2014年7月16日水曜日

小川町観光協会編『万葉うためぐり』

万葉うためぐり

“武蔵の小京都”埼玉県小川町と『万葉集』
��小川町観光協会編、小川靖彦監修・執筆、村永清・新田文子執筆『万葉うためぐり 学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』笠間書院、四六判112頁〈オールカラー〉、2014年6月刊、900円〈税別〉)

2014年7月に、私も関わった『万葉うためぐり 学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』が発売となりました。

このブログでたびたび紹介してきましたように、埼玉県比企郡小川町は、『万葉集』研究史の巨星である、鎌倉時代の学僧仙覚(せんがく)が、画期的注釈書『万葉集註釈』を完成した地です。

小川町は“武蔵の小京都”と言われ、豊かな自然に恵まれ、歴史がつちかったなつかしい風景があります。江戸時代から、紙漉き、養蚕と絹織物、酒造り、建具、そうめんなどの産業が栄えています。

この小川町で、昭和の初めに、国文学者・歌人の佐佐木信綱と町の人々が一体となって、仙覚の業績の顕彰に努めました。そして、今日では、町を挙げて、仙覚が生涯を捧げた『万葉集』の普及活動も進めています。

その一環として刊行されたのが、『万葉うためぐり 学僧仙覚ゆかりの武蔵国小川町を歩く』です。この本は、オールカラーで『万葉集』の歌73首の魅力と、仙覚の業績を、わかりやすく解説しています。そして、それぞれの歌の解説には、その歌にふさわしい、小川町の情景や花の写真、名産品などの写真や説明を添えています。

心癒されるこれらの写真が、不思議なほどに、『万葉集』の世界を身近に感じさせてくれます。そして、関東の小川町の自然を通してでも、万葉の心に触れることができることに、『万葉集』の世界のふところの深さを、改めて感じさせられます。

この本で解説されている73首の歌は、小川町の市街地に立てられた70本の「万葉モニュメント」に取り上げられている歌です。この本を手に、「万葉モニュメント」の立てられた、約2㎞の散歩道「仙覚万葉の里と散策の道」を歩いてみてはいかがでしょうか。ガイドとなる詳細な地図もついています。

なお、この本では、仙覚の和歌と、仙覚研究に関わる重要な研究文献も網羅して、掲載しています。仙覚が『万葉集註釈』を完成した比企郡北方麻師宇郷(ましうごう)政所(まんどころ)についての最新の研究情報も紹介しています。仙覚や和歌史、鎌倉時代の歴史に関心ある方々にも利用していただければ幸いです。


万葉うためぐり1 

【目次】
発刊に寄せて
○地図1 仙覚万葉の里と散策のみち ○地図2 小川町の情景を訪ねて ○主要交通機関からのアクセス


Ⅰ『万葉集』ゆかりの地小川へようこそ
1 小川町と『万葉集』
  (武蔵の小京都・小川 万葉学者仙覚ゆかりの地)
2 『万葉集』の世界
  (古代人の感性の宝庫 画期的書物 読み継がれる歴史)


Ⅱ小川町万葉うためぐり
「小川町・万葉うためぐり」への招待
1 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな (巻1・八  額田王)
2 あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (巻1・二〇  額田王)
3 紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも (巻1・二一  大海人皇子)
4 春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山 (巻1・二八  持統天皇)
5 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ (巻1・四八  柿本人麻呂)
6 采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く (巻1・五一  志貴皇子)
7 川の上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は (巻1・五六  春日老)
8 葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ (巻1・六四  志貴皇子)
9 秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ (巻2・八八  磐姫皇后)
10 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後 (巻2・一〇三  天武天皇)
   我が岡の おかみに言ひて 降らしめし 雪のくだけし そこに散りけむ (巻2・一〇四  藤原夫人)
11 我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 我が立ち濡れし (巻2・一〇五  大伯皇女)
   百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (巻3・四一六  大津皇子)
12 人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る (巻2・一一六  但馬皇女)
13 笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば (巻2・一三三  柿本人麻呂)
14 岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む (巻2・一四一  有間皇子)
   家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (巻2・一四二  有間皇子)
15 山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく (巻2・一五八  高市皇子)
16 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なし (巻2・二三一  笠金村)
17 隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くもわれは 今日見つるかも (巻3・二四八  長田王)
18 天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ (巻3・二五五  柿本人麻呂)
19 近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ (巻3・二六六  柿本人麻呂)
20 桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る (巻3・二七一  高市黒人)
21 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける (巻3・三一八  山部赤人)
22 あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり (巻3・三二八  小野老)
23 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむぞ (巻3・三三七  山上憶良)
24 験なき ものを思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (巻3・三三八  大伴旅人
25 君待つと 我が恋ひ居れば 我が宿の 簾動かし 秋の風吹く (巻4・四八八  額田王)
   風をだに 恋ふるは羨し 風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ (巻4・四八九  鏡王女)
26 相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後方に 額つくごとし (巻4・六〇八  