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2016年4月30日土曜日

『古写本の魅力』刊行

『万葉集』の古写本研究の現在




2016年3月23日に、高岡市万葉歴史館館長坂本信幸編『高岡市萬葉歴史館叢書28 古写本の魅力』(公益財団法人高岡市民文化振興事業団 高岡市万葉歴史館)が刊行されました。

2015年8月1日(土)・2日(日)に開催された、2015高岡万葉セミナー「古写本の魅力」の講演録です。このセミナーは、特別企画展「萬葉集のすがた―新収蔵品を中心に」とともに、高岡市万葉歴史館に、特別展示室と新たな図書閲覧室が設置された記念事業として、開催されました。

特別展示室で見た古写本について、講演を聞き、さらに講演を踏まえて、古写本を熟覧する、という贅沢な企画でした。



(A5判、94頁、高岡市万葉歴史館にて販売)

私も講師の一人として参加しました。
セミナーは、さまざまな角度から、『万葉集』の古写本の意義を改めて確認するものでした。


【目次】
高岡万葉セミナー 古写本の魅力
校訂を通して古写本の魅力を考える(平舘英子)
テキストとしての廣瀬本万葉集(乾善彦)
春日本万葉集と古葉略類聚鈔―中臣祐定の万葉学―(田中大士)
平安時代の萬葉集古写本における装丁・料紙・書の交響―桂本萬葉集を中心に―(小川靖彦)

平舘氏は、現代とは異なる、平安時代の万葉集古写本の読み下しを、具体例を挙げて論じ、乾氏は、廣瀬本万葉集全体を精査して、その読み下しが一つのテキストを参照して書写されたものでないことを明らかにし、田中氏は、中世の中臣祐定が、春日本と古葉略類聚鈔との間で、異なる書写態度をとっていることを解明しています。

私は、桂本万葉集の料紙を、顕微鏡(至近焦点スコープ、デジタルスコープ)で観察した結果を中心に、桂本が装丁・料紙、そして書写において、丁寧に制作されたものであることを、改めて確認しました。

桂本万葉集の料紙の調査にあたって、その断簡を所蔵する、公益財団法人野村文華財団野村美術館、公益財団法人五島美術館、公益財団法人出光美術館に大変お世話になりました。一枚の断簡を見るたびに、その料紙と書の美しさに魅了されました。

そして、顕微鏡で覗いたその料紙の世界は、紫に染められた繊維が万遍なく散らされた、実に端正なものでした。その様子をカラー撮影しましたが、この本では、モノクロにせざるを得ず、これを見たときの感動を伝えられないのが残念です。

『万葉集』の古写本には、まだまだ私たちの知らない世界があります。そして、私は、古写本の魅力とは、「それぞれの萬葉集古写本の表情の裏に潜む、その写本を制作した人々の息遣いふ触れること」(89~90頁)だと、改めて思いました。

*『万集』の古写本特集という、極めて貴重なこの本は、高岡市万葉歴史館でしか購入できません。是非お問い合わせください。
高岡市万葉歴史館

*なお、この28集を最後に、『高岡市萬葉歴史館叢書』がその歴史に幕を閉じるとのことです。学生の時に、一般向けでありながら、高度の内容のこの叢書から、多くを学びました。講演者が論文以上に思いきった考えを述べていることを大変面白く思いました。そして、私自身も何度かセミナーでの講演と執筆の機会を賜りました。1991年の1集から今日に至るまでの分厚い蓄積が、高岡市万葉歴史館の新たな飛躍の礎となることを、心よりお祈り申し上げます。
高岡市萬葉歴史館叢書目次

2014年7月16日水曜日

小川町観光協会編『万葉うためぐり』

万葉うためぐり

“武蔵の小京都”埼玉県小川町と『万葉集』
��小川町観光協会編、小川靖彦監修・執筆、村永清・新田文子執筆『万葉うためぐり 学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』笠間書院、四六判112頁〈オールカラー〉、2014年6月刊、900円〈税別〉)

2014年7月に、私も関わった『万葉うためぐり 学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』が発売となりました。

このブログでたびたび紹介してきましたように、埼玉県比企郡小川町は、『万葉集』研究史の巨星である、鎌倉時代の学僧仙覚(せんがく)が、画期的注釈書『万葉集註釈』を完成した地です。

小川町は“武蔵の小京都”と言われ、豊かな自然に恵まれ、歴史がつちかったなつかしい風景があります。江戸時代から、紙漉き、養蚕と絹織物、酒造り、建具、そうめんなどの産業が栄えています。

この小川町で、昭和の初めに、国文学者・歌人の佐佐木信綱と町の人々が一体となって、仙覚の業績の顕彰に努めました。そして、今日では、町を挙げて、仙覚が生涯を捧げた『万葉集』の普及活動も進めています。

その一環として刊行されたのが、『万葉うためぐり 学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』です。この本は、オールカラーで『万葉集』の歌73首の魅力と、仙覚の業績を、わかりやすく解説しています。そして、それぞれの歌の解説には、その歌にふさわしい、小川町の情景や花の写真、名産品などの写真や説明を添えています。

心癒されるこれらの写真が、不思議なほどに、『万葉集』の世界を身近に感じさせてくれます。そして、関東の小川町の自然を通してでも、万葉の心に触れることができることに、『万葉集』の世界のふところの深さを、改めて感じさせられます。

この本で解説されている73首の歌は、小川町の市街地に立てられた70本の「万葉モニュメント」に取り上げられている歌です。この本を手に、「万葉モニュメント」の立てられた、約2㎞の散歩道「仙覚万葉の里と散策の道」を歩いてみてはいかがでしょうか。ガイドとなる詳細な地図もついています。

なお、この本では、仙覚の和歌と、仙覚研究に関わる重要な研究文献も網羅して、掲載しています。仙覚が『万葉集註釈』を完成した比企郡北方麻師宇郷(ましうごう)政所(まんどころ)についての最新の研究情報も紹介しています。仙覚や和歌史、鎌倉時代の歴史に関心ある方々にも利用していただければ幸いです。


万葉うためぐり1 

【目次】
発刊に寄せて
○地図1 仙覚万葉の里と散策のみち ○地図2 小川町の情景を訪ねて ○主要交通機関からのアクセス


Ⅰ『万葉集』ゆかりの地小川へようこそ
1 小川町と『万葉集』
  (武蔵の小京都・小川 万葉学者仙覚ゆかりの地)
2 『万葉集』の世界
  (古代人の感性の宝庫 画期的書物 読み継がれる歴史)


Ⅱ小川町万葉うためぐり
「小川町・万葉うためぐり」への招待
1 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな (巻1・八  額田王)
2 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (巻1・二〇  額田王)
3 紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも (巻1・二一  大海人皇子)
4 春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山 (巻1・二八  持統天皇)
5 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ (巻1・四八  柿本人麻呂)
6 采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く (巻1・五一  志貴皇子)
7 川の上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は (巻1・五六  春日老)
8 葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ (巻1・六四  志貴皇子)
9 秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ (巻2・八八  磐姫皇后)
10 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 (巻2・一〇三  天武天皇)
   我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ (巻2・一〇四  藤原夫人)
11 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし (巻2・一〇五  大伯皇女)
   百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (巻3・四一六  大津皇子)
12 人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る (巻2・一一六  但馬皇女)
13 笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば (巻2・一三三  柿本人麻呂)
14 岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む (巻2・一四一  有間皇子)
   家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (巻2・一四二  有間皇子)
15 山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく (巻2・一五八  高市皇子)
16 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なし (巻2・二三一  笠金村)
17 隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くもわれは 今日見つるかも (巻3・二四八  長田王)
18 天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ (巻3・二五五  柿本人麻呂)
19 近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ (巻3・二六六  柿本人麻呂)
20 桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る (巻3・二七一  高市黒人)
21 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける (巻3・三一八  山部赤人)
22 あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり (巻3・三二八  小野老)
23 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ (巻3・三三七  山上憶良)
24 験なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (巻3・三三八  大伴旅人
25 君待つと 我が恋ひ居れば 我が宿の 簾動かし 秋の風吹く (巻4・四八八  額田王)
   風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ (巻4・四八九  鏡王女)
26 相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後方に 額つくごとし (巻4・六〇八  笠女郎
27 夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませ我が背子 その間にも見む (巻4・七〇九  大宅女)
28 銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも (巻5・八〇三  山上憶良)
29 梅の花 夢に語らく みやびたる 花と我れ思ふ 酒に浮かべこそ (巻5・八五二  大伴旅人)
30 若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (巻6・九一九  山部赤人)
31 み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒く 鳥の声かも (巻6・九二四  山部赤人)
   ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く (巻6・九二五  山部赤人)
32 道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや (巻7・一二五七  作者未詳)
33 月草に 衣は摺らむ 朝露に 濡れての後は うつろひぬとも (巻7・一三五一  作者未詳)
34 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (巻8・一四一八  志貴皇子)
35 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける (巻8・一四二四  山部赤人)
36 かはづ鳴く 神なび川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花 (巻8・一四三五  厚見王)
37 昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや 戯奴さへに見よ (巻8・一四六一  紀女郎)
38 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ (巻8・一五〇〇  大伴坂上郎女)
39 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝ねにけらしも (巻8・一五一一  舒明天皇)
40 彦星し 妻迎へ舟 漕ぎ出づらし 天の川原に 霧の立てるは (巻8・一五二七  山上憶良)
41 萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 (巻8・一五三八  山上憶良)
42 夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも (巻8・一五五二  湯原王)
43 常世辺に 住むべきものを 剣大刀 汝が心から おそやこの君 (巻9・一七四一  高橋虫麻呂)
44 埼玉の 小崎の沼に 鴨ぞ翼霧る 己が尾に 降り置ける霜を 掃ふとにあらし (巻9・一七四四  高橋虫麻呂)
45 春されば まづさきくさの 幸くあらば 後にも逢はむ な恋ひそ我妹 (巻10・一八九五  柿本人麻呂歌集)
46 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は (巻11・二四八〇  柿本人麻呂歌集)
47 新室の 壁草刈りに いましたまはね 草のごと 寄り合ふ娘子は 君がまにまに (巻11・二三五一  柿本人麻呂歌集)
48 我が命し 衰へぬれば 白栲の 袖のなれにし 君をしぞ思ふ (巻12・二九五二  作者未詳)
49 磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ (巻13・三二五四  柿本人麻呂歌集)
50 筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも 愛しき子ろが 布乾さるかも (巻14・三三五一  東歌)
51 多摩川に さらす手作り さらさらに なにぞこの子の ここだ愛しき (巻14・三三七三  東歌)
52 君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ (巻15・三五八〇  作者未詳)
53 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも (巻15・三七二四  狭野弟上娘子)
54 食薦敷き 青菜煮て来む 梁に 行縢懸けて 休めこの君 (巻16・三八二五  長意吉麻呂)
55 勝間田の 池は我知る 蓮なし しか言ふ君が 鬚なきごとし (巻16・三八三五  作者未詳)
56 織女し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る (巻17・三九〇〇  大伴家持)
57 天皇の 御代栄えむと 東なる 陸奥山に 金花咲く (巻18・四〇九七  大伴家持)
58 紅は うつろふものぞ 橡の なれにし衣に なほしかめやも (巻18・四一〇九  大伴家持)
59 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (巻19・四一三九  大伴家持)
60 もののふの 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花 (巻19・四一四三  大伴家持)
61 朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人 (巻19・四一五〇  大伴家持)
62 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも (巻19・四二九〇  大伴家持)
63 我がやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも (巻19・四二九一  大伴家持)
64 うらうらに 照れる春日に ひばり上り 心悲しも ひとりし思へば (巻19・四二九二  大伴家持)
65 韓衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母なしにして (巻20・四四〇一  他田舎人大島)
66 防人に 行くは誰が背と 問ふ人を 見るが羨しさ 物思ひもせず (巻20・四四二五  防人の妻)
67 あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ (巻20・四四四八  橘諸兄)
68 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 (巻20・四五一六  大伴家持)


