2014年4月23日水曜日

小川靖彦『万葉集と日本人』

万葉集と日本人

万葉集が読まれてきた歴史
��小川靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』角川選書、KADOKAWA、四六判256頁、2014年4月刊、1600円〈本体〉)

この4月、角川選書の1冊として、私の『万葉集と日本人 読み継がれる千百年の歴史』が刊行されます(4月25日発売)。

平安時代から現代まで、『万葉集』が読まれてきた歴史を辿りました。その時代その時代に『万葉集』がどのように読まれていたかを見つめました。

私の『万葉学史の研究』をベースにしていますが、さらにその後の研究成果も加えて、通史として、日本人が『万葉集』を読んできた歴史を展望しました。

過去の人々が『万葉集』に寄せてきた思いを受けとめ、未来の『万葉集』を考える一つの手ががりとしていただければ幸いです。

【目 次】
はじめに

第一章 『万葉集』と「読む」ということ

第二章 『万葉集』を読んでいた紀貫之―平安時代前期における『万葉集』
一 平安時代初期の『万葉集』
二 菅原道真の『新撰万葉集』
三 『古今和歌集』の万葉像
四 紀貫之と『万葉集』―〈古代〉世界への参入

第三章 紫式部と複数の『万葉集』―平安時代中期における『万葉集』
一 平安時代中期の『万葉集』
二 佳麗な『万葉集』抄出本
三 〈訓み〉による「万葉歌」
四 「訓読」の始まり
五 『万葉集』への関心の高まり
六 藤原道長・頼通による書写
七 紫式部が読んでいた『万葉集』

第四章 藤原定家の〈古代〉―平安時代後期における『万葉集』
一 平安時代後期の『万葉集』
二 後三条天皇・白河天皇の親政と『万葉集』
三 写本の並立と吸収
四 『堀河百首』と『万葉集』
五 冊子本の『万葉集』の登場
六 歌学の時代へ
七 動乱の時代の中の『万葉集』
八 藤原俊成の新たな万葉像
九 「うたの源なり」
十 藤原定家と『万葉集』―〈古代〉への憧憬

第五章 「道理」によって『万葉集』を解読した仙覚――中世における『万葉集』
一 鎌倉武士の『万葉集』
二 源実朝の『万葉集』
三 学僧仙覚による新しい『万葉集』
四 仙覚の「道理」

第六章 賀茂真淵の〈批評〉――江戸時代における『万葉集』
一 印刷本の『万葉集』
二 鑑賞・批評の萌芽――〈批評〉前史
三 方法としての〈批評〉
四 賀茂真淵による〈批評〉の理論化
五 賀茂真淵の「万葉調」

第七章 佐佐木信綱による「校本」と「評釈」――近代における『万葉集』
一 近代日本の『万葉集』
二 江戸から明治へ
三 東京大学における『万葉集』研究
四 「国文学」への関心の高まり
五 和歌革新運動と『万葉集』
六 佐佐木信綱の和歌革新と「評釈」
七 『校本万葉集』

第八章 『万葉集』の未来

参考文献
おわりに


2013年11月2日土曜日

佐佐木信綱没後50年

短歌往来2013年11月号

信綱の業績を新しい目で捉える
��「短歌往来」25巻第11号、ながらみ書房、A5判、144頁、2013年10月15日刊、750円〈税込〉)

月刊短歌雑誌「短歌往来」の2013年11月号において、「佐佐木信綱(没後50年)」の特集が組まれました。

佐佐木信綱は1872年(明治5)に生まれ、1963年(昭和38)に亡くなりました。2013年で没後50年、また生誕141年になります。

先の記事「「佐佐木信綱研究」創刊」で、佐佐木幸綱氏が、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、佐佐木信綱研究会を立ち上げたことを紹介しました。

今回の「短歌往来」の特集も、まさに同じ問題意識に立つものです。信綱の歌人としての業績を中心に、国文学者としての研究業績も含めて、新しい目で信綱の功績を捉え直そうという、意欲に満ちた特集となっています。

「短歌往来」の2013年11月号の冒頭には、この特集と関わって、佐佐木幸綱氏の21首の短歌からなる作品「凌寒荘」が掲載されています。幸綱氏の作品は、人生の節目における信綱の姿を象っています。その作品は、ある時は信綱を外から見つめ、ある時は信綱の心となってのものとなっています。信綱と幸綱氏との交感が生き生きと感じられます。

