2007年12月3日月曜日

万葉集本文のフォルム

万葉集のフォルム1

多層的な情報複合体

「書物」としての『万葉集』は、単純に歌を集めたものではありません。『万葉集』の紙面は、平安時代以降の歌集と比べると、かなり複雑なものとなっています。

【1】巻子本(巻物)としてのフォーマット

【2】歌集としてのフォーマット………これには、まず歌を分類する項目があります。次に、歌については、歌のみが収録されるのではなく、漢文で記された、歌に関わる情報も添えられます。しかも、その書式は、歌によって、さまざまです。

【3】注記………原資料からの注記、編者による注記、さらに後人(奈良時代、場合によって平安初期にまで及ぶ。複数の人々)による注記が、多様な形式で書き込まれています。

『万葉集』は、多層的な情報複合体となっています。

以下、『万葉集』原本の紙面に即して、簡単な解説を加えます。
(上の写真参照)

①内題(巻首題)【1】
・中国文化圏における、正式な「書物」である巻子本では、本文料紙の冒頭と末尾に、必ず書名と巻数を記します。初めの1行を空けて、2行目に巻首題(かんしゅだい)を書き、3行目から本文を始めます。本文が終わった後に、1行を空けて尾題(びだい)を書きます。


②部立(ぶだて)【2】
・歌の内容による分類。『万葉集』では、「雑歌(ぞうか)」「相聞(そうもん)」「挽歌(ばんか)」が、最も基本的な部立です。これらを、まとめて、「三大部立」と言います。


③標目(ひょうもく)【2】
・「標目」は、一般には、目じるしを意味します。万葉集研究では、巻1、巻2に見える、歌が制作された天皇代を示すものを指します。『万葉集』巻3以下には、置かれません。もちろん、『古今和歌集』以下の、平安時代の歌集にも見えません。「標題」と言う研究者もいます。

・「御宇」の「御」は、統治する意で、「宇」は、天地四方を意味します。「御宇」は、中華国家の皇帝による、全世界の支配を示すことばとして用いられ、日本では、『万葉集』以外では、外交文書に、多くの例を見ます。

・なお、天皇名は、「何宮御宇天皇代」と、宮号(きゅうごう。宮殿名)で示されます。

��*神武、綏靖、安寧、懿徳などの天皇名は、「漢風諡号(しごう)」(中国風の、贈り名)と言います。8世紀末に漢学者・淡海三船(おうみのみふね)が、撰びました。)

④下注(かちゅう)【3】
・標目や題詞などの下に、後人が、小字で書き入れた注記。写真では、標目の下に、天皇の尊称を書き入れています。『日本書紀』『続日本紀』などの正史には見えない、作者に関する伝記事項が書き込まれていることがあります。


⑤題詞(だいし)【2】
・歌の前に置かれた、a作者、b制作時期、c制作事情などを、漢文で記したもの。『万葉集』独特のものです。『古今和歌集』以降の歌集の、「詞書(ことばがき)」に当たりますが、「詞書」中には、作者名は記されません。作者名は、「位署(いしょ)」として、独立します。なお、「詞書」は、平仮名で書かれます。

・題詞には、詳細で、公式文書のような印象を与えるものから、ごく簡単で、メモ的なものまで、さまざまな書式があります。『古今和歌集』以下の勅撰和歌集の「詞書」の書式が、比較的統一されているのとは、異なります。


⑥歌本文【2】
・本来、歌本文は、漢字で書かれています。そして、『万葉集』原本では、句読点も、スペースも置かずに、書かれていたと推測されます。


⑦反歌頭書(はんかとうしょ)【2】
・多くの長歌には、短歌が伴っています。長歌と短歌それぞれに固有な表現力を引き出しながら、一つの表現世界を作り上げるという形式が、『万葉集』の時代には、好まれました。

・このような、複合的作品中の短歌を、「反歌(はんか)」と言い、その直前の行には、反歌であることを示す、「反歌頭書」が、置かれました。

・「反歌」と記すのが、一般的ですが、「短歌」と記す場合もあります。8世紀には、反歌頭書を置かない作品も、見られるようになります。


⑧左注(さちゅう)【3】
・歌本文の後に、原資料の筆録者、その巻の編者、さらには、後人によって記された、作者、制作日時、制作場所、制作事情などに関する考証や但し書き、また歌の出典などを記したもの。

・後人による左注は、歌本文の読み方を方向付けたり(それが、時として、その巻の編集時の意図と矛盾する場合もあります)、正史である『日本書紀』などとの間にリンクを張ったりしています。


⑨異伝(いでん)【3】
・後人によって書き入れられた、別資料に見える少異歌(ほとんど同じ歌でありながら、微妙に歌句の異なる歌)や、その歌と同時作の歌など。

・一首として全体が書き入れられる場合も、また、異同のある歌句の次に、割注で書き入れられる場合もあります。
(下の写真の、柿本人麻呂「近江荒都歌」〈巻1・29~31〉には、8箇所も異伝が書き入れられています)

万葉集のフォルム2


[主な参考文献]
��.東野治之『長屋王家木簡の研究』塙書房、1996年 (*「御宇」について)
��.山口博『王朝歌壇の研究―文武聖武光仁朝篇―』おうふう、1998年 (*「御宇」について)