2008年8月15日金曜日

「飯島春敬コレクション」の輝き

春敬の眼展
��写真=図録『春敬の眼―珠玉の飯島春敬コレクション―』(藤原定信筆『般若理趣経』の写真)、ポスト・カード(「豆色紙」、『金光明最勝王経』(平安時代写))、「展示一覧」)


文字史・書道史・書物史の宝庫

《「春敬の眼」展》

先の記事「書家・書道史家 飯島春敬氏の志」にて紹介しました、第60回毎日書道展特別展示「春敬の眼」―珠玉の飯島春敬コレクション―が、2008年7月9日(水)から8月3日(日)に、国立新美術館にて開催されました。

飯島春敬氏が、その審美眼と、書道史への深い造詣に基づいて蒐集された、「飯島春敬コレクション」のうち、約300点が展示されました。財団法人・日本書道美術院主催の「秀華書展」の特別展示で、その一部が、毎年公開されてきましたが、このように大きな規模での展示は初めてです。

展示を観覧して、日本のかな書の歴史を学ぶ上での、貴重な資料が体系的に集められていることに、改めて感銘を受けました。さらに、今回の展示は、日本・中国の写経、中国の拓本・法帖・明清の書・文房具(硯・墨・印材ほか)も出陳され、「飯島春敬コレクション」が、漢字文化圏の文字史・書道史・書物史、そして文化史を研究する上で、極めて貴重なコレクションであることを知りました。

《縹(はなだ)色の奈良朝写経》

その中でも、特に私の心に強く残りましたのは、日本と中国の写経です。

前期のみの展示でしたので、私は、実物観覧の機会を逃してしまいましたが、
[111]金塵色麻紙経(1幅。8世紀写)を、図録の鮮明なカラー写真で初めて眼にしました。

「正倉院文書」からは、奈良時代に、黄、赤、緑、青、茶、紫などの、さまざま染色紙が、写経の表紙本紙に使われていたことがわかります。その彩り豊かな世界には、驚きを禁じ得ません。

黄紙の写経は数多く現存しており、紫紙の写経や、青系統でも濃い色の紺紙の写経も、奈良国立博物館などに所蔵されています。しかし、これら以外の染色紙は、ごくわずかしか現存していません。

その貴重な遺品の一つが、[111]金塵色麻紙経です。その料紙が、藍染めの繊維をほぐして漉き上げ、金の砂子(塵)を撒いたものであることが、明らかにされています。

図版では、藍色は弱いものとなっていますが、その力強い書と繊細な界線とともに、この経典が製作された当時、どれほど高雅なものであったかが想像されます。奈良朝写経の多彩な美の世界を、直接伺わせてくれる貴重な資料です。

《個性的な平安写経》

さらに、今回眼を見張ったのは、平安時代の写経の、個性的な文字でした。[1]金剛般若経開題断簡(1幅。9世紀、空海筆)の、連綿させずに、1文字1文字を、柔らかく、そして力強く書く草書の魅力を知りました。

[125]般若理趣経(1巻。1150年、藤原定信筆)では、強い右肩上がりの、スピード感溢れる、独特の書体と、経文の間に差し挟まれた、大字の梵字が不思議な調和を見せます。[127]阿弥陀経(1巻。13世紀、藤原定家筆)は、定家様で書かれた漢字本文すべてに、片仮名で、読み仮名を付けています。つい経文を読み上げたくなる経巻です。

[125][127]などは、写経生や僧侶ではない、平安時代の優れた書き手たちが、どのように写経と向き合ったかを、生き生きと伝える、重要な資料と言えます。

《中国写経、源氏物語写本など》

「飯島春敬コレクション」には、南北朝から隋・唐代にかけての写経、犬養毅旧蔵の敦煌写経断簡(1巻に仕立てられている)なども含まれています。ガラスケース越しにも、時代とともに、料紙の性質が変化してゆく様子を観察することができます。

これらを、オーレル・スタインやポール・ペリオら蒐集の敦煌写経と、比較対照することが、今後重要な研究課題となることでしょう。

また、新聞やインターネットのニュースでも紹介されたように、今回の展示では、新出の『源氏物語』写本も出陳されました(54帖。室町時代写)。その本文が、『源氏物語』の本文研究に、どのような問題を投げかけることになるか、興味が持たれます。そして、実際に写本を眼にして、端麗な書であることに、感銘を受けました。その筆跡は、室町時代に、『源氏物語』がいかに大切に扱われていたかを、伝えてくれるものに思われました。

《「飯島春敬コレクション」の輝き》

このように、「飯島春敬コレクション」は、かけがえのない貴重な文化資料であり、文字史・書道史・書物史に関心を持つ者に、新たな研究課題を指し示すものです。「飯島春敬コレクション」は、今後ますます強い輝きを放つことでしょう。

飯島春敬氏の高い美意識と、深い学識、そして貴重な資料を多くの人々の目に触れさせたいという熱意に、改めて感動を覚えました。また、このコレクションを今日まで守ってこられた、財団法人・日本美術院理事長の飯島春美先生をはじめとする先生方のご尽力に、敬仰の念を懐きました。