特集では、まず5編の評論が信綱の業績を論じています。信綱の多面的活動や人的ネットワークが鮮やかに描かれ、また従来の信綱の短歌への評価に対する批判が鋭く提出されています。

私も「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」という一文を寄せました。今回は、歌人としての信綱に注目して、その萬葉学について考えたいと思い、「佐佐木博士」や「佐佐木」ではなく、「信綱」という呼称を使いました。信綱の萬葉学の基礎に、強烈な「和歌」の普及の意識があったことを改めて確認しました。信綱に戦前・戦後を通じて変わることなく研究を続けさせたものを垣間見たように思いました。

評論に続く「信綱の素顔」は、信綱の生きざまについての貴重な証言です。また6氏による「佐佐木信綱の五首」には、現代的視点に立って、新たに信綱秀歌が選ばれています。再録された「佐佐木信綱自選百首」と対照して読むとさらに興味が深まります。

特集を通じて、信綱の充実期の作品が、「全体の調和の中で過剰な自我の主張はせず、それでいながら確かな強度をもった『われ』」を確立した上で、古典和歌に帰ってきたものであると捉えた森本平氏の見解と、「境遇や、生きていた時代や、性別が作者と相違する人物、さらには、人間ならぬ生き物を〈われ〉に設定している」信綱の発想の自由さが古典和歌に由来するという安田純生氏の指摘が、私の心に特に強く残りました。

私の論文「願はくはわれ春風に身をなして」や、「佐佐木信綱研究」創刊0號に寄稿した「ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉」で、信綱の万葉学を通じて考えてきたことと、問題意識を共有するものと思います。信綱の〈われ〉は、現代短歌にとっても、万葉集研究にとっても大きな問題を投げかけています。

特集には、佐佐木信綱研究会の会員の方たちも多く執筆されています。この特集号を機に、新たな信綱像への関心が高まることを期待しています。

【特集の目次】
��特集評論=
 佐佐木信綱 そのとき三十一歳にして(藤島秀憲)
 佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作(小川靖彦)
 佐佐木信綱と近世和歌研究(盛田帝子)
 『常盤木』という契機(渡英子)
 信綱と現代(森本平)
信綱の素顔
 ミイラの歌というか(大野道夫)
 熱海の信綱(松井千也子)
佐佐木信綱の五首(山本陽子/安田純生/中西由起子/今野寿美/塩野崎宏/前川佐重郎)
佐佐木信綱自選百首(「短歌研究」昭和38年3月号より)
佐佐木信綱著作概略(高山邦男編)


【お詫び】
私の「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」に誤りがありました。
 ・40頁上段12行 (誤)「新編日本古典文学大系」 (正)「新編日本古典文学全集」
また、41頁下段17行の「浅香社」の表記は、「あさ香社」の方が適切でした。
【補記】
小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」(『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月)がウェブに公開されました。
http://www.agulin.aoyama.ac.jp/metadb/up/upload/00013027.pdf

2013年6月30日日曜日

「佐佐木信綱研究」創刊0號

佐佐木信綱研究0號1

新たな信綱研究の始まり
��「佐佐木信綱研究」創刊0號、編集兼発行人・佐佐木頼綱、発行所・佐佐木信綱研究会、A5判108頁、2013年6月3日刊、1,000円〈税込〉)

2013年6月に、佐佐木頼綱氏を編集兼発行人とする「佐佐木信綱研究」創刊0號(問題提起号)が、佐佐木信綱研究会から刊行されました。

佐佐木信綱研究会は2011年に発足した研究会です。佐佐木幸綱氏を始め、「心の花」会員を中心とする約30名で構成され、歌人にして万葉学者・古典学者であった佐佐木信綱の膨大で多面的な創作・研究業績、また信綱と関わる人々のネットワークについての研究を進めています。

佐佐木信綱研究会は、佐佐木幸綱氏の「巻頭言」によれば、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、信綱の後輩・弟子であった人々によるこれまでの信綱研究に対して、「まったく自由な立場で、また、信綱が生きた時代とはちがう時代の発想と価値観によって、信綱研究の新しい切口を見つけてゆく」ことをめざしています。

