2008年2月14日木曜日

『万葉集』のテキスト

新編古典全集
(写真=新編日本古典文学全集の『萬葉集』)

『万葉集』を学ぶためには、まず信頼できる本を、手元に置くことが大切です。

信頼できる本とは、『万葉集』の漢字本文が記されており、専門の研究者による本文校訂と訓読(読み下し)が行われ、その根拠も記されているものです。

その上、題詞や歌のことばなどについて、簡単な説明が付いているものが、使いやすいでしょう。

万葉集研究では、次の4冊本が、標準的なテキストとして、利用されています。

(1)小島憲之・木下正俊・東野治之校注『萬葉集』①~④、新編日本古典文学全集、小学館、1994~1996年

現代の、本文校訂・訓読の研究成果を、盛り込んだテキストです。全体に穏健な説が示されています。

『万葉集』は、約1200年前に成立した歌集です。それだけに、研究者の間で、本文・訓読・解釈について、説が分かれているところが、多々あります。そこで、(1)をベースにしながら、次のような本を、比較対照しながら、『万葉集』を読むことになります。

(2)佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『萬葉集』一~四、新日本古典文学大系、岩波書店、1999~2003年
  〔漢籍・仏典などの典拠について詳細。平安時代の万葉享受にも言及〕

(3)稲岡耕二校注『萬葉集』(一)~(四)、和歌文学大系、明治書院、1997~2006年((四)未刊)
  〔口誦から記載へという文学史観に立ち、初期の歌を、「声」の歌として解釈。漢字に託された文学的意図についても詳細〕

(4)伊藤博校注『萬葉集釈注』一~十一、集英社、1995~1999年
  〔『萬葉集』の成立過程を、視野に入れながらの解釈。歌の配列を問題にする〕

(5)中西進校注『万葉集 全訳注原文付』(一)~(四)、講談社文庫、講談社、1978~1983年
  〔『万葉集』を「文学作品」として読むことにこだわり、思い切った訓読・解釈を提示〕

(6)伊藤博他校注『萬葉集全注』巻第一~巻第二十、有斐閣、1983~2006年(巻第十六未刊)
  〔現代の万葉集研究を導いてきた15人の研究者が、各巻ごとに分担執筆した注釈書〕

(2)~(6)は、気に入ったものは、手元に置き、その他は、図書館で利用してください。大きめの図書館でないと、所蔵されていないかもしれません(大学図書館には、必ず所蔵されていると思います。一般公開されている大学図書館を、利用することも、一つの方法です。


*『万葉集』に関する本を、書店でたくさん見かけます。その中に引用された本文や、ダイジェスト版で、歌を読むことで終わらずに、最新の成果を提示する、全歌約4500首を収めるテキストで、『万葉集』そのものを、是非味わってください。思いがけない歌に、出会うはずです。

2008年2月12日火曜日

漢字に託す恋の心

文字の趣向

女流歌人たちの文字の趣向

『万葉集』の歌は、本来漢字で書かれています。漢字ばかりで書かれた歌は、いかめしい印象を与えます。かなに慣れ親しんでいる私たちは、これを、読むのも、書くのも難しいと、思いがちです。

しかし、7世紀末、柿本人麻呂の時代に、《文字法》と言える、漢字による歌の表記法が、確立されました。日本語のことばと、ほぼ同じ意味を表す漢字(「正訓字(せいくんじ)」)を用いて、歌の主要なことばを書き記します。

そして、日本語に対応する漢字がないことばについては、「万葉仮名」でこれを書き記します。「万葉仮名」は、漢字の「音」を用いて、日本語を書き表すものです(平仮名・片仮名とは異なり、あくまでも漢字の一用法にとどまります)。

正訓字と万葉仮名を組み合わせての表記法は、現代の漢字平仮名交じり文に、よく似ています。漢字平仮名交じり文は、表音文字だけからなる英文などと異なり、1文字1文字の音をたどりながら、1語として認識して、意味を捉えるという手続きを経ないで、漢字の部分については、これを見ただけで、瞬時に意味を理解することができます(橋元良明氏の論による)。

ひらがなだけでかかれたぶんのいみを、かいどくすることが、なかなかめんどうであることを、おもいおこしてください。

『万葉集』の《文字法》も、意味を効率的に伝えることのできる表記法と言えます。

ただし、『万葉集』の《文字法》は、現代の漢字平仮名交じり文とは異なり、歌の「ことば」の全てを文字化するものではありません。歌の文脈から、容易に補うことのできる「ことば」、例えば、動詞の活用語尾(一部例外あり)や、特定の助詞・助動詞は、思い切って、表記を省略します。

