2008年11月19日水曜日
下田歌子のゆかりの地にて
(実践女子学園高等学校パンフレットより)
9月以来、いろいろなことがあり、ブログの更新ができずにいました。
2008年11月19日(水)、実践女子学園高等学校にて、高校一年生に模擬授業をして来ました。校内に、実践学園の創設者・下田歌子女史(1854~1936)についてのパネルや、書が展示されていることに、感銘を受けました。
下田女史は教育者であるとともに、歌人でもありました。高等学校でいただいた学校案内のパンフレットによれば、1882年(明治15)、29歳の時に、実践女子学園の前身である、私立桃夭学校を創立しています。
ドーラ・スクーンメーカー女史(1851~1934)が、青山学院の源流の一つとなる、女子小学校を1874年(明治7)に、寄宿学校「救世学校」を1875年(明治8)に創立し、1878年(明治11)には「救世学校」を「海岸女学校」と改め、築地に移転しています。
明治初期の若き女性たちの女子教育に傾けた情熱とバイタリティーには本当に驚かされます。
この下田女史ゆかりの実践女子学園高等学校で、「漢字に託した恋のこころ――『万葉集』入門――」というテーマの授業をしました。以前に、このブログで記事にした、「万葉集の文字法」のシリーズを高校生向けにアレンジしました。
同じ歌でも、漢字平仮名交り、『万葉集』の文字法、平仮名のみで書くとどれほど印象が違ってくるか、また同じ歌句でも、当てる漢字を変えるとその歌の発する力がどのように変わってくるかを、実際に文字に書いてみることを通して、考えてもらいました。
生徒の皆さんは、最初は緊張していたせいか、とても静かでした。途中で、「ひとりかも寝む」を様々な漢字で表記し、どの表記で歌をもらったら嬉しいかを聞いたところ、若い人たちらしい、ストレートな意見が出て、たちまち笑いの輪が広がりました。
『万葉集』の歌人たちが、歌に漢字でどのような姿を与えるかについて、どれほど苦心していたかを、少しでも伝えることができたのではないかと思います。
〈ことば〉に命を吹き込むこと、またその〈ことば〉に文字によって力ある姿を与えることの大切さを、若い人々に伝えてゆきたいと、改めて思いました。
そして、青山学院大学と、渋谷区にあるさまざまな学校や文化施設との交流が深まることを願っています。
��現在抱えている仕事が一段落しましたら、『万葉集』に関わる記事を再開します。今しばらくお待ちください。