2011年9月28日水曜日

『萬葉語文研究 第7集』

萬葉語文研究第7集

『万葉集』の基礎研究の新たな展開
��萬葉語文研究会編『萬葉語文研究 第7集』、和泉書院、A4判192頁、2011年9月刊、3300円〈本体〉)

萬葉語文研究会が編集する『萬葉語文研究』の第7集が刊行されました。萬葉語文研究会は、2000年(平成12)に、『万葉集』をはじめ上代文献の語学文学研究会として発足しました。その前身である萬葉有志研究会は、井手至氏(大阪市立大学名誉教授)の発案をもとに、若手研究者が、互いに切磋琢磨する場として、1991年(平成3)に誕生しました

この度刊行された第7集は、巻頭に井手至氏のインタビューを掲げています。このインタビューからは、『万葉集』の厳密な本文批判と訓釈を成し遂げ、また萬葉学会を創設された澤瀉久孝(おもだか・ひさたか)氏(京都大学名誉教授)のお人柄と、澤瀉氏の周りに集った人々の姿が、生き生きと浮かび上がってきます。

続いて、様々な年齢層の研究者による、『万葉集』などに関する基礎的研究の成果が報告されています。訓読・伝本・作品解釈などの地道な研究から、新たな視界が開けてくることが強く感じられる1冊となっています。

私も、「継色紙」と藤原定信筆「金沢本万葉集」を中心に、古写本の本文を、書との関わりで捉え直すことを試みました(美しく書かれた「誤写」の意味するものを考えみました)。
 *なお、私の論文と田中大士氏の論文は、2010年度奈良女子大学古代学学術
  研究センター「若手研究者 研究支援プログラム(「萬葉集原本への道」)」
  での特別講義に基づくものです。


以下に、目次を紹介します。

 萬葉学会の草創期を振り返る
   ―井手 至先生をかこんで―(聴手・毛利正守、坂本信幸、内田賢徳)
 「鳥翔成」考(山口佳紀)
 万葉集〈片仮名訓本〉の意義(田中大士)
 「書物」としての萬葉集古写本
   ―新しい本文研究に向けて(「継色紙」・金沢本萬葉集を通じて)―(小川靖彦)
 山上憶良「貧窮問答歌」について(廣川晶輝)
 筑前国風土記逸文(怡土郡)にみる地名起源説話の特徴
   ―仲哀天皇紀との比較から―(大館真晴)
 人麻呂長歌の分節(瀧口翠)
 《書評》八木孝昌著『解析的方法による万葉歌の研究』


��「萬」「万」は、固有名詞や論文タイトルについては、原表記に従いました。

和泉書院ホームページ

2011年7月30日土曜日

『校本万葉集』の復興

校本万葉集和装版
(『校本万葉集』和装版の首巻・巻上)

「一すぢの光」

東日本大震災から4か月が過ぎました。復興が徐々に進んでいるという知らせに喜び、未だに収束しない放射線による被害の大きさに、悲しみと不安を覚えています。

先の記事「佐佐木信綱の震災の歌」で紹介しましたように、1923年(大正12)9月1日の関東大震災の火災によって失われた『校本萬葉集』は、佐佐木信綱らの驚異的な努力によって、2年後の1925年(大正14)3月に見事に復興を遂げました。

佐佐木信綱宅と、『校本萬葉集』の編者の一人・武田祐吉の手許に、それぞれ1セットの校正刷が残っていたという幸運が、それを可能にしました。

とはいえ、復興に至る道のりは容易なものではありませんでした。『校本萬葉集』を出版する予定であった書肆は、出版を断りました。

「復興という詞は、あらゆるものの標語となつた。貨物自動車はすさまじい音をたてて走せちがひ、槌の音や鉄槌(ハンマー)の音はいたる処に響き渡つた。復興の時は早く来たが、校本萬葉集の復興は、容易でない。さきに出版しようとした書肆は、啓明会からの補助もあつたが、焼失した損害が少なくないので、再び出すことを断つた。一二の人に相談したが、数年後にしたならばといはれたので、自分の心は暗くさびしかつた」(佐佐木信綱「校本萬葉集に就いて」『佐佐木信綱文集』)

この度の東日本大震災でも、出版は大変厳しい状況に直面しています。東北地方の製紙工場が被害を受け、紙不足に見舞われながら、その中で出版を続けていることを、笠間書院の重光徹氏から伺いました。そのような事情もあったのかもしれません。

その信綱に力を与えたのが、11月中旬に信綱を見舞った熊沢一衛(古筆収集家。手鑑「月台帖」の持ち主)の、できる限りの助力はするから是非再興をはかられよ、という激励のことばでした。

  一すぢの 光さしぬれ ぬば玉の 心の道の をぐらきに今 (『豊旗雲』)
   *『佐佐木信綱全歌集』では、
     「ひとすぢの 光はさしぬ ぬばたまの こころの道の をぐらきに今」