この《文字法》では、文の骨格が、きちんと、そしてシンプルに示されることになります。「意味」を伝えるという点では、『万葉集』の《文字法》は、現代の漢字平仮名交じり文よりも、効率的であるかもしれません。

そして、この《文字法》は、ある程度漢字の知識を持ち、やまと歌についての教養もある人にとっては、何を表記し、表記しないかというルールを習得しさえすれば、容易に読み書きできるものであったと考えられます。

『万葉集』の作者層が、天皇・皇族や、柿本人麻呂のような宮廷歌人たちに止まらず、中・下級の官人たちや、女性たちにまで広まっていったのは、この《文字法》の力によるところが、大きいと思います。この《文字法》によって、漢字の読み書きができ、歌の表現に馴染んでいる人ならば、誰もが、やまと歌を、文字に書き記し、そして読むことが可能になりました。

*先の記事「万葉集巻一の書記法(1)」「同(2)」で書きましたように、初期の表記法の場合には、専門的な読み手の、特別な能力が必要でしたが、この《文字法》では、そうではありません。

この《文字法》は、歌の「文脈」に依存するものであるだけに、「ことば」と文字の関係が、現代の漢字平仮名交じり文ほどには、固定的ではありません。そこに、作者個人が創意工夫を働かせる余地が生まれます。

その余地を大胆に利用し、文字の上で、さまざまな趣向を凝らしたのが、8世紀の女流歌人たちです。写真の①~④がその例です。


 春日山霞多奈引情具久照月夜尓独鴨 
  春日山 霞たなびき 心ぐく 照れる月夜に ひとりかも寝む (巻4・735)大伴坂上大嬢
  (かすがやま かすみたなびき こころぐく てれるつくよに ひとりかもねむ)
  〔訳〕春日山に霞がたなびき、心も晴れずぼんやりと照る月夜に、独り寝るのでしょうか…。

この歌は、春の朧月夜の独り寝のさびしさを詠んだ歌です。第5句の「寝む」は、普通ならば「将寝」「宿牟」「寝」などと書くところです。ところが、この歌は「念」と表記しています。「念」という漢字の、ネンという音を利用した表記です。「念」という文字面からは、単に独り寝するという「意味」だけではなく、相手を心に思って眠れずにいる女性の様子を、浮かび上がらせます。

 不相見者幾久毛不有国幾許吾者恋乍裳鹿
  相見ぬは 幾久さにも あらなくに ここだく我は 恋ひつつもあるか 
                         (巻4・666)大伴坂上郎女

  (あひみぬは いくびささにも あらなくに ここだくあれは こひつつもあるか)
  〔訳〕逢わない間が、それほど長いわけではないのに、これほどまでに、あなたに
   会いたいと思っていることか。

 ③真玉付彼此兼手言歯五十戸常相而後社悔二有跡五十戸
  ま玉つく をちこち兼ねて 言ひは言へど 逢ひて後こそ 悔いにありといへ 
                         (巻4・674)大伴坂上郎女

  (またまつく をちこちかねて いひはいへど あひてのちこそ くいにはありといへ)
  〔訳〕(ま玉つく)将来のこと、今のことを、あれこれあなたはおっしゃいますが、
   逢ってしまった後にこそ、後悔するものだと聞いています。

 娘子部四咲沢二生流花勝見都毛不知恋裳可聞
  をみなへし 佐紀沢に 生ふる花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも 
                         (巻4・675)中臣女郎

  (をみなへし さきさはに おふるはなかつみ かつてもしらぬ こひもするかも)
  〔訳〕(をみなへし)佐紀沢に生える花かつみ、その花かつみではありませんが、
   かつて知らない、恋をしています。

②では、第5句「ある」について、「有」「在」と普通に書かず、「荒」という借訓字を用いて、逢えぬ苦しみを表現しています。③では、第3句「言へど」を、「雖言」ではなく、「五十戸」とすることで、相手が、いかに多くのことばを並べ立てているかを、誇張し、揶揄しています。そして、第5句「は」の、「破」という万葉仮名は、逢ったために味わうであろう後悔の、ネガティブなイメージを、際立たせています。この③の恋歌を送られた男性は、大胆な文字面に、さぞ驚いたことでしょう。