Ⅲ学僧仙覚と小川町
1 仙覚の生涯
   (幼くして研究を志す 校訂事業に加わる 研究に捧げた生涯)
2 仙覚の業績
   (厳格な本文校訂 漢字本文と緊密に対応した読み下し 初めての本格的注釈書)
3 仙覚の和歌
   仙覚略年譜(年齢は数え年)
4 『万葉集註釈』を完成した地―比企郡北方麻師宇郷政所
   (『万葉集註釈』の完成 比企郡北方麻師宇郷政所 信仰の地・比企郡)
5 小川町と仙覚を結んだ人々―佐佐木信綱が拓いた道
   (佐佐木信綱 石川巌 大塚仲太郎 認められた功績 仙覚への追贈)
6 小川町における仙覚顕彰
   (仙覚律師遺跡保存会と仙覚律師顕彰碑 仙覚律師贈位奉告祭と仙覚遺跡建碑式典
仙覚についての参考文献
監修者あとがき


             万葉うためぐり2

2014年5月22日木曜日

新田文子『青木てる物語』

青木てる物語1

富岡製糸場と小川町の女性たち
(新田文子『官営富岡製糸場工女取締 青木てる物語―養蚕と蚕糸―』新田文子、B6判118頁、口絵6頁、2014年4月20日刊、700円)

世界遺産(産業遺産)に登録される見通しとなった、「富岡製糸場と絹産業遺跡群」が今注目を集めています。

今日まで保存されてきた富岡製糸場の建物や、日本近代産業史において富岡製糸場が果たした役割はもちろん重要ですが、それと同時に、この富岡製糸場を出発させた、明治の女性たちの心意気も見逃せません。

富岡製糸場の工女は、初代工場長の尾高惇忠の長女ゆうがその第一号として有名です。ゆうの後に、多くの女性たちが続くことになりますが、それは決して平坦な道のりではありませんでした。

工女たちが集まる、大きなきっかけとなったのは、埼玉県小川町出身の青木てるの情熱でした。
このあまり知られていない事実に、光を当てたのが、この『官営富岡製糸場工女取締 青木てる物語』です。

なぜ群馬県富岡市からは遠い、小川町の青木てるが、富岡製糸場に小川の若い女性たちを率いて駆け付けたのでしょうか―。

ゆうを工女第一号にしたものの、“富岡製糸場で若い女性を集めているのは、若い女性たちの生き絞って飲むためだ”という風評のために女工を集められたなかった工場長の尾高は、近県の村々の旧名主宛に手紙を書き送りました。

その手紙が小川町(当時小川村)の紙漉きと養蚕を営む豪農の青木伝次郎にも届いたのです。伝次郎の母で、自分自身も生糸を紡ぎ、美しく糸を紡ぐことに強い関心を持っていた、当時59歳のてるが、尾高の切羽詰った手紙に心動かされました。てるは、小川の人々に工女なるよう熱心に説いて回り、孫娘の敬をはじめ、30余名の若い女性を富岡に連れて行くことになったのです。

明治5年(1872)7月、てるの率いる一行は、富岡製糸場に到着しました。尾高は感激しました。

そして、てるらの集団入所は、風評を打ち消して、全国から工女が集まるようなったのです。てるは、初代工女取締役に就任し、小川出身の早津さく、前田ますの二人が副工女取締役となり、青木敬をはじめとする5人が一等工女に選ばれました。開業時の富岡製糸場を支えたのは、実は小川の女性たちであったのです。

この小川の女性たちの活躍を、温かな筆致で描いたのがこの本です。そして、この本では、江戸から明治にかけて、生糸産業が近代化してゆくプロセスも、わかりやすく教えてくれています。さらに、西洋人に接した明治初期の人々の驚きや、江戸時代の感覚で暮らしていた人々にとって、若い女性が村を出て旅することが、今日では想像できないほどの、勇気ある行為であったことを、生き生きと伝えてくれます。

著者の新田文子氏は、『小川小学校誌』編さん室長などを務め、また小川町社会教育課文化財係行政情報整理室に籍を置き、小川町の歴史の研究と普及に長年努めて来られました。現在は、小川町教育委員会特別専門協力員として、活躍されています。小川町と小川町教育委員会が編集・発行した『『万葉集』と仙覚律師と小川町』という小冊子の製作や、小川町立図書館の「おがわ仙覚万葉コーナー」の展示も担当されています。

小さな本でありながら、明治の女性たちへの共感と、小川町への愛情の詰まった、心打つ書物です。この本を通じて、近代日本の産業を支えた女性たちと、その女性たちを育んだ文化と歴史を、多くの人々の知ってもらいたいと思います。

なお、この本は書店では購入できませんが、小川町観光協会観光案内所「楽市おがわ」で取り扱っています。お問い合わせください。
小川町観光協会観光案内所「楽市おがわ」
電話:0493-74-1515
価格:700円(送料別)



【目次】
近代製糸伝習の先駆者 青木てる
一枚の手紙から/職人技に支えられた製糸場建設/伝習工女が集まらない/黒船がもたらした情報公開/生糸と蚕種に注文殺到/創業の立役者 埼玉県人/青木てるの奔走/五九歳の集団入所/「てる」の取締役就任と工女たちの日々/青木敬と小川からの工女たち/ウィーン万国博覧会/帰郷/郷土への伝承/青木伝次郎の働き
〔資料〕上州富岡御製糸場御役人附 明治六年四月/富岡製糸場の小川町域出身伝習工女/工女御雇願
養蚕と蚕糸
一 養蚕と地場産業
二 蚕種の道が絹の道へ
三 幕末から明治初期の生糸
四 埼玉の養蚕改良と養蚕業
五 明治・大正期の小川絹
〔資料〕輸出に占める養蚕類の割合/幕末から明治維新の出来事
養蚕と民俗
お蚕さま/養蚕と信仰/養蚕とネコ/小正月の繭玉
〔資料〕小川町における生糸・絹織物略年表

ネコ札
��小川町の養蚕や、養蚕にまつわる民俗信仰についても、詳しく書かれています。養蚕農家にとって、蚕、蚕種、繭をかじるネズミは大敵であり、猫の絵やお札を蚕室に貼りました。笠山神社のネコ札や「新田の猫絵」は、どこかユーモラスで温かみがあります。猫好きの人には見逃せません。


2014年4月23日水曜日

小川靖彦『万葉集と日本人』

万葉集と日本人

万葉集が読まれてきた歴史
��小川靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』角川選書、KADOKAWA、四六判256頁、2014年4月刊、1600円〈本体〉)

この4月、角川選書の1冊として、私の『万葉集と日本人 読み継がれる千百年の歴史』が刊行されます(4月25日発売)。

平安時代から現代まで、『万葉集』が読まれてきた歴史を辿りました。その時代その時代に『万葉集』がどのように読まれていたかを見つめました。

私の『万葉学史の研究』をベースにしていますが、さらにその後の研究成果も加えて、通史として、日本人が『万葉集』を読んできた歴史を展望しました。

過去の人々が『万葉集』に寄せてきた思いを受けとめ、未来の『万葉集』を考える一つの手ががりとしていただければ幸いです。

【目 次】
はじめに

第一章 『万葉集』と「読む」ということ

第二章 『万葉集』を読んでいた紀貫之―平安時代前期における『万葉集』
一 平安時代初期の『万葉集』
二 菅原道真の『新撰万葉集』
三 『古今和歌集』の万葉像
四 紀貫之と『万葉集』―〈古代〉世界への参入