研究会の会員それぞれが現在進めている信綱研究について、問題関心の在りかを、熱く語り、その成果の一端を示したのが、創刊0號(問題提起号)です。信綱の戦争観、信綱の英訳萬葉集、バジル・ホール・チェンバレンらとの交友、軍歌・新体詩・校歌の制作など、興味の尽きないテーマが挙げられています。「心の花」に発表されながら、歌集に収録されなかった歌を、信綱自身の書入とともに紹介する貴重な報告も掲載されています。

私も2011年9月の第8回研究会で、信綱の万葉集研究について、お話しする機会を賜りました縁で、小論を寄稿しました。万葉集研究を支える、信綱の強靭な〈私〉、それでありながらやわらかな〈私〉、について論じました。「ゆるぎない〈私〉」を無条件に信じることのできない今日において、新たな研究主体を築いてゆく手懸りが、信綱の「やわらかな〈私〉」にあると思います。

「佐佐木信綱研究」誌は、今後1年に2号刊行予定とのことです(6月、12月)。多彩で、熱気に満ちた「佐佐木信綱研究」誌は、歌壇はもちろん、日本語・日本文学研究にも新たな風を吹き込むに相違ありません。その創刊に、心より敬意と祝意を表したいと思います。

【目次】
巻頭言(佐佐木幸綱)
研究会の歩み
 佐佐木信綱研究会の活動紹介(高山邦夫)
 佐佐木信綱研究会の発足(山本陽子)
特別評論
 佐佐木信綱と西行(平田英夫)
 ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉
  ―佐佐木信綱博士の萬葉学における研究主体―(小川靖彦)
 *信綱写真館(昭和12年)
人物信綱
 佐佐木信綱と明治(大野道夫)
 佐佐木信綱像の再構築(盛田帝子)
 日向の御船出 書簡にみる信綱(大口玲子)
 妻・雪子が記す信綱(田中薫)
 佐佐木信綱と英訳万葉集(今泉摩美)
 *信綱写真館(明治41年、昭和13年、昭和14年)
交友関係
 ようござんす(今野寿美)
 持続する志を(渡英子)
 和歌革新運動と信綱~旧派、新派の人物群像(高山邦男)
 王堂チェンバレンと佐佐木信綱(河野千絵)
 心友 中野逍遙(山本陽子)
 佐佐木信綱と北海道、アイヌ(屋良健一郎)
 *信綱写真館(昭和13年)
作品信綱
 『新月』私考メモ(三枝昻之)
 信綱の飲食の歌~信綱の酒の歌~(田中拓也)
 「水師営の会見」に関する一考察(武藤義哉)
 社会への眼差し―青年信綱の新体詩をめぐって―(松岡秀明)
 「心の花」創刊以前の信綱評(中西由起子)
 「心の花」創刊号の信綱の歌(鈴木陽美)
 『思草』と数詞―「語彙」「初出」を試用する(藤島秀憲)
 棚ぼた『思草』研究(経塚朋子)
 国語教材の中の信綱(大津貴寛)
 未知の水脈としての佐佐木信綱(川野里子)
 愛する信綱の三冊(奥田亡羊)
 信綱作詞の校歌について(間宮清夫)
 信綱は何を残そうとしたのか(佐佐木頼綱)
   *          *
 『思草』講読会便り(藤島秀憲)
筆者紹介・編集後記
表紙画・向井潤吉(佐佐木信綱記念館所蔵) 装丁・高山ケンタ

              佐佐木信綱研究0號2

【次号予告】第一号 特集『思草』
特集1 『思草』語彙 付録『思草』初版550首(藤島秀憲・経塚朋子・鈴木陽美)
特集2 『思草』初出異同一覧
特集3 アンケートわたしが好きな『思草』の一首
昇仙峡レポート(佐佐木頼綱)
平成25年(2013)12月3日刊行予定(定価1000円〈税込〉)

【購読連絡先】
佐佐木信綱研究会(e-mail: nobuken0708[at]gmail.com)
Amazon.co.jpにても注文できます。電子版はシナノブックドットコムにてダウンロード販売しています。