力を得た信綱は、出版社に頼らずに、自ら「校本萬葉集刊行会」を興して資金を募り、そして、自分自身のイメージする、書物としての姿を『校本萬葉集』に与えたのでした。関東大震災の時に完成目前であった『校本萬葉集』は洋紙洋装6冊でしたが、再興された『校本萬葉集』は和装帙入25冊、用紙は耐久性を保つために土佐の八千代紙の別漉としました。

多くの人々が、この「校本萬葉集刊行会」に進んで手を差し伸べたことを、信綱は「校本萬葉集に就いて」で、感謝の気持ちを込めて書き記しています。人々の献身的助力が、どれほど信綱の心の支えとなったかが窺われます。

私は、それを具体的に示した資料に出合いました。1931年(昭和6)に、岩波書店から『校本萬葉集』の洋装普及版を出版するに当たって作られたパンフレットです。その裏表紙の見返しに、和装版が出版された時の支援者の名前の一部が記されています。意外な名前も見出せます。実に多くの人々が、『校本萬葉集』の復興に関わっていたのです。

貴重な資料ですので、そのまま引用しおきます(見返しは6段で、一機関または一人1行となっていますが、ここでは列挙します。また旧字体は新字体に改めました)。


本書和装版は
侍従職  皇后宮職  東宮職  宮内大臣官房  図書寮  東京帝室博物館
 より御買上の恩命を忝うし
秩父宮家  高松宮家  澄宮家  山階宮家  久邇宮家  梨本宮家  朝香宮家
東久邇宮家  北白川宮家  竹田宮家  昌徳宮家
 より同じき光栄を受けぬ
和装版応募諸家芳名録の一部
浅野長武  浅野応輔  青木昌吉  安藤正次  岩原謙三  今井彦三郎
岩崎男爵  上野精一  浦和高等学校  大阪朝日新聞社  大島雅太郎  大谷尊由
大阪府立図書館  大手前高等女学校  沢瀉久孝  筧克彦  春日政治  香取秀真
金沢庄三郎  鐘紡正和婦人会  亀井伯爵  川田順  川合玉堂  喜多又蔵
北原白秋  木村久寿弥太  九州帝国大学  京都帝国大学  京都第一高等女学校
桐島像一  串田万蔵  久原房之助  窪田空穂  熊沢一衛  黒田侯爵
華族会館  官幣大社出雲大社  官幣大社石清水八幡  官幣大社稲荷神社
官幣中社北野神社  古泉千樫  郷男爵  高知高等学校  国学院大学  児玉一造
斎藤茂吉  佐賀高等学校  佐々木勇之助  静岡高等学校  実践女学校
島木赤彦  神宮皇学館  真言宗京都中学  杉浦非水  杉敏介  鈴木敏也
住友合資会社  諏訪図書館  第一高等学校  第四高等学校  第五高等学校
第六高等学校  第八高等学校  大東文化学院  高楠順次郎  宝塚少女歌劇学校
伊達侯爵  玉井幸助  団男爵  ダン・エフ・ウオー  知恩院  女子学習院
津軽照子  土屋文明  帝国図書館  東京女子大学  東京帝国大学
東大法学部研究室  東北帝国大学  東京高等師範学校  東洋大学  東京美術学校
東京音楽学校  土岐善麿  徳川侯爵  内藤虎次郎  中村憲吉  鍋島侯爵
奈良女子高等師範  南天荘講堂  満鉄大連図書館  日本青年館  日本大学
蜂須賀侯爵  阪正臣  姫路高等学校  平福百穂  平沼騏一郎  広島高等学校
深井英五  福田徳三  福原俊丸  藤瀬政治郎  藤田男爵  藤代禎輔
藤井乙男  藤岡勝二  法政大学  北海道帝国大学  保科孝一  細川侯爵
積穂(ママ)男爵  牧野英一  間島弟彦  正宗敦夫  益田男爵  松井簡治
前田侯爵  三井男爵  武蔵高等学校  武藤山治  無窮会  文部省図書局
安田善次郎  安田靫彦  柳田国男  矢野恒太  山下亀三郎  山崎直方
山室宗文  山形高等学校  吉沢義則  米山梅吉  陸軍士官学校  早稲田大学
渡辺千冬  井上哲次郎  岡麓  小倉正恒  尾崎行雄  小田柿捨次郎
尾上八郎  折口信夫

[参考文献]
��.佐佐木信綱「校本萬葉集に就いて」『佐佐木信綱文集』竹柏会、1956年
��.佐佐木信綱『作歌八十二年』毎日新聞社、1959年
��.佐佐木信綱『豊旗雲』実業之日本社、1929年
��.『佐佐木信綱全歌集』ながらみ書房、2004年
��.岩波書店作成、『校本萬葉集』の内容案内パンフレット(全18頁、1931年)