④では、第5句「する」について、「為」でよいところを、「楷」(する、こする意)としています。これが初句の「をみなへし」と響き合って、一首に花摺衣の、美しいイメージを添えています。

万葉の女流歌人たちは、漢字にも、恋の心を託していたのでした。

��主な参考文献]
��.小川靖彦「萬葉集の文字法」青山学院大学文学部日本文学科編『文字とことば―古代東アジアの文化交流―』青山学院大学文学部日本文学科、2005年
��.橋元良明「音読と黙読」『言語』(大修館書店)第27巻第2号、1998年2月
��.橋元良明「日本人における黙読と音読」『現代の図書館』Vol.42 No.2、2004年6月
��.沖森卓也「万葉集の表記」『万葉集Ⅰ』和歌文学講座2、勉誠社、1992年

*〔巻4・735〕の「念」が、漢字の意味を生かした表記であることは、稲岡耕二校注『萬葉集(一)』(和歌文学大系、明治書院、1997年)、佐竹昭広他校注『萬葉集一』(新日本古典文学大系、岩波書店、1999年)などにも指摘されています。

2008年2月6日水曜日

書の味わい方

透写例
(写真=トレースした「堺色紙」の書〔右:はるされ、左:とにま〕)

書を鉛筆でトレースする

展覧会に行くと、美しい書に出会います。しかし、その美しさを捉え、自分のことばで表現することは、容易ではありません。

手引きとなるような鑑賞書も出版されています。とはいえ、鑑賞書の多くは、書道の心得のある人、さらには古筆を自分で臨写しようとする人を対象に書かれています。普段、筆を持つことの少ない人には、なかなかわかりにくいところがあります。

書道の心得がなくとも、展覧会で、書に出会った感動を深めるための、ささやかな方法を紹介します。

まず、展覧会では、その作品全体から受けた“感じ”を、大切にしてください。ただ「きれいだ」というのではなく、何が「きれいか」、何が面白いか(本阿弥光悦の書などは、「面白い」という印象を受けます)、何が自分の心に訴えるかを見つめ、それをメモしておきましょう。

あまり込んでいなければ、筆跡を、自分の筆でなぞるような気持ちで、ゆっくりと、目でたどっていってもよいでしょう。これは、現代を代表する書家・日比野五鳳(ひびの・ごほう)先生が実践された鑑賞法です。

さらに、その“感じ”を具体的に捉えるために、帰宅後に、展覧会図録の写真と、自分の“手”を使います。図録の写真をコピーして、それにトレーシング・ペーバーを置いて、鉛筆で筆跡をたどってゆきます。

*必ず図録の写真は、コピーしてお使いください。そのままなぞると、大切な図録に、鉛筆の先の押し痕が残ってしまいます。
��シャープペンシルは避けてください。トレーシング・ペーバーを突き破る恐れがあります。
��鉛筆は、Bか、2Bがよいでしょう。
��筆線の肥痩(ひそう)や墨の濃淡は、とりあえずは無視してください。忠実に再現する必要はありません。
��変体仮名の解読には、伊地知鐵男氏編『増補改訂 仮名変体集』(新典社、本体350円)が、便利です。


ここで大切なのは、筆や筆ペンを使わずに、鉛筆を使うことです。現代の私たちが使い慣れている筆記用具は、鉛筆です。鉛筆を使う時にこそ、私たち自身の、無意識の筆癖が現れるからです。

上の写真は、前の記事「畠山記念館「花によせる日本の心」展」で紹介した、畠山記念館所蔵の「堺色紙」(さかいしきし。12世紀前半写)をトレースしたものです。


 はるくれはや/とにまつさく/むめの花/君かちとせの/かさし/とそ/なる (/で改行)
 (春くれば 屋戸にまづ咲く 梅の花 君が千年の かざしとぞなる)

トレーシング・ペーパー上で、鉛筆で筆跡をなぞってゆくと、その作品の筆線と、自分の筆癖がずれることがあります。私の場合、第一字目の「は」(漢字「者」をくずした「は」です)の、下の部分を写す時、かなり意識して、右に線を伸ばし、大きく回転して書かなければなりませんでした。

