で、歌の「意味」を伝えることを、なお志向していると言えます。

しかし、助詞全てを表記したために、①よりも、漢字の放つイメージは、弱くなっています。この歌を表記した人は、この歌の、「読み下しやすさ」を、より重視したのでしょう。
*なお、助詞『之』を、わざと丁寧に、たくさん表記することで、一首の音楽性を、視覚化しようとした例もあります。

以上のことは、助動詞についても、あてはまります。

このように、『万葉集』の《文字法》では、助詞・助動詞を表記するか、しないかについて、大きな部分が、表記者の裁量に委ねられています。そこに、個人の志向を反映させたり、創意を働かせたりする余地が、生まれます。

歌のことばの「意味」を鮮明に伝えながら、しかも、比較的容易に、また確実に日本語に読み下せることをねらったのが、①の『立毛居毛』という表記でした。

このフレキシブルな《文字法》を用いて、表記のめりはりを考えながら、歌に、文字の姿を与えてゆくことは、万葉歌人たちにとって、実に楽しい作業であったと思われます。そして、平安時代の歌人たちは、この楽しさを、、あえて捨て去って、平仮名によって、「和歌」を表記する道を、選び取るのです。

【『万葉集』の《文字法》】(今まで述べてきたことをまとめておきます)
��1) 動詞の活用語尾は、原則的に表記しない。
��2) 助詞・助動詞を記すために用いられる「正訓字」や、「正訓字」に近い万葉仮名は固定されている。
��3) 特定の助詞・助動詞については、表記を省略できない。それ以外の助詞・助動詞は、表記しても、表記しなくてもよい。
��4)
① 「正訓字」で書けるところを、万葉仮名や「借訓字」で表記したり、
② 一般的な万葉仮名で書けるところを、特殊な万葉仮名や、「借訓字」で表記したり、
③ 書かなくともよい活用語尾を、前後の文字との関わりで、表記したりする。


��主な参考文献]
��.小川靖彦「万葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年


謙慎書道会展70回記念「日中書法の伝承」展(予告)

日中書法の伝承展

中国の新出文字資料と日本の名筆

2008年3月13日(木)から3月22日(土)まで、東京美術倶楽部3F・4Fにて、謙慎書道会の主催する、謙慎書道会展70回記念「日中書法の伝承」展が開催されます。

 後援:文化庁、中国大使館、読売新聞社
 企画協力:東京国立博物館
 入場:10時~18時
 入場料:1000円(前売り800円)

青山学院大学日本文学科合同研究室入口に貼られたポスターに、心引かれて、どのような資料や作品が展示されるのか、謙慎会事務局に問い合わせました。事務局の特別の御厚意で、会場で配布されるガイドブックを送っていただきました。

カラー写真を数多く使ったガイドブックを目にして、駭嘆を禁じ得ませんでした。

中国の文字資料としては、殷墟出土甲骨、西周代の小克鼎(以上は、日本の諸機関で所蔵)など、東アジアにおける、文字の誕生と発展を知る上で、重要な資料が展示されます。また、唐代書写の『説文』口部の残簡をはじめ、刻石、拓本、蘭亭序、明・清の名筆、篆刻の展示もあり、中国書道史・文字史の流れを見渡すことができます。

特に注目したいのは、今回、中国から出品される、湖南省出土の木簡40点です。木簡の限られたスペースに、どのように文字を記すかということに、以前から関心を持っています。ガイドブックを見ると、篆書、隷書の他に、草書の木簡もあります。木簡のスペースと、草書の関係を、是非見てみたいと思います。

その他、敦煌研究院所蔵(青山杉雨氏旧蔵)の敦煌文書13点の、再来日もあります。

日本の作品では、「かな」の早い資料である、伝西行筆「仮名消息(延喜式紙背)」(11世紀初)、そして伝藤原行成筆「関戸本古今和歌集」断簡、伝藤原定実筆「筋切」、伝藤原行成筆「針切」、伝藤原公任筆「石山切(伊勢集)」などの、平安時代を代表する名筆を中心に、約50点が出品されます。

私が、もっとも興味を引かれるのは、伝小野道風筆「継色紙」です。『万葉集』巻13の歌を、「かな」で記した断簡が展示されます。

 〔万葉集漢字本文〕明日香河瀬湍之珠藻之打靡情者妹尓因来鴨 (巻13・3267)
 〔現代の読み下し文〕明日香川 瀬々の玉藻の うちなびき 心は妹に 寄りにけるかも
      (あすかがは せぜのたまもの うちなびき こころはいもに よりにけるかも)
   〔訳〕明日香川の瀬々の玉藻が靡くように、私の心は、すっかりあなたに靡いてしまった。

 【継色紙】あすかゝは せゝのたまもの うちなひき こゝろはに よりにしものを

『万葉集』の、平安時代・鎌倉時代の古写本でも、〔現代の読み下し文〕とほぼ同じように、読み下しています。ところが、「継色紙」の本文は、漢字本文から、大きくはずれています。これは、単なる誤写ではなく、「書物」としての「継色紙」の性格と、深く関係しているはずです(平安時代の万葉集訓読の性格については、小川『萬葉学史の研究』をご参照ください)。