2011年6月11日土曜日

「町奉行与力の風流な生活―橘千蔭の場合―」展

橘千蔭展図録


和学と書

昭和女子大学光葉博物館では、江戸時代後期の和学者・橘千蔭(たちばなのちかげ。1735〈享保20〉~1808〈文化5〉)についての興味深い展覧会が開かれています。

 特別展「町奉行与力の風流な生活―橘千蔭の場合―」
 会場:昭和女子大学光葉博物館 期間:2011年5月16日(月)~6月18日(土)
 開館時間:10時~17時
 休館日:日曜日
 入館料:無料

『万葉集』を研究する者にとって、橘千蔭の名は、その注釈書『万葉集略解(まんようしゅうりゃくげ)』とともに大変親しいものです。

一方、江戸から明治にかけての書道史においても、千蔭は見逃すことのできない存在です。千蔭は、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)を祖とする滝本流の書を慕い、流麗な千蔭流を打ち立てました。千蔭流は江戸時代後期に大流行します。樋口一葉もこの流れを汲みます。

そして、言うまでもなく、千蔭は歌人でもあります。千蔭のこの多面的な活動を、総合的に示したのが、今回の特別展です。

73点からなる展示と、充実した図録からは、新たに学ぶことが数多くありました。

図録に収められた鈴木淳氏(国文学研究資料館教授)執筆の「橘千蔭のこと」は、江戸の町奉行所の与力が、実は臨時収入が多く、贅沢に走る者もいたことや、田沼意次(たぬまおきつぐ)の用人の娘を前妻とした千蔭が、松平定信による、町奉行刷新のターゲットとされ、罰せられたことを記しています。

定信も千蔭もともに、「元暦校本(げんりゃくこうほん)万葉集」や『源氏物語』に深く心を寄せていました。その二人の実生活上の因縁が、私には興味深く思われてなりません。

展示では意外な『万葉集』に出会いました。28肉筆万葉集手本は、雲母(きら)を塗って銀色に光る料紙に、万葉秀歌を女手(おんなで)や草仮名(そうがな)で、流麗に書いた冊子本です。また、30萬葉新採百首は、千蔭の和学の師・賀茂真淵(かものまぶち)の編著『万葉新採百首』の万葉集歌の読み下し文を、草仮名も交えながら、柔らかな女手で書いたものを、版行した書物です。万葉集歌と、曲線を得意として、洒落っ気のある千蔭の書との不思議な出合いが、これらの書物では行われています。