また、2行目の「に」には、本当に驚かされました。「に」の、第一画(縦線)から第二画(横線)への飛び方は、面白いくらいに大胆です。

このようになぞってゆくうちに、「堺色紙」の書が、広い空間を、おおらかに遊ぶような作品であることが、具体的に実感されてきます。

手書き文字というものは、書き手の身体と直につながっています。それだけに、目で見ることに加え、実際に自分の“手”で書いて、書き手が凝らした技巧や、その作品に託した思いを追体験してゆくことが、大切になります。

しかし、それは、その作品を上手にまねをすることではありません。むしろ、自分の手書き文字との「違い」を通して、その作品の美しさの本質を発見してゆくのです。くれぐれも、まねることに専念してしまわず、ひとつひとつの文字や画で、「違い」に驚き、「違い」を楽しんでください。

トレースをした上で、再度、実際の作品を見るならば、さらに理解が深まることでしょう。写真では、どうしても再現できない、筆勢や、墨の料紙への食い込み方などを見てください。また鉛筆では表現できない、筆線の肥痩や濃淡の妙を、十分に味わってください。


��ここに紹介しました、トレースによる書の味わい方は、論文「萬葉集―漢字とかなのコラボレーション」(『国文学』第52巻第10号、学燈社、2007年8月。『文字のちから―写本・デザイン・かな・漢字・修復―』(学燈社)というタイトルの本としても刊行されています)を書くために、辿り着いた方法の一つです。いたって単純な方法ですが、講座や教室などで、書を学んでいるわけではない私にとっては、試行錯誤の末に、ようやく見出すことのできたものです。
��普段、筆を持たない人にも、もっと書を味わい、楽しんでもらいたいと思い、これを紹介しました。
��コピーの際に倍率を調整してからトレースをし、同じ筆者の別の作品や、同時代の別の筆者の作品と比較することも、面白いです。トレースしたものを重ねると、同じ「あ」でも、微妙に異なることがわかります。
��理論的な面では、石川九楊氏の著作(主に、以下の本)にも、示唆を受けています。
  『文字の現在 書の現在 その起源を読み解く』中公文庫、中央公論新社、2006年
  『誰も文字など書いていない』二玄社、2001年


2008年2月2日土曜日

畠山記念館「花によせる日本の心」展

「花によせる日本の心」展
(写真=展覧会案内と収蔵品図録『與衆愛玩』)

静けさの中で花鳥と出会う

展覧会案内の、酒井抱一(さかい・ほういつ)筆「椿・梅に鶯図」と、夜桜蒔絵四半硯箱に魅了されて、畠山記念館「花によせる日本の心―梅・桜・椿を中心に―」展(2008年1月8日[火]~3月9日[日])を見に行きました。

都営浅草線高輪台駅を降りて、閑静な住宅街の細道を抜け、左折して少し行くと、畠山記念館の正門に出ます。門を入って、広い敷地を見渡すと、一気にタイムスリップして、かつての武蔵野の面影を見るようです。

記念館の2階が展示会場となっています。展示品は、花をテーマとする書・画・工芸品など50点弱です。陳列ケースの間のスペースも広くとってあります。私が訪れたのは、平日であったせいか、観覧者も少なく、名品を静かに、じっくりと見ることができました。

酒井抱一「椿・梅に鶯図」(江戸時代、19世紀)は、写真で見ていた以上に、梅の幹の線と色、そして鶯の丸味を帯びた輪郭に、温かみを感じました。大振りの椿の花の、鮮やかな赤も、強く心に残りました。〔2月7日(木)まで〕

また夜桜蒔絵四半硯箱(江戸時代、17世紀)も、写真で想像していたよりも、かなり小さいものでした。その小さな箱の蓋に、月と、咲く花と、散る花びらを描く、大胆な趣向に目をみはりました。

「万葉集と古代の書物」という観点からは、次の作品が注目されました。


[21]堺色紙(さかいしきし)(伝藤原公任筆。1幅。平安時代)〔2月7日(木)まで〕

・薄藍色の染紙(そめがみ)に、鳥(尾長鳥)・菊を、銀泥で描いた料紙を用いています。『古今和歌集』の歌を、散書(ちらしがき)にしています。

  はるくれば やどにまづさく むめの花 君がちとせの かざしとぞなる  (賀・352・紀貫之)
  (春くれば 屋戸にまづ咲く 梅の花 君が千年の かざしとぞなる)

・歌は、行間・字間を、贅沢なまでに、広くとっています。2、3文字が連綿し、その文字群が、変化に富む空間を作り出しています。特に、低い位置に書かれた、第三句「むめの花」は、早春にひっそりと咲く梅の花を想像させます。

