静謐で温かな祈りの空間2011年5月21日(土)の小松茂美先生の命日に、先生ゆかりのセンチュリーミュージアムで開催されている、企画展「祈りの書―写経と経筒」を観覧しました。
会場:センチュリーミュージアム 〒162-0041 東京都早稲田鶴巻町110-22
期間:2011年4月11日(月)~7月30日(土)
列品解説:5月14日(土)、6月25日(土) 14時~15時
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:毎週日曜日
入館料:一般500円、高校・大学生300円、中学生以下無料
昨年10月に早稲田で再オープンしたセンチュリーミュージアムを訪ねるのは、初めてでした。早稲田大学早稲田キャンパス近くの、オフィスビルのような建物がミュージアムでした。1階で受付をして、4階・5階の展示室に向かうと、そこには清浄で静謐な空間が広がっていました。
��階には、日本の写経を代表する優品が展示されています。27点の写経(滑石経8点などを含む)を観覧してゆくと、自ずと日本写経史がたどれるようになっています。
写経の文字の姿、紙質や染め方、装丁などを、存分に比較することもできます。私も、並んで展示されている、奈良時代の写経の、[3]大般若経巻第219(長屋王願経)と[4]菩薩念仏三昧経巻4(光明皇后発願五月一日経)と[5]大般若経巻第221(薬師寺経)を、繰り返し見比べました。長屋王願経の文字の姿の力強さ、光明皇后発願五月一日経の細い線のしなやかな美しさ、薬師寺経の太く書かれた文字の神秘性が、近くで比較することによって一層鮮やかに浮かび上がってきました。
特に菩薩念仏三昧経巻第4の文字の美しさは、数多く現存する光明皇后発願五月一日経の中でも際立ったものであると思います。
また写経の常識を超えた、藤原定信筆「一字宝塔法華経断簡(戸隠切)」には深い感動を覚えました。一文字一文字を楷書で丁寧に書いてゆくのが写経の基本です。この「一字宝塔法華経断簡」も、一文字一文字、単体で書いていますが、文字の軸が右に傾いた個性的な字形の文字と文字の間には、連続する、〈力の流れ〉が見えるのです。
小松茂美先生は、「石山切(いしやまぎれ)」を始めとする定信の書の特徴を、奔放な情熱をテンポの速い筆にまかせてほとばしらせたものと捉えています。そして、それを、姿の端麗を求めた平安時代の書の常識を打ち破り、次代の書を予告するものと位置づけています。この「一字宝塔法華経断簡」を見ると、それが如実に実感されます。
*小松茂美「藤原定信とその時代」『日本書道説林』講談社、1973
��階には、その他、平安貴族たちが祈りを込めて埋納した経筒、5階には中国・朝鮮半島(新羅)・日本の平安時代の仏像などが展示されています。御仏たちの優しい表情が、拝す者の心を静かで穏やかなものにしてくれます。
私には、「祈りの書―写経と経筒」展が、長らくセンチュリーミュージアムの館長を務められた小松茂美先生の美意識と、現館長神崎充晴先生を始めとするセンチュリーミュージアムの方々の小松先生を憶う心が作り上げた、静謐で温かな祈りの空間であるように思えてなりません。
【展示品一覧】
〔4階〕
�� 賢愚経断簡(大聖武) 伝聖武天皇筆 奈良時代・8世紀 1幅
�� 紺紙銀字華厳経断簡(二月堂焼経) 奈良時代・8世紀 1幅
�� 大般若経巻第219(長屋王願経) 奈良時代・8世紀 1帖
�� 菩薩念仏三昧経巻第4(光明皇后発願一切経・五月一日経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 大般若経巻第221(薬師寺経・魚養経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 紺紙金字顕無辺仏土功徳経(良弁発願経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 順正理論巻第27(称徳天皇勅願一切経) 奈良時代・8世紀 1巻
�� 銅製経筒 寛治7年銘 平安時代・11世紀 1口
�� 銅製経筒 天仁2年銘 平安時代・12世紀 1口
10 銅製経筒 天永2年銘 平安時代・12世紀 1口
11 銅製経筒 久安6年銘 平安時代・12世紀 1口
12 銅製経筒 平安時代・12世紀 2口
13 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
14 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
