2008年9月14日日曜日

『萬葉学史の研究』第2刷、10月刊行

萬葉学史の研究

2007年9月以来品切れとなっていました、私の著書『萬葉学史の研究』(おうふう、2007年2月刊)の第2刷が、来たる10月前半に刊行されます。

誤植を訂正しました。また皆様から賜りました御教示・御意見に基づく修訂と補足、第1刷刊行後に気付いた先行研究についての補足も行いました。

「あとがき」の次に、6ページほどの「補記」として、修訂についての説明と、補足を記しました。
*「補記」が当初の予定より少し多くなりました。ただし、本書の論旨に関わり、詳細な議論が必要な問題や、御教示によって明らかになった新たに挑戦すべき研究課題については、改めて論文の形でお答えすることにさせていただきました。

現在、訂正と「補記」の校正が順調に進行中です。

150部の少部数出版となります。ご購入を希望される場合には、出版社の「おうふう」に、ご連絡ください(予約できます)。なお、重版は今回限りとなります。
おうふう
「おうふう」の本書『萬葉学史の研究』の紹介ページ
このブログ「万葉集と古代の巻物」での紹介(「豊饒な研究分野・万葉学史」〈目次もあります〉)

第1刷の「正誤表」を、このブログ「万葉集と古代の巻物」にアップする予定です。また第1刷ご購入の皆様には、「正誤表」と、「補記」のコピーをお送りしたく思っております(ご寄贈いたしまた皆さんには、お送りいたします)。


2008年9月9日火曜日

我が心ゆたにたゆたに(作者未詳):「心」の発見

ジュンサイ
(国分寺万葉植物園にて。5月)

私たち人間は、「心」の存在を、いつから意識し始めたのでしょうか。

歌の歴史の中では、「心」というものを見つめるようになるのは、『万葉集』において、それも比較的新しい時代(8世紀)の恋歌においてのようです。

巻7に収められた「出典不明歌」に、次のような歌があります。

吾情湯谷絶谷浮蓴辺毛奥毛依勝益士(巻7・1352)

我が心 ゆたにたゆたに 浮き蓴 辺にも沖にも 寄りかつましじ
(あがこころ ゆたにたゆたに うきぬなは へにもおきにも よりかつましじ)

〔訳〕私の心は、ゆったりとしたり、ゆらゆらと動揺したりする、浮き「ぬなわ」のよう……、岸の方にも、沖の方にも寄りつくことができないでしょう。
��ゆたに=ゆったりと。
��かつ=可能を表す。~できる。
��ましじ=否定的推量を表す。~しないであろう。


相手の男性の誘いを受け入れられず、そうかといって相手を拒絶することもできない自分の心を、沼の中ほどに浮いている「ぬなわ」(スイレン科ジュンサイ)に、たとえています。

この歌が、「我が心」を主語に立てていることに、注目したいと思います。自分の心を、外から見つめている眼が感じられます。そして、この歌は、「ゆたにたゆたに」や「辺にも沖にも」のように、対照的なことばを重ねることで、行くも戻るもできない、恋の心のあり様を鮮やかに描き出しています。

自分の意志の力ではどうすることもできない、「心」というものの不思議さが表現されています。

このように、自分の意志の力を超える「心」、その人の人格から離れて、それ自体で意志を持っているような「心」は、今日私たちの意識する「心」とは微妙に異なっています。あるいは“魂”と言った方が、近いかもしれません。

ところが、このような「心」を詠む歌は、『万葉集』では、初期の歌ではなく、むしろ、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)をはじめ、8世紀の女流歌人たちの歌の中で、登場するようになります。〔巻7・1352〕などの「出典不明歌」も、今日の研究では、8世紀の作と考えられています。

平城京の都市生活の中で育まれた、理知的な眼が、かえって古代的で、非合理な「心」なるものを探り当て、「我が心」「我が心かも」「我が心から」などの表現によって、これに明確な形を与えていったのでしょう。

といっても、〔巻7・1352〕の作者も、大伴坂上郎女も、孤独の中で、「心」というものについて思索を深めた、ということではなさそうです。

実は、相手を受け入れることと拒否することの間の心情を詠むこと自体は、初期万葉の歌にまで遡ることができます。

  梓弓 引かばまにままに 寄らめども 後の心を 知りかてぬかも(巻1・98)石川郎女
  (あづさゆみ ひかばまにまに よらめども のちのこころを しりかてぬかも)