「継色紙」独特の、空間の構成の仕方を、実際に観覧しながら、この問題について、思いをめぐらしたいと考えています。

今年の3月は、文字、書、書物に関わる、充実した展覧会が、次々と開催されます。心が躍ります。


*ガイドブックをお送りくださった、謙慎書道会事務局の格別の御厚意に、心より御礼申し上げます。

2008年2月27日水曜日

第43回秀華書展特別資料展示「古典かなの美展」(予告)

古典かなの美展

「かな」と書物の歴史を示す名筆・希覯の書

2008年3月27日(木)から4月1日(火)まで、渋谷・東急本店7階特設会場にて、財団法人・日本書道美術院の主催する、第43回秀華書展特別資料展示「春敬コレクションによる 古典かなの美展」が開催されます。

 協力:社団法人・書芸文化院「春敬記念書道文庫」
 後援:毎日新聞社
 入場料:一般・大学生 600円/ 高校・中学生 300円
 入場:11時~18時30分(19時閉場) 最終日の入場は、16時まで(16時30分閉場) 
 *この期間に、渋谷・東急本店7階特設会場と8階工芸ギャラリーにて、第43回秀華書展が
 開催されます。

インターネットで、この展示会の情報を得て、どのような作品が展示されるかを、財団法人・日本書道美術院の事務局に問い合わせましたところ、本当に驚きました。

社団法人・書芸文化院「春敬記念書道文庫」収蔵品を中心に、名筆と稀少な断簡が、30点も展示されることがわかりました。「春敬記念書道文庫」は、書家で、国文学・美術史・書道史の研究者であった、飯島春敬(いいじま・しゅんけい)氏が、生涯をかけて蒐集された、貴重な書道資料を収蔵しています。

今回の展示では、平安中期の伝藤原行成筆「関戸本古今集切」から、藤原俊成筆「顕広切」、藤原定家筆「三首詠草懐紙」を経て、江戸初期の本阿弥光悦筆「色紙」に至る作品が展示されます。日本の書の歴史を見渡す絶好の機会です。

「かな」が中心となりますが、『和漢朗詠集』の断簡(大字切、伊予切、太田切)も展示される予定です。漢字と「かな」の絶妙なコラボレーションも、見逃せません。

また、料紙装飾や、紙面の構成の仕方などについても、多くの情報を得ることができるでしょう。とりわけ伝後京極良経筆「豆色紙」のような、縦7.8㎝、横7.3㎝という、極めて小さい『拾遺和歌集』の断簡は、日本の書物の歴史を知る上での、貴重な資料であると思われます。
*寸法は、小松茂美氏編『日本書道辞典』(二玄社、1987年)によります。

その他、稀少な、伝宗尊親王筆「催馬楽切」、伝寂蓮筆「カタカナ古今六帖切」などは、書としてももちろん、古典文学の本文研究の点からも、非常に興味をかき立てられるものです。

そして、『万葉集』の、平安時代の古写本、元暦校本(11世紀後半写)巻第11、天治本(12世紀前半写)巻第10の断簡も展示されます。展示されることの少ない、『万葉集』の、平安時代の古写本の実物を、観覧できる貴重な機会の到来です。

展示会の開催を、待ちわびています。

*展示される作品についてお知らせくださった、財団法人・日本書道美術院事務局の格別の御厚意に、心より御礼申し上げます。


青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば』

『文字とことば』

漢文からの自立のための苦闘
��青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年5月刊、A5判、162頁)

このところ、このブログに掲載している「漢字に託す恋の心」「万葉集の文字法(1)(2)」の記事は、本書『文字とことば―東アジアの文化交流―』に収めた、私の論文「萬葉集の文字法」に、基づいています。論文のままでは、わかりにくいところを補ったり、ブログには掲載しにくいデータを、省略したりしています。また、この論文で割愛した問題についても、今後の記事で、紹介したいと思っています。

本書は、2005年3月12日(土)に開かれた、国際学術シンポジウム「文字とことば―古代東アジアの文化交流―」(青山学院大学文学部日本文学科主催)の基調報告を、論文集としてまとめたものです。

古代東アジアの研究は、中国と日本との関係、中国と高句麗・百済・新羅などの朝鮮半島の国々との関係の考察に、力点が置かれてきました。しかし、このシンポジウムでは、中国以外の国々の間の、文化交流―特に「文字」―に、光を当てることをめざしました。

シンポジウムには、企画・立案をした矢嶋泉氏(日本文学)を中心に、歴史学・韓国語学・日本語学・日本文学の研究者が集いました。日本と古代朝鮮半島の国々は、公式の文字言語として、東アジア世界の中心である、中国の漢字・漢文を、否応なく受け入れなければなりませんでした。このシンポジウムを通して、それぞれの国々が、それぞれの「ことば」に即した、文字言語を獲得するために行った苦闘の痕が、鮮明に浮かび上がりました。

日本の片仮名の起源が、経典に新羅語を書き入れる時に用いられた、省画体にある可能性が示されました(小林芳規氏)。「文字」に関する、日本と、古代朝鮮半島の国々の近さが、今まで以上に、明らかになったと言えます。

また、日本では、9世紀に、平仮名が、「文字」として、漢字・漢文から独立するのに対して、古代朝鮮半島では、「文字」の独立が、15世紀を待たなければなりませんでした。その歴史的条件の違いについても、議論が及びました。

