2007年11月28日水曜日

万葉集巻一の読み手

持統天皇系皇統系図

声と文字の間
��この記事は「万葉集巻一の書記法(2)」に続きます)

『万葉集』巻1原撰部には、漢字の視覚的印象を大胆に利用した表記が見られます。先の記事「万葉集巻一の書記法(2)」では、筆録者が、その歌を「記憶」していたために、思い切った表記ができたことを、指摘しました。

それでは、「書物」としての巻1原撰部は、巻1原撰部成立まもない頃には、どのように読まれていたのでしょうか。

予備知識を持たずに、いきなり巻1原撰部を読むことは、できなかったと思います。巻1原撰部を読むためには、そこに収められている歌について、知識を持ち、それらの歌をある程度暗記をしていることが、必要であったでしょう。

一方、この頃の歌が、声に出して詠まれ、暗記されるものとしての性格を強く持っていたことも、先の記事「万葉集巻一の書記法(2)」に記しました。

しかし、たとえ、巻1原撰部に収められていた歌を暗記していたとしても、文字に習熟した上、漢字に関する充分な知識がない場合には、読むことは、著しく困難であったと思います。特異な表記を織り交ぜながら、連続していく漢字は、解読不能な暗号のように見えたことでしょう。

さらに、『万葉集』巻1原撰部は、単に秀歌を集めたものではなく、「書物」としての主張と、それを支える、組織立ったフォルム(形式)を持っています。巻1原撰部は、「標目」を立てて、天皇の治世ごとに、歌をまとめています。
(*『万葉集』のフォルムについては、別の記事でわかりやすく解説します。)

しかも、古代の、全ての天皇代を網羅するのではありません。まず、5世紀の雄略天皇の治世を冒頭に据えます。次に、一気に約170年の時間を飛び越え、舒明天皇、そしてその皇后・皇極天皇夫妻の治世を示します。以後、夫妻の血筋を引く、天智天皇、天武天皇、持統天皇の治世下の歌を、掲げてゆきます。

巻1原撰部は、雄略天皇を《始祖》と仰ぎ、舒明天皇を《父祖》として、持統天皇、そしてその皇孫(軽皇子。かるのみこ。後の文武天皇)に至る皇統の、輝かしい《歴史》を、歌によって示す「書物」となっています。

このような巻1原撰部の、「書物」としての主張にも注目するならば、巻1原撰部は、歌を記憶しているとともに、漢字の知識も充分に持ち、漢字本文を見れば、直ちに、細部まで正確に再生できる、専門的な読み手によって、宮廷の人々の前で、よどみなく、朗々と読み上げられた考えられます。

巧みな朗読者によって、巻1原撰部の歌が連続的に読み上げられてゆく中、聞き手たちは、《歴史》を共有し、舒明天皇から持統天皇・軽皇子に至る皇統の神聖さを、強く心に刻み付けたことでしょう。

そして、思い切った表記によって、中国の詩文集に匹敵するような格の高さを与えられた、「書物」としての巻1原撰部は、内裏の、天皇の文庫に置かれたかと、想像されます。

*文字と声とが重なり合う次元は、古代ローマの詩の場合にも考えられます。アウグストゥス帝時代に、詩人は、作品を秘書に口述筆記させた上で、さらに記憶の助けを借りながら(また秘書にプロンプターの役割もさせながら)、作品を朗誦しつつ、文字テキストを完成されたものに、練り上げてゆきました(ケネス・クィン氏)。

��主な参考文献]
��.小川靖彦「万葉集の文字と書物」『国文学』第48巻第14号、学燈社、2003年12月
��.小川靖彦「書物としての万葉集」『[必携]万葉集を読むための基礎百科』別冊国文学№55、学燈社、2002年11月
��.Quinn, Kenneth. "The Poet and His Audience in the Augustan Age."Aufstieg und Niedergang der römichen Welt Ⅱ, Principat, 30.1 (1981).