15 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
16 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
17 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
18 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
19 銅製経筒 平安時代・12世紀 1口
20 紺紙金字一字宝塔法華経断簡(心西願経) 平安時代・12世紀 1幅
21 装飾法華経巻第6断簡 平安時代・12世紀 1幅
22 一字宝塔法華経断簡(戸隠切) 藤原定信筆 平安時代・12世紀 1幅
23 紺紙金字一字蓮台法華経序品 平安時代・11世紀 1巻
24 紺紙金字成唯識論巻第6 平安時代・12世紀 1巻
25 紺紙金銀交書広明集(中尊寺経) 平安時代・12世紀 1巻
26 道行般若経巻第9(足利尊氏願経) 南北朝時代・14世紀 1帖
27 滑石経 平安時代・12世紀 8枚
28 紺紙金字日蔵経巻第8(神護寺経) 平安時代・12世紀 1巻
29 紺紙金字千手千眼観世音菩薩大身呪本(神護寺経) 平安時代・12世紀 1巻
30 神護寺経一切経帙 平安時代・12世紀 1枚
31 古筆手鑑「武蔵野」 奈良~鎌倉時代・8~14世紀 1帖
32 古写経手鑑 中村雅真調製 奈良~鎌倉時代・8~14世紀 1帖
33 紺紙金字法華経巻第2 南北朝時代・14世紀 1巻
34 鉄製如来頭部 新羅時代・9世紀 1躯
〔5階〕
35 木造増長天像 平安時代・12世紀 1躯
36 木造増長天像 平安時代・12世紀 1躯
37 木造毘沙門天像 室町時代・14世紀 1躯
38 木造大日如来像 鎌倉時代・13世紀 1躯
39 鉄製如来頭部 新羅時代・9世紀 1躯
40 木造地蔵菩薩立像 平安時代・12世紀 1躯
41 木造阿弥陀如来立像 平安時代・12世紀 1躯
42 木造観音菩薩立像 平安時代・12世紀 1躯
43 石造色彩菩薩頭部 唐時代・7世紀 1躯
44 石造観音菩薩半迦像 唐時代・8世紀 1躯
45 木造菩薩立像 唐時代・9世紀 1躯
46 木造漆箔観音菩薩立像 平安時代・11世紀 1躯
47 木造毘沙門天像 平安時代・12世紀 1躯
48 木造菩薩立像 平安時代・12世紀 1躯
49 金剛独鈷杵 鎌倉時代・13世紀 1柄
50 金剛五鈷杵 鎌倉時代・13世紀 1柄
51 金剛羯磨 鎌倉時代・13世紀 1柄
52 銅製火舎香炉・六器 鎌倉時代・13世紀 1組
53 銅製孔雀文磬 鎌倉時代・13世紀 1面
54 金銅孔雀文磬 鎌倉時代・13世紀 1面
55 金銅五鈷鈴 鎌倉時代・13世紀 1柄
56 金銅地蔵菩薩懸仏 平安時代・12世紀 1躯
57 金銅如意輪観音懸仏 鎌倉時代・13世紀 1躯
58 金銅十一面観音懸仏 鎌倉時代・13世紀 1躯
先の記事「再来年4月から青山学院大学文学部日本文学科が変わります」で、2012年度から、青山学院大学文学部のキャンパスが青山キャンパスに統合され、日本文学科のカリキュラムも変わることを、お知らせしました。
ところが、2011年3月11日に東日本大震災の影響によって、文学部のキャンパス統合は、1年延期となりました。これを受けて、日本文学科の新カリキュラムの実施も、2013年4月からの実施となりました。
新カリキュラムは、青山キャンパスで4年間学ぶことを前提に、構想されています。相模原キャンパスと青山キャンパスとに分かれた状況で実施することは、極めて難しいと判断しました。
本当に残念です。そして、申し訳ございません。延期された時間を使って、新カリキュラムをゆるぎないものとして開始できるよう、鋭意準備を進めてゆきます。
なお、今年度、新カリキュラムの、文学分野における国際的な交流を学ぶ科目の先駆けとして、私の「日本文学演習」の授業を、「万葉集研究―ことばの美とその英訳」というテーマで開講しています。アメリカの日本文学研究者エドウィン・A・クランストンによる万葉集歌の英訳をテキストに、英訳を通じて浮かび上がってくる、『万葉集』のことばの美を考察しています。
*Cranston, A. Edwin. A Waka Anthology. Volume One: The Gem-Glistening Cup. Stanford: Stanford University Press, 1993.