本書『文字のことば』には、基調報告全体を見通す総論が、新たに加えられています。またパネリストの論文も、基調報告に、当日の議論を踏まえた加筆が施されています。「文字」という、一見地味なテーマでありながら、シンポジウム当日には、予想を越えた多数の方々に、御来場いただきました。本書は、その熱気を伝えるものとなっています。

【目 次】
はじめに
和文成立の背景(矢嶋泉)
古代東アジアの国際環境(佐藤信)
韓国の古代吏読文の文末助辞「之」について(南豊鉉 NAM PUNG-HYUN)
文字の交流―片仮名の起源―(小林芳規)
古代日本の漢字文の源流―稲荷山鉄剣の「七月中」をめぐって―(安田尚道)
萬葉集の文字法(小川靖彦)
かな文学の創出―『竹取物語』の成立と享受に関する若干の覚書―(高田祐彦)
あとがき

��論文集という形になっていますが、できるかぎり、わかりやすい記述を心がけています。
*本書は、一般の流通経路には乗っていません。青山学院大学文学部日本文学科主催の国際学術シンポジウム開催時に、会場にて販売されます。残部がありますので、次回開催の国際学術シンポジウム以前に入手されたい方は、青山学院大学文学部日本文学科合同研究室にお問い合わせください(ただし、日本文学科合同研究室は、2月中は閉室です。3月に開室しますが、水曜日・金曜日のみの開室となります)。
��「文字とことば」より後の、青山学院大学文学部日本文学科主催の国際学術シンポジウムの成果は、「新典社選書」として刊行されています(『源氏物語と和歌世界』『海を渡る文学』)。本書『文字とことば』も、流通経路に乗る書物として、改めて刊行する案も出ていますが、今のところは、具体的なアクションは、何も起こしていません。


2008年2月26日火曜日

万葉集の文字法(2)

万葉集の文字法2

文字の固定
��この記事は、「万葉集の文字法(1)」に続きます)

『万葉集』の《文字法》が、文字を、歌の「ことば」一つ一つに対応させるものではなく、文脈に依存しながら、歌に形を与えるものであることを、先の記事「万葉集の文字法(1)」で紹介しました。

先の記事では、動詞の活用語尾が、原則的に表記されないことを見ました。そして、『近付者』(巻4・570)を手懸かりに、『万葉集』の《文字法》で書かれた歌が、具体的に、どのように読まれていたか(読み下されていたか)を、推測しました。

さらに、この《文字法》の特徴を、挙げてみたいと思います。

『近付者』(巻4・570)が、逐語的に読み下すことができないことは、動詞の活用語尾の無表記によることを言いました。これは別の面から言うと、助詞・助動詞の表記の仕方の問題でもあります。

『近付者』の場合、接続助詞「者」が、仮定条件を表す場合と、確定条件を表す場合とで、明確に書き分けられていたならば、より簡単に読み下すことが、できるでしょう。しかし、そうなっていませんでした。

『万葉集』の《文字法》では、『者』や、先の記事で触れた『雖』(助詞「とも」・「ど」・「ども」に用いられる)の他に、次のような文字が、異なる助詞や、異なる助動詞を、受け持っています(これらは、「正訓字」〈日本語のことばと、ほぼ同じ意味を表す漢字〉)。

  之(「の」・「が」)  従(「ゆ」・「より」)  将(「む」・「なむ」・「てむ」・「らむ」・「けむ」)
  不(「ず」・「じ」)


どの助詞・助動詞に読み下すかは、文脈によって決まります。これらの文字そのものからは、決定できません。

同じ『不』の文字が、時には「ず」(打消し)、「じ」(打消しの推量〈~シナイダロウ〉、または意志〈~シナイツモリダ〉)を表すことは、一見不便そうに思えます。しかし、歌を書き表すという点からすると、一つ一つの「ことば」に即して、細かく文字が区別されていない分、効率的に表記することができ、視覚的印象も簡潔なものとなります。

それだけではありません。写真の、8世紀の女流歌人・大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の歌では、『不』を、打消しにも、打消しの意志にも用いることが、文字の上で、歌に生き生きとした表情も与えています。

 将来云毛不来時有乎不来云乎将来常者不待不来云物乎 (巻4・527)
 来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを
 (こむといふも こぬときあるを こじといふを こむとはまたじ こじといふものを)
 〔訳〕「来よう」と言いながら来ない時もあるのに、「来ない」と言っているのを、来るだろうと
  待ったりするなどという、馬鹿なことはいたしません。「来ない」と言っているのに。


この歌は、その頃、郎女の恋人であった、藤原麻呂(ふじわらのまろ。不比等の四男)に贈ったものです。「来じ」(来ないつもりだ〔今日はあなたのもとには行かない、の意〕)と言ってきた麻呂に対して、「来る」を繰り返しながら、今までの不実な分も加えて、言い返しています。拗ねた心を、笑いに包んで、相手に叩きつけるという、したたかな歌です。

『不来』の多用は、相手の不実さを、目に見える形で強調しています。その上、4回も用いられる『不』は、相手に、『不』と、拒否的感情を突きつけるような印象さえ与えます。「ず」と「じ」を、丁寧に書き分ける表記法で書かれていたならば、この歌独自の諧謔味は、半減することでしょう。

