(写真=漢字本文の次に、平仮名で、その読み下しを書き記す「別提訓形式」の例 〈元暦校本万葉集の複製による〉)謎の九世紀��この記事は、「
万葉集書物史早わかり(1)」に続きます)
現存する、『万葉集』の写本・刊本を中心に、「書物」として『万葉集』の歴史を見渡すと、次のようになります。
Ⅰ 写本未詳の時代
Ⅱ 巻子本(写本)の時代
Ⅲ 冊子本(写本)の時代
Ⅳ 冊子本(刊本)の時代
Ⅴ 冊子本(近代的印刷本)の時代
Ⅰ 写本未詳の時代〔9世紀~10世紀末〕
今日、私たちの目にしている、20巻本の『万葉集』の最古の写本は、11世紀中頃に書写された桂本(かつらぼん。皇室御物。巻4のみ)です。10世紀の末頃から、古記録(貴族の日記)にも、本来20巻本と推定される写本の記録が、現れます。
ところが、これ以前に遡ると、史料から、「書物」としての『万葉集』の姿を、直接捉えることが、難しくなります。
『源順集(みなもとのしたごうしゅう)』の詞書に、天暦5年(951)に、村上天皇の宣旨があり、「古万葉集よみときえらばしめ給ふ」た、と記されています。この時、漢字のみで書かれた、『万葉集』の歌が、「よみとかれ」たことがわかります。
平安時代の『万葉集』の写本に記された訓を分析することで、この「よみとく」の内容が、漢字のみで書かれた、『万葉集』の歌(短歌のみ)を、組織的体系的に、《平仮名で書かれた和歌》に置き換えるものであったことが、推定できます。
また、その置き換えは、『万葉集』全20巻に及んだことが、鎌倉時代の学僧・仙覚(せんがく)の校訂した写本に記された符号から、わかります。その歌数を、上田英夫氏は、約4500首の『万葉集』歌のうち、4000首を越えると、算定しています(この時の、読み下しを、「古点」と言います)。
ここで「えらぶ」とあるのは、漢字本文の次の行に、平仮名で、その読み下しを記す、新しい「書物」としての『万葉集』の誕生を示すのでしょう。古語の「えらぶ」には、選び集めて、書物を作る、という意味もありました。『万葉集』の写本の、このスタイルを、「別提訓形式」と言います。
*なお、この「えらぶ」を、良いものを選択する、の意味にとる説もあります。
しかも、この天暦の訓読の時に、巻18の、5箇所の漢字本文が補修されたことも、推定されています(大野晋氏の研究)。
この時に成立したと推定される「天暦古点本」が、村上天皇の権威のもと、以後の、『万葉集』の写本の源流となります。10世紀末以降の、現存する写本、史料からその存在が確実視される写本の本文(「注記」も含めて)は、基本的には、この「天暦古点本」から出ていると考えられます。
ところで、ここで難しい問題があります。『万葉集』の成立の問題です。
天応元年(781)から延暦2年(783)にかけて、大伴家持によって、『万葉集』の末4巻(巻17~巻20)の整備と20巻本としての集大成が、行われたと見る説が、今日では有力です(伊藤博氏説)。
しかし、『万葉集』には、大伴家持以後にも、手が加えられている形跡があることが指摘されています。近時、巻1・巻2の左注が、8世紀末、さらには9世紀まで下る可能性も、考えられています(神野志隆光氏の研究)。
『万葉集』という「書物」を、「注記」も含めたものとして捉えると、その成立時点を確定することは、非常に難しいと言えます。8世紀末から9世紀を通じて、なお『万葉集』という「書物」は、「注記」を積み重ね、変動・生成し続けていたようです。
*大量の、しかも様々の次元からなる「注記」を伴う『万葉集』は、中国文化圏の詩歌集としては、極めて特異なものです。
文献学的に厳密であろうとするならば、「注記」を伴う「書物」としての『万葉集』(20巻本)の成立は、今のところ、「天暦古点本」までしか遡れない、ということになります。「天暦古点本」において、変動・生成する『万葉集』が、固定させられたとも、考えることができます。
とはいえ、その「天暦古点本」も、現存していません。この本は、当時の「書物」のあり方から、少なくとも、巻子本であったことは推測できます。しかし、実際にどのような姿の「書物」であったか―どのような料紙に、どのような書体・書風で書かれていたかなどは、不明です。そして、現存最古の桂本でさえ、「天暦古点本」を、必ずしも、一字一句忠実に書写しているわけではありません(訓について、桂本なりの独自の判断が見られます)。