・堺色紙は、元来、巻子本であったと考えられています。この畠山記念館所蔵の断簡のような空間を構成する和歌が、巻子本として連続的に書かれていた姿を想像すると、興味をかき立てられます。

・堺色紙の書写年代は、12世紀前半と推測されています。先の記事「東京国立博物館『宮廷のみやび』展」で、本阿弥切(ほんあみぎれ)を紹介したところでも触れましたが、11世紀後半から12世紀にかけて、『古今和歌集』を中心とする巻子本に、大きな変革が起こっていたことが、窺えます。
*なお、堺色紙の縦の寸法は、26.9㎝、または21.1㎝(畠山記念館所蔵断簡)です。

・また、『古今和歌集』の賀の部の料紙として(しかも、畠山記念館所蔵断簡では、早春の歌であるのに)、尾長鳥・秋草、そして、他機関所蔵の断簡によれば蝶その他を描く紙が用いられていることも、注目されます。
*桂本万葉集の下絵を、想起します。

その他、
[37]香紙切(こうしぎれ)(伝小大君筆。1幅。平安時代)も、本来、冊子本(粘葉装〈でっちょうそう〉)でしたが、歌を右の方に書き、左には大きな余白をとっています。どのような紙面の、冊子本であったのでしょうか。

茶室の水音だけが響く、静けさの中で、日本のデザインと、古代に書物に思いを馳せました。


��主な参考文献]
��.財団法人畠山記念館編『與衆愛玩 畠山即翁の蒐集品』畠山記念館、2005年 〔畠山記念館にて購入できます。3,800円〕
��.小松茂美編『日本書道辞典』二玄社、1987年
��.春名好重・杉村邦彦・永井敏男・中村淳・西林昭一・三浦康廣編『書道基本用語詞典』中教出版、1991年


畠山記念館


2008年1月16日水曜日

青山学院大学授業予告(その2)

昨年末の記事で、2008年度開講予定の2つの授業について、紹介しました。青山キャンパスでの、残る「日本文学特講」についても、次のようなテーマで開講することにしましたので、お知らせします。

■「古代書物の美」
(学部・日本文学特講)〔火曜日午後。対象=3、4年生〕

巻子本を中心とする、日本古代の書物の装丁(ブックデザイン)について、装飾と実用、外形と内容の関係などを考察します。

��前 期] 奈良時代の史料には、巻子本の、多彩な装丁が記録されています(例えば、孝謙天皇所持の『金光明最勝王経』は、紅紙・紅表紙・斑綺・赤木軸)。①料紙、②表紙、③紐、④軸、を組み合わせて作り上げられる、巻子本の姿が、書物の種類(仏教経典ならば、経典の種類)、利用方法、製作年代などと、どのように関係しているかを分析します。分析には、現存する、日本古代の巻子本も手懸かりとします。合わせて、敦煌写本の、紐を中心とする、装丁についての調査結果も紹介します。

��後 期] 桂本(かつらぼん)をはじめとする、平安時代に書写された、『萬葉集』の写本を、一部の「書物」として考察します。『萬葉集』の写本は、正しい本文を復元するための、重要な資料とされてきました。しかし、それらは、時代の価値観や美意識に深く根ざしたものであり、それぞれが、ひとつの“萬葉集”であると言えます。書・料紙・下絵(鳥虫草木などのデザイン)・レイアウト・装丁、そしてそれらと内容の関係を、総合的に捉えながら、生成し続ける「書物」として『萬葉集』の歴史を追います。


2008年1月13日日曜日

消残りの雪にあへ照る(大伴家持)

ヤブコウジ

この季節には、センリョウやマンリョウの、美しい赤い実を、目にします。しかし、古代の人々が好んだ、「山橘」(ヤブコウジ科ヤブコウジ)の実を見る機会は、なかなか得られません。

大伴家持の次の歌を読んで以来、ヤブコウジの実を見たい見たいと思っていました。

気能己里能由伎尓安倍弖流安之比奇乃夜麻多知婆奈乎都刀尓通弥許奈(巻20・4471)

消残りの 雪にあへ照る あしひきの 山橘を つとに摘み来な
(けのこりの ゆきにあへてる あしひきの やまたちばなを つとにつみこな)