この特別展は、江戸時代における、和学・書・和歌、そして画(千蔭の画も展示されていました)を、横断的に捉えることの面白さを味わえる、またとない機会です。


【出品リスト】(*「萬」「万」の表記は図録に拠る)
1 加藤(橘)千蔭像  長谷川貞忠・渡辺広輝画 橘千蔭自賛 1幅(パネル写真)
2 自画像  橘千蔭画并賛 1幅(パネル写真)
3 三社託宣  橘枝直筆 1幅
4 江戸切絵図「八町堀細見絵図」(部分)(パネル写真)
5 江戸町鑑(パネル写真)
6 旧記拾要集 第五上  旧幕府引継書の内(パネル写真)
7 加藤(橘)千蔭和歌十首(自筆)  橘千蔭筆 1幅
8 贈答歌「花といふ花」あき子・藤子・千蔭詠  各自筆 1幅
9 うけらが花  享和2年・江戸大和田安兵衛板 刊4冊
10 半切「貴賤迎春」 1幅
11 萬葉集略解  橘千蔭著 名古屋永楽屋東四郎板 刊30冊
12 萬葉集略解目録  安政3年・名古屋永楽屋東四郎板 刊2冊
13 萬葉集略解  第四(辻本修学堂版)・五編(図書出版) 2冊
14 橋姫巻の詞并柴舟図  橘千蔭書画 紙本1幅
15 寿文字の詞  橘千蔭筆 1幅
16 室我宛橘千蔭書翰  1巻(5通)
17 めでた物語  手柄岡持著 刊1冊
18 大嘗会便蒙  荷田在満著 元文4年・江戸小川彦九郎板 刊2冊
19 東歌  橘枝直詠 享和2年・芳宜園蔵板(江戸大和田安兵衛製本) 刊3冊
20 入木道源底集  持明院基定伝 写1冊
21 安幾破起帖  小野道風原書 刊1帖
22 井関隆子日記  写12冊
23 和漢朗詠集断簡  橘千蔭筆 1幅
24 和漢朗詠集  文化12年・江戸内野弥平治板 刊4冊
25 黒川盛隆宛橘千蔭書翰他  1巻(書翰7通、詠草2)
26 雖二大徳宛橘千蔭書翰  1幅
27 芳野道の記  松花堂昭乗著 橘千蔭模写 寛政5年・江戸万笈堂(英平吉)板 刊1冊
28 肉筆万葉集手本  橘千蔭筆 写1帖
29 止可談風月  橘千蔭書 紙本1幅
30 萬葉新採百首  橘千蔭書 享和3年・江戸温故堂板(江戸須原屋善五郎、村田屋正蔵) 刊1冊
31 ゆきかひふり  橘千蔭書 寛政4年・江戸蔦屋重三郎板 刊1冊(上冊欠)
32 須磨帖  橘千蔭書 文化8年・東京墨池堂 刊1帖
33 山居帖  橘千蔭書 文政13年・江戸須原屋佐助板 刊1冊
34 大歌所御歌  橘千蔭書 文化14年・江戸前川六左衛門板(求板) 刊1冊
35 和漢朗詠集  橘千蔭書 刊
36 新三十六首  橘千蔭書 刊1冊
37 古今和歌集序  橘千蔭書 江戸英平吉板 刊1冊
38 千歳筐  賀茂真淵書 寛政8年・江戸逍遙堂 刊1帖
39 禹碑銘  橘千蔭模写 1冊
40 万葉集二首  橘千蔭書 写1幅
41 千蔭法帖  文化2年奥書版 刊1帖
42 月なみ消息  橘千蔭書 文化5年・江戸永楽屋西四郎他板 刊1冊
43 楷草二体千字文  橘千蔭書 刊1帖
44 名利帖  橘千蔭書 江戸家満茂登板 刊1冊
45 浅紅帖  橘千蔭書 刊1帖
46 玉梓帖  橘千蔭書 江戸須原屋佐助板 刊1冊
47 弁梅帖  橘千蔭書 文化9年・大阪加賀屋善蔵板 刊1冊
48 うらやす帖  橘千蔭書 嘉永5年・原義(制作) 刊1冊
49 千蔭詩歌  橘千蔭筆 写2帖
50 新百人一首  橘千蔭筆 享和3年・江戸岡野(近江屋)与兵衛板 刊1冊
51 新百人一首  橘千蔭書 享和3年・江戸岡野(近江屋)与兵衛板 刊1冊
52 新百人一首  橘千蔭書 明治26年・東京更生書館 刊1冊
53 橘千蔭翁楫滴帖  文化14年・翰香館版 刊1帖
54 源氏物語(花宴)  橘千蔭筆 写1帖
55 『虫十番歌合絵巻』  田中訥言画 彩色絵入り 写1巻
56 吉原通図巻  鳥文斎栄之画 紙本着色 1巻
57 杜若に水鶏図并和歌讃  伝松村景文画 橘千蔭・平春海賛 絹本着色 1幅
58 版刻賀茂真淵像  橘千蔭画 刊1幅
59 門松船図  橘千蔭画 橘枝直賛 紙本淡彩 1幅
60 『吉原傾城新美人合自筆鏡』  北尾政演画 色摺 蔦谷重三郎 刊1帖
61 文晁秋月図千蔭和歌  谷文晁画 橘千蔭賛 紙本墨画 1幅
62 『抱一画譜』  酒井抱一画 写1冊
63 山の井茅屋図并和歌  橘千蔭画并詠 絹本墨画 1幅
64 抱一富士図千蔭和歌  酒井抱一画 橘千蔭賛 紙本墨画 1幅
65 花美人図  山口素絢画 橘千蔭賛 絹本着色 1幅
66 抱一藤図千蔭和歌  酒井抱一画 橘千蔭賛 絹本着色 1幅
67 船岡の歌と雪松図  橘千蔭詠并画 紙本墨画 1幅
68 扇面元日和歌并画  橘千蔭詠 絵師未詳 1幅
69 人麻呂像并和歌  橘千蔭書画 絹本着色 1幅
70 人麻呂像并和歌  橘千蔭書画 絹本着色 1幅
71 水月図并和歌  橘千蔭書画 紙本墨画 1幅
72 秋山瀑布図  橘千蔭画 紙本着色 1幅
73 団扇を持つ美人図  橘千蔭画并賛 紙本着色 1幅

��所蔵者は、昭和女子大学、センチュリー文化財団など。


【付記】
東日本大震災後の困難な時期に、このような画期的な特別展を開催された、増田勝彦館長を始めとする昭和女子大学光葉博物館の皆様に、深い敬意を覚えています。また、この特別展の開催を私にお知らせくださった岸田依子先生(昭和女子大学教授)に厚く御礼申し上げます。


2011年5月28日土曜日

「祈りの書―写経と経筒」展

「祈りの書」展

静謐で温かな祈りの空間

2011年5月21日(土)の小松茂美先生の命日に、先生ゆかりのセンチュリーミュージアムで開催されている、企画展「祈りの書―写経と経筒」を観覧しました。

 会場:センチュリーミュージアム    〒162-0041 東京都早稲田鶴巻町110-22
 期間:2011年4月11日(月)~7月30日(土)
 列品解説:5月14日(土)、6月25日(土) 14時~15時
 開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
 休館日:毎週日曜日
 入館料:一般500円、高校・大学生300円、中学生以下無料