実は、今日の私たちは、11世紀以降の写本を通して、「天暦古点本」を推測し、さらにその向こうに、7・8世紀の《万葉集の世界》を見ているのです。これらのプリズムを経て、私たちが見ている《万葉集の世界》が、7・8世紀の、実際の、万葉集の世界そのものであるかどうかは、わからないのです。
「書物」としての『万葉集』の歴史を捉えるために、さらに、どのようにすれば、7・8世紀の、実際の、万葉集の世界に、より近付けるのかを考えるためにも、この謎に満ちた時期、特に、9世紀における『万葉集』の解明が、今後重要となります。
*なお、9世紀から10世紀末にかけて、ダイジェスト版の『万葉集』が作られていたことが、記録に見えます。また、桂本以前の、ダイジェスト版の断簡である、下絵萬葉集抄切も現存しています(小松茂美氏は、10世紀初~半ば写と推定)。これらについては、別の記事で触れたいと思います。
��主な参考文献]
��.小川靖彦『萬葉学史の研究』おうふう、2007年
��.上田英夫『萬葉集訓点の史的研究』塙書房、1956年
��.大野晋「萬葉集巻第十八の本文に就いて」『国語と国文学』第22巻第3号、1945年4月
��.伊藤博『萬葉集釈注 十一』(別巻)、集英社、1999年
��.神野志隆光『複数の「古代」』講談社現代新書、講談社、2007年
��.小川靖彦「『書物』としての『萬葉集』―巻三雑歌における『本文』と注記を通して―」『国語と国文学』第84巻第11号、2007年11月
【追記】
天暦の訓読時に、巻18の本文の5箇所に、大規模な補修が行われた、という大野晋氏の説について、乾善彦氏による批判があることを、看過しておりました。「大規模な補修」と見られたうちの、いつくかの点は、転写の際の誤りと解釈できるというのが、乾氏の見方です。天暦以降、いつかの時期に渡って改変が加えられ、「大規模な補修」のように見えるようになったと、捉えています(乾善彦氏「『万葉集』巻十八補修説の行方」『高岡市萬葉歴史館紀要』第14号、2004年3月)。
今後さらに、検討してみたいと思います。
(写真=左、巻子本の『万葉集』〈桂本の複製〉。右、冊子本の『万葉集』〈元暦校本の複製〉)「書物」の歴史を生きる『万葉集』約1200年前に編まれた、日本最古の歌集『万葉集』を、今日私たちが読むことができるのは、多くの人々が、この「書物」を書き写し、また印刷をして、伝えてきたからです。
世界的に、「書物」の歴史には、三つの大きな革命が起こっています。第一は、巻子本(巻物)から冊子本への移行、第二は、写本から印刷本への移行、そして、第三は、まさに現在起こりつつある、紙の「書物」から電子ドキュメントへの移行です。
*但し、紙の「書物」と、電子ドキュメントは、メディアとしての性質が根本的に異なっています。他のふたつの革命とは、同列に捉えられないところがあります。
これらの革命は、一方では、「書物」の読者層を一挙に拡大し、「書物」の新しい可能性を開きながら、他方では、それまでの、「書物」に関わる技術体系(造本の技術から、「読む」技術・「知」の蓄積の技術にまで及ぶ)を破壊してゆく、という進み方をします。
旧来の「書物」は、この革命の中で、一部が新しい「書物」として、生まれ変わるものの、多くは時代から取り残され、やがては忘れられてゆきます。これを、高宮利行氏は、“ボトルネック現象”と言っています。
日本では、これら三つの革命に加えて、漢字から「かな」への移行、刊本(古活字版・整版・近世木活字本など)から近代的な活版印刷本への移行も、“ボトルネック現象”を引き起こす要因となっています。
例えば、江戸時代から明治初期にかけて印刷された、大量の、『万葉集』に関する研究書の多くが、いまだに活字に起こされず、時には、写真撮影さえも行われていません。
『万葉集』という「書物」が、漢字から「かな」へ、巻子本から冊子本へ、写本から刊本へ、刊本から近代的印刷本へ、という日本の書物の歴史上の革命を、全巻欠けることなく、生き抜いてきたことは、稀有なことです。
しかも、『万葉集』の場合、これらの革命を単に後追いするのではなく、常に変革期の比較的早い段階で、その姿を新しい「書物」へと変えてきました。そして、その際に、さまざまな新しい技術開発も、行われました。