第三章 紫式部と複数の『万葉集』―平安時代中期における『万葉集』
一 平安時代中期の『万葉集』
二 佳麗な『万葉集』抄出本
三 〈訓み〉による「万葉歌」
四 「訓読」の始まり
五 『万葉集』への関心の高まり
六 藤原道長・頼通による書写
七 紫式部が読んでいた『万葉集』

第四章 藤原定家の〈古代〉―平安時代後期における『万葉集』
一 平安時代後期の『万葉集』
二 後三条天皇・白河天皇の親政と『万葉集』
三 写本の並立と吸収
四 『堀河百首』と『万葉集』
五 冊子本の『万葉集』の登場
六 歌学の時代へ
七 動乱の時代の中の『万葉集』
八 藤原俊成の新たな万葉像
九 「うたの源なり」
十 藤原定家と『万葉集』―〈古代〉への憧憬

第五章 「道理」によって『万葉集』を解読した仙覚――中世における『万葉集』
一 鎌倉武士の『万葉集』
二 源実朝の『万葉集』
三 学僧仙覚による新しい『万葉集』
四 仙覚の「道理」

第六章 賀茂真淵の〈批評〉――江戸時代における『万葉集』
一 印刷本の『万葉集』
二 鑑賞・批評の萌芽――〈批評〉前史
三 方法としての〈批評〉
四 賀茂真淵による〈批評〉の理論化
五 賀茂真淵の「万葉調」

第七章 佐佐木信綱による「校本」と「評釈」――近代における『万葉集』
一 近代日本の『万葉集』
二 江戸から明治へ
三 東京大学における『万葉集』研究
四 「国文学」への関心の高まり
五 和歌革新運動と『万葉集』
六 佐佐木信綱の和歌革新と「評釈」
七 『校本万葉集』

第八章 『万葉集』の未来

参考文献
おわりに


2013年11月2日土曜日

佐佐木信綱没後50年

短歌往来2013年11月号

信綱の業績を新しい目で捉える
��「短歌往来」25巻第11号、ながらみ書房、A5判、144頁、2013年10月15日刊、750円〈税込〉)

月刊短歌雑誌「短歌往来」の2013年11月号において、「佐佐木信綱(没後50年)」の特集が組まれました。

佐佐木信綱は1872年(明治5)に生まれ、1963年(昭和38)に亡くなりました。2013年で没後50年、また生誕141年になります。

先の記事「「佐佐木信綱研究」創刊」で、佐佐木幸綱氏が、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、佐佐木信綱研究会を立ち上げたことを紹介しました。

今回の「短歌往来」の特集も、まさに同じ問題意識に立つものです。信綱の歌人としての業績を中心に、国文学者としての研究業績も含めて、新しい目で信綱の功績を捉え直そうという、意欲に満ちた特集となっています。

「短歌往来」の2013年11月号の冒頭には、この特集と関わって、佐佐木幸綱氏の21首の短歌からなる作品「凌寒荘」が掲載されています。幸綱氏の作品は、人生の節目における信綱の姿を象っています。その作品は、ある時は信綱を外から見つめ、ある時は信綱の心となってのものとなっています。信綱と幸綱氏との交感が生き生きと感じられます。

特集では、まず5編の評論が信綱の業績を論じています。信綱の多面的活動や人的ネットワークが鮮やかに描かれ、また従来の信綱の短歌への評価に対する批判が鋭く提出されています。

私も「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」という一文を寄せました。今回は、歌人としての信綱に注目して、その萬葉学について考えたいと思い、「佐佐木博士」や「佐佐木」ではなく、「信綱」という呼称を使いました。信綱の萬葉学の基礎に、強烈な「和歌」の普及の意識があったことを改めて確認しました。信綱に戦前・戦後を通じて変わることなく研究を続けさせたものを垣間見たように思いました。

評論に続く「信綱の素顔」は、信綱の生きざまについての貴重な証言です。また6氏による「佐佐木信綱の五首」には、現代的視点に立って、新たに信綱秀歌が選ばれています。再録された「佐佐木信綱自選百首」と対照して読むとさらに興味が深まります。

特集を通じて、信綱の充実期の作品が、「全体の調和の中で過剰な自我の主張はせず、それでいながら確かな強度をもった『われ』」を確立した上で、古典和歌に帰ってきたものであると捉えた森本平氏の見解と、「境遇や、生きていた時代や、性別が作者と相違する人物、さらには、人間ならぬ生き物を〈われ〉に設定している」信綱の発想の自由さが古典和歌に由来するという安田純生氏の指摘が、私の心に特に強く残りました。

私の論文「願はくはわれ春風に身をなして」や、「佐佐木信綱研究」創刊0號に寄稿した「ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉」で、信綱の万葉学を通じて考えてきたことと、問題意識を共有するものと思います。信綱の〈われ〉は、現代短歌にとっても、万葉集研究にとっても大きな問題を投げかけています。

特集には、佐佐木信綱研究会の会員の方たちも多く執筆されています。この特集号を機に、新たな信綱像への関心が高まることを期待しています。

【特集の目次】
��特集評論=
 佐佐木信綱 そのとき三十一歳にして(藤島秀憲)
 佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作(小川靖彦)
 佐佐木信綱と近世和歌研究(盛田帝子)
 『常盤木』という契機(渡英子)
 信綱と現代(森本平)
信綱の素顔
 ミイラの歌というか(大野道夫)
 熱海の信綱(松井千也子)
佐佐木信綱の五首(山本陽子/安田純生/中西由起子/今野寿美/塩野崎宏/前川佐重郎)
佐佐木信綱自選百首(「短歌研究」昭和38年3月号より)
佐佐木信綱著作概略(高山邦男編)


【お詫び】
私の「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」に誤りがありました。
 ・40頁上段12行 (誤)「新編日本古典文学大系」 (正)「新編日本古典文学全集」
また、41頁下段17行の「浅香社」の表記は、「あさ香社」の方が適切でした。
【補記】
小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」(『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月)がウェブに公開されました。
http://www.agulin.aoyama.ac.jp/metadb/up/upload/00013027.pdf

2013年6月30日日曜日

「佐佐木信綱研究」創刊0號

佐佐木信綱研究0號1

新たな信綱研究の始まり
��「佐佐木信綱研究」創刊0號、編集兼発行人・佐佐木頼綱、発行所・佐佐木信綱研究会、A5判108頁、2013年6月3日刊、1,000円〈税込〉)

2013年6月に、佐佐木頼綱氏を編集兼発行人とする「佐佐木信綱研究」創刊0號(問題提起号)が、佐佐木信綱研究会から刊行されました。

佐佐木信綱研究会は2011年に発足した研究会です。佐佐木幸綱氏を始め、「心の花」会員を中心とする約30名で構成され、歌人にして万葉学者・古典学者であった佐佐木信綱の膨大で多面的な創作・研究業績、また信綱と関わる人々のネットワークについての研究を進めています。

佐佐木信綱研究会は、佐佐木幸綱氏の「巻頭言」によれば、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、信綱の後輩・弟子であった人々によるこれまでの信綱研究に対して、「まったく自由な立場で、また、信綱が生きた時代とはちがう時代の発想と価値観によって、信綱研究の新しい切口を見つけてゆく」ことをめざしています。

研究会の会員それぞれが現在進めている信綱研究について、問題関心の在りかを、熱く語り、その成果の一端を示したのが、創刊0號(問題提起号)です。信綱の戦争観、信綱の英訳萬葉集、バジル・ホール・チェンバレンらとの交友、軍歌・新体詩・校歌の制作など、興味の尽きないテーマが挙げられています。「心の花」に発表されながら、歌集に収録されなかった歌を、信綱自身の書入とともに紹介する貴重な報告も掲載されています。

私も2011年9月の第8回研究会で、信綱の万葉集研究について、お話しする機会を賜りました縁で、小論を寄稿しました。万葉集研究を支える、信綱の強靭な〈私〉、それでありながらやわらかな〈私〉、について論じました。「ゆるぎない〈私〉」を無条件に信じることのできない今日において、新たな研究主体を築いてゆく手懸りが、信綱の「やわらかな〈私〉」にあると思います。

「佐佐木信綱研究」誌は、今後1年に2号刊行予定とのことです(6月、12月)。多彩で、熱気に満ちた「佐佐木信綱研究」誌は、歌壇はもちろん、日本語・日本文学研究にも新たな風を吹き込むに相違ありません。その創刊に、心より敬意と祝意を表したいと思います。

【目次】
巻頭言(佐佐木幸綱)
研究会の歩み
 佐佐木信綱研究会の活動紹介(高山邦夫)
 佐佐木信綱研究会の発足(山本陽子)
特別評論
 佐佐木信綱と西行(平田英夫)
 ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉
  ―佐佐木信綱博士の萬葉学における研究主体―(小川靖彦)
 *信綱写真館(昭和12年)
人物信綱
 佐佐木信綱と明治(大野道夫)
 佐佐木信綱像の再構築(盛田帝子)
 日向の御船出 書簡にみる信綱(大口玲子)
 妻・雪子が記す信綱(田中薫)
 佐佐木信綱と英訳万葉集(今泉摩美)
 *信綱写真館(明治41年、昭和13年、昭和14年)
交友関係
 ようござんす(今野寿美)
 持続する志を(渡英子)
 和歌革新運動と信綱~旧派、新派の人物群像(高山邦男)
 王堂チェンバレンと佐佐木信綱(河野千絵)
 心友 中野逍遙(山本陽子)
 佐佐木信綱と北海道、アイヌ(屋良健一郎)
 *信綱写真館(昭和13年)
作品信綱
 『新月』私考メモ(三枝昻之)
 信綱の飲食の歌~信綱の酒の歌~(田中拓也)
 「水師営の会見」に関する一考察(武藤義哉)
 社会への眼差し―青年信綱の新体詩をめぐって―(松岡秀明)
 「心の花」創刊以前の信綱評(中西由起子)
 「心の花」創刊号の信綱の歌(鈴木陽美)
 『思草』と数詞―「語彙」「初出」を試用する(藤島秀憲)
 棚ぼた『思草』研究(経塚朋子)
 国語教材の中の信綱(大津貴寛)
 未知の水脈としての佐佐木信綱(川野里子)
 愛する信綱の三冊(奥田亡羊)
 信綱作詞の校歌について(間宮清夫)
 信綱は何を残そうとしたのか(佐佐木頼綱)
   *          *
 『思草』講読会便り(藤島秀憲)
筆者紹介・編集後記
表紙画・向井潤吉(佐佐木信綱記念館所蔵) 装丁・高山ケンタ