【補記】
第8回研究会で私がお話しした内容の前半は、1の論文に拠り、後半は2の論文にまとめました。

1.小川靖彦「「文献」から「書物」へ―佐佐木信綱・小松茂美の萬葉集研究と新たな本文(ほんもん)学への道」『国文学 解釈と鑑賞』第76巻5号、2011年5月
2.小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月


2012年11月21日水曜日

『万葉集』誕生の物語

藤原宮
(平山郁夫『やすらぎの風景』と『飛鳥・藤原京展』)

藤原宮にて

 「書物」としての『万葉集』が誕生した時の情景は、どのようなものであったでしょうか―。“「書物」としての『万葉集』”というテーマに取り組み始めて間もない年頃に、それを「日本の本の物語・序章」というタイトルで小説めいた文章にしてみたことがあります。『万葉集』の誕生した時を具体的に想像すると、その「書物」としての命が新たに感じられるようです。

 藤原宮の内裏の持統天皇の御座所に、宮内官が一軸の巻子本を携えて参内したのは、この会議のあった年の秋頃のことであったろうか。

 来る年の早々には、軽皇子(かるのみこ)の立太子が行われることが決していた。女官が天皇に奉ったその巻子本は、天皇が普段見慣れていた経巻に比べれば分量の少ないささやかなものであった。しかしその装丁は極めて美しく、見るものを引きつけてやまない気品を湛えていた。

 表紙・軸はもちろん、料紙、さらには巻紐に至るまで、天皇は宮内官に細かい注文を付けた。天武元年(673)三月の飛鳥の川原寺での一切経の書写以来、大規模な写経を次々と手がけて高い造紙・造本の技術を培っていた宮内官管轄下の写経所は、天皇の厳しい注文によく応えた。

 この巻子本の装丁を満足な面持ちでしばし眺めた後、持統天皇はこれを手にとって、その紐を静かに解いた。見返しに続いて、当時の最高級の純白の麻紙に、謹直な楷書で書かれた本文が現れた。白地に映える鮮やかな墨の色は、力強い生命力を感じさせた。

 冒頭には、「万葉集」という内題が記されている。この題は、天皇と、編集の実務を担当した柿本人麻呂が何度も意見を交換して決定したものであった。続いて「泊瀬朝倉宮治天下天皇代」(雄略天皇代)という標目が書かれ、その次行には「天皇御製歌」と記されている。

  籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持此岳尓菜採須兒……

思わず天皇は口ずさんだ。

  /komojo mikomoti Fukusimojo mibukusimoti kono?okani natumasuko/

 日本語を書き表すために独自な用いられ方をした漢字をリズミカルに読み上げるにつれ、蘇る季節の中、人も自然も喜びに満ちた光景が立ち上がってくる。

 巻子本を繙いてゆくと、次々と、左手から皇統の祖で、幼い日よりその存在の大きさを聞かされてきた祖父・舒明天皇、そして若き日の自分を、早く亡くなった母に代わって養育してくれた祖母・皇極・斉明天皇、近江でともに暮らした父・天智天皇、厳しい戦争をともに戦い抜いた夫・天武天皇ら懐かしい人々の治世の歌々が現れては、右手に巻き込まれてゆく。

 言葉の力に満ちたこれらの歌々は、舒明天皇から天武天皇までの波乱に富んだ時代に、目映いばかりに光り輝く輪郭を与えていた。あまたの政争の渦、人間の欲望との欲望のぶつかり合いなど個々の歴史的事実は遠景に退けられ、天皇たちの治世の意味が人々の心にはっきりと刻みつけられるのであった。

 そして持統天皇自らの時代「藤原宮治天下天皇代」。治世者として立った自身への、聖地天香具山からの祝福の歌に始まり、父の時代への鎮魂、夫への追慕が奏でられた後に、軽皇子を中心とする新しい時代の到来が高らかに宣言される。

 このささやかな巻子本において、古代の政治と文化の歴史は、舒明天皇から軽皇子(文武天皇)に至る一筋の系譜に収斂した。舒明天皇・皇極天皇の二代の天皇を即位させ、絶大な権力を誇った蘇我氏の影は見えない。新しい政治を断行した孝徳天皇の姿も、天智天皇の皇子で、近江朝廷を率いて天武天皇と戦った大友皇子の姿もここにはない。皇位は、舒明天皇、皇極・斉明天皇、天智天皇、天武天皇、持統天皇、そして軽皇子(文武天皇)へと真直ぐに受け継がれてゆくのである。

