2007年10月26日金曜日
わたつみの豊旗雲に(中大兄)
月の美しい季節になりました。『万葉集』の月の歌として、まず思い出されるのは、中大兄(なかのおおえ。後の天智天皇)の歌です。
渡津海乃豊旗雲尓伊理比弥之今夜乃月夜清明己曾(巻1・15)
わたつみの 豊旗雲に 入日見し 今夜の月夜 さやけかりこそ
(わたつみの とよはたくもに いりひみし こよひのつくよ さやけかりこそ)
〔訳〕海神の、大空を横切る旗雲に、入日を見た、その夜の月は、さやかであってほしい。
この歌は、斉明天皇7年(661)、天皇自身が軍を率いて、百済救援に向かう途中に立ち寄った播磨国の印南国原(明石から加古川にかけて)で、中大兄が詠んだ歌です。
旗雲は、瑞雲と考えられていました。この歌では、それを、「わたつみの豊旗雲」と、海神の霊威の表れと見ています。その雲に、日が沈むという荘厳な光景を、中大兄たち一行は目にしたのです。
「さやけかりこそ」の「こそ」は、希求を表しますが、この歌の場合、夕方の荘厳な光景に、その夜の月の明るさ、つまり夜の航海での、海神の加護を確信した上で、“さやかであってほしい”と願っています。
ところで、この歌で注目したいのは、漢字本文です。第三句の「入日見之」を、「伊理比弥之」と万葉仮名で書いています。普通ならば「入日見之」と書くところです。
一方、第五句は「清明己曾」と書いています。この表記は、多くの研究者を悩ませて来ました(ここでは「さやけかりこそ」と訓読しましたが、諸説あります)。この歌を文字に起した人は、どうしても「清明」という文字を使いたかったようです。
新日本古典文学大系は「清明」が、月の明るさを表すのに、仏典でしばしば用いられることばであることを指摘しています。また漢語の「清明」には、天下が平和に治まる意味もあります。
月の光の曇りない明るさと、航海の平安が約束されていることを、文字の上でも力強く表現するために、「清明」と書いたのでしょう。
第三句を「伊理比弥之」と万葉仮名で書いたのも、この「清明」という表記と関係していると思われます。もしここを「入日見之」と書いたならば、入日の鮮明なイメージが、月の「清明」なイメージを弱めてしまいます。
一首のイメージの中心が、月の明るさになるように、第三句をわざと万葉仮名にひらいたのでしょう。この歌を文字に起した人の意図に沿うように、訓読文を漢字仮名交じりで書くと、次のようになります。
渡津海の豊旗雲にいりひみし今夜の月夜清明かりこそ
『万葉集』巻一・巻二では、このように、歌一首全体を考えながら、あるところは、思い切って漢語的表記を用い、あるところは万葉仮名にひらくということが行われています。
この歌を文字に記したのは、中大兄自身ではありません。中大兄に頃には、まだ歌を文字で記すということは始まっていませんでした。歌を文字で書くようになる、天武・持統朝に、文字について、非常にセンスある人物が、一首に「文字の歌」としての姿を与えたのでしょう。