              佐佐木信綱研究0號2

【次号予告】第一号 特集『思草』
特集1 『思草』語彙 付録『思草』初版550首(藤島秀憲・経塚朋子・鈴木陽美)
特集2 『思草』初出異同一覧
特集3 アンケートわたしが好きな『思草』の一首
昇仙峡レポート(佐佐木頼綱)
平成25年(2013)12月3日刊行予定(定価1000円〈税込〉)

【購読連絡先】
佐佐木信綱研究会(e-mail: nobuken0708[at]gmail.com)
Amazon.co.jpにても注文できます。電子版はシナノブックドットコムにてダウンロード販売しています。

【補記】
第8回研究会で私がお話しした内容の前半は、1の論文に拠り、後半は2の論文にまとめました。

1.小川靖彦「「文献」から「書物」へ―佐佐木信綱・小松茂美の萬葉集研究と新たな本文(ほんもん)学への道」『国文学 解釈と鑑賞』第76巻5号、2011年5月
2.小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月


2012年5月19日土曜日

「萬葉集古写本の美」追考

【藍紙本万葉集巻第九の継ぎ直しに関して】

先の記事「『美の万葉集』」で紹介しました、私の研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」につきまして、お読みくださった方々から、貴重なご意見を賜りました。心より御礼申し上げます。

その中で、特に考え直すことが必要な点がありました。「継ぎ直された巻第九」の項で、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目で、上となっている料紙の文字が切れていることに注目して、私は次のように記しました。


◆「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、巻首に近い方の料紙の左端を裁って整えた上で継ぎ直されたと考えられます。」(326頁)

これについて、公益財団法人根津美術館の松原茂氏より、左端の、文字の書かれたところを裁つということはありえず、むしろ次の料紙にかかっていた部分が、継ぎ直しの際に継ぎ目の下に隠れてしまっているのではないか、というご意見を賜りました。

確かに、修補の際に、文字の書かれた部分を裁つことが果たしてあるのか、原本調査の時から疑問を覚えていました。しかし、同時に「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかかることを避ける傾向が強く見られ、私は「藍紙本万葉集」では、本来継ぎ目に文字がかかることはなかったのではないか、という先入観を持ってしまっていました。

研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」では割愛しましたが、原本調査の時に、巻第九の継ぎ目幅(糊代)のデータも採取していました。確認できるところでは、継ぎ目幅は、3~4mmほどですが、しばしば4mm幅のところが見られます。研究報告の図1に示した、第④紙と第⑤紙の継ぎ目幅も4mmです。

��mmは巻子本の継ぎ目幅としては広めです。奈良朝写経や巻子本に仕立てられた正倉院文書、またきちんと造られた敦煌写経では、継ぎ目幅は3mmが標準です。繊細に造られたものでは2mmのものもあります。
*正倉院文書については、杉本一樹氏『日本古代文書の研究』(吉川弘文館、2001年)の71~72頁参照。杉本氏は「糊代が2ミリではやや頼りなく、4ミリになるとこれはもう何となく野暮ったい、というのが私の印象である」と述べています。

「藍紙本万葉集」が継ぎ直される時に、継ぎ目幅が本来のものよりも広くとられ、次の料紙にかかっていた文字が継ぎ目の下に潜り込んでしまった可能性は、十分に考えられます。

現在、継ぎ目の下の料紙の様子を、目で確認することはできません。将来何らかの方法で、それが確認できるようになることを期待しています。

なお、「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかからないように書く傾向が強いことについても、さらに考察を深めてゆきたく思います。

そこで、326頁の記述を、次のように改めたいと思います。


◇「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、本来よりも糊代をやや広めにとって継ぎ直されたように思われます。」

なお、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目幅のデータについては、将来この研究報告をまとめ直す折に、全て提示したく思っております。

先入観にとらわれずに、データの物語ることに、注意深く耳を澄ますことの大切さを、改めて痛感しました。


2012年4月11日水曜日

『美の万葉集』

美の万葉集

藍紙本万葉集の美
��高岡市万葉歴史館編『美の万葉集』高岡市万葉歴史館論集15、笠間書院、B6判356頁、2012年4月刊、2,800円〈本体〉)

高岡市万葉歴史館の編集する、「高岡市万葉歴史館論集」の第15冊、『美の万葉集』が刊行されました。

「高岡市万葉歴史館論集」は、『万葉集』について年度ごとに、「水辺」「色」「恋」「四季」などのテーマを立て、それをさまざまな角度から追究する論集です。この論集は、市民の中の博物館である高岡市万葉歴史館が、市民に研究成果を広く公開する役割も持っています。

「美」をテーマとするこの第15冊に、私も執筆の機会を賜りました。私の文章は、『萬葉集』の二番目に古い写本である「藍紙本(あいがみぼん。「らんしぼん」とも)万葉集」についての研究報告です。「藍紙本万葉集」は、平安後期・11世紀後半に書写された巻子本で、筆者は当時の能書・藤原伊房(これふさ。行成の孫)と推定されています。薄藍色の料紙にちなんで「藍紙本」と言います。

  萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―
    一 調度本としての萬葉集古写本
    二 平安時代の萬葉集古写本
    三 藍紙本の料紙装飾(藍紙本の復元)
    四 巻第九の原姿(藍紙本の復元)
    五 藍紙本の美
      
  *口絵カラー図版 
   1 萬葉集巻第九残巻(藍紙本)〈国宝〉(京都国立博物館蔵)巻9・1691
   2 同上 巻9・1707
   3 同上 料紙表面の顕微鏡写真
    (*3は、私が撮影したものを京都国立博物館の御許可を得て掲載しました)
  *付  表1 藍紙本巻第九の色相と横寸法
   表2 藍紙本断簡の色相と寸法
   表3 薄藍色の漉き染め紙の料紙の厚さ
   図1 萬葉集巻第九残巻(藍紙本)〈国宝〉(京都国立博物館蔵)第4紙と第5紙の継ぎ目
   図2 同上 巻9・1804下部の補修箇所(第23紙)
   図3 藍紙本萬葉集巻第九の推定原形と現状


私の研究報告では、京都国立博物館御所蔵の「藍紙本万葉集巻第九残巻」をはじめ、諸機関御所蔵の断簡や、同時期製作の藍紙の経典の調査をもとに、まず「藍紙本万葉集」の本来の装飾や規模を推定しました。

今日見る「藍紙本万葉集」は大小の銀の揉み箔を料紙全面に散らした華やかなものとなっています。金の揉み箔を散らしたところもあります。しかし、当初は、小さな銀の揉み箔のみをまばらに散らした静謐で気品あるものであったと考えられます。

現在「藍紙本万葉集巻第九残巻」は、本紙(ほんし)25紙と巻首紙・尾紙の各1紙の全27紙からなります(全長12.208m)。切り出された断簡をもとに戻し、また失われた部分の行数を計算すると、「藍紙本万葉集」の巻第九は本来本紙37紙、尾紙1紙の合計38紙からなり、その全長は約18mにも及ぶものであったと推定されます。威厳に満ちた姿が浮かび上がります。

また、私の研究報告では、「藍紙本万葉集」に独特な力強い筆致と料紙の関係を考察しました。

「藍紙本万葉集」の料紙は、一度漉いた地紙(じがみ)の上に、着色した繊維を流し掛けて堆積させる「漉き掛け」という技法によって色付けされています。それを示すのが、口絵に掲載した顕微鏡写真です。目の詰まった細い雁皮の無染色繊維の間を、鮮やかな青色に染まった太く長い楮(こうぞ)の繊維が走っていることが確認できます。

この「漉き掛け」の技法による料紙は、平滑で筆の滑りがよく墨が滲まない雁皮紙(がんぴし)と、濃い墨や細い線ではかすれやすい楮紙(ちょし)の両方の性質を具えることになります。能書・藤原伊房はこの特徴を最大限に利用して、「かすれ」を多用して力感と速度感を表現するとともに、濃墨の極太と極細の筆線によって強い装飾性をも実現していったと思われます。

そして、「藍紙本万葉集」の原姿や、その書のベースにある濃墨の重厚な上に柔らかみのある文字の姿に、同時代に薄藍色の経典が製作されていることや、青色が仏の国を荘厳する七宝の一つの「瑠璃」を表すものであったことなどを考え合わせると、「藍紙本万葉集」は供養(自分自身のための供養も含めて)を目的に作られた“祈りの書物”であった可能性があります。

詳細につきましては、この研究報告を御一読いただければ幸いです。なお、「研究報告」ではありますが、万葉集古写本の「美」について多くの皆様に知っていただきたく思い、論文のスタイルは採らず、叙述の仕方も可能な限り平易をめざしました。日本の豊かな書物文化に触れる一助にしていただければと願っております。

調査・研究を進めるに当たり、本当に多くの方々から大きなご支援とご学恩を賜りました。また顕微鏡写真を含め、図版の掲載につきましては、京都国立博物館の格別の御厚意により、掲載許可を賜りました(顕微鏡写真の不鮮明なところは、私の撮影技術の未熟さによるものです)。厚く御礼申し上げます。