ことばにならない複雑な感情を含んだ「やまと歌」を英訳することの難しさを感じたり、英訳によって、今まで当たり前と思っていた解釈を考え直したりしています。この授業では、最終的には、その学生が担当した歌の英訳を、学生自身が作ることを目標にしています。
まだ始まったばかりで、試行錯誤の繰り返しですが、日本語と英語との違い(その背後にある思想も含めて)、その違いの中で、万葉集歌を伝えようとすることの難しさと意義、翻訳というものの創造性などについて、学生の皆さんと少しずつ考えを深めています。
その成果を、いつかこのブログで紹介したいと思っています。
美を探究し続けた生の姿2010年5月21日にご逝去された、古筆学者・小松茂美先生の写真展が開催されます。写真家の柚木裕司氏は、3年にわたって、小松先生のポートレート(肖像写真)を撮影されてきました。
柚木裕司写真展「千年の古筆 学究の人、小松茂美」
会期:2011年4月21日(木)~27日(水)
時間:10:00~18:00【最終日14:00】
会場:ポートレートギャラリー 〒160-0004 東京都新宿区四谷1-7 日本写真会館5階
(JR「四ツ谷」駅四ツ谷口から徒歩3分、地下鉄丸ノ内線1番出口徒歩5分)
1945年8月6日、小松茂美先生は、広島に投下された原子爆弾(ウラン核爆弾)の爆心地から1.7キロメートルのところで被爆しました。かろうじて命をとりとめた先生は、国鉄職員として、負傷者の救出に奔走しました。しかし、翌日から高熱に襲われ(放射線の被曝によります)、入院。医師に死を宣告されました。
約1か月後、先生は病院を抜け出して自宅に戻りました。そして、先生の身体は奇跡的に回復してゆきました。その病床で、先生は、平清盛ら平家一門が奉納した、美しい経巻「平家納経」の存在を、新聞で知りました。
・・・非常に興味を覚え、“早く元気になって、是非、自分も平家納経を見てみたいものだ”と思ったのである。いまだかつて聞いたこともない「平家納経」という言葉が、奇妙な魅力をもって、私の気持ちを浮きうきとさせたのを、忘れることができない。 (『平家納経の世界』)
死の不安の中で知った〈美〉への強烈な憧れは、「古筆学」という新しい学問を生み出すことになりました。そして、「平家納経」を始めとする王朝文化の〈美〉を、持てる力の全てを尽くして探究し続けた小松先生の生きざまそのものも、まさに〈美〉と言えます。
晩年の小松先生の力強さと温かさを鮮やかに捉えた柚木氏のポートレートは、私たちに生きる力を与えてくれるに相違ありません。
(写真=白河小峰城)松平定信公と『万葉集』2011年2月末に、私は初めて福島県白河市を訪ねました。白河関跡を見、また白河藩主であった松平定信公(1758〈宝暦8〉~1829〈文政12〉)の面影を偲びたいと思っての旅でした。
寛政の改革を推進した政治家として名高い定信公は、和歌・書画・造園などに造詣が深く、さらにはオランダの書物の収集に努め、西洋の銅版画にも詳しい文化人でした。
『万葉集』とも深い関わりがあります。六十代の半ばに、子孫のための戒めを記した『修行録』の中で、『源氏物語』を7部、『二十一代集』を2部、『八代集』を1部、『万葉集』を2部書写したと書かれています。
定信公が書写した『万葉集』の1部が現存しています。平安後期の11世紀後半に書写された元暦校本(げんりゃくこうほん)を書写したものです。全13冊、縦約13㎝、横約10㎝の、細字で記された愛らしい写本であることが、佐佐木信綱『万葉集事典』に紹介されています。
この写本は、塙保己一検校が並々ならぬ努力によって、元暦校本を影写(トレース)した本を親本としています。定信公は元暦校本の価値を十分に知っていたのでしょう。