昨年10月に早稲田で再オープンしたセンチュリーミュージアムを訪ねるのは、初めてでした。早稲田大学早稲田キャンパス近くの、オフィスビルのような建物がミュージアムでした。1階で受付をして、4階・5階の展示室に向かうと、そこには清浄で静謐な空間が広がっていました。

��階には、日本の写経を代表する優品が展示されています。27点の写経(滑石経8点などを含む)を観覧してゆくと、自ずと日本写経史がたどれるようになっています。

写経の文字の姿、紙質や染め方、装丁などを、存分に比較することもできます。私も、並んで展示されている、奈良時代の写経の、[]大般若経巻第219(長屋王願経)と[]菩薩念仏三昧経巻4(光明皇后発願五月一日経)と[]大般若経巻第221(薬師寺経)を、繰り返し見比べました。長屋王願経の文字の姿の力強さ、光明皇后発願五月一日経の細い線のしなやかな美しさ、薬師寺経の太く書かれた文字の神秘性が、近くで比較することによって一層鮮やかに浮かび上がってきました。

特に菩薩念仏三昧経巻第4の文字の美しさは、数多く現存する光明皇后発願五月一日経の中でも際立ったものであると思います。

また写経の常識を超えた、藤原定信筆「一字宝塔法華経断簡(戸隠切)」には深い感動を覚えました。一文字一文字を楷書で丁寧に書いてゆくのが写経の基本です。この「一字宝塔法華経断簡」も、一文字一文字、単体で書いていますが、文字の軸が右に傾いた個性的な字形の文字と文字の間には、連続する、〈力の流れ〉が見えるのです。

小松茂美先生は、「石山切(いしやまぎれ)」を始めとする定信の書の特徴を、奔放な情熱をテンポの速い筆にまかせてほとばしらせたものと捉えています。そして、それを、姿の端麗を求めた平安時代の書の常識を打ち破り、次代の書を予告するものと位置づけています。この「一字宝塔法華経断簡」を見ると、それが如実に実感されます。
 *小松茂美「藤原定信とその時代」『日本書道説林』講談社、1973

��階には、その他、平安貴族たちが祈りを込めて埋納した経筒、5階には中国・朝鮮半島(新羅)・日本の平安時代の仏像などが展示されています。御仏たちの優しい表情が、拝す者の心を静かで穏やかなものにしてくれます。

私には、「祈りの書―写経と経筒」展が、長らくセンチュリーミュージアムの館長を務められた小松茂美先生の美意識と、現館長神崎充晴先生を始めとするセンチュリーミュージアムの方々の小松先生を憶う心が作り上げた、静謐で温かな祈りの空間であるように思えてなりません。


【展示品一覧】
〔4階〕
�� 賢愚経断簡(大聖武) 伝聖武天皇筆 奈良時代・8世紀 1幅
�� 紺紙銀字華厳経断簡(二月堂焼経) 奈良時代・8世紀 1幅
�� 大般若経巻第219(長屋王願経) 奈良時代・8世紀 1帖
�� 菩薩念仏三昧経巻第4(光明皇后発願一切経・五月一日経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 大般若経巻第221(薬師寺経・魚養経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 紺紙金字顕無辺仏土功徳経(良弁発願経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 順正理論巻第27(称徳天皇勅願一切経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 銅製経筒 寛治7年銘 平安時代・11世紀 1口
�� 銅製経筒 天仁2年銘 平安時代・12世紀 1口
10 銅製経筒 天永2年銘 平安時代・12世紀 1口
11 銅製経筒 久安6年銘 平安時代・12世紀 1口
12 銅製経筒 平安時代・12世紀 2口
13 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
14 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
15 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
16 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
17 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
18 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
19 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
20 紺紙金字一字宝塔法華経断簡(心西願経) 平安時代・12世紀 1幅
21 装飾法華経巻第6断簡 平安時代・12世紀 1幅
22 一字宝塔法華経断簡(戸隠切) 藤原定信筆 平安時代・12世紀 1幅
23 紺紙金字一字蓮台法華経序品 平安時代・11世紀 1巻
24 紺紙金字成唯識論巻第6 平安時代・12世紀 1巻
25 紺紙金銀交書広明集(中尊寺経) 平安時代・12世紀 1巻
26 道行般若経巻第9(足利尊氏願経) 南北朝時代・14世紀 1帖
27 滑石経 平安時代・12世紀 8枚
28 紺紙金字日蔵経巻第8(神護寺経) 平安時代・12世紀 1巻
29 紺紙金字千手千眼観世音菩薩大身呪本(神護寺経) 平安時代・12世紀 1巻
30 神護寺経一切経帙 平安時代・12世紀 1枚
31 古筆手鑑「武蔵野」 奈良~鎌倉時代・8~14世紀 1帖
32 古写経手鑑 中村雅真調製 奈良~鎌倉時代・8~14世紀 1帖
33 紺紙金字法華経巻第2 南北朝時代・14世紀 1巻
34 鉄製如来頭部 新羅時代・9世紀 1躯
〔5階〕
35 木造増長天像 平安時代・12世紀 1躯
36 木造増長天像 平安時代・12世紀 1躯
37 木造毘沙門天像 室町時代・14世紀 1躯
38 木造大日如来像 鎌倉時代・13世紀 1躯
39 鉄製如来頭部 新羅時代・9世紀 1躯
40 木造地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 1躯
41 木造阿弥陀如来立像 平安時代・12世紀 1躯
42 木造観音菩薩立像 平安時代・12世紀 1躯
43 石造色彩菩薩頭部 唐時代・7世紀 1躯
44 石造観音菩薩半迦像 唐時代・8世紀 1躯
45 木造菩薩立像 唐時代・9世紀 1躯
46 木造漆箔観音菩薩立像 平安時代・11世紀 1躯
47 木造毘沙門天像 平安時代・12世紀 1躯
48 木造菩薩立像 平安時代・12世紀 1躯
49 金剛独鈷杵 鎌倉時代・13世紀 1柄
50 金剛五鈷杵 鎌倉時代・13世紀 1柄
51 金剛羯磨 鎌倉時代・13世紀 1柄
52 銅製火舎香炉・六器 鎌倉時代・13世紀 1組
53 銅製孔雀文磬 鎌倉時代・13世紀 1面
54 金銅孔雀文磬 鎌倉時代・13世紀 1面
55 金銅五鈷鈴 鎌倉時代・13世紀 1柄
56 金銅地蔵菩薩懸仏 平安時代・12世紀 1躯
57 金銅如意輪観音懸仏 鎌倉時代・13世紀 1躯
58 金銅十一面観音懸仏 鎌倉時代・13世紀 1躯