 史書では語り尽くせぬ約70年の「日本」の《歴史》を「やまと歌」によって鮮やかに示したこの巻子本を巻き直して、紐を結んだ持統天皇はつぶやいた。「私たちの真の歴史が今ここに始まった。未来永劫続いてゆく歴史が」と。


2012年9月20日木曜日

NHK文化センター講座「写本で味わう『萬葉集』」のお知らせ

王朝ブックデザインへの招待

写本で味わう萬葉集


この秋、2012年10月より、NHK文化センター青山教室にて、講座「写本で味わう『萬葉集』―王朝ブックデザインの美―」を、下記の要領で開催することになりましたので、お知らせします。

  秋の短期講座「写本で味わう『萬葉集』―王朝ブックデザインの美―」
  講 師:小川靖彦
  日 時:
   第1回 2012年10月6日(土) 15:30~17:00 桂本萬葉集―絵と色と書の交響―
   第2回 2012年10月27日(土)15:30~17:00 藍紙本萬葉集―祈りの書物―
   第3回 2012年11月10日(土)15:30~17:00 金沢本萬葉集―唐紙と躍動する書―
  会 場:NHK文化センター青山教室
   〒107-8601 東京都港区南青山1-1-1新青山ビル西館4階
   電話03-3475-1151
   東京メトロ銀座線・半蔵門線、都営大江戸線「青山一丁目」駅直結
  受講料:会員9,450円、一般11,340円(消費税込)
   (電話で予約ができます)

日本最古の歌集『萬葉集』は、平安時代に美しい写本に仕立てられました。細部まで心の配られた装丁、繊細な色に染められた料紙(金銀で草花や鳥が描かれたり、優美な文様が刷られたりしました)、そして書の名手による漢字と「かな」の交響―。

平安時代の萬葉集古写本は美の粋を極めたものです。そのブックデザインは、世界の書物の文化の中でも誇れるものです。しかもその美は、『萬葉集』の歌の内容とも深く関わっています。

このブログでも、平安時代の萬葉集古写本の美を紹介してきましたが、講座では、最新の研究成果を踏まえながら、画像や複製を用いて、その鑑賞法や楽しみ方を具体的に解説します。

伝統的でありながら斬新で現代的な王朝ブックデザインの感性と美意識は、今日のブックデザインの制作にとっても大きなヒントとなるに相違ありません。

また書かれている『萬葉集』の歌の内容を知って、装丁・料紙・書を見つめ直すと、それらの深い意匠に驚きを覚えます。平安の能書たちが、どのように歌を味読し、これに姿を与えようとしたかを、丁寧に見つめてゆきます。

そして、写本の美に注目する時、『萬葉集』の歌は今まで以上の魅力を見せてくれます。歌に込められた心を味わい、「歌」とは何か、をご一緒に考えたいと思っています。

『萬葉集』に関心のある方にも、ブックデザインに関わっていらっしゃる方にも、平安時代の料紙装飾に興味のある方にも、古筆をさらに深く味わいたい方にも、是非ご参加いただきたいと願っております。もちろん日本の文化や美、世界の文学や書物に関心のある方ならば、どなたも大歓迎です。

第1回 桂本(かつらぼん)萬葉集(平安中期・11世紀半ば、源兼行筆)
―絵と色と書の交響―
『萬葉集』の現存最古の写本。巻子本。
色変わりの染紙に金銀で草花や鳥を描く。次々と変化してゆく書の姿は音楽的。恋歌の心を生き生きと写し出す。

第2回 藍紙本(あいがみぼん)萬葉集(平安後期・11世紀後半、藤原伊房筆)
―祈りの書物―
『萬葉集』の二番目に古い写本。巻子本。
銀を散らした薄藍色の染紙に濃墨で力強く書く。新時代の息吹と祈りの心を示す。旅の思いを豊かに造形する。