実は定信公は、塙検校の和学講談所の設立に大きく関わっています。塙検校による、和学の講読所と文庫の創設の願い出を許可した幕府の老中は、他ならぬ定信公でした。そして、塙検校の求めに応じて、定信公はこの講読所を「温故(古)堂」と名づけました。
後にこの講読所と文庫の公的名称は「和学講談所」となり、幕府の準公設機関として、和学の研究、『群書類従』の出版などを大規模に展開して(元暦校本の影写もその一つです)、日本文化の継承と普及の上で重要な役割を果たしました。
定信公と、定信公を囲む多くの人々によって、江戸末期の19世紀初頭の学術と文化は大きな高まりを見せました。藤田覚氏によれば、定信公は武士の「義気」(義に富む心。正義を守る心)を育むものとして、学問と教育を重視しました。これによって起こった教育熱は、武士の間にとどまらず、庶民にも広がってゆきました。
定信公は白河藩の学術と文化の振興にも力を注ぎました。私は、白河の地に、定信公の思いが、今日にも生き生きと伝えられていることを強く感じました。定信公が白河藩で作らせた美しい陶磁器や織物などについて、白河市歴史民俗資料館で学びました。また、白河では、特産の工芸品(白河だるまなど)、菓子、料理などが、定信公によって始められたものとして、誇りをもって紹介されていました。
私が訪れた時には、ちょうど白河市本町町内会主催の「城下町白河 おひな様めぐり」が開催されていました。111箇所に、それぞれに違ったおひな様が飾られ、街全体が静かな華やぎに包まれていました。そして、何よりも深く感銘したのは、旅人が少しでもとまどっていると、進んで声をかけてくれる白河の人々の温かな歓待の心でした。
東北・関東地方を襲った巨大地震で、白河市も被害をこうむったことが伝えられています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、皆様にお見舞い申し上げます。白河市の復興を心の底から願ってやみません。
[参考文献]
��.藤田覚『松平定信 政治改革に挑んだ老中』中公新書、中央公論新社、1993年、2003年(再版)
��.磯崎康彦『松平定信の生涯と芸術』ゆまに書房、2010年
��*文化人としての定信公に新たな光を当てた書物です)
��.白河市歴史民俗資料館編『図録 定信と庭園―南湖と大名庭園―』財団法人白河市都市整備会社、2001年、2006年(第2刷)
��*定信公の文化事業を知るための貴重な書物です。この書物に収められた論文、加藤純子「白河ゆかりの定信遺品紹介」からは、定信公の白河藩での産業と文化の振興を具体的に知ることができます)
��.太田善麿『塙保己一』人物叢書、吉川弘文館、1966年、1994年(新装版第2刷)
��.齋藤政雄「温故堂と和学講談所」温故学会編『塙保己一研究』ぺりかん社、1981年
��.佐佐木信綱『萬葉集事典』平凡社、1956年
��.小川靖彦「最古の冊子本萬葉集・元暦校本―その美・歴史的意義と塙保己一検校―」『温故叢誌』(温故学会発行)第64号、2010年11月
「悲しき太陽」
東北・関東地方を襲った巨大地震の被害の大きさに、ことばを失っています。
被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
私は都内の図書館で『万葉集』に関わる写本を閲覧している時に地震に遇い、その後長距離を歩いて帰宅しました。
日はたちまち暮れ、寒さと疲労に見舞われ、膨れあがる不安の中で思い起こしていたのが、国文学者で歌人の佐佐木信綱(ささきのぶつな)が1923年(大正12)9月の関東大震災の時に作った短歌でした。