『不』が「ず」も「じ」も受け持つという《文字法》が、生み出した効果ですが、坂上郎女も、この効果を、十分に意識していたと思います。第2句を、『来奴時有乎』と表記することも、できないわけではありませんでした。
*打消しの助動詞「ず」を表す文字は、常に『不』でなくてはならない、ということではありません。

『万葉集』の《文字法》では、助詞・助動詞を、多用な文字によって書き分けるのではなく、ある程度固定した文字によって表記することが、行われたのです。

��主な参考文献]
��.小川靖彦「萬葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年
��.鈴木日出男『古代和歌史論』東京大学出版会、1990年 (*第1編第9章の「坂上郎女の方法」は、大伴坂上郎女の歌に見られる、理知と諧謔、そして内省を、鮮やかに論じています)


2008年2月23日土曜日

万葉集の文字法(1)

万葉集の文字法

文字とことばの関係

文字は、「ことば」を書き表したものと、普段私たちは考えています。文字と「ことば」の間に、ずれがあることを、あまり意識せずに過ごしています。

実は、今日私たちの使う、漢字平仮名交じり文でも、文字と「ことば」が、完全に一致しているわけではありません。例えば、「私は」の「は」のような、主題を提示する助詞「は」です。実際には「ワ」と発音しているのに、『は』と表記しています。

第二次世界大戦直後の一時期に、この助詞「は」を、『わ』と表記する本も現れました。しかし、すぐに姿を消しました。あまりに読みにくかったからでしょう。文字には、文字固有の論理というものがあります。

しかし、全体として見た時、漢字平仮名交じり文では、文字が、「ことば」と緊密に対応していると言えます。これに対して、『万葉集』で使われた文字法では、文字が、「ことば」一つ一つと対応するようには、なっていません。

先の記事「漢字に託す恋の心」で、柿本人麻呂の時代に、《文字法》と言える、漢字による歌の表記法が確立されたと、述べました。そして、この《文字法》が、歌の「ことば」全てを文字化するものではないことにも触れました。

それでは、万葉時代の人々は、この《文字法》で書かれた歌を、どのように読んでいたのでしょうか。また、今日の私たちから見れば、一見不便そうな、この《文字法》を、万葉歌人たちは、なぜ好んだのでしょうか。上の写真に示した歌群を例に、さらに詳しく見てみましょう。

この歌群は、天平2年(730)に、大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)から大納言に任ぜられ、帰京することになった大伴旅人のために、大宰府の官人たちが催した送別の宴で、作られたものです。どの歌も、自然の情景に託して、別れの悲しみを、哀切に歌い上げています。

 三埼廻之荒礒尓縁五百重波立毛居毛我念流吉美 (巻4・568)門部石足(かどべのいそたり)
 み崎廻の 荒磯に寄する 五百重波 立ちても居ても 我が思へる君
 (みさきみの ありそによする いほへなみ たちてもゐても あがおもへるきみ)
 〔訳〕岬のめぐりの荒磯に寄せる、幾重にも重なり合った波。その波が、「立つ」ように、立っても
  座っても、恋しく思うあなた様よ……。


 辛人之衣染云紫之情尓染而所念鴨 (巻4・569)麻田陽春(あさだのやす)
 韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも
 (からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも)
 〔訳〕中国・朝鮮半島の人々が、衣を染めるという紫の色。その色が深く染まるように、
  あなた様が、私の心に深く感じられてなりません。


 山跡辺君之立日乃近付者野立鹿毛動而曽鳴 (巻4・570)麻田陽春
 大和辺に 君が立つ日の 近づけば 野に立つ鹿も とよめてぞ鳴く
 (やまとべに きみがたつひの ちかづけば のにたつしかも とよめてぞなく)
 〔訳〕大和へと、あなた様の出発する日が近づいたので、野に立つ鹿までも、別れを
  惜しんで、あたりに声を響かせて、鳴いています。


 月夜吉河音清之率此間行毛不去毛遊而将帰 (巻4・571)大伴四綱(おおとものよつな)
 月夜よし 川の音清し いざここに 行くも行かぬも 遊びて行かむ
 (つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ)
 〔訳〕月もよい。川音も清い。さあ、ここで、都に戻る人も、留まる人も、ともに心ゆくまで
  楽しんで、帰ろうではありませんか。


この歌群では、『縁』『立』『念』(巻4・568)を始め、動詞の活用語尾は、一切表記されていません。その結果、歌の「ことば」の「意味」が、はっきりと目に見える形で、前面に打ち出されています。

例えば、〔巻4・568〕の第2・3句「荒磯に寄する五百重波」について、二つの表記を比較してみてください。

  荒礒尓縁五百重波  (原文)
  荒礒尓縁須流五百重波

の表記は、「ことば」一つ一つを、丁寧に書き表しています。歌の「ことば」を、正確に伝えるものと言えます。しかし、視覚的には、煩雑な印象があります。

これに対して、は、歌の「意味」を、より簡潔に、鮮明に表現しています。の表記によって歌を読む者は、荒磯に次々と折り重なって寄せてくる、波のイメージを、素早く思い描くことになるでしょう。

そして、前後の文脈と、歌の音数律から、『縁』を、「ヨスル」と連体形に読み下すことは、それほど難しいことではなかったと思われます。

この、文脈との関わりという点で、大変興味深いのが、〔巻4・570〕の第3句「近づけば」の表記『近付者』です。『万葉集』の《文字法》では、『者』の文字は、仮定条件(“~ナラバ”の意)を表す接続助詞「ば」にも、確定条件(“~ナノデ”の意)を表す接続助詞「ば」にも使われます(さらに主題を提示する係助詞「は」にも使われます)。