第3回 金沢本(かなざわぼん)萬葉集(平安後期・12世紀前半、藤原定信筆)
―唐紙(からかみ)と躍動する書―
小型の冊子本。唐草(からくさ)・亀甲文(きっこうもん)・水波文(すいはもん)などを刷り出した色変わりの唐紙に、速度感のある書で躍動する空間を作る。揺れる恋心に大胆に姿を与える。

写本で味わう萬葉集2
��尾長鳥と虫は桂本萬葉集の下絵を模写したものです)
10月6日(土)に無事第1回の講座が終わりました。熱心な受講者に恵まれ、心より感謝申し上げます。第2回からでも参加可能です。また、第2回・第3回のうちの1回のみのご参加も歓迎します。
私自身も王朝のブックデザインの、「統一の中の大胆な変化」に改めて驚きを覚えています。現代のブックデザインに関わる若い方々にも、伝統文化の斬新さを是非知ってもらいたいと願っています。
王朝のブックデザインを、いつの日か、海外の人々にも紹介したいと思いました。


3回の講座が終わりました。学ぶ意欲に満ちた受講者の皆様と、NHK文化センターのスタッフの皆様に、心より御礼申し上げます。

2012年8月4日土曜日

講演会「世界の文字史と『万葉集』」のお知らせ

「文字」とは何か―『万葉集』を通じて

世界の文字史と万葉集

来る2012年8月10日(金)に、青山学院大学文学部日本文学科主催の講演会「世界の文字史と『万葉集』」が開催されます。

  講演会「世界の文字史と万葉集」
  講師:コロンビア大学准教授 デイヴィッド・ルーリー氏(Prof. David B. Lurie)
     〔使用言語・日本語〕
  日時:2012年8月10日(金) 14:00~16:00(受付13:30~)
     14:00~15:00講演 15:15~15:25コメンテイターによるコメント
     15:25~16:00質疑応答
  場所:アイビーホール(青学会館) グローリー館4階 クリノン
    〒150-0002 東京都渋谷区渋谷4-4-25
    アイビーホールアクセス
  参加費無料・事前申込不要

私はこのブログの2008年2月の記事「万葉集の文字法(1)」に次のように記しました。


日本語の場合を含めた、文字と「ことば」の関係一般については、現在、デイヴィッド・ルーリー氏(コロンビア大学)が、世界の文字を視野に収めた、スリリングな研究を進めています。一日も早く、氏の研究が論文化されることを願っています。

2011年、ルーリー氏はその研究成果を大著 Realms of Literacy: Early Japan and the History of Writing にまとめられました。この講演会「世界の文字史と『万葉集』」では、その研究成果の一部が、日本語で披露されます。

ルーリー氏はその著書の第7章(Japan and the History of Writing)で、「表語(logography)」と「表音(phonography)」を多様に組み合わせた、『万葉集』を始めとする古代日本の書記システムの研究を通じて、アルファベットを文明の象徴とする西洋的な文字史観を批判しています。さらに文字がそのまま「ことば」を写すものでなく、「ことば」から独立して機能するものであることを、世界の文字史によって明らかにしています。

漢字の歴史、中国周辺の日本・朝鮮半島・ヴェトナムにおける漢字と自国語との関係、さらに西アジアの文字なども幅広く視野に収めたルーリー氏の理論的な研究は、“文字とは何か”、を私たちに改めて考えさせるものです。

また、ルーリー氏の研究は、万葉集研究が世界の文字研究に大きく貢献するものであることを具体的に示しています。それは、今後の万葉集研究、さらに日本古典文学研究の新たな可能性を力強く提示するものと言えます。

講演会「世界の文字史と『万葉集』」では、この第7章を基礎に、発見が相継ぐ歌木簡についてのルーリー氏の見解も示されます。

私たち青山学院大学文学部日本文学科は、この講演会を日米の万葉集研究の成果を共有し、また世界の文字・文学研究に寄与する機会としたいと思っております。多数の皆様のご来場をお待ちしております。