及び腰で誘った久米禅師の歌に対して、石川郎女は、上の句では、あなたが誘ったならば従い靡きましょう、と禅師に期待を持たせながら、下の句では、禅師の心が本心かどうかわからないと言い、誘いを退けます。翻弄された禅師は、あわてて、「本心からだ」という誓いの歌を返します。

〔巻7・1352〕も、相手の男性の誘いを、たくみに、はぐらかした歌なのでしょう。誘いを退けながらも、相手への好意を伝える歌となっているように思います。

私は、この歌で読まれる「ぬなわ」、つまりジュンサイの葉の様子を、実際に眼にして、一層そう思うようになりました。ジュンサイという水草は、泥中に這う根茎から葉柄(ようへい)が出て、径10㎝ほどの楕円形の葉を水面に浮かべます。

その葉は、上の写真のように、たくさん、まとまって水面に浮かびます。それらは、普段はじっと動かず、静まり返っています。風が吹いたり、波が起こったりすると、一斉に動き始め、風や波が止むと、もとに戻るのでしょう。この情景に、“孤独の中で見つめられた、ひそやかな心象風景”といったものとは異なる力強さを、私は感じます。

自分ではどうすることもできない「心」というものは、8世紀の恋歌の贈答において、男性の歌を切り返すための、発想の一つとして発見されたのでした。


2008年9月1日月曜日

展覧会の図録についての提案

展覧会図録

観覧用の展示図録を

博物館や美術館で作品や文化遺産を見る時、重要なガイドとなるのが、展示図録です。以前の記事「展覧会のための必備アイテム」で、展示図録を観覧前に購入して、その写真と実物を比較しながら、気づいたことを、書き込むとよい、と書きました。

ところが、2004年頃から、展示図録が、国立の博物館を中心に、質量ともに充実したものとなり、手に持って観覧することが、難しくなってきています。

カラーの図版も豊富になり、しかも拡大写真なども多く含まれています。観覧後、自宅に帰って、今日見た作品を、もう一度じっくりと味わい、また文化遺産を、自分なりに研究するためには、大変有益な書物と言えます。

また最新の研究成果を記した、研究者の論文も収録されています。展示図録は、専門書や学術雑誌と並んで、最先端の研究成果が示された、必読の文献ともなっています。

しかし、その分、大きさは、A4判変形(縦30cm、横22.5センチメートル前後)が多くなり、ボリュームも400ページ前後となり、重さも、1.7㎏から2.0㎏近くにまでなっています。

このような図録を、展覧会場で持ち歩くことは、容易ではありません。持ち帰るのにも、一苦労です。とはいえ、展示図録ほど、その展覧会に出品された作品や文化遺産に即した資料はありません。

そこで、現在の詳細な展示図録に併せて、観覧用の薄手の図録(ないしパンフレット)を製作することを、博物館・美術館で展示図録の製作に関わる方々に、ご提案したく思います。

主な展示品のカラー写真と、展示品すべてについての簡単な解説を、薄手の1冊にまとめていただけると幸いです。
*写真は、新たに撮りなおす必要はありませんし、解説については、詳細な展示図録の「作品解説」や「釈文」などを別刷りして、1冊にまとめることもできるかと思います。

私が、展覧会で最も使いやすいと感じたのは、上の写真の右に挙げた、正倉院展の図録です。大きさはA4判、ボリュームは130ページほど、重さは0.6㎏弱です。手に持つには、0.8㎏程度が限度のようです。

展覧会では、列品一覧表も配られていますが、多くは簡単なものです。この列品一覧表と、詳細な展示図録の中間に位置するような図録があれば、書き込みをするのにも好都合ですし、書き込みをしないにしても、観覧者の、展示品に対する理解も一層深まるに相違ありません。

価格も低めに設定したならば、この薄手の図録が、さまざまな年齢層の観覧者の手にわたることになると思います。

なお、上の写真の左は、2005年・2006年に開催された、「没後30年高島野十郎展」の図録です。A4判(縦29.7cm、横210cm)に比べると、縦がやや短く(28.4cm)、横がやや長く(21.5cm)なっています。168ページで、0.8㎏ほどです。多くの場合、展示図録の表紙は、厚紙1枚でできていますが、この高島野十郎展の図録の表紙は、やや厚手の芯紙に、紙を貼ったものとなっています。

この展示図録は、画集のような印象を与えます。私の心に強く残る「書物」の一つとなりました。こうした工夫も、このような規模であるからこそ、可能なのでしょう。

博物館・美術館それぞれのセンスで装丁された、多彩な展示図録を想像すると、楽しくなります。