2008年2月6日水曜日

書の味わい方

透写例
(写真=トレースした「堺色紙」の書〔右:はるされ、左:とにま〕)

書を鉛筆でトレースする

展覧会に行くと、美しい書に出会います。しかし、その美しさを捉え、自分のことばで表現することは、容易ではありません。

手引きとなるような鑑賞書も出版されています。とはいえ、鑑賞書の多くは、書道の心得のある人、さらには古筆を自分で臨写しようとする人を対象に書かれています。普段、筆を持つことの少ない人には、なかなかわかりにくいところがあります。

書道の心得がなくとも、展覧会で、書に出会った感動を深めるための、ささやかな方法を紹介します。

まず、展覧会では、その作品全体から受けた“感じ”を、大切にしてください。ただ「きれいだ」というのではなく、何が「きれいか」、何が面白いか(本阿弥光悦の書などは、「面白い」という印象を受けます)、何が自分の心に訴えるかを見つめ、それをメモしておきましょう。

あまり込んでいなければ、筆跡を、自分の筆でなぞるような気持ちで、ゆっくりと、目でたどっていってもよいでしょう。これは、現代を代表する書家・日比野五鳳(ひびの・ごほう)先生が実践された鑑賞法です。

さらに、その“感じ”を具体的に捉えるために、帰宅後に、展覧会図録の写真と、自分の“手”を使います。図録の写真をコピーして、それにトレーシング・ペーバーを置いて、鉛筆で筆跡をたどってゆきます。

*必ず図録の写真は、コピーしてお使いください。そのままなぞると、大切な図録に、鉛筆の先の押し痕が残ってしまいます。
��シャープペンシルは避けてください。トレーシング・ペーバーを突き破る恐れがあります。
��鉛筆は、Bか、2Bがよいでしょう。
��筆線の肥痩(ひそう)や墨の濃淡は、とりあえずは無視してください。忠実に再現する必要はありません。
��変体仮名の解読には、伊地知鐵男氏編『増補改訂 仮名変体集』(新典社、本体350円)が、便利です。


ここで大切なのは、筆や筆ペンを使わずに、鉛筆を使うことです。現代の私たちが使い慣れている筆記用具は、鉛筆です。鉛筆を使う時にこそ、私たち自身の、無意識の筆癖が現れるからです。

上の写真は、前の記事「畠山記念館「花によせる日本の心」展」で紹介した、畠山記念館所蔵の「堺色紙」(さかいしきし。12世紀前半写)をトレースしたものです。


 はるくれはや/とにまつさく/むめの花/君かちとせの/かさし/とそ/なる (/で改行)
 (春くれば 屋戸にまづ咲く 梅の花 君が千年の かざしとぞなる)

トレーシング・ペーパー上で、鉛筆で筆跡をなぞってゆくと、その作品の筆線と、自分の筆癖がずれることがあります。私の場合、第一字目の「は」(漢字「者」をくずした「は」です)の、下の部分を写す時、かなり意識して、右に線を伸ばし、大きく回転して書かなければなりませんでした。

また、2行目の「に」には、本当に驚かされました。「に」の、第一画(縦線)から第二画(横線)への飛び方は、面白いくらいに大胆です。

このようになぞってゆくうちに、「堺色紙」の書が、広い空間を、おおらかに遊ぶような作品であることが、具体的に実感されてきます。

手書き文字というものは、書き手の身体と直につながっています。それだけに、目で見ることに加え、実際に自分の“手”で書いて、書き手が凝らした技巧や、その作品に託した思いを追体験してゆくことが、大切になります。

しかし、それは、その作品を上手にまねをすることではありません。むしろ、自分の手書き文字との「違い」を通して、その作品の美しさの本質を発見してゆくのです。くれぐれも、まねることに専念してしまわず、ひとつひとつの文字や画で、「違い」に驚き、「違い」を楽しんでください。

トレースをした上で、再度、実際の作品を見るならば、さらに理解が深まることでしょう。写真では、どうしても再現できない、筆勢や、墨の料紙への食い込み方などを見てください。また鉛筆では表現できない、筆線の肥痩や濃淡の妙を、十分に味わってください。


��ここに紹介しました、トレースによる書の味わい方は、論文「萬葉集―漢字とかなのコラボレーション」(『国文学』第52巻第10号、学燈社、2007年8月。『文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―』(学燈社)というタイトルの本としても刊行されています)を書くために、辿り着いた方法の一つです。いたって単純な方法ですが、講座や教室などで、書を学んでいるわけではない私にとっては、試行錯誤の末に、ようやく見出すことのできたものです。
��普段、筆を持たない人にも、もっと書を味わい、楽しんでもらいたいと思い、これを紹介しました。
��コピーの際に倍率を調整してからトレースをし、同じ筆者の別の作品や、同時代の別の筆者の作品と比較することも、面白いです。トレースしたものを重ねると、同じ「あ」でも、微妙に異なることがわかります。
��理論的な面では、石川九楊氏の著作(主に、以下の本)にも、示唆を受けています。
  『文字の現在 書の現在 その起源を読み解く』中公文庫、中央公論新社、2006年
  『誰も文字など書いていない』二玄社、2001年