2011年5月26日木曜日

青山学院大学日本文学科新カリキュラム実施の延期

先の記事「再来年4月から青山学院大学文学部日本文学科が変わります」で、2012年度から、青山学院大学文学部のキャンパスが青山キャンパスに統合され、日本文学科のカリキュラムも変わることを、お知らせしました。

ところが、2011年3月11日に東日本大震災の影響によって、文学部のキャンパス統合は、1年延期となりました。これを受けて、日本文学科の新カリキュラムの実施も、2013年4月からの実施となりました。

新カリキュラムは、青山キャンパスで4年間学ぶことを前提に、構想されています。相模原キャンパスと青山キャンパスとに分かれた状況で実施することは、極めて難しいと判断しました。

本当に残念です。そして、申し訳ございません。延期された時間を使って、新カリキュラムをゆるぎないものとして開始できるよう、鋭意準備を進めてゆきます。

なお、今年度、新カリキュラムの、文学分野における国際的な交流を学ぶ科目の先駆けとして、私の「日本文学演習」の授業を、「万葉集研究―ことばの美とその英訳」というテーマで開講しています。アメリカの日本文学研究者エドウィン・A・クランストンによる万葉集歌の英訳をテキストに、英訳を通じて浮かび上がってくる、『万葉集』のことばの美を考察しています。
*Cranston, A. Edwin. A Waka Anthology. Volume One: The Gem-Glistening Cup. Stanford: Stanford University Press, 1993.

ことばにならない複雑な感情を含んだ「やまと歌」を英訳することの難しさを感じたり、英訳によって、今まで当たり前と思っていた解釈を考え直したりしています。この授業では、最終的には、その学生が担当した歌の英訳を、学生自身が作ることを目標にしています。

まだ始まったばかりで、試行錯誤の繰り返しですが、日本語と英語との違い(その背後にある思想も含めて)、その違いの中で、万葉集歌を伝えようとすることの難しさと意義、翻訳というものの創造性などについて、学生の皆さんと少しずつ考えを深めています。

その成果を、いつかこのブログで紹介したいと思っています。


2011年4月6日水曜日

柚木裕司写真展「千年の古筆 学究の人、小松茂美」(お知らせ)

美を探究し続けた生の姿

2010年5月21日にご逝去された、古筆学者・小松茂美先生の写真展が開催されます。写真家の柚木裕司氏は、3年にわたって、小松先生のポートレート(肖像写真)を撮影されてきました。

  柚木裕司写真展「千年の古筆 学究の人、小松茂美」
  会期:2011年4月21日(木)~27日(水)
  時間:10:00~18:00【最終日14:00】
  会場:ポートレートギャラリー   〒160-0004 東京都新宿区四谷1-7 日本写真会館5階
   (JR「四ツ谷」駅四ツ谷口から徒歩3分、地下鉄丸ノ内線1番出口徒歩5分)

1945年8月6日、小松茂美先生は、広島に投下された原子爆弾(ウラン核爆弾)の爆心地から1.7キロメートルのところで被爆しました。かろうじて命をとりとめた先生は、国鉄職員として、負傷者の救出に奔走しました。しかし、翌日から高熱に襲われ(放射線の被曝によります)、入院。医師に死を宣告されました。