*デイヴィッド・ルーリー氏(Prof. David Barnett Lurie)
コロンビア大学東アジア言語文化学部准教授、ドナルド・キーン日本文化センター所長
ハーバード大学卒業(比較文学専攻)、コロンビア大学大学院(日本古典文学専攻)にて博士号(Ph.D)取得(2001年)。東京大学に留学(1998~2001年)。(エドウィン・クランストン氏、ドナルド・キーン氏、ハルオ・シラネ氏の教え子)
研究テーマ: 書記(writing)とリテラシーの歴史、古代日本のリテラシー・知・文化の歴史、日本にける「読む(reading)」システムの発展と中国の書記(writing)の受容、日本における辞書と百科事典の歴史、日本中世・近世における古典注釈、日本近世の金石学・考古学、言語思想、比較神話学
著書: Realms of Literacy: Early Japan and the History of Writing. Cambridge (Massachusetts) and London: The Harvard University Asia Center, 2011
論文: 「神話学として見る津田左右吉の『上代史』に関するノート」(『没後50年津田左右吉展図録』早稲田大学・美濃加茂市民ミュージアム編集・発行、2011年)、「万葉集の文字表現を可能にする条件(覚書)」(『国語と国文学』第84巻第11号(特集・上代文学研究の展望)、2007年11月)、その他、英語・日本語の論文多数。

【謝辞】多くの方々にご来場いただき、会場は満席となりました。御礼申し上げます。ルーリー氏のお話は、文字史についての広い知識をもとに、日本の複雑な書記(writing system)に新しい光を当てると同時に『万葉集』の書記を通じて、世界の文字史を再構築するという野心的なものでした。この講演会の内容は、小冊子にまとめられる予定です。小冊子が完成しましたら、このブログなどで報告いたします。

2012年5月19日土曜日

「萬葉集古写本の美」追考

【藍紙本万葉集巻第九の継ぎ直しに関して】

先の記事「『美の万葉集』」で紹介しました、私の研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」につきまして、お読みくださった方々から、貴重なご意見を賜りました。心より御礼申し上げます。

その中で、特に考え直すことが必要な点がありました。「継ぎ直された巻第九」の項で、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目で、上となっている料紙の文字が切れていることに注目して、私は次のように記しました。


◆「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、巻首に近い方の料紙の左端を裁って整えた上で継ぎ直されたと考えられます。」(326頁)

これについて、公益財団法人根津美術館の松原茂氏より、左端の、文字の書かれたところを裁つということはありえず、むしろ次の料紙にかかっていた部分が、継ぎ直しの際に継ぎ目の下に隠れてしまっているのではないか、というご意見を賜りました。

確かに、修補の際に、文字の書かれた部分を裁つことが果たしてあるのか、原本調査の時から疑問を覚えていました。しかし、同時に「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかかることを避ける傾向が強く見られ、私は「藍紙本万葉集」では、本来継ぎ目に文字がかかることはなかったのではないか、という先入観を持ってしまっていました。

研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」では割愛しましたが、原本調査の時に、巻第九の継ぎ目幅(糊代)のデータも採取していました。確認できるところでは、継ぎ目幅は、3~4mmほどですが、しばしば4mm幅のところが見られます。研究報告の図1に示した、第④紙と第⑤紙の継ぎ目幅も4mmです。

��mmは巻子本の継ぎ目幅としては広めです。奈良朝写経や巻子本に仕立てられた正倉院文書、またきちんと造られた敦煌写経では、継ぎ目幅は3mmが標準です。繊細に造られたものでは2mmのものもあります。
*正倉院文書については、杉本一樹氏『日本古代文書の研究』(吉川弘文館、2001年)の71~72頁参照。杉本氏は「糊代が2ミリではやや頼りなく、4ミリになるとこれはもう何となく野暮ったい、というのが私の印象である」と述べています。

「藍紙本万葉集」が継ぎ直される時に、継ぎ目幅が本来のものよりも広くとられ、次の料紙にかかっていた文字が継ぎ目の下に潜り込んでしまった可能性は、十分に考えられます。

現在、継ぎ目の下の料紙の様子を、目で確認することはできません。将来何らかの方法で、それが確認できるようになることを期待しています。

なお、「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかからないように書く傾向が強いことについても、さらに考察を深めてゆきたく思います。

そこで、326頁の記述を、次のように改めたいと思います。


◇「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、本来よりも糊代をやや広めにとって継ぎ直されたように思われます。」

なお、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目幅のデータについては、将来この研究報告をまとめ直す折に、全て提示したく思っております。

先入観にとらわれずに、データの物語ることに、注意深く耳を澄ますことの大切さを、改めて痛感しました。