なお、編集委員会の「編集後記」によれば、「高岡市万葉歴史館論集」はこの第15冊をもってひとまず休刊となります。開館25周年を迎える平成27年度(2015)まで、充電期間を持ちたいとのことです。『万葉集』の研究と普及に大きな役割を果たして来られた高岡市万葉歴史館の益々のご発展を心より祈念しております。

最後に私事にわたりますが、小松茂美先生の三回忌の行われる年に、この研究報告をまとめる機会を得ましたことを本当にありがたく思っております。

【目次】
『美の万葉集』の目次を紹介します。

万葉集の「美」について(坂本信幸)
「天離る夷」考―都の美と夷の情と―(岩下武彦)
ことばの「美」―序詞― ―用語「序」の発見をめぐって―(近藤信義)
さびしからずや道を説く君―天平感宝元年の家持をめぐって―(新谷秀夫)
女歌の美―大伴坂上郎女の言葉―(井ノ口史)
藤波の美の誕生―大伴家持「布勢の水海」遊覧歌―(田中夏陽子)
風土の美をうたう(関隆司)
天象の美(垣見修司)
赤人・ことばの美的整斉(森朝男)
大伴家持の美―巻十九巻頭越中秀吟―(小野寛)
萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―(小川靖彦)

訂正】私の研究報告中に誤りがありました。深くお詫び申し上げます。
320頁14行 (誤)財団法人国立文化財機構   (正)独立行政法人国立文化財機構
330頁5行  (誤)岡泰央(やすお)          (正)岡泰央(やすひろ)


2011年9月28日水曜日

『萬葉語文研究 第7集』

萬葉語文研究第7集

『万葉集』の基礎研究の新たな展開
��萬葉語文研究会編『萬葉語文研究 第7集』、和泉書院、A4判192頁、2011年9月刊、3300円〈本体〉)

萬葉語文研究会が編集する『萬葉語文研究』の第7集が刊行されました。萬葉語文研究会は、2000年(平成12)に、『万葉集』をはじめ上代文献の語学文学研究会として発足しました。その前身である萬葉有志研究会は、井手至氏(大阪市立大学名誉教授)の発案をもとに、若手研究者が、互いに切磋琢磨する場として、1991年(平成3)に誕生しました

この度刊行された第7集は、巻頭に井手至氏のインタビューを掲げています。このインタビューからは、『万葉集』の厳密な本文批判と訓釈を成し遂げ、また萬葉学会を創設された澤瀉久孝(おもだか・ひさたか)氏(京都大学名誉教授)のお人柄と、澤瀉氏の周りに集った人々の姿が、生き生きと浮かび上がってきます。

続いて、様々な年齢層の研究者による、『万葉集』などに関する基礎的研究の成果が報告されています。訓読・伝本・作品解釈などの地道な研究から、新たな視界が開けてくることが強く感じられる1冊となっています。

私も、「継色紙」と藤原定信筆「金沢本万葉集」を中心に、古写本の本文を、書との関わりで捉え直すことを試みました(美しく書かれた「誤写」の意味するものを考えみました)。
 *なお、私の論文と田中大士氏の論文は、2010年度奈良女子大学古代学学術
  研究センター「若手研究者 研究支援プログラム(「萬葉集原本への道」)」
  での特別講義に基づくものです。


以下に、目次を紹介します。

 萬葉学会の草創期を振り返る
   ―井手 至先生をかこんで―(聴手・毛利正守、坂本信幸、内田賢徳)
 「鳥翔成」考(山口佳紀)
 万葉集〈片仮名訓本〉の意義(田中大士)
 「書物」としての萬葉集古写本
   ―新しい本文研究に向けて(「継色紙」・金沢本萬葉集を通じて)―(小川靖彦)
 山上憶良「貧窮問答歌」について(廣川晶輝)
 筑前国風土記逸文(怡土郡)にみる地名起源説話の特徴
   ―仲哀天皇紀との比較から―(大館真晴)
 人麻呂長歌の分節(瀧口翠)
 《書評》八木孝昌著『解析的方法による万葉歌の研究』


��「萬」「万」は、固有名詞や論文タイトルについては、原表記に従いました。

和泉書院ホームページ

2011年2月6日日曜日

『万葉集 隠された歴史のメッセージ』の書評

昨年刊行しました私の『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年7月刊)について、奥村和美氏(奈良女子大学准教授、日本古代文学)の書評が『青山学報』第234号(2010年12月刊)に掲載されました。

奥村氏の書評は、この本の特徴を、最新の研究状況の中で捉えてくださっています。さらにこの本を踏まえて、”伝承されてきた歌を漢字の文字列に当てはめることも、訓読と注解の萌芽と位置づけられる”という、新たな問題提起をされています。
『青山学報』第234号
*目次の私の本のタイトルをクリックすると、PDFファイルが開きます。

刊行後、多くの方々から、励ましのことばを賜りました。面識のない方にも、ブログにも取り上げていただきました。心より御礼申し上げます。

今後も、『万葉集』という貴重な文化遺産のすばらしさを伝えてゆきたいと思っています。


*しばらく、このブログ「万葉集と古代の巻物」は休止状態となっています。昨年一年の間に、小松茂美先生のご逝去などがあり、なかなか記事を書けませんでした。徐々に記事を書いてゆきたく思っています。

2010年8月31日火曜日

お知らせ(『万葉集 隠された歴史のメッセージ』について)

このたび、私の新刊『万葉集 隠された歴史のメッセージ』が、2010年8月29日(日)付の『毎日新聞』の「今週の本棚」で紹介されました。

記事は、『毎日新聞』のウェブ・サイトにもアップされています。
今週の本棚・本と人:『万葉集 隠された歴史のメッセージ』
この記事につきまして、お知らせがあります。

・「雄略は『皇女を母に』生まれている」は、正確には「雄略は『皇族を母に』生まれている」です。
 (雄略天皇の母・忍坂大中姫は、応神天皇の皇孫です。)

・「代々皇女を母としてきた軽皇子(文武天皇)」は、正確には「皇女を母とする軽皇子(文武天皇)」です。
 (天智天皇・天武天皇の母・斉明天皇も、敏達天皇の曾孫で皇族です。)

詳しくは、『万葉集 隠された歴史のメッセージ』を、お読みいただければ幸いです。


2010年7月17日土曜日

小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』

万葉集(選書)

万葉集とは何か
��小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』角川選書、角川学芸出版、四六判296頁、2010年7月刊、1600円〈本体〉)

このたび、私の新しい本『万葉集 隠された歴史のメッセージ』が、角川学芸出版から角川選書の1冊として刊行されました。発売予定日は7月23日(金)でしたが、21日(水)から書店、インターネットで販売が始まっています(書店では、選書の棚に置かれています)。

この本は、“万葉集とは何か”について考えた万葉集入門書です。『万葉集』という「書物」を全体として捉えて、その魅力と歴史的意義を示すことをめざしました。

書名は、『万葉集』という「書物」が何のために製作されたのかを考察した、第一章に基づいています。『万葉集』を巻子本(巻物)として、連続的に読むと、『日本書紀』とは異なる〈歴史〉が見えてきます。

表紙は日本画家の安田靫彦画伯の「飛鳥の春の額田王」(滋賀県立近代美術館蔵)です。

この本が『万葉集』への水先案内となれば幸いです。
【目 次】
はじめに

第一章 『万葉集』という「書物」-「やまと歌」による〈歴史〉の創造
     【第一章のための基礎知識】
一 「書物」としての『万葉集』
二 皇統の《始祖》-一番歌・雄略御製
     【コラム1・一番歌はいつ作られたか】
三 満ち足りた実りの国-二番歌・舒明御製
四 歴史上の舒明天皇
     【コラム2・不思議な標目】
五 天皇による統治の完成への歩み
六 藤原宮の主・文武天皇
     【コラム3・皇位継承の次第を示す配列】
七 巻子本であった『万葉集』
八 成長する「書物」・『万葉集』
     【コラム4・音読から黙読へ】

第二章 万葉歌人たちの詩の技法
     【第二章のための基礎知識】
 一 額田王の〈媚態(コケットリー)〉
 二 柿本人麻呂の想像力
 三 山上憶良の悟り得ぬ心
 四 大伴家持の孤独
 五 作者未詳歌の輝き

第三章 漢字に託す心-漢字で書かれた「やまと歌」
     【第三章のための基礎知識】
 一 巻一の書記法-記憶に支えられた大胆な表記
 二 『万葉集』の《文字法》
 三 漢字から「かな」へ

第四章 万葉集古写本の世界
     【第四章のための基礎知識】

引用文献一覧/学びの導き手
おわりに


角川書店のホームページ
【訂正】誤植がありましたことを、お詫び申し上げます。
                    (誤)             (正)
46頁9行               ことば選んだ        ことばを選んだ
118頁17行             九世紀半ばまでの     十世紀半ばまでの
142頁2行「石見」の振り仮名  いわみ            いはみ
 

2009年9月18日金曜日

『NHK日めくり万葉集』vol.10(講談社MOOK)

日めくり万葉集10

誌上展覧会への招待
��藤原茂樹・坂本信幸監修『NHK日めくり万葉集』vol.10(講談社MOOK)、講談社、B5判96頁、2009年9月刊、690円〈税込〉)

2009年9月17日(木)に『NHK日めくり万葉集』vol.10が発売となりました。

この号では、「万葉集古写本を味わう」という特集を組んでいます。特集は次のような構成です。

 〈カラー〉 平安時代に極めた美
 〈記 事〉 「装丁、料紙、書」の魅力と鑑賞の手引き
   (*カラーページの編集・解説と記事の執筆を担当させていただきました)

巻頭の5ページからなるカラーページでは、平安時代に調度品として制作された、『万葉集』の4種類の古写本、桂本(かつらぼん)、藍紙本(あいがみぼん)、元暦校本(げんりゃくこうほん)、金沢本(かなざわぼん)の見どころを紹介しました。