約1か月後、先生は病院を抜け出して自宅に戻りました。そして、先生の身体は奇跡的に回復してゆきました。その病床で、先生は、平清盛ら平家一門が奉納した、美しい経巻「平家納経」の存在を、新聞で知りました。

・・・非常に興味を覚え、“早く元気になって、是非、自分も平家納経を見てみたいものだ”と思ったのである。いまだかつて聞いたこともない「平家納経」という言葉が、奇妙な魅力をもって、私の気持ちを浮きうきとさせたのを、忘れることができない。 (『平家納経の世界』)

死の不安の中で知った〈美〉への強烈な憧れは、「古筆学」という新しい学問を生み出すことになりました。そして、「平家納経」を始めとする王朝文化の〈美〉を、持てる力の全てを尽くして探究し続けた小松先生の生きざまそのものも、まさに〈美〉と言えます。

晩年の小松先生の力強さと温かさを鮮やかに捉えた柚木氏のポートレートは、私たちに生きる力を与えてくれるに相違ありません。


2011年3月24日木曜日

白河(福島県)を思う

白河小峰城
(写真=白河小峰城)

松平定信公と『万葉集』

2011年2月末に、私は初めて福島県白河市を訪ねました。白河関跡を見、また白河藩主であった松平定信公(1758〈宝暦8〉~1829〈文政12〉)の面影を偲びたいと思っての旅でした。

寛政の改革を推進した政治家として名高い定信公は、和歌・書画・造園などに造詣が深く、さらにはオランダの書物の収集に努め、西洋の銅版画にも詳しい文化人でした。

『万葉集』とも深い関わりがあります。六十代の半ばに、子孫のための戒めを記した『修行録』の中で、『源氏物語』を7部、『二十一代集』を2部、『八代集』を1部、『万葉集』を2部書写したと書かれています。

定信公が書写した『万葉集』の1部が現存しています。平安後期の11世紀後半に書写された元暦校本(げんりゃくこうほん)を書写したものです。全13冊、縦約13㎝、横約10㎝の、細字で記された愛らしい写本であることが、佐佐木信綱『万葉集事典』に紹介されています。

この写本は、塙保己一検校が並々ならぬ努力によって、元暦校本を影写(トレース)した本を親本としています。定信公は元暦校本の価値を十分に知っていたのでしょう。

実は定信公は、塙検校の和学講談所の設立に大きく関わっています。塙検校による、和学の講読所と文庫の創設の願い出を許可した幕府の老中は、他ならぬ定信公でした。そして、塙検校の求めに応じて、定信公はこの講読所を「温故(古)堂」と名づけました。

後にこの講読所と文庫の公的名称は「和学講談所」となり、幕府の準公設機関として、和学の研究、『群書類従』の出版などを大規模に展開して(元暦校本の影写もその一つです)、日本文化の継承と普及の上で重要な役割を果たしました。

定信公と、定信公を囲む多くの人々によって、江戸末期の19世紀初頭の学術と文化は大きな高まりを見せました。藤田覚氏によれば、定信公は武士の「義気」(義に富む心。正義を守る心)を育むものとして、学問と教育を重視しました。これによって起こった教育熱は、武士の間にとどまらず、庶民にも広がってゆきました。

定信公は白河藩の学術と文化の振興にも力を注ぎました。私は、白河の地に、定信公の思いが、今日にも生き生きと伝えられていることを強く感じました。定信公が白河藩で作らせた美しい陶磁器や織物などについて、白河市歴史民俗資料館で学びました。また、白河では、特産の工芸品(白河だるまなど)、菓子、料理などが、定信公によって始められたものとして、誇りをもって紹介されていました。

私が訪れた時には、ちょうど白河市本町町内会主催の「城下町白河 おひな様めぐり」が開催されていました。111箇所に、それぞれに違ったおひな様が飾られ、街全体が静かな華やぎに包まれていました。そして、何よりも深く感銘したのは、旅人が少しでもとまどっていると、進んで声をかけてくれる白河の人々の温かな歓待の心でした。

東北・関東地方を襲った巨大地震で、白河市も被害をこうむったことが伝えられています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、皆様にお見舞い申し上げます。白河市の復興を心の底から願ってやみません。
[参考文献]
��.藤田覚『松平定信 政治改革に挑んだ老中』中公新書、中央公論新社、1993年、2003年(再版)
��.磯崎康彦『松平定信の生涯と芸術』ゆまに書房、2010年
��*文化人としての定信公に新たな光を当てた書物です)

��.白河市歴史民俗資料館編『図録 定信と庭園―南湖と大名庭園―』財団法人白河市都市整備会社、2001年、2006年(第2刷)
��*定信公の文化事業を知るための貴重な書物です。この書物に収められた論文、加藤純子「白河ゆかりの定信遺品紹介」からは、定信公の白河藩での産業と文化の振興を具体的に知ることができます)