そのため、『近付』の活用語尾を、「近づば」(仮定条件)か、「近づば」(確定条件)かに確定するためには、〔巻4・570〕を、一応末尾まで、暫定的に読み通す必要があります。

『近付者』に続く歌句『野尓立鹿毛動而曽鳴』が、これから起こることではなく、現在の情景を述べていることから遡って、「チカヅケバ」(確定条件)という読み下し方に、定まります。

つまり、活用語尾を記さない動詞が、『者』や、同様の『雖』(助詞「とも」・「ど」・「ども」に用いられる)などに続く場合、歌を、頭から、逐語的に読み下せるようにはなっていないのです。『万葉集』の《文字法》は、歌全体の、文脈に大きく依存した表記法なのです。

万葉時代の人々は、この《文字法》を不完全なものとは考えず、文脈によって、充分に読み下すことができるものと思い、

  君之立都日乃近付家者

のような、逐語的な表記を、むしろ煩雑なものと意識していたと思われます。


*絵文字が、聴覚的な記号となるまでに、多くの技術開発が行われたことが想起されます。また聴覚的な記号となった後でも、北あるいは北西セム文字では、子音だけを表記していました(カーロイ・フェルデシ=パップ氏)。
��日本語の場合を含めた、文字と「ことば」の関係一般については、現在、デイヴィッド・ルーリー氏(コロンビア大学)が、世界の文字を視野に収めた、スリリングな研究を進めています。、一日も早く、氏の研究が論文化されることを、願っています。


[主な参考文献]
��.小川靖彦「萬葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年
��.カーロイ・フェルデシ=パップ『文字の起源』矢島文夫・佐藤牧夫訳、岩波書店、1988年
��.藤枝晃『文字の文化史』講談社学術文庫、講談社、1999年 


2008年2月14日木曜日

『万葉集』のテキスト

新編古典全集
(写真=新編日本古典文学全集の『萬葉集』)

『万葉集』を学ぶためには、まず信頼できる本を、手元に置くことが大切です。

信頼できる本とは、『万葉集』の漢字本文が記されており、専門の研究者による本文校訂と訓読(読み下し)が行われ、その根拠も記されているものです。

その上、題詞や歌のことばなどについて、簡単な説明が付いているものが、使いやすいでしょう。

万葉集研究では、次の4冊本が、標準的なテキストとして、利用されています。

(1)小島憲之・木下正俊・東野治之校注『萬葉集』①~④、新編日本古典文学全集、小学館、1994~1996年

現代の、本文校訂・訓読の研究成果を、盛り込んだテキストです。全体に穏健な説が示されています。

『万葉集』は、約1200年前に成立した歌集です。それだけに、研究者の間で、本文・訓読・解釈について、説が分かれているところが、多々あります。そこで、(1)をベースにしながら、次のような本を、比較対照しながら、『万葉集』を読むことになります。

(2)佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『萬葉集』一~四、新日本古典文学大系、岩波書店、1999~2003年
  〔漢籍・仏典などの典拠について詳細。平安時代の万葉享受にも言及〕

(3)稲岡耕二校注『萬葉集』(一)~(四)、和歌文学大系、明治書院、1997~2006年((四)未刊)
  〔口誦から記載へという文学史観に立ち、初期の歌を、「声」の歌として解釈。漢字に託された文学的意図についても詳細〕

(4)伊藤博校注『萬葉集釈注』一~十一、集英社、1995~1999年
  〔『萬葉集』の成立過程を、視野に入れながらの解釈。歌の配列を問題にする〕

(5)中西進校注『万葉集 全訳注原文付』(一)~(四)、講談社文庫、講談社、1978~1983年
  〔『万葉集』を「文学作品」として読むことにこだわり、思い切った訓読・解釈を提示〕

(6)伊藤博他校注『萬葉集全注』巻第一~巻第二十、有斐閣、1983~2006年(巻第十六未刊)
  〔現代の万葉集研究を導いてきた15人の研究者が、各巻ごとに分担執筆した注釈書〕

(2)~(6)は、気に入ったものは、手元に置き、その他は、図書館で利用してください。大きめの図書館でないと、所蔵されていないかもしれません(大学図書館には、必ず所蔵されていると思います。一般公開されている大学図書館を、利用することも、一つの方法です。


*『万葉集』に関する本を、書店でたくさん見かけます。その中に引用された本文や、ダイジェスト版で、歌を読むことで終わらずに、最新の成果を提示する、全歌約4500首を収めるテキストで、『万葉集』そのものを、是非味わってください。思いがけない歌に、出会うはずです。

2008年2月12日火曜日

漢字に託す恋の心

文字の趣向

女流歌人たちの文字の趣向

『万葉集』の歌は、本来漢字で書かれています。漢字ばかりで書かれた歌は、いかめしい印象を与えます。かなに慣れ親しんでいる私たちは、これを、読むのも、書くのも難しいと、思いがちです。

しかし、7世紀末、柿本人麻呂の時代に、《文字法》と言える、漢字による歌の表記法が、確立されました。日本語のことばと、ほぼ同じ意味を表す漢字(「正訓字(せいくんじ)」)を用いて、歌の主要なことばを書き記します。