桂本や金沢本の「書物」としての姿の写真や、桂本の下絵の鳥や虫の拡大写真を収めるなどの工夫もしてみました(鳥が虫をついばもうとするところを描いた、緊張感のある中にもユーモアを漂わせる絵は必見です)。金沢本を開いたときの状態がわかる貴重な写真もあります。

古写本の所蔵機関のご協力と講談社編集部のご尽力により、さながら誌上展覧会のようなページに仕上がっています。平安時代の『万葉集』の古写本の美を堪能していただければ幸いです。

また記事の方では、『万葉集』の古写本の味わい方を具体的に解説しました。展覧会で『万葉集』の古写本を観覧すると、“美しい”と感動します。その感動をさらに深めるための見方を、私の経験を踏まえて紹介しました。

特に、『万葉集』の古写本を「書物」として、つまり、『万葉集』の中身とも深く関わる、装丁・料紙・書からなる総合芸術として味わうことにこだわりました。

見方を知ると、『万葉集』の古写本が、今までの何倍も面白くなるはずです。

桂本と金沢本は、御即位20年記念特別展「皇室の名宝-日本美の華-」(東京国立博物館)の2期(11月12日(木)~29日(日))に出展されます。実物の迫力を経験するまたとない機会です。この「手引き」を参考に、新しい魅力を発見してください。


日めくり万葉集10巻頭

【御礼】
*掲載されている図版は、宮内庁侍従職、宮内庁三の丸尚蔵館、東京国立博物館、京都国立博物館、MOA美術館からお借りしました。桂本の巻姿については、集英社から図版をお借りしました(複製本を撮影した写真も使っていますが、その旨を明記しています)。ご厚情に心より御礼申し上げます。
【お詫び】
��85ページの図2については、手違いにより、記事のレイアウトのために仮に用いた桂本の複製の写真がそのまま印刷されてしまいました。桂本の所蔵機関である宮内庁に、謹んでお詫び申し上げます。また読者の皆様にも誤った写真をお見せすることになり、申し訳ございません。ご海容のほど、心よりお願い申し上げます。

〔お知らせ〕 2009年10月21日現在、出版社の講談社では、この『NHK日めくり万葉集』Vol.10は、在庫切れとなっています(講談社BOOK倶楽部のウェブサイトによる)。
【追記】
��カラーの3ページ下の藍紙本の解説にて、先行文献に基づき、「巻一・九・十・十八の断簡がある」と記しましたが、その後、調べ直しましたところ、巻一の断簡の所在情報については、不確実なものであることがわかりました。この一文を、「巻九・十・十八の断簡がある」とさせていただきたく存じます。(2009年11月8日)


2009年5月13日水曜日

「『萬葉集』の「野」」(万葉七曜会編『論集上代文学』第三十一冊)

論集上代文学31

文学と環境
��万葉七曜会編『論集上代文学』第三十一冊、笠間書院、A5判 338頁、2009年4月刊、12,800円〈本体〉)

万葉七曜会(まんようしちようかい)が編集する『論集上代文学』第三十一冊が2009年4月末に刊行されました。私もこの書に論文を発表する機会を賜りました。
*万葉七曜会は、万葉学者の故五味智英先生門下の日本上代文学研究者が作られた研究会です。

私の論文は、『万葉集』の歌に詠まれた「野」を、〈文学と環境〉という視点から考察したものです。

  『萬葉集』の「野」―日本古代における自然と文化の境界領域〈文学と環境〉―
    一 〈文学と環境〉という視点
    二 「野(の)」という言葉
    三 「野」をめぐる空間認識
    四 「野」の意識の基底
    五 文化的概念としての「野」の成立
       *付、一覧表「『萬葉集』の「野」に詠まれた植物」
           一覧表「平城京周辺の「野」の植物・動物・天象」

“日本人は自然を愛好する”“それは日本の温和で明確な四季のある気候による”“そして文学にも自然との融合を志向する、豊かな感情表現が見られる”という見方が、日本では広く浸透しています。

しかし本当にそうなのでしょうか。“自然を愛好する”一方で、日本では、古代以来、大規模な開発と景観破壊が進められてきました。また生態学者の吉良竜夫氏によれば、日本列島は、自然科学的には、熱帯気団と寒帯気団が交替する二季の国です。“日本には四季がある”という観念は、文化的に創られ、文学や芸術が洗練してきたものと言えます。

そもそも日本人の“自然愛好”とは何なのでしょうか。この論文では、日本人の、《自然》に関する美意識を育んだ「野」というエリアを、〈環境〉という視点から捉え直すことを試みました。

〈環境〉は、生物の「主体」の存在や活動に、何らかの影響を与える事物や条件です。自然を〈環境〉として捉えるならば、生存するために、自然に順応するだけでなく、これを積極的に改変(開発・破壊)してゆく独自な生物としての人間の姿が見えてきます。
*〈環境〉の概念については、鷲谷いづみ氏の著書に多くを学びました。

万葉歌人たちは、

  春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ をなつかしみ 一夜寝にける
                                      (巻8・1424)山部赤人

  (はるののに すみれつみにと こしわれぞ のをなつかしみ ひとよねにける)

のように「野」への強い愛着や、「野」の風・花・鳥の声の美しさを、多くの歌に詠みました。しかし、「野」で詠まれた植物を、草地学・生態学・植生学などの研究成果に基づいて検討すると、「野」が手付かずの原生の自然ではなかったことが判明します。万葉歌人が好んで歌に詠んだ「野」は、人間の手によって管理維持された、「半自然草原」でした。

縄文時代以来、日本では、ススキなどの植物資源を得るために、原生の自然を改変して、二次的な自然を作りだし、これを人間の手で管理維持する歴史を積み重ねてきました。その経験と感覚を基礎にして、8世紀に、万葉歌人たちが、都市・平城京に隣接する「野」に「《自然》の美」を発見したのです。そして、平城京に近接する「野」は、それ以前と比較にならないほど強力に、政府によって管理維持されていました。

万葉歌人の愛好した《自然》は、人間によって管理維持された、人間にとって身近で親しい自然であったのです。この自然との関わり方は、上からの(具体的には時の政府に主導された)、また生活圏の外部からの、強力な開発の動きに対しては、無力な面を持ちます。

しかし、その一方で、field や grassland という語に、単純に置き換えることのできない日本の「野(の)」には、「里山」「里地」同様に、これからの自然と人間の関わり方のヒントも隠されているように思えます(平安時代の百科事典『和名類聚抄』や類題和歌集『古今和歌六帖』は、「野」を、文化と自然を滑らかに繋ぐ境界領域と、明確に位置付けています)。

この論文を最初の一歩として、文学を通じて、自然と人間の未来について今後考察を進めてゆきたいと思っています。ご一読いただければ幸いです。

*このテーマは、古写本の研究とも深く関わっています。成果がまとまりましたら発表します。
��なお、アメリカ合衆国で一つの学問分野にまで成長している「エコクリティシズム(環境文学論)」からも大きな示唆を得ました。「エコクリティシズム」についてはハルオ・シラネ氏からご教示を賜りました。
��校正中に、『万葉集』に詠まれた植物を、植物群落・植生景観という新しい観点から研究を進めていらっしゃる服部保氏から、最新の研究成果についてご教示を賜りました。

【目 次】
『論集上代文学』第三十一冊には、現代の日本上代文学研究を牽引してこられた先生方の論文が収められています。目次をここに紹介します。

『萬葉集』の「野」―日本古代における自然と文化の境界領域〈文学と環境〉―(小川靖彦)
近江二首を読む(多田一臣)
笠金村の「天地の神」(曽倉岑)
山上憶良と大伴旅人―巻五を中心に―(阿蘇瑞枝)
万葉集巻十三挽歌部の反歌について(遠藤宏)
「かづらく」続考(小野寛)
古事記、雄略天皇段の構想―そらみつヤマトの王者形成の物語―(金井清一)
垂仁紀古写本訓点の敬語表現(版本―体言・助詞)(林勉)
上代における〈~カ〉型形容動詞語幹の用法(山口佳紀)
上代文学研究年報二〇〇七年(平成十九年)


2008年12月18日木曜日

吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い』

満身これ学究・古筆学

原爆と学問と
��吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い』文藝春秋、四六判312頁、2008年12月刊、1,857円〈本体〉)

ルポライター・吉村克己氏による、古筆学者・小松茂美先生の評伝が刊行されました。完成に至るまで、5年余りの歳月をかけ、小松先生を中心に、先生に関わる人々からの120時間以上のインタビューを踏まえた誠実な書物です。312頁という読みやすい分量ですが、その1行1行の背後に、地道な取材や裏付け調査の跡が垣間見えます。

小松先生が、独力で「古筆学」という新しい学問を樹立するまでの苦闘は、今までに先生御自身も『平家納経の世界』(中公文庫)などで記されています。しかし、今回の吉村氏の書物は、小松茂美という古筆学者を支え続けた家族、支援者たち、教え子、理解者たちに光を当てました。

「平家納経」を中心に、平安の美の世界に迫るために、従来の学問の枠組にとらわれずに、ありとあらゆる力を尽くして来られた先生の情熱と、その先生に深い共感を覚えて夢を託した人々の、熱い人間のドラマが描き出されています。

吉村氏は、先の著書『全員反対!だから売れる』(新潮社、2004年)で、技術者たちが、常識を超えた大胆なアイデアを、周囲の強い反対を受けながらも、粘り強い努力と少数の理解者の支援によって実現してゆく過程を、丁寧な取材によって明らかにしています。その底を流れるのは、“創造する”とはどういうことなのかという鋭い問いかけです。

本書『満身これ学究』も、創造的な学問とは何か、それはどのようにして生まれるのかという意識に貫かれています。それと同時に、小松先生が明らかにされた、日本文化の豊饒さを是非多くの人々に伝えたいという強い願いが込められています。「古筆」の世界への良き入門書でもあります。