また、『万葉集』の、「書物」としての歴史を、細かく見てゆくと、これらの革命の時期に、古い「書物」から新しい「書物」への移行が、決して急激に、「発展史的」に進んだのではないことが、わかります。ふたつのタイプの『万葉集』が、微妙に重なり合いながら並行し、最終的には、政治的・社会的要因によって、新しいタイプへと帰結します。
『万葉集』は、巻子本・冊子本・刊本・近代的印刷本の全てが、ある程度の分量をもって、現存しています。日本の書物の歴史を生き抜いた『万葉集』は、日本の、さらには世界の「書物」が、どのように歴史の中を生きてゆくのかを知るための宝庫と言えます。
*ここでは、「書物」のスタイルの大きな変化を、「革命」と記しました。大きな変革であることには、間違いありません。しかし、単純に、ドラスティックな「革命」と捉えるだけでは、一面的です。ヨーロッパ・アメリカの書誌学においても、口誦から書写へ、書写から印刷への変化を劇的なものと捉える、ウォルター・オング、ジャック・グディ、マーシャル・マクルーハンの見方に対して、1990年代後半から、それらの境界が、流動的で重なり合うものであることが、主張され始めています(フィンケルスタイン氏・マックレリイ氏)。
��*次の記事で、「書物」としての『万葉集』の歴史を概説します。)
��主な参考文献]
��.小川靖彦『萬葉学史の研究』おうふう、2007年
��.Van Sickle, John. "The Book-Roll and Some Conventions of the Poetic Book." Arethusa 13(1980).
��.高宮利行『グーテンベルクの謎 活字メディアの誕生とその後』岩波書店、1998年
��.Finkelstein, David and Alistair McCleery. An Introduction to Book History. New York & Oxon: Routledge, 2005.
(写真=西本願寺本万葉集の複製〈青山学院大学図書館蔵〉)西本願寺本の特別な大きさと金沢北条氏今日、私たちが活字本で読む『万葉集』は、西本願寺本万葉集(財団法人石川文化事業団 お茶の水図書館所蔵)の漢字本文に拠っています。西本願寺本は、『万葉集』全20巻約4500首を、完全に保存する現存最古の写本です。
この西本願寺本は、鎌倉後期の書写と推測されています。鎌倉中期の万葉学者・仙覚(せんがく)が、文永3年(1266)に完成した校訂本の系統に属する、善本です。*仙覚は、東国出身の、天台宗の学僧。建仁3年(1203)~文永10年(1273)頃。万葉集研究史に画期的業績を残しました。西本願寺本は、20冊からなる冊子本です。その装丁は、「大和綴(やまととじ)」または「結びとじ」と言われるものです。表紙の上から、右端2箇所を、紐で結んで綴じています。昔のアルバムによく見られた装丁です。
ところで、注目したいのは、西本願寺本の大きさです。縦約32.1㎝、横約24.8㎝もあります。以前、この貴重な写本を、実際に見る機会を得ましたが、大きく、堂々としたその姿に、身の引き締まる思いがしたことを、今でも思い出します。
先の記事「大きさから見た巻物と冊子本」で述べましたように、中国文化圏における初期の冊子本は、巻物に比べてかなり小さいものでした。平安後期から、その冊子本の縦の寸法は、25~27㎝と、巻物と肩を並べるようになり、高い装飾性も持つに至ります。
『万葉集』の写本も、平安後期に、巻物から冊子本へと転換します。そして冊子本の『万葉集』は、巻物の『万葉集』の大きさを踏襲していました。
このように見てきますと、西本願寺本の大きさが、特別なものであることがわかります。本来、冊子本はハンディさを、その特徴としていますが、西本願寺本は、もはや机の上に置かなければ、閲読できません。
実は、この西本願寺本と、同じ装丁で、ほぼ同じ大きさの、『源氏物語』の写本が存在することが、山岸徳平氏・川瀬一馬氏によって、指摘されています。尾州家河内本源氏物語です。縦31.8㎝、横25.8㎝という寸法です。
東国で『古今和歌集』『源氏物語』の研究を進めた古典学者・源親行(みなもとのちかゆき)は、『源氏物語』の校訂本を、建長7年(1255)に完成しました。3年後の正嘉2年に、鎌倉幕府随一の文化人・北条(金沢)実時は、早くもこれを書写させました。尾州家河内本源氏物語は、この実時本を、さらに金沢北条氏周辺で書写したもののようです。
