2007年11月14日水曜日

仙覚の萬葉学と由阿(藤沢・遊行寺)

遊行寺に銀杏
(写真=遊行寺境内の銀杏の大樹)

湘南の明るさのなかで

JR・小田急藤沢駅から、北東に20分ほど歩くと、時宗総本山・遊行寺(清浄光寺)があります。遊行四代の呑海上人(どんかい・しょうにん)が開いた、この遊行寺の境内には、不思議な解放感があります。それは、海に近い、湘南の地特有の、光の明るさと、踊念仏の弾むような心持ちとが、生み出しているものなのでしょうか。

南北朝時代に、遊行寺に住まった由阿(ゆうあ)が、関東で育まれた、仙覚の万葉学を都に伝えることになります。

由阿が生まれたのは、仙覚が史料から姿を消してから18年後の、正応4年(1291)です。家系・出生地などは不明です。時宗のニ祖他阿真教上人(たあ・しんぎょう・しょうにん)の『他阿上人法語』の中に、青年時代の由阿が姿を見せます。

*高野修氏は、由阿が呑海上人に従って関東に下向し、「客衆」という制約の少ない身分で、和歌の研究に専念したと推測しています。

由阿は、時宗に深く帰依しつつ、和歌・連歌を学び、さらに『万葉集』について、研鑽を積みました。由阿の学芸を導いたのは、関東で過ごすことの多かった歌人・冷泉為相(れいぜい・ためすけ)であったと思われます。

『万葉集』についても、仙覚の注釈書『万葉集註釈』から多くを学ぶ一方、為相を通じて伝えられた仙覚の学説も学んだようです。

貞治5年(1366)、76歳の時に、由阿は、関白・二条良基(よしもと)の招きによって、都に上り、良基に『万葉集』を講義するという、栄えある機会を得ました。由阿は、長年の研究成果を『詞林采葉抄』(しりんさいようしょう)という書物にまとめ、良基に献上しました。

『万葉集』に見える地名・枕詞・難語について、平安後期以来の、都の歌学の成果と、仙覚の研究成果を集大成しつつ、故事を広く尋ね、細密な考証を加えた『詞林采葉抄』は、まさに「万葉ことば百科辞典」と言えるものです。

そして、この書を携えて上洛した由阿は、自分が、仙覚の万葉学の、唯一の正統な後継者であることを宣言しました。以後「仙覚・由阿の万葉学」は、都で燎原の火のように広がってゆきました。

*由阿は、本来、仙覚の万葉学の嫡流ではありませんでした。仙覚の学問や書物を受け継いだ人々は別にいたようです。

しかし、「仙覚・由阿の万葉学」からは、仙覚の万葉学に特徴的な、深遠で厳しく、しかし難解な哲学的性格は、失われてゆくことになりました。学問というものの歩みの不思議さが、思われます。
[主な参考文献]
��.小川靖彦『萬葉学史の研究』おうふう、2007年
��.小島憲之「由阿・良基とその著書―中世萬葉学の一面―」『萬葉集大成』第2巻〈文献篇〉、1953年、1986年(新装復刊)
��.濱口博章『中世和歌の研究 資料と考証』新典社、1990年
��.祢田修然・高野修『遊行・藤沢歴代上人史―時宗七百年史―』白金叢書、松秀寺、1989年
��.高野修『時宗教団史―時衆の歴史と文化―』岩田書院、2003年

【案 内】
総本山 遊行寺(藤澤山無量光院 清浄光院〈とうたくさん・むりょうこういん・しょうじょうこういん〉)
 〒251-0001 神奈川県藤沢市西富1-8-1


*境内にある宝物館もお訪ねください。開館は日曜日の午前10時から午後4時までです。『詞林采葉抄』の写本が展示されることもあります。
��参道脇の真徳寺もご参拝ください。遊行寺の塔頭(たっちゅう。本寺境内にある小寺院)で、真光院を、真徳院は受け継いでいます。遠山元浩師によれば、真光院では、連歌を中心とする活発な文学活動が行われており、由阿もここに住した可能性があります。