ところで、吉村氏のきめ細かな取材は、原爆投下後の広島に関する、極めて貴重な記録をも残してくれました。第二章「国鉄とピカドン」で、国鉄職員であった小松先生が、御自身も被爆しながら、広島で目の当たりにした、地獄のような凄まじい光景には、言葉を失います(特に77~86頁)。また、その中で小松先生を始めとする国鉄職員の人々が、負傷者の救出のため、迅速に献身的に対処したことには、深い感動を覚えます。

救出を行って帰宅した翌日から、小松先生は40度の高熱に見舞われ、医師から死を宣告されます。奇跡的に生命を取り留める中で、日本の装飾経の中でもとりわけ美しい「平家納経」を一目見たいという情熱が留めようもなく湧きあがってきます。“命”と「学問」が結びついた瞬間です。

また、小松先生を支えてこられた丸夫人の、含蓄に富むお言葉は、本書にさらに清らかな光を添えています。

*今年、ドイツに対して行われた「絨毯攻撃」を、文学から論じた、W.G.ゼーバルトの『空襲と文学』の日本語訳が出版されたことも偶然とは思えません(白水社刊)。
��原爆投下の惨劇について、早くも1963年に、イギリスのイアン・キャンベル・フォークグループ(The Ian Campbell Folk Group)が、“The Sun is Burning[太陽は燃えている]”という哀しくも力強い歌を発表しています(The Folk Collection. Topic Record Ltd. 1999に収録されています)。また1964年には、サイモン・アンド・ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のカヴァーが録音されています(Wednesday Morning, 3 A.M. [水曜の朝、午前3時] ソニー・ミュージック、2001)。是非、多くの日本人に聞いてもらいたいと思います。


2008年2月27日水曜日

青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば』

『文字とことば』

漢文からの自立のための苦闘
��青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年5月刊、A5判、162頁)

このところ、このブログに掲載している「漢字に託す恋の心」「万葉集の文字法(1)(2)」の記事は、本書『文字とことば―東アジアの文化交流―』に収めた、私の論文「萬葉集の文字法」に、基づいています。論文のままでは、わかりにくいところを補ったり、ブログには掲載しにくいデータを、省略したりしています。また、この論文で割愛した問題についても、今後の記事で、紹介したいと思っています。

本書は、2005年3月12日(土)に開かれた、国際学術シンポジウム「文字とことば―古代東アジアの文化交流―」(青山学院大学文学部日本文学科主催)の基調報告を、論文集としてまとめたものです。

古代東アジアの研究は、中国と日本との関係、中国と高句麗・百済・新羅などの朝鮮半島の国々との関係の考察に、力点が置かれてきました。しかし、このシンポジウムでは、中国以外の国々の間の、文化交流―特に「文字」―に、光を当てることをめざしました。

シンポジウムには、企画・立案をした矢嶋泉氏(日本文学)を中心に、歴史学・韓国語学・日本語学・日本文学の研究者が集いました。日本と古代朝鮮半島の国々は、公式の文字言語として、東アジア世界の中心である、中国の漢字・漢文を、否応なく受け入れなければなりませんでした。このシンポジウムを通して、それぞれの国々が、それぞれの「ことば」に即した、文字言語を獲得するために行った苦闘の痕が、鮮明に浮かび上がりました。

日本の片仮名の起源が、経典に新羅語を書き入れる時に用いられた、省画体にある可能性が示されました(小林芳規氏)。「文字」に関する、日本と、古代朝鮮半島の国々の近さが、今まで以上に、明らかになったと言えます。

また、日本では、9世紀に、平仮名が、「文字」として、漢字・漢文から独立するのに対して、古代朝鮮半島では、「文字」の独立が、15世紀を待たなければなりませんでした。その歴史的条件の違いについても、議論が及びました。

本書『文字のことば』には、基調報告全体を見通す総論が、新たに加えられています。またパネリストの論文も、基調報告に、当日の議論を踏まえた加筆が施されています。「文字」という、一見地味なテーマでありながら、シンポジウム当日には、予想を越えた多数の方々に、御来場いただきました。本書は、その熱気を伝えるものとなっています。

【目 次】
はじめに
和文成立の背景(矢嶋泉)
古代東アジアの国際環境(佐藤信)
韓国の古代吏読文の文末助辞「之」について(南豊鉉 NAM PUNG-HYUN)
文字の交流―片仮名の起源―(小林芳規)
古代日本の漢字文の源流―稲荷山鉄剣の「七月中」をめぐって―(安田尚道)
萬葉集の文字法(小川靖彦)
かな文学の創出―『竹取物語』の成立と享受に関する若干の覚書―(高田祐彦)
あとがき

��論文集という形になっていますが、できるかぎり、わかりやすい記述を心がけています。
*本書は、一般の流通経路には乗っていません。青山学院大学文学部日本文学科主催の国際学術シンポジウム開催時に、会場にて販売されます。残部がありますので、次回開催の国際学術シンポジウム以前に入手されたい方は、青山学院大学文学部日本文学科合同研究室にお問い合わせください(ただし、日本文学科合同研究室は、2月中は閉室です。3月に開室しますが、水曜日・金曜日のみの開室となります)。
��「文字とことば」より後の、青山学院大学文学部日本文学科主催の国際学術シンポジウムの成果は、「新典社選書」として刊行されています(『源氏物語と和歌世界』『海を渡る文学』)。本書『文字とことば』も、流通経路に乗る書物として、改めて刊行する案も出ていますが、今のところは、具体的なアクションは、何も起こしていません。


2007年12月31日月曜日

村永清(仙覚万葉の会会長)企画・編『おがわまち万葉の歌めぐり』

おがわまち万葉の歌めぐり

万葉集と小川町への思いの結晶
��村永清企画・編『おがわまち万葉の歌めぐり』NPO法人仙覚万葉の会、88頁、2006年2月刊)

鎌倉時代の学僧・仙覚(せんがく)が、最初の本格的な万葉集注釈書を完成させた、埼玉県小川町の地で、『万葉集』に関する、新しい本が誕生しました。

68首の万葉秀歌に、簡潔な解説を加え、写真も添えた、手のひらサイズの美しい本です。写真は、全て小川町に関わるものです。

奈良の都から、はるかに遠い関東の風土の写真であるのに、1枚1枚の写真を見ていると、『万葉集』の世界が、心の中に広がってきます。

それは、1冊全体を貫く、『万葉集』への深い思いと、小川町への強い愛情が可能にした、奇跡と言えます。本書は、NPO法人仙覚万葉の会の、村永清さん、中谷功さんが先頭に立って、小川町の皆さんが、自分たちの力でまとめ上げたものです。

今、本書に取り上げられた68首の万葉秀歌を記した、「万葉モニュメント」(歌碑)が、、小川町のメイン・ストリートなどに建てられています。読者は、本書をポケットに入れて、緑と水の美しい、和紙の里・小川を訪れたくなるに違いありません。

私も、本書冒頭に、仙覚の和歌11首を紹介しました。理知と情緒が一体になって、独特の、冴え渡る世界を作り上げた仙覚の歌も、是非味わってみてください。


 昆陽の池の 葦間の水に 影冴えて 氷を添ふる 冬の夜の月
 (こやのいけの あしまのみづに かげさえて こほりをそふる ふゆのよのつき)

 〔訳〕昆陽の池の、葦の繁みの間々の水に、澄んだ白い光が映って、あたかも氷をそこに添えたかのように見せている冬の夜の月よ(昆陽の池は、摂津国の歌枕。今の兵庫県伊丹市の南部から尼崎市の北部にかけての一帯にあった池。奈良時代の僧・行基が造ったとも言われる)。


【目 次】
一 はじめに
二 仙覚万葉の里と散策のみち
三 万葉の時代区分と著名歌人
四 仙覚律師の和歌
五 万葉モニュメント
六 万葉モニュメントの選歌基準と選歌の経緯
七 おわりに


*本書は、流通経路に乗らない本でしたが、2007年で既に在庫切れとなっています。国立国会図書館、埼玉県立図書館、小川町立図書館で見ることができます。青山学院大学の私の研究室にも、置いてあります。
*村永さん、中谷さんのもとに、再版を切望する声がたくさん届いています。

2007年12月20日木曜日

『文字のちから』書籍版

文字のちから(書籍版)


「文字のちから」、再び
��国文学編集部編『文字のちから』学燈社、2007年12月刊、194頁、1,890円〈税込〉)

今年8月に、雑誌『国文学』臨時増刊号として出版された「文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―」が、このたび、書籍として刊行されました(私の論文や翻訳も収めています)。

雑誌の時にも、一時在庫切れになるほど、好評を得ました。書籍となって、多くの読者の目に留まることを、心から願っております。

本書『文字のちから』は、日本文学に関する基礎的研究(写本・刊本に関する研究)の、分厚い研究の蓄積を踏まえながら、「文字」や「書物」の本質と歴史を考察したものです。

『万葉集』『源氏物語』から三島由紀夫にいたるまでの、日本を代表する文学作品について、「文字」や「書物」という視点からの、最新の研究も収録しています。「書物」としての、日本の文学作品への、わかりやすい手引きとなっています。

さらに、古筆学、国語学、文化史、書物史、写経研究、敦煌研究、美術工芸史、修復などの諸分野の、国内外の研究者や修復家たちが、それぞれに、「文字」や「書物」への道案内をしています。

私たちは、普段、文学作品を活字で読んでいます。しかし、写本や手稿の、手書き文字にまで立ち戻ると、活字からは想像もつかないような、生き生きとした、作者や書写者の息遣いが浮かび上がってきます。本書は、それを具体的に示しています。