(*尾州家河内本源氏物語には、北条実時の奥書があります。通説では、これを実時自筆と見て、尾州家河内本源氏物語を、実時が当時の能書に書写させたものとしています。しかし、この奥書には疑問があり、以上のような書き方をしました。今後の研究が必要です。)
そして、
① 仙覚と源親行と北条実時の間に、学問的文化的な交流があったこと。
② 尾州家河内本源氏物語が北条氏滅亡後、足利義満の手に渡った可能性があり(山岸氏・川瀬氏)、一方、西本願寺本も、一時、足利義満が所持していた、というように、両者の伝来が似ていること。
などの事実を考え合わせると、西本願寺本と尾州家河内本源氏物語が、ともに金沢北条氏が所蔵するものであったことが推測されます。
金沢北条氏の祖・実時は、熱心に古典の書写と研究を行いました。それは、決して個人的な趣味に止まるものではなく、「書物」によって、都の文化を、鎌倉に、体系的に移植することをめざすものでした。
西本願寺本の特別な大きさは、鎌倉における、新たな「古典文化」の誕生を、高らかに宣言するために、意図的に選び取られたものであったのでしょう。
��主な参考文献]
��.小川靖彦『萬葉学史の研究』おうふう、2007年
��.林勉「西本願寺本萬葉集 解題」『西本願寺本萬葉集(普及版) 巻第一』主婦の友社発行・おうふう発売、1993年 (*西本願寺本の原寸影印本で、その大きさを実際に体験できます)
��.山岸徳平『尾州家河内本源氏物語開題』尾張徳川黎明会、1935年
��.川瀬一馬『日本における 書籍蒐蔵の歴史』ぺりかん社、1999年
��.秋山虔・池田利夫「解題」『尾州家河内本源氏物語』第5巻、武蔵野書院、1978年
��.熊原政男「尾州家河内本源氏物語開題を読みて」関靖・熊原政男『金沢文庫本之研究』青裳書房、1981年
【西本願寺本の複製本】
①『西本願寺本萬葉集』主婦の友社、1984年 (*上の写真。原本と同じ装丁。本文はカラー)
②『西本願寺本萬葉集(普及版)』主婦の友社発行・おうふう発売、1993~1996年 (*洋装本。モノクロ)

『万葉集』の最古の写本は、桂本(かつらぼん。一巻。平安中期、源兼行(みなもとのかねゆき)筆。御物)です。桂本には、現代の活字本の『万葉集』にはない美しさがあります。
まずはその書です。平安時代の『万葉集』の写本は、歌を漢字で書いた後に(『万葉集』の歌は、本来すべて漢字で書かれています)、改行してその読み下しを平仮名で書きます。そして、その漢字と平仮名が美しい調和を見せるのです。
桂本では、兼行の得意とする、広い空間を使った、ねばりのある漢字につり合うように、回転部を大きくした、安定感ある平仮名が書かれます。
そして桂本は、巻物(巻子本。かんすぼん)です。巻物の特徴は、冒頭から末尾まで、切れ目なく連続してゆくところにあります。桂本では、漢字と平仮名が追いつ追われつしながら、それぞれの書体や字形を次々と変えてゆきます。漢字と平仮名が、時には同調し、時には反発し合いながら、さながら音楽のように展開してゆくことに、驚きを覚えずにはいられません。
巻物である桂本を味わうためには、一部分だけを見るのではなく、全体の「流れ」を感じることが大切になります。
詳しくは、以下を御覧ください。・小川靖彦「萬葉集―漢字とかなのコラボレーション」(『國文學』平成19年8月臨時増刊号、特集・文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―、学燈社刊)
��この特集は、日本の文字の歴史、日本文学研究が積み重ねてきた写本研究の成果、デジタル技術を用いた最先端の文字研究、保存修復の現在などをわかりやすく紹介したものです。
��古筆学という新しい学問を打ち立てた小松茂美先生のインタビューもあります。
http://www.gakutousya.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=0160
http://kasamashoin.jp/2007/07/820077.html
【桂本の複製本】
①『御物 桂本』集英社、1976〔絶版〕(巻子本。料紙の色、下絵の色を復元)
②『平安 桂萬葉集』日本名跡叢刊99、二玄社、1986(冊子本。モノクロ。ただし、口絵に連続したカラー写真あり。一巻として桂本を味わえる)
③『桂万葉集』日本名筆選27、二玄社、1994(冊子本。カラー。断簡の写真も広く集める)