そして、日本語に対応する漢字がないことばについては、「万葉仮名」でこれを書き記します。「万葉仮名」は、漢字の「音」を用いて、日本語を書き表すものです(平仮名・片仮名とは異なり、あくまでも漢字の一用法にとどまります)。

正訓字と万葉仮名を組み合わせての表記法は、現代の漢字平仮名交じり文に、よく似ています。漢字平仮名交じり文は、表音文字だけからなる英文などと異なり、1文字1文字の音をたどりながら、1語として認識して、意味を捉えるという手続きを経ないで、漢字の部分については、これを見ただけで、瞬時に意味を理解することができます(橋元良明氏の論による)。

ひらがなだけでかかれたぶんのいみを、かいどくすることが、なかなかめんどうであることを、おもいおこしてください。

『万葉集』の《文字法》も、意味を効率的に伝えることのできる表記法と言えます。

ただし、『万葉集』の《文字法》は、現代の漢字平仮名交じり文とは異なり、歌の「ことば」の全てを文字化するものではありません。歌の文脈から、容易に補うことのできる「ことば」、例えば、動詞の活用語尾(一部例外あり)や、特定の助詞・助動詞は、思い切って、表記を省略します。

この《文字法》では、文の骨格が、きちんと、そしてシンプルに示されることになります。「意味」を伝えるという点では、『万葉集』の《文字法》は、現代の漢字平仮名交じり文よりも、効率的であるかもしれません。

そして、この《文字法》は、ある程度漢字の知識を持ち、やまと歌についての教養もある人にとっては、何を表記し、表記しないかというルールを習得しさえすれば、容易に読み書きできるものであったと考えられます。

『万葉集』の作者層が、天皇・皇族や、柿本人麻呂のような宮廷歌人たちに止まらず、中・下級の官人たちや、女性たちにまで広まっていったのは、この《文字法》の力によるところが、大きいと思います。この《文字法》によって、漢字の読み書きができ、歌の表現に馴染んでいる人ならば、誰もが、やまと歌を、文字に書き記し、そして読むことが可能になりました。

*先の記事「万葉集巻一の書記法(1)」「同(2)」で書きましたように、初期の表記法の場合には、専門的な読み手の、特別な能力が必要でしたが、この《文字法》では、そうではありません。

この《文字法》は、歌の「文脈」に依存するものであるだけに、「ことば」と文字の関係が、現代の漢字平仮名交じり文ほどには、固定的ではありません。そこに、作者個人が創意工夫を働かせる余地が生まれます。

その余地を大胆に利用し、文字の上で、さまざまな趣向を凝らしたのが、8世紀の女流歌人たちです。写真の①~④がその例です。


 春日山霞多奈引情具久照月夜尓独鴨 
  春日山 霞たなびき 心ぐく 照れる月夜に ひとりかも寝む (巻4・735)大伴坂上大嬢
  (かすがやま かすみたなびき こころぐく てれるつくよに ひとりかもねむ)
  〔訳〕春日山に霞がたなびき、心も晴れずぼんやりと照る月夜に、独り寝るのでしょうか…。

この歌は、春の朧月夜の独り寝のさびしさを詠んだ歌です。第5句の「寝む」は、普通ならば「将寝」「宿牟」「寝」などと書くところです。ところが、この歌は「念」と表記しています。「念」という漢字の、ネンという音を利用した表記です。「念」という文字面からは、単に独り寝するという「意味」だけではなく、相手を心に思って眠れずにいる女性の様子を、浮かび上がらせます。

 不相見者幾久毛不有国幾許吾者恋乍裳鹿
  相見ぬは 幾久さにも あらなくに ここだく我は 恋ひつつもあるか 
                         (巻4・666)大伴坂上郎女

  (あひみぬは いくびささにも あらなくに ここだくあれは こひつつもあるか)
  〔訳〕逢わない間が、それほど長いわけではないのに、これほどまでに、あなたに
   会いたいと思っていることか。

 ③真玉付彼此兼手言歯五十戸常相而後社悔二有跡五十戸
  ま玉つく をちこち兼ねて 言ひは言へど 逢ひて後こそ 悔いにありといへ 
                         (巻4・674)大伴坂上郎女

  (またまつく をちこちかねて いひはいへど あひてのちこそ くいにはありといへ)
  〔訳〕(ま玉つく)将来のこと、今のことを、あれこれあなたはおっしゃいますが、
   逢ってしまった後にこそ、後悔するものだと聞いています。

 娘子部四咲沢二生流花勝見都毛不知恋裳可聞
  をみなへし 佐紀沢に 生ふる花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも 
                         (巻4・675)中臣女郎

  (をみなへし さきさはに おふるはなかつみ かつてもしらぬ こひもするかも)
  〔訳〕(をみなへし)佐紀沢に生える花かつみ、その花かつみではありませんが、
   かつて知らない、恋をしています。

②では、第5句「ある」について、「有」「在」と普通に書かず、「荒」という借訓字を用いて、逢えぬ苦しみを表現しています。③では、第3句「言へど」を、「雖言」ではなく、「五十戸」とすることで、相手が、いかに多くのことばを並べ立てているかを、誇張し、揶揄しています。そして、第5句「は」の、「破」という万葉仮名は、逢ったために味わうであろう後悔の、ネガティブなイメージを、際立たせています。この③の恋歌を送られた男性は、大胆な文字面に、さぞ驚いたことでしょう。

