「悲しき太陽」
東北・関東地方を襲った巨大地震の被害の大きさに、ことばを失っています。
被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
私は都内の図書館で『万葉集』に関わる写本を閲覧している時に地震に遇い、その後長距離を歩いて帰宅しました。
日はたちまち暮れ、寒さと疲労に見舞われ、膨れあがる不安の中で思い起こしていたのが、国文学者で歌人の佐佐木信綱(ささきのぶつな)が1923年(大正12)9月の関東大震災の時に作った短歌でした。
この関東大震災によって、信綱は足掛け12年をかけてようやく完成目前にまで漕ぎ着けていた『校本万葉集』を火災によって失いました。印刷所で、表紙に金版(かなばん)を押すだけになっていた本体500部はもちろん、校合を行った調査結果や印刷用原稿、さらには『校本万葉集』の基礎資料となった貴重な写本・刊本の多くも焼失しました。信綱自身も茫然自失し、軽い脳貧血をおこして倒れました。
空をひたす 炎の波の ただ中に 血の色なせり 悲しき太陽
恐ろしみ あかしし朝の 目にしみて 芙蓉の花の 赤きもかなし
蝋燭の 息づくもとに 親子ゐて 疲れ極まり いふ言もなし
いかに堪へ いかさまにふるひ たつべきと 試の日は 我らにぞこし
ちりと灰と うづまきあがる 中にして 雄々し都の 生るる声す(帝都復興)
*『豊旗雲』(実業之日本社、1929年刊)所収より。
*『天地人』(改造社、1936年)の本文に依る(一部の歌の抄出)。
2年後の1925年(大正14)、信綱は多くの人々の力に支えられながら、献身的な努力によって『校本万葉集』(全25冊)の再興を成し遂げます。人の持つ力を信じたく思います。