この関東大震災によって、信綱は足掛け12年をかけてようやく完成目前にまで漕ぎ着けていた『校本万葉集』を火災によって失いました。印刷所で、表紙に金版(かなばん)を押すだけになっていた本体500部はもちろん、校合を行った調査結果や印刷用原稿、さらには『校本万葉集』の基礎資料となった貴重な写本・刊本の多くも焼失しました。信綱自身も茫然自失し、軽い脳貧血をおこして倒れました。
空をひたす 炎の波の ただ中に 血の色なせり 悲しき太陽
恐ろしみ あかしし朝の 目にしみて 芙蓉の花の 赤きもかなし
蝋燭の 息づくもとに 親子ゐて 疲れ極まり いふ言もなし
いかに堪へ いかさまにふるひ たつべきと 試の日は 我らにぞこし
ちりと灰と うづまきあがる 中にして 雄々し都の 生るる声す(帝都復興)
*『豊旗雲』(実業之日本社、1929年刊)所収より。
*『天地人』(改造社、1936年)の本文に依る(一部の歌の抄出)。
2年後の1925年(大正14)、信綱は多くの人々の力に支えられながら、献身的な努力によって『校本万葉集』(全25冊)の再興を成し遂げます。人の持つ力を信じたく思います。
青山学院の紅梅(2011年2月)(【追記・お知らせ】青山学院大学文学部の青山キャンパスへの統合と、日本文学科の新カリキュラムの実施は、東日本大震災の影響により、2013年4月に延期されました。「青山学院大学日本文学科新カリキュラムの実施の延期」をご参照ください)2012年4月に、青山学院大学文学部のキャンパスは、青山キャンパスに統合されます。
現在、青山学院大学文学部では、1・2年次は相模原キャンパスで、3・4年次は青山キャンパスで学ぶ体制となっていますが、2012年4月からは、1年次から4年次まで全て青山キャンパスで学ぶことになります。
これに伴って、2012年4月から、日本文学科のカリキュラムも新しく生まれ変わります。日本語に関する授業が充実したものとなります。また、文学分野における国際的な交流を学ぶ科目や、現代の表象文化を探究する科目が開設されます。
文学分野における国際的な交流を学ぶ新しい科目では、日本文学を世界の文学の中で学び、日本文学研究を通じて世界の文学研究に貢献することをめざします。また、日本文学を海外に伝える力を身につけます。
具体的には、日本文学研究のための英語、日本文学とアメリカ・ヨーロッパ、アジアとの関係、日本文学の翻訳などを学ぶ授業の開設が予定されています。
日本文学を海外からの目で見つめ直すとともに、海外に向けて日本文学を発信してゆきたいという、意欲あふれる皆さんをお待ちしています。
関連記事:「これからの日本文学研究」
昨年刊行しました私の『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書、2010年7月刊)について、奥村和美氏(奈良女子大学准教授、日本古代文学)の書評が『青山学報』第234号(2010年12月刊)に掲載されました。
奥村氏の書評は、この本の特徴を、最新の研究状況の中で捉えてくださっています。さらにこの本を踏まえて、”伝承されてきた歌を漢字の文字列に当てはめることも、訓読と注解の萌芽と位置づけられる”という、新たな問題提起をされています。
『青山学報』第234号
*目次の私の本のタイトルをクリックすると、PDFファイルが開きます。
刊行後、多くの方々から、励ましのことばを賜りました。面識のない方にも、ブログにも取り上げていただきました。心より御礼申し上げます。
今後も、『万葉集』という貴重な文化遺産のすばらしさを伝えてゆきたいと思っています。*しばらく、このブログ「万葉集と古代の巻物」は休止状態となっています。昨年一年の間に、小松茂美先生のご逝去などがあり、なかなか記事を書けませんでした。徐々に記事を書いてゆきたく思っています。