��.太田善麿『塙保己一』人物叢書、吉川弘文館、1966年、1994年(新装版第2刷)
��.齋藤政雄「温故堂と和学講談所」温故学会編『塙保己一研究』ぺりかん社、1981年
��.佐佐木信綱『萬葉集事典』平凡社、1956年
��.小川靖彦「最古の冊子本萬葉集・元暦校本―その美・歴史的意義と塙保己一検校―」『温故叢誌』(温故学会発行)第64号、2010年11月


2011年3月22日火曜日

佐佐木信綱の震災の短歌

「悲しき太陽」

東北・関東地方を襲った巨大地震の被害の大きさに、ことばを失っています。
被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

私は都内の図書館で『万葉集』に関わる写本を閲覧している時に地震に遇い、その後長距離を歩いて帰宅しました。

日はたちまち暮れ、寒さと疲労に見舞われ、膨れあがる不安の中で思い起こしていたのが、国文学者で歌人の佐佐木信綱(ささきのぶつな)が1923年(大正12)9月の関東大震災の時に作った短歌でした。

この関東大震災によって、信綱は足掛け12年をかけてようやく完成目前にまで漕ぎ着けていた『校本万葉集』を火災によって失いました。印刷所で、表紙に金版(かなばん)を押すだけになっていた本体500部はもちろん、校合を行った調査結果や印刷用原稿、さらには『校本万葉集』の基礎資料となった貴重な写本・刊本の多くも焼失しました。信綱自身も茫然自失し、軽い脳貧血をおこして倒れました。

  空をひたす 炎の波の ただ中に 血の色なせり 悲しき太陽

  恐ろしみ あかしし朝の 目にしみて 芙蓉の花の 赤きもかなし

  蝋燭の 息づくもとに 親子ゐて 疲れ極まり いふ言もなし

  いかに堪へ いかさまにふるひ たつべきと 試の日は 我らにぞこし

  ちりと灰と うづまきあがる 中にして 雄々し都の 生るる声す(帝都復興)

 *『豊旗雲』(実業之日本社、1929年刊)所収より。
 *『天地人』(改造社、1936年)の本文に依る(一部の歌の抄出)。

2年後の1925年(大正14)、信綱は多くの人々の力に支えられながら、献身的な努力によって『校本万葉集』(全25冊)の再興を成し遂げます。人の持つ力を信じたく思います。


2011年2月22日火曜日

1年後の2012年4月から青山学院大学日本文学科が変わります

青山学院の紅梅
青山学院の紅梅(2011年2月)

(【追記・お知らせ】青山学院大学文学部の青山キャンパスへの統合と、日本文学科の新カリキュラムの実施は、東日本大震災の影響により、2013年4月に延期されました。「青山学院大学日本文学科新カリキュラムの実施の延期」をご参照ください)

2012年4月に、青山学院大学文学部のキャンパスは、青山キャンパスに統合されます。

現在、青山学院大学文学部では、1・2年次は相模原キャンパスで、3・4年次は青山キャンパスで学ぶ体制となっていますが、2012年4月からは、1年次から4年次まで全て青山キャンパスで学ぶことになります。

これに伴って、2012年4月から、日本文学科のカリキュラムも新しく生まれ変わります。日本語に関する授業が充実したものとなります。また、文学分野における国際的な交流を学ぶ科目や、現代の表象文化を探究する科目が開設されます。

文学分野における国際的な交流を学ぶ新しい科目では、日本文学を世界の文学の中で学び、日本文学研究を通じて世界の文学研究に貢献することをめざします。また、日本文学を海外に伝える力を身につけます。

具体的には、日本文学研究のための英語、日本文学とアメリカ・ヨーロッパ、アジアとの関係、日本文学の翻訳などを学ぶ授業の開設が予定されています。

日本文学を海外からの目で見つめ直すとともに、海外に向けて日本文学を発信してゆきたいという、意欲あふれる皆さんをお待ちしています。

関連記事:「これからの日本文学研究


2011年2月6日日曜日

『万葉集 隠された歴史のメッセージ』の書評

昨年刊行しました私の『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年7月刊)について、奥村和美氏(奈良女子大学准教授、日本古代文学)の書評が『青山学報』第234号(2010年12月刊)に掲載されました。

奥村氏の書評は、この本の特徴を、最新の研究状況の中で捉えてくださっています。さらにこの本を踏まえて、”伝承されてきた歌を漢字の文字列に当てはめることも、訓読と注解の萌芽と位置づけられる”という、新たな問題提起をされています。
『青山学報』第234号
*目次の私の本のタイトルをクリックすると、PDFファイルが開きます。

刊行後、多くの方々から、励ましのことばを賜りました。面識のない方にも、ブログにも取り上げていただきました。心より御礼申し上げます。

今後も、『万葉集』という貴重な文化遺産のすばらしさを伝えてゆきたいと思っています。


*しばらく、このブログ「万葉集と古代の巻物」は休止状態となっています。昨年一年の間に、小松茂美先生のご逝去などがあり、なかなか記事を書けませんでした。徐々に記事を書いてゆきたく思っています。