2008年2月23日土曜日
万葉集の文字法(1)
文字とことばの関係
文字は、「ことば」を書き表したものと、普段私たちは考えています。文字と「ことば」の間に、ずれがあることを、あまり意識せずに過ごしています。
実は、今日私たちの使う、漢字平仮名交じり文でも、文字と「ことば」が、完全に一致しているわけではありません。例えば、「私は」の「は」のような、主題を提示する助詞「は」です。実際には「ワ」と発音しているのに、『は』と表記しています。
第二次世界大戦直後の一時期に、この助詞「は」を、『わ』と表記する本も現れました。しかし、すぐに姿を消しました。あまりに読みにくかったからでしょう。文字には、文字固有の論理というものがあります。
しかし、全体として見た時、漢字平仮名交じり文では、文字が、「ことば」と緊密に対応していると言えます。これに対して、『万葉集』で使われた文字法では、文字が、「ことば」一つ一つと対応するようには、なっていません。
先の記事「漢字に託す恋の心」で、柿本人麻呂の時代に、《文字法》と言える、漢字による歌の表記法が確立されたと、述べました。そして、この《文字法》が、歌の「ことば」全てを文字化するものではないことにも触れました。
それでは、万葉時代の人々は、この《文字法》で書かれた歌を、どのように読んでいたのでしょうか。また、今日の私たちから見れば、一見不便そうな、この《文字法》を、万葉歌人たちは、なぜ好んだのでしょうか。上の写真に示した歌群を例に、さらに詳しく見てみましょう。
この歌群は、天平2年(730)に、大宰帥(だざいのそち。大宰府の長官)から大納言に任ぜられ、帰京することになった大伴旅人のために、大宰府の官人たちが催した送別の宴で、作られたものです。どの歌も、自然の情景に託して、別れの悲しみを、哀切に歌い上げています。
三埼廻之荒礒尓縁五百重波立毛居毛我念流吉美 (巻4・568)門部石足(かどべのいそたり)
み崎廻の 荒磯に寄する 五百重波 立ちても居ても 我が思へる君
(みさきみの ありそによする いほへなみ たちてもゐても あがおもへるきみ)
〔訳〕岬のめぐりの荒磯に寄せる、幾重にも重なり合った波。その波が、「立つ」ように、立っても
座っても、恋しく思うあなた様よ……。
辛人之衣染云紫之情尓染而所念鴨 (巻4・569)麻田陽春(あさだのやす)
韓人の 衣染むといふ 紫の 心に染みて 思ほゆるかも
(からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも)
〔訳〕中国・朝鮮半島の人々が、衣を染めるという紫の色。その色が深く染まるように、
あなた様が、私の心に深く感じられてなりません。
山跡辺君之立日乃近付者野立鹿毛動而曽鳴 (巻4・570)麻田陽春
大和辺に 君が立つ日の 近づけば 野に立つ鹿も とよめてぞ鳴く
(やまとべに きみがたつひの ちかづけば のにたつしかも とよめてぞなく)
〔訳〕大和へと、あなた様の出発する日が近づいたので、野に立つ鹿までも、別れを
惜しんで、あたりに声を響かせて、鳴いています。
月夜吉河音清之率此間行毛不去毛遊而将帰 (巻4・571)大伴四綱(おおとものよつな)
月夜よし 川の音清し いざここに 行くも行かぬも 遊びて行かむ
(つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ)
〔訳〕月もよい。川音も清い。さあ、ここで、都に戻る人も、留まる人も、ともに心ゆくまで
楽しんで、帰ろうではありませんか。
この歌群では、『縁』『立』『念』(巻4・568)を始め、動詞の活用語尾は、一切表記されていません。その結果、歌の「ことば」の「意味」が、はっきりと目に見える形で、前面に打ち出されています。
例えば、〔巻4・568〕の第2・3句「荒磯に寄する五百重波」について、二つの表記を比較してみてください。
a 荒礒尓縁五百重波 (原文)
b 荒礒尓縁須流五百重波
bの表記は、「ことば」一つ一つを、丁寧に書き表しています。歌の「ことば」を、正確に伝えるものと言えます。しかし、視覚的には、煩雑な印象があります。
これに対して、aは、歌の「意味」を、より簡潔に、鮮明に表現しています。aの表記によって歌を読む者は、荒磯に次々と折り重なって寄せてくる、波のイメージを、素早く思い描くことになるでしょう。
そして、前後の文脈と、歌の音数律から、『縁』を、「ヨスル」と連体形に読み下すことは、それほど難しいことではなかったと思われます。
この、文脈との関わりという点で、大変興味深いのが、〔巻4・570〕の第3句「近づけば」の表記『近付者』です。『万葉集』の《文字法》では、『者』の文字は、仮定条件(“~ナラバ”の意)を表す接続助詞「ば」にも、確定条件(“~ナノデ”の意)を表す接続助詞「ば」にも使われます(さらに主題を提示する係助詞「は」にも使われます)。
そのため、『近付』の活用語尾を、「近づかば」(仮定条件)か、「近づけば」(確定条件)かに確定するためには、〔巻4・570〕を、一応末尾まで、暫定的に読み通す必要があります。
『近付者』に続く歌句『野尓立鹿毛動而曽鳴』が、これから起こることではなく、現在の情景を述べていることから遡って、「チカヅケバ」(確定条件)という読み下し方に、定まります。
つまり、活用語尾を記さない動詞が、『者』や、同様の『雖』(助詞「とも」・「ど」・「ども」に用いられる)などに続く場合、歌を、頭から、逐語的に読み下せるようにはなっていないのです。『万葉集』の《文字法》は、歌全体の、文脈に大きく依存した表記法なのです。
万葉時代の人々は、この《文字法》を不完全なものとは考えず、文脈によって、充分に読み下すことができるものと思い、
君之立都日乃近付家者
のような、逐語的な表記を、むしろ煩雑なものと意識していたと思われます。
*絵文字が、聴覚的な記号となるまでに、多くの技術開発が行われたことが想起されます。また聴覚的な記号となった後でも、北あるいは北西セム文字では、子音だけを表記していました(カーロイ・フェルデシ=パップ氏)。
��日本語の場合を含めた、文字と「ことば」の関係一般については、現在、デイヴィッド・ルーリー氏(コロンビア大学)が、世界の文字を視野に収めた、スリリングな研究を進めています。、一日も早く、氏の研究が論文化されることを、願っています。
[主な参考文献]
��.小川靖彦「萬葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年
��.カーロイ・フェルデシ=パップ『文字の起源』矢島文夫・佐藤牧夫訳、岩波書店、1988年
��.藤枝晃『文字の文化史』講談社学術文庫、講談社、1999年