〔訳〕消え残った白い雪に合わせて、照り輝やく、(あしひきの)山橘を、みやげに摘んで来たいものです。

この歌は、天平勝宝8歳(756)11月5日の作です。この年の2月に、密告によって、左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)が、辞職しました。5月2日には、聖武上皇が崩御しました。

上皇崩御を機に、時の権力者・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)と、仲麻呂を打倒しようとする、橘奈良麻呂(たちばなのならまろ。諸兄の子)を中心とするグループの間の緊張が、一挙に高まりました。崩御から間もない、5月10日には、早くも、大伴一族の長老・古慈斐(こしび。時に69歳)が、淡海三船(おうみのみふね)とともに、朝廷を誹謗した罪で捕らえられるという事件が起こりました。

古慈斐らはすぐに釈放となりましたが、家持の受けた衝撃は大きく、6月17日に、誉ある先祖の名を絶やさぬようにと、大伴一族に諭す長歌とともに、無常を悲しみ、出家に心惹かれ、さらに命の長さを願う痛切な短歌を作りました。この後、家持はしばらく歌を詠まなくなります。

��か月に及ぶ沈黙を破って、久しぶりに詠まれたのが、上の歌です。家持は、冬枯れの季節を彩る、山橘の実の美しさを、残雪の白さと対照させながら、「照る」(光り輝く)ものと、歌いました。

この歌の題詞は、この日(太陽暦では12月5日)に、少しばかり雷鳴がして、雪が庭に積もったこと、そしてこの光景に家持が感興を覚えたことを、記しています。「つとに摘み来な」と歌っていることも考え合わせると、この山橘は、家持が、今現に見ているものではなく、想像しているものなのでしょう。

家持は、越中国司時代の、天平勝宝2年(750)12月に、山橘の歌を詠んでいます。

  この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む(巻19・4226)
  (このゆきの けのこるときに いざゆかな やまたちばなの みのてるもみむ)

都の、家持の邸宅の庭一面に降り積もった雪は(天平勝宝8歳の初雪であったと思います)、照り輝く山橘の実を想い起こさせ、さらにそれは、越中時代の記憶にも繋がるものであったのでしょう。山橘の実が、家持の傷心を癒すものであったことが窺えます。

『源氏物語』をはじめ、平安時代以後の文献では、山橘の実は、強い生命力の象徴とされています。家持も、この赤い実に、強い「いのち」を感じたことと思います。

��山橘の実は、正月に贈る卯槌(うづち。邪気を払う槌)に添えられたり、童子の髪を肩で切り揃え、その成長を祝う髪そぎの儀式に用いられたりしました。


私は、花屋さんに、山橘(ヤブコウジ)を取り寄せてもらいました。その姿を見て、家持の思いが納得できました。本当に小さな、愛らしい木でした(10~13㎝)。1本がつける実の数も、センリョウやマンリョウに比べれば、はるかに少なく、4、5個程度です。しかし、1個の大きさはセンリョウなどよりやや大きく、何よりも深い赤色が、この植物の芯の強さを感じさせました。

この時取り寄せたヤブコウジは、なかなか地植えができないでいるうちに、この頃住んでいた場所特有の、異常な強風のために枯らしてしまいました。その後、都内に転居しましたが、昨年末に、花屋さんの店頭に置かれたヤブコウジを、偶然見かけ、思わず購入してしまいました。それが、上の写真です。

ところが、室外の寒さを好む植物なので、ベランダに置いたところ、目立たぬようにしたのにもかかわらず、鳥に見つけられてしまいました。今は、白い花と常緑の葉ばかりとなってしまいましたが、深く、清冽な赤色の実を思い出すと、心が洗われるようです。


*古典に見える山橘については、国文学編集部編『知っ得 古典文学植物誌』(学燈社、2007年7月刊)をご参照ください(「橘」「ゑぐ」「山橘」の項目を、私が執筆しています)。

酒井抱一描くヤブコウジ
(現在、東京国立博物館で開かれている「宮廷のみやび」展に出品されている、「四季花鳥図屏風」(酒井抱一筆。陽明文庫蔵)[158]の左隻の左下方には、雪の下のヤブコウジが描かれています。是非ご覧になってください。)

2008年1月6日日曜日

東京国立博物館「宮廷のみやび」展

『宮廷のみやび』
(写真=図録『宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝』)