そして、「古典」が、決して、命なき静止したものではなく、書写される度に、新たな命を得てゆく“生きもの”であることがわかります。

また、日本文化の基礎に平仮名があることは、誰もが考えることです。それでは、「平仮名」とは、どのような文字なのでしょうか。本書によれば、「平仮名」は、単に日本語の音を表すだけでなく、多様な字母・字形を併用したり、余白の美を重んじたりするなど、装飾性をその本質とする文字です。音節文字としては、極めて特異なものなのです。

(*本書に収められた論文の一つは、中世の古活字において、この「平仮名」の美と、活字の論理を両立させるために試みられた、目を見張るような工夫を、鮮やかに跡付けています。)

今日、ワープロ、パソコン、携帯電話が、急激に普及する中で、手書き文字の力強さが見直されています。今年一年の間に、多くの手書き文字関係の本が出版されましたが、本書は、古典の写本や、近代文学作品の手稿という、豊かな遺産と、その手堅い研究の蓄積があることとを、改めて、私たちに思い出させてくれます。

加えて、本書には、古筆学という新しい研究分野を打ち立てた、小松茂美先生のインタビューも収められています。研究と人生が一体となった、60年の歩みには圧倒されます。それだけに、小松先生の、現代の文字についての危機感の表明は、大変重いものがあります。

また、かつてないほどに、思い切って「国文学」に踏み込んで発言をされた、書家・石川九楊氏のインタビューも読み応えがあります。

2世紀から21世紀まで、営々と培われてきた、日本の文字文化と書物文化に、真正面から取り組んだのが、本書です。


【目 次】
〈インタビュー〉文字とはなにか―日本の文字文化を通じて(石川九楊)

文字の刻む歴史
政治システムとしての漢字(矢嶋泉)
かなの空間(文字と余白)―「香紙切」筆跡分類の場合(高城弘一)
古活字版のタイポグラフィー(鈴木広光)
梵字の宇宙(松枝到)
〈インタビュー〉古筆学に生きる(小松茂美)
〈エッセイ〉天恵―『万葉集』の文字との五十年(稲岡耕二)

写本の魅力と研究課題―古典をより深く味わうために
萬葉集―漢字とかなのコラボレーション(小川靖彦)
古今和歌集―定家と書写(浅田徹)
源氏物語―二つの源氏物語の相剋(定家本と河内本)(新美哲彦)
平家物語―共存する複数の「平家物語」(佐伯真一)
奥の細道―未完の古典(芭蕉の推敲)(金子俊之)
近代文学の手稿―三島由紀夫の場合(井上隆史)(*新資料紹介あり)
〈エッセイ〉写本との出会い(井上宗雄)

文字と写本を味わうための手引き
筆記具(小松大秀)
和紙と筆触―装幀に使われている書写料紙(吉野敏武)
敦煌写本とそのデジタル化・保存―国際敦煌プロジェクト(IDP)の活動(スーザン・ウィットフィールド)
奈良朝写経の字すがた(赤尾栄慶)
かなの字母とその変遷(矢田勉)
古筆切の世界(佐々木孝弘)
書物研究の学際的好機(レズリー・ハウザム)
グーテンベルクの活字を巡って―デジタル技術とHUMIプロジェクトについて
保存修復と修復家の私考(中塚博之)
図書館・美術館・博物館・文庫案内(五月女肇志)


【お詫び】
*私の論文「萬葉集―漢字とかなのコラボレーション」中に、2箇所の誤植があります。ご訂正いただければ、幸いです。
89頁下段 図2 翻刻1行目 (誤)ひとゝとをしけみ  (正)ひとことをしけみ
89頁下段 図3 翻刻2行目 (誤)こゝろはかりせき  (正)こゝろはかりはせき


2007年11月6日火曜日

湯山賢一編『文化財学の課題』

文化財学の課題

和紙への新しいアプローチ
��湯山賢一編『文化財学の課題 和紙文化の継承』勉誠出版、254頁、3,200円〈本体〉)

『万葉集』の原本には、どのような紙が使われていたのでしょうか。それを知るためには、和紙、さらに中国紙や朝鮮半島の紙についての知識が必要になります。

これまでの、日本の書物の料紙についての研究では、経験をもとに、その材料を判断することが多かったように思います。ところが、文化財学を中心に、和紙への、新しい科学的、文化史的アプローチが始まっています。

その大きな成果の一つが、本書です。総本山醍醐寺に伝わる、膨大な紙の史料を基礎に、醍醐寺における聖教・文書の伝承のされ方、科学的方法(C染色液による材質の判定、顕微鏡による繊維の形の観察など)による文書の紙質の分析結果などが、鮮烈に示されます。

また、写経では、紙面を平滑にし、墨のにじみを最小限にするために打紙加工を必須としたのに対して、消息(手紙)では、むしろ墨のにじみや、連綿の濃淡が良しとされたことも、明らかにされています。消息が、書き手の息づかいを、紙面の上でも伝えようとするものであったことがわかります。

その他、広く、日本の和紙文化を展望する論も収録されています。『万葉集』の作製された、8世紀の光明皇后願経の料紙が、苧麻(ちょま。イラクサ科多年生草本。中国では主に南方で自生)約80%、雁皮(がんぴ。ジンチョウゲ科落葉低木。日本で自生)約20~25% からなるという事実には、想像力が刺激されます。

書誌学が培ってきた、きめ細かな観察方法と、文化財学の科学的、文化史的アプローチを併せ持つことが、これからの“書物学”に必要なことであると思います。


【目 次】
Ⅰ はじめに
 序言(湯山賢一)
Ⅱ 講演
 1 醍醐寺と紙文化(仲田順和)
 2 和紙に見る日本文化(湯山賢一)
 3 醍醐寺の文化財とその管理(長瀬福男)
Ⅲ 報告
 1 醍醐寺史料とその修理(池田寿)
 2 醍醐寺聖教とその料紙―特に楮紙打紙に注目して―(永村眞)
 3 中世における紙の流通(富田正弘)
 4 古代の製紙技術(大川昭典)
 5 書籍の修理―古文書―(鈴木裕)
 6 史料複本の作成(塚本和夫)
 7 史料情報の処理システム(熊本真理人)
Ⅳ 討論 日本の紙文化―文化財の保存と活用


2007年10月19日金曜日

小川靖彦『萬葉学史の研究』

小川靖彦『萬葉学史の研究』

豊饒な研究分野・万葉学史
��小川靖彦『萬葉学史の研究』おうふう、2007年2月刊、636頁、15,750円〈税込〉)

『万葉集』には、平安時代以来1200年近い研究の歴史があります。今日、私たちが『万葉集』を読むことができるのは、この分厚い研究の歴史があるからです。

しかし、『万葉集』の研究の歴史は、素朴な段階から、現代の高度な研究に発展してきたという、単純なものではありません。今日の眼から見て、“誤り”と見えるものにも、実はきちんとした論理があります。

平安時代の古写本のレイアウト、現代とは異なる平安時代や中世における『万葉集』の訓読・注釈の方法などを、ひとつひとつ検討してゆくと、それらが、時代の知の構造や文化に深く根ざしていることがわかります。

また本書では、万葉学史に画期をもたらした、鎌倉時代の学僧仙覚の自筆書状を、新たに紹介しました。この1枚の書状から、北条実時を中心とした鎌倉文化人たちのネットワークの存在が浮かび上がりました。

万葉学史の研究は、歌集と政治との関わり、「古代」像の変貌、古典を取り巻く文化的ネットワーク、「思想」としての学問、「書物」というものが具現する聖性と権力、などの問題を解明する、実に豊饒な研究分野なのです。

��本書は、私の最初の著書です。1年をかけて、本書のもととなった、過去10年に書き継いで来た論文を、全て修訂しました。1冊の本を作ることの難しさと面白さを体験しました。
��貴重な資料の写真も、多数収録しています。

*本書は、9月末以来、在庫切れとなっていましたが、2008年10月前半に第2刷が刊行されることとなりました。

【目 次】
序章 萬葉学史の研究とは何か
第一部 萬葉集写本史の新しい視点
 第一章 題詞と歌の高下―レイアウトに見る平安時代の政治史・和歌史・文化史の中の古写本―
 第二章 巻子本から冊子本へ―冊子本萬葉集のページネーション―
第二部 日本語史・日本文学史のなかの萬葉集訓読
 第一章 〈訓み〉を踏まえた萬葉集歌の改変―『古今和歌集』の「萬葉歌」をめぐって―
 第二章 天暦古点の詩法
 第三章 かなの文化の中の萬葉集訓読―平安から中世へ―
 第四章 「よみ(訓み・読み)」の整定―『新古今和歌集』の「萬葉歌」をめぐって―
 第五章 統合される「よみ(訓み・読み)」―宗祇『萬葉抄』における萬葉集訓読―
第三部 仙覚の萬葉学―十三世紀における知の変革―
 第一章 仙覚書状(金沢文庫旧蔵名古屋市蓬左文庫蔵『斉民要術』紙背文書)について
      ―萬葉学者仙覚と北条実時との関わり―
 第二章 国文学研究資料館蔵『萬葉集註釈』(第二冊・智仁親王筆)
      ―『萬葉集註釈』の本文整定のための基礎資料―
 第三章 道理と文證―『萬葉集註釈』の知の形式―
 第四章 「心」と「詞」―萬葉集訓読の方法―
 第五章 方法としての「ことわり」―萬葉集歌注釈における理法と詩学―
第四部 仙覚の萬葉学の行方
 第一章 筑後入道寂意(源孝行)
      ―由阿による秘伝の系譜の創出(付、レガリアとしての仙覚寛元本萬葉集)―
 第二章 『萬葉集目安』(正式名称『萬葉集註釈』)―南北朝期に誕生した「新注釈」―
終章 萬葉学史の研究の課題
年表(Ⅰ平安時代の『萬葉集』写本年表、 Ⅱ仙覚略年譜)
原論文一覧
あとがき
索引(1萬葉集諸本、2書名(萬葉学史に関わる)、3人名(萬葉学史に関わる)、4研究者名)