④では、第5句「する」について、「為」でよいところを、「楷」(する、こする意)としています。これが初句の「をみなへし」と響き合って、一首に花摺衣の、美しいイメージを添えています。

万葉の女流歌人たちは、漢字にも、恋の心を託していたのでした。

��主な参考文献]
��.小川靖彦「萬葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年
��.橋元良明「音読と黙読」『言語』(大修館書店)第27巻第2号、1998年2月
��.橋元良明「日本人における黙読と音読」『現代の図書館』Vol.42 No.2、2004年6月
��.沖森卓也「万葉集の表記」『万葉集Ⅰ』和歌文学講座2、勉誠社、1992年

*〔巻4・735〕の「念」が、漢字の意味を生かした表記であることは、稲岡耕二校注『萬葉集(一)』(和歌文学大系、明治書院、1997年)、佐竹昭広他校注『萬葉集一』(新日本古典文学大系、岩波書店、1999年)などにも指摘されています。

2008年2月6日水曜日

書の味わい方

透写例
(写真=トレースした「堺色紙」の書〔右:はるされ、左:とにま〕)

書を鉛筆でトレースする

展覧会に行くと、美しい書に出会います。しかし、その美しさを捉え、自分のことばで表現することは、容易ではありません。

手引きとなるような鑑賞書も出版されています。とはいえ、鑑賞書の多くは、書道の心得のある人、さらには古筆を自分で臨写しようとする人を対象に書かれています。普段、筆を持つことの少ない人には、なかなかわかりにくいところがあります。

書道の心得がなくとも、展覧会で、書に出会った感動を深めるための、ささやかな方法を紹介します。

まず、展覧会では、その作品全体から受けた“感じ”を、大切にしてください。ただ「きれいだ」というのではなく、何が「きれいか」、何が面白いか(本阿弥光悦の書などは、「面白い」という印象を受けます)、何が自分の心に訴えるかを見つめ、それをメモしておきましょう。

あまり込んでいなければ、筆跡を、自分の筆でなぞるような気持ちで、ゆっくりと、目でたどっていってもよいでしょう。これは、現代を代表する書家・日比野五鳳(ひびの・ごほう)先生が実践された鑑賞法です。

さらに、その“感じ”を具体的に捉えるために、帰宅後に、展覧会図録の写真と、自分の“手”を使います。図録の写真をコピーして、それにトレーシング・ペーバーを置いて、鉛筆で筆跡をたどってゆきます。

*必ず図録の写真は、コピーしてお使いください。そのままなぞると、大切な図録に、鉛筆の先の押し痕が残ってしまいます。
��シャープペンシルは避けてください。トレーシング・ペーバーを突き破る恐れがあります。
��鉛筆は、Bか、2Bがよいでしょう。
��筆線の肥痩(ひそう)や墨の濃淡は、とりあえずは無視してください。忠実に再現する必要はありません。
��変体仮名の解読には、伊地知鐵男氏編『増補改訂 仮名変体集』(新典社、本体350円)が、便利です。


ここで大切なのは、筆や筆ペンを使わずに、鉛筆を使うことです。現代の私たちが使い慣れている筆記用具は、鉛筆です。鉛筆を使う時にこそ、私たち自身の、無意識の筆癖が現れるからです。

上の写真は、前の記事「畠山記念館「花によせる日本の心」展」で紹介した、畠山記念館所蔵の「堺色紙」(さかいしきし。12世紀前半写)をトレースしたものです。


 はるくれはや/とにまつさく/むめの花/君かちとせの/かさし/とそ/なる (/で改行)
 (春くれば 屋戸にまづ咲く 梅の花 君が千年の かざしとぞなる)

トレーシング・ペーパー上で、鉛筆で筆跡をなぞってゆくと、その作品の筆線と、自分の筆癖がずれることがあります。私の場合、第一字目の「は」(漢字「者」をくずした「は」です)の、下の部分を写す時、かなり意識して、右に線を伸ばし、大きく回転して書かなければなりませんでした。

また、2行目の「に」には、本当に驚かされました。「に」の、第一画(縦線)から第二画(横線)への飛び方は、面白いくらいに大胆です。

このようになぞってゆくうちに、「堺色紙」の書が、広い空間を、おおらかに遊ぶような作品であることが、具体的に実感されてきます。

手書き文字というものは、書き手の身体と直につながっています。それだけに、目で見ることに加え、実際に自分の“手”で書いて、書き手が凝らした技巧や、その作品に託した思いを追体験してゆくことが、大切になります。

しかし、それは、その作品を上手にまねをすることではありません。むしろ、自分の手書き文字との「違い」を通して、その作品の美しさの本質を発見してゆくのです。くれぐれも、まねることに専念してしまわず、ひとつひとつの文字や画で、「違い」に驚き、「違い」を楽しんでください。

トレースをした上で、再度、実際の作品を見るならば、さらに理解が深まることでしょう。写真では、どうしても再現できない、筆勢や、墨の料紙への食い込み方などを見てください。また鉛筆では表現できない、筆線の肥痩や濃淡の妙を、十分に味わってください。