書物文化研究の宝庫・陽明文庫

2008年1月2日(木)から2月24日(日)まで、東京国立博物館で、陽明文庫創立70周年記念特別展「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」が開かれています。

五摂家(ごせっけ。摂政・関白の職を継承する五家)の筆頭である近衛家は、藤原家に伝わる儀式作法に関わる書物の収集に努め、王朝文化を伝える家として道を歩んできました。そして、書画などにも造詣の深い文化人を、輩出しました。

今回の「宮廷のみやび」展は、近衛家の収集した膨大な文書・典籍・美術工芸品約200点を、公開するものです。これほどまでに大規模に、近衛家の伝えた、貴重な文化財が展示される機会はなかなかありません。必見の展示です。

そして、この「宮廷のみやび」展は、日本の書物文化に触れる、絶好の機会です。写真だけではわからない、日本の書物の生き生きとした姿に触れることができます。

1月4日に、私も観覧に行きました。「万葉集と古代の巻物」の立場から、見所を紹介します。


[13]白氏詩巻(国宝。1巻。平安/寛仁2年〈1018〉写。東京国立博物館蔵)

・色変わりの料紙が使われています。各紙の横の寸法が、写経に比べて短いことが、注目されます。


[19]源氏物語(重要文化財。54帖。鎌倉/14世紀。陽明文庫蔵)

・縦15.7㎝、横14.8㎝という、小ささに驚きます。「書物」としての『源氏物語』のイメージが、変わることでしょう。

[88]本阿弥切(古今和歌集断簡)(重要美術品。1葉。平安/12世紀。陽明文庫)

・巻子本でありながら、縦16.7㎝という、小さなものです(巻子本の標準的な縦の寸法は、25~28㎝)。11世紀後半には、やはり縦14.3㎝の巻子本である曼殊院本古今和歌集が製作されています。これらを開いた時の印象は、冊子本を思わせるものがあります。
・11世紀後半から12世紀にかけての、「書物」として古今和歌集を考える、興味深い材料と言えます。
・「書物」としての大きさに対応した、文字の繊細さにも、心惹かれます。

[166]益田池碑銘断簡(1巻。平安/12世紀。宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔1月27日(日)まで〕

・空海の碑文を、紙に写したものです。その豪放な文字をじっと見ていると、料紙の界線が気になってきます。界幅の、比較的広い、写経料紙が使われています。界線は細く、きちんと引かれています。

[173]安宅切(あたかぎれ)(和漢朗詠集断簡)(1巻。平安/11~12世紀。宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔1月27日(日)まで〕

・色変わりの料紙や、様々な装飾加工紙を継いで、著しく変化に富む巻子本です。その多彩な料紙をまたいで、金銀で、細長い土坡(どは)が描かれます。書体は、比較的統一されています。変化と統一の妙を感じます。

[186]草書孝経巻(そうしょこうきょうかん)(1巻。中国・唐/7~8世紀。宮内庁三の丸尚蔵館蔵)〔1月27日(日)まで〕

・極めて希少な、唐代の儒教経典写本です。界線が不思議です。縦界線が、天と地の横界線を超えて、紙の端にまで及んでいます。よく見ると、縦界線が二重になっているようです。あるいは、墨の界線の上から、箆(へら)などで、もう一度界線を引いているのかもしれません。
・また、横界線が、料紙の継目でずれていることも、気になります。

[191]倭漢抄下巻(国宝。2巻。平安/11世紀。陽明文庫蔵)

・頂に五弁の花、側面に鳥の文様のある、軸端(じくばな)にも注意したいと思います。

[196]多賀切(たがぎれ)(和漢朗詠集断簡)(重要文化財。1幅。平安/永久4年〈1116〉。陽明文庫蔵)〔1月27日(日)まで〕

・多賀切は、訓点(訓読するための符号)を書き込んだ、現存最古の、和漢朗詠集の写本です。この多賀切が、界線の引かれた料紙を用いていることは、大変興味深いことです。
・和漢朗詠集の、早い時期の写本では、装飾的な料紙が使われています。美術工芸品から、漢学のテキストへの変化は、料紙にも現れているようです。


*1月29日(火)から展示替えとなります。
��会場は、「第1章・宮廷貴族の生活」のセクションばかりが、異様に混雑しています。先に進めば進むほど、観覧者はまばらになります。第1章で、全精力を使ってしまわないことが、コツです。
��図録はかなり重いので、これに書き込みながら観覧することは、今回は諦めました。