2008年3月28日金曜日
万葉集書物史早わかり(1)
(写真=左、巻子本の『万葉集』〈桂本の複製〉。右、冊子本の『万葉集』〈元暦校本の複製〉)
「書物」の歴史を生きる『万葉集』
約1200年前に編まれた、日本最古の歌集『万葉集』を、今日私たちが読むことができるのは、多くの人々が、この「書物」を書き写し、また印刷をして、伝えてきたからです。
世界的に、「書物」の歴史には、三つの大きな革命が起こっています。第一は、巻子本(巻物)から冊子本への移行、第二は、写本から印刷本への移行、そして、第三は、まさに現在起こりつつある、紙の「書物」から電子ドキュメントへの移行です。
*但し、紙の「書物」と、電子ドキュメントは、メディアとしての性質が根本的に異なっています。他のふたつの革命とは、同列に捉えられないところがあります。
これらの革命は、一方では、「書物」の読者層を一挙に拡大し、「書物」の新しい可能性を開きながら、他方では、それまでの、「書物」に関わる技術体系(造本の技術から、「読む」技術・「知」の蓄積の技術にまで及ぶ)を破壊してゆく、という進み方をします。
旧来の「書物」は、この革命の中で、一部が新しい「書物」として、生まれ変わるものの、多くは時代から取り残され、やがては忘れられてゆきます。これを、高宮利行氏は、“ボトルネック現象”と言っています。
日本では、これら三つの革命に加えて、漢字から「かな」への移行、刊本(古活字版・整版・近世木活字本など)から近代的な活版印刷本への移行も、“ボトルネック現象”を引き起こす要因となっています。
例えば、江戸時代から明治初期にかけて印刷された、大量の、『万葉集』に関する研究書の多くが、いまだに活字に起こされず、時には、写真撮影さえも行われていません。
『万葉集』という「書物」が、漢字から「かな」へ、巻子本から冊子本へ、写本から刊本へ、刊本から近代的印刷本へ、という日本の書物の歴史上の革命を、全巻欠けることなく、生き抜いてきたことは、稀有なことです。
しかも、『万葉集』の場合、これらの革命を単に後追いするのではなく、常に変革期の比較的早い段階で、その姿を新しい「書物」へと変えてきました。そして、その際に、さまざまな新しい技術開発も、行われました。
また、『万葉集』の、「書物」としての歴史を、細かく見てゆくと、これらの革命の時期に、古い「書物」から新しい「書物」への移行が、決して急激に、「発展史的」に進んだのではないことが、わかります。ふたつのタイプの『万葉集』が、微妙に重なり合いながら並行し、最終的には、政治的・社会的要因によって、新しいタイプへと帰結します。
『万葉集』は、巻子本・冊子本・刊本・近代的印刷本の全てが、ある程度の分量をもって、現存しています。日本の書物の歴史を生き抜いた『万葉集』は、日本の、さらには世界の「書物」が、どのように歴史の中を生きてゆくのかを知るための宝庫と言えます。
*ここでは、「書物」のスタイルの大きな変化を、「革命」と記しました。大きな変革であることには、間違いありません。しかし、単純に、ドラスティックな「革命」と捉えるだけでは、一面的です。ヨーロッパ・アメリカの書誌学においても、口誦から書写へ、書写から印刷への変化を劇的なものと捉える、ウォルター・オング、ジャック・グディ、マーシャル・マクルーハンの見方に対して、1990年代後半から、それらの境界が、流動的で重なり合うものであることが、主張され始めています(フィンケルスタイン氏・マックレリイ氏)。
��*次の記事で、「書物」としての『万葉集』の歴史を概説します。)
��主な参考文献]
��.小川靖彦『萬葉学史の研究』おうふう、2007年
��.Van Sickle, John. "The Book-Roll and Some Conventions of the Poetic Book." Arethusa 13(1980).
��.高宮利行『グーテンベルクの謎 活字メディアの誕生とその後』岩波書店、1998年
��.Finkelstein, David and Alistair McCleery. An Introduction to Book History. New York & Oxon: Routledge, 2005.