2008年8月9日土曜日
祈りの書・日比野五鳳氏の写経
東大寺昭和大納経―昭和の写経事業―
1980年(昭和55)、東大寺大仏殿の昭和大修理の落慶供養の折、新たに書写・制作された『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう。『華厳経』の正式名称)60巻が奉納されました。
「昭和大納経」と言われる、この経典の書写には、当時の第一線で活躍する書家たちが当たりました。見返し絵は、当時の画壇を代表する画家たちが制作しました。料紙・経篋(きょうばこ)を含め、昭和の芸術と技術を結集する、まさに一大プロジェクトでした。
この「昭和大納経」が、28年の時を経て、2008年に、大阪と東京で展示されました。大阪では、「伝統と創意」(’08日本書芸院展)の特別展観(4月22日~27日)〔社団法人・日本書芸院、読売新聞社、財団法人・全国書美術振興会主催〕、東京では、「日本の書展」の特別展観(5月24日~7月21日)〔財団法人・全国書美術振興会、財団法人・大倉文化財団・大倉集古館、共同通信社、社団法人・日本書芸院主催〕において、全60巻が出陳されました。
昭和の書を牽引してきた書家たちの写経は、それぞれに興味深いものでしたが、中でも、私は、日比野五鳳氏(ひびの・ごほう。1901〈明治34〉~85〈昭和62〉)の書写した、『華厳経』巻第47冒頭部(24行)に、強く心打たれました。
五鳳氏の写経を目にして、その清朗さに、まず驚きました。文字と余白の作り出す写経の空間が、どこまでも清らかで、そして明るさに満ちているのです。
私が普段なじんでいる「写経体」の文字と比較しながら、五鳳氏の文字を丁寧にたどってゆくと、その理由が少しわかってきたように思えました。
中国の唐代に完成し、日本でも奈良時代に習得された、写経専用の字体である「写経体」では、普通の楷書体よりも、扁平に文字を書きます。そして、横画を長く引くことで、文字にメリハリを与えます。また、起筆・収筆を強調して、強い装飾性を持たせます。
五鳳氏の写経の文字は、起筆・収筆の装飾性を、どこまでもそぎ落としています。肥痩もあまり目立ちません。そのため、一見すると、“素朴”な印象を与えます。
しかし、その線は、よく見ると、決して“枯れた”線ではありません。柔らかく自由に満ちた線です。とはいえ、自由奔放ということではなく、抑制すべきところはしっかりと抑制されています。内に力を蔵した線です。
また、五鳳氏の文字は、転折のところで、しばしば線と線とが離れています。謹直を旨とする「写経体」ではあまり見られないことです。その線と線の間の余白が、紙面全体に明るさをもたらしています。
五鳳氏の写経の文字には、五鳳氏独自の美意識が伺えます。しかし、その一方で、「写経」としての節度をあくまでも守り抜いていることにも、注目したいと思います。
「写経体」の基本である扁平な字体は守られています。字粒も揃っています。それだけではなく、よく見ると、横の字並びも、実に整然としています(線の柔らかさや自由さが、横の字並びが整然としていることを、すぐには感じさせないようになっていますが)。実は、これは容易なことではありません。
五鳳氏は、写経を通じて、自己の芸術を主張することをめざしたのではなく、まさに「写経」のために、自身の持てる技術の粋を注ぎ込んだのではないでしょうか。
そう思われてならないのは、この五鳳氏の写経の文字が、『華厳経』の内容と、深く関わっているからです。五鳳氏が書写した部分を含む、『華厳経』の「入法界品(にゅうほっかいぼん)」は、善財童子という少年が、53人の善知識(高徳の賢者)を訪ねて、教えを乞い、やがて仏となる物語です。
五鳳氏が書写した部分では、善財童子は、6番目の善知識・解脱長者(げだつちょうじゃ)から、「不可思議」な、菩薩の法門(真理の教え)を学び、菩薩の清い行いと、仏の境地を求める心とを身に付けます。そして、7番目の善知識・海幢比丘(かいどうびく。比丘は修行者)を訪ね、比丘とその周囲の人々の清浄で荘厳な様子を目にします。
前半では、「不可思議」の語が、繰り返し現れます。五鳳氏の写経では、「不可思議」の文字が、それぞれ微妙に違っています。機械的に、同じ字形で書くということはありません。「不可思議」、つまりことばで言い表したり、心で推量したりできない、菩薩の法門に対する、善財童子の感動が、空気の流れのように伝わってきます。
また後半では、海幢比丘の足元から出た長者と婆羅門(司祭者)たちが、宝物を空から降らせ、膝から出た刹利(せつり。王族・武士階級)と婆羅門たちが、悪を離れ、善を修めることと、その方法を説きます。その都度、一切衆生の歓喜に満ち溢れます。五鳳氏の書く「衆生歓喜充満十方」の文字は、どこまでも明るく、豊かで、衆生の喜びを、生き生きと伝えてやみません。
五鳳氏の書は、私たちを、『華厳経』の世界へと導いてくれます。それは、五鳳氏の、『華厳経』への深い理解と、清い祈りによるものでしょう。
五鳳氏の写経を静かに拝していると、氏の清浄な祈りの心に、直に触れるような思いがします。そして、文字が、祈りそのものであることを、実感します。
平城遷都1300年記念の折に、再び、この「昭和大納経」が展示され、多くの人の目に触れることを、心から願っています。
[日比野五鳳氏に関する文献]
��.小松茂美「不世出の書人・日比野五鳳」「私の一点にもう一点」『古筆逍遙』旺文社、1993年
��.小松茂美「(インタビュー)古筆学に生きる」『文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―』学燈社、2007年
��.鈴木史楼『日比野五鳳―その人と芸術』文海堂、1978年
その他、『墨』(芸術新聞社)の日比野五鳳特集号
��東大寺昭和大納経の文献]
��.東大寺昭和大納経刊行委員会監修、講談社出版研究所編『大方広仏華厳経 東大寺昭和大納経』講談社、1983年 (*日比野五鳳氏の写経の全体をモノクロで、一部をカラーで収録)
*事務局長・坂本敏史様をはじめ、財団法人・全国書美術振興会の皆様に格別のご厚情を賜りましたことに、心より御礼申し上げます。