2007年12月20日木曜日
竹の文化と巻物
(写真=現代の巻物の表紙・発装・紐。発装は表紙の布に包まれています)
発装が示す巻物文化の形成と伝播
巻物の表紙の端には、表紙の破れやめくれを防ぐために、「発装(はっそう)」といわれる、細長い竹、または木を、貼り付けます。「紐」も、「発装」に巻き付けて、固定します。
この、表紙の端の、小さなパーツから、巻物文化に関する興味深い事実を、読み取ることができます。
敦煌写本の発装は、木製と言われていましたが、実際には、数多くの竹製の発装の例を見ることができます。竹を発装に用いることが普通である、日本の巻物を見慣れた目からすると、これは、当たり前のことのように見えます。しかし、そうではありません。
竹が生育できるのは、年間の平均気温が10℃以上で、最寒月の平均温度がマイナス1℃以上の地域です。また竹が、天然更新(無性繁殖)によって生育を維持するためには、年間で1000㎜以上の降水量が必要です。特に温帯地域では、1ヶ月に100㎜以上の降水量が、年間で最低2ヶ月必要となります(以上は、内村悦三氏によります)。
敦煌では、夏の暑さは40℃を越して厳しいものの、冬はマイナス20℃に達し、また、雨は年に1、2回で、年間降水量は40㎜に止まり、さらに、間断なく、激しい西風が吹きつけます(池田温氏・大橋一章氏によります)。このような敦煌では、竹は育ちようもありません。
敦煌で発見された写本に、竹製の発装を数多く見ることができるということは、驚くべきことです。それは、①写本自体が、中国の中央部で製作されたものであること、または②敦煌で製作された写本であるとするならば、発装用の竹を、わざわざ中国南部から入手していたことを示しています。
もちろん、しなやかで強い竹は、発装の素材として、いかにもふさわしいものです。しかし、敦煌、さらに隋・唐の都のあった長安などで、もっと容易に手に入れることができる、適当な木材も、あったかもしれません。竹こそが、巻物の発装としてふさわしい、という意識が、巻物を製作する人々の間に、根強く存在していたように思われます。
(*内村悦三氏の「世界の竹の天然分布と生育型」の図では、長安(現・西安)は竹の生育地域からは、はずれています。)
「竹海」ということばがふさわしいほどに、竹が繁茂し、竹資源に恵まれた、中国南部では、豊かな竹の文化が育まれました。巻物の発装に竹を用いることも、南北朝時代(5~6世紀)、江南地方に都を置いた南朝において、確立された装丁形式であったのでしょう。
この装丁形式が、北朝に、また北朝から出た隋、これを継いだ唐の都・長安に、さらに、遠く、北方の砂漠地帯のオアシス都市・敦煌にまで及んだのです。
東方の古代日本も、この装丁形式を、意識的に踏襲したと考えられます。日本には、その気候・風土が、竹の生育に適しているという好条件もありました。
敦煌写本に見られる、数多くの竹の発装は、この装丁形式が、規範として、いかに尊重されていたかを示しています。そして、あるいは、竹の発装には、江南地方で花開いた文化への憧憬も、込められているのかもしれません。
*敦煌写本の発装に竹が用いられていることを、その頃、北京で仕事をしていた、かつての勤務先の大学の卒業生に話したところ、「竹の採れない北京では、絵に描いて、建物の壁にかけています。それは竹への強い憧憬を表現したものだと思います」ということでした。
[主な参考文献]
��.内村悦三編『竹の魅力と活用』創森社、2004年
��.池田温『敦煌文書の世界』名著刊行会、2003年
��.大橋一章『【図説】敦煌 仏教美術の宝庫莫高窟』ふくろうの本、河出書房新社、2000年
��.〈DVD〉中国文化交流中心企画・制作『Oriental Bamboo Country 東方竹国』A TV Documentary、コニービジョン発売、コニービデオ販売、2003年