2008年12月18日木曜日
吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い』
原爆と学問と
��吉村克己『満身これ学究 古筆学の創始者、小松茂美の闘い』文藝春秋、四六判312頁、2008年12月刊、1,857円〈本体〉)
ルポライター・吉村克己氏による、古筆学者・小松茂美先生の評伝が刊行されました。完成に至るまで、5年余りの歳月をかけ、小松先生を中心に、先生に関わる人々からの120時間以上のインタビューを踏まえた誠実な書物です。312頁という読みやすい分量ですが、その1行1行の背後に、地道な取材や裏付け調査の跡が垣間見えます。
小松先生が、独力で「古筆学」という新しい学問を樹立するまでの苦闘は、今までに先生御自身も『平家納経の世界』(中公文庫)などで記されています。しかし、今回の吉村氏の書物は、小松茂美という古筆学者を支え続けた家族、支援者たち、教え子、理解者たちに光を当てました。
「平家納経」を中心に、平安の美の世界に迫るために、従来の学問の枠組にとらわれずに、ありとあらゆる力を尽くして来られた先生の情熱と、その先生に深い共感を覚えて夢を託した人々の、熱い人間のドラマが描き出されています。
吉村氏は、先の著書『全員反対!だから売れる』(新潮社、2004年)で、技術者たちが、常識を超えた大胆なアイデアを、周囲の強い反対を受けながらも、粘り強い努力と少数の理解者の支援によって実現してゆく過程を、丁寧な取材によって明らかにしています。その底を流れるのは、“創造する”とはどういうことなのかという鋭い問いかけです。
本書『満身これ学究』も、創造的な学問とは何か、それはどのようにして生まれるのかという意識に貫かれています。それと同時に、小松先生が明らかにされた、日本文化の豊饒さを是非多くの人々に伝えたいという強い願いが込められています。「古筆」の世界への良き入門書でもあります。
ところで、吉村氏のきめ細かな取材は、原爆投下後の広島に関する、極めて貴重な記録をも残してくれました。第二章「国鉄とピカドン」で、国鉄職員であった小松先生が、御自身も被爆しながら、広島で目の当たりにした、地獄のような凄まじい光景には、言葉を失います(特に77~86頁)。また、その中で小松先生を始めとする国鉄職員の人々が、負傷者の救出のため、迅速に献身的に対処したことには、深い感動を覚えます。
救出を行って帰宅した翌日から、小松先生は40度の高熱に見舞われ、医師から死を宣告されます。奇跡的に生命を取り留める中で、日本の装飾経の中でもとりわけ美しい「平家納経」を一目見たいという情熱が留めようもなく湧きあがってきます。“命”と「学問」が結びついた瞬間です。
また、小松先生を支えてこられた丸夫人の、含蓄に富むお言葉は、本書にさらに清らかな光を添えています。
*今年、ドイツに対して行われた「絨毯攻撃」を、文学から論じた、W.G.ゼーバルトの『空襲と文学』の日本語訳が出版されたことも偶然とは思えません(白水社刊)。
��原爆投下の惨劇について、早くも1963年に、イギリスのイアン・キャンベル・フォークグループ(The Ian Campbell Folk Group)が、“The Sun is Burning[太陽は燃えている]”という哀しくも力強い歌を発表しています(The Folk Collection. Topic Record Ltd. 1999に収録されています)。また1964年には、サイモン・アンド・ガーファンクル(Simon & Garfunkel)のカヴァーが録音されています(Wednesday Morning, 3 A.M. [水曜の朝、午前3時] ソニー・ミュージック、2001)。是非、多くの日本人に聞いてもらいたいと思います。