��ここに紹介しました、トレースによる書の味わい方は、論文「萬葉集―漢字とかなのコラボレーション」(『国文学』第52巻第10号、学燈社、2007年8月。『文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―』(学燈社)というタイトルの本としても刊行されています)を書くために、辿り着いた方法の一つです。いたって単純な方法ですが、講座や教室などで、書を学んでいるわけではない私にとっては、試行錯誤の末に、ようやく見出すことのできたものです。
��普段、筆を持たない人にも、もっと書を味わい、楽しんでもらいたいと思い、これを紹介しました。
��コピーの際に倍率を調整してからトレースをし、同じ筆者の別の作品や、同時代の別の筆者の作品と比較することも、面白いです。トレースしたものを重ねると、同じ「あ」でも、微妙に異なることがわかります。
��理論的な面では、石川九楊氏の著作(主に、以下の本)にも、示唆を受けています。
  『文字の現在 書の現在 その起源を読み解く』中公文庫、中央公論新社、2006年
  『誰も文字など書いていない』二玄社、2001年


2008年2月2日土曜日

畠山記念館「花によせる日本の心」展

「花によせる日本の心」展
(写真=展覧会案内と収蔵品図録『與衆愛玩』)

静けさの中で花鳥と出会う

展覧会案内の、酒井抱一(さかい・ほういつ)筆「椿・梅に鶯図」と、夜桜蒔絵四半硯箱に魅了されて、畠山記念館「花によせる日本の心―梅・桜・椿を中心に―」展(2008年1月8日[火]~3月9日[日])を見に行きました。

都営浅草線高輪台駅を降りて、閑静な住宅街の細道を抜け、左折して少し行くと、畠山記念館の正門に出ます。門を入って、広い敷地を見渡すと、一気にタイムスリップして、かつての武蔵野の面影を見るようです。

記念館の2階が展示会場となっています。展示品は、花をテーマとする書・画・工芸品など50点弱です。陳列ケースの間のスペースも広くとってあります。私が訪れたのは、平日であったせいか、観覧者も少なく、名品を静かに、じっくりと見ることができました。

酒井抱一「椿・梅に鶯図」(江戸時代、19世紀)は、写真で見ていた以上に、梅の幹の線と色、そして鶯の丸味を帯びた輪郭に、温かみを感じました。大振りの椿の花の、鮮やかな赤も、強く心に残りました。〔2月7日(木)まで〕

また夜桜蒔絵四半硯箱(江戸時代、17世紀)も、写真で想像していたよりも、かなり小さいものでした。その小さな箱の蓋に、月と、咲く花と、散る花びらを描く、大胆な趣向に目をみはりました。

「万葉集と古代の書物」という観点からは、次の作品が注目されました。


[21]堺色紙(さかいしきし)(伝藤原公任筆。1幅。平安時代)〔2月7日(木)まで〕

・薄藍色の染紙(そめがみ)に、鳥(尾長鳥)・菊を、銀泥で描いた料紙を用いています。『古今和歌集』の歌を、散書(ちらしがき)にしています。

  はるくれば やどにまづさく むめの花 君がちとせの かざしとぞなる  (賀・352・紀貫之)
  (春くれば 屋戸にまづ咲く 梅の花 君が千年の かざしとぞなる)

・歌は、行間・字間を、贅沢なまでに、広くとっています。2、3文字が連綿し、その文字群が、変化に富む空間を作り出しています。特に、低い位置に書かれた、第三句「むめの花」は、早春にひっそりと咲く梅の花を想像させます。

・堺色紙は、元来、巻子本であったと考えられています。この畠山記念館所蔵の断簡のような空間を構成する和歌が、巻子本として連続的に書かれていた姿を想像すると、興味をかき立てられます。

・堺色紙の書写年代は、12世紀前半と推測されています。先の記事「東京国立博物館『宮廷のみやび』展」で、本阿弥切(ほんあみぎれ)を紹介したところでも触れましたが、11世紀後半から12世紀にかけて、『古今和歌集』を中心とする巻子本に、大きな変革が起こっていたことが、窺えます。
*なお、堺色紙の縦の寸法は、26.9㎝、または21.1㎝(畠山記念館所蔵断簡)です。

・また、『古今和歌集』の賀の部の料紙として(しかも、畠山記念館所蔵断簡では、早春の歌であるのに)、尾長鳥・秋草、そして、他機関所蔵の断簡によれば蝶その他を描く紙が用いられていることも、注目されます。
*桂本万葉集の下絵を、想起します。

その他、
[37]香紙切(こうしぎれ)(伝小大君筆。1幅。平安時代)も、本来、冊子本(粘葉装〈でっちょうそう〉)でしたが、歌を右の方に書き、左には大きな余白をとっています。どのような紙面の、冊子本であったのでしょうか。

茶室の水音だけが響く、静けさの中で、日本のデザインと、古代に書物に思いを馳せました。


��主な参考文献]
��.財団法人畠山記念館編『與衆愛玩 畠山即翁の蒐集品』畠山記念館、2005年 〔畠山記念館にて購入できます。3,800円〕
��.小松茂美編『日本書道辞典』二玄社、1987年
��.春名好重・杉村邦彦・永井敏男・中村淳・西林昭一・三浦康廣編『書道基本用語詞典』中教出版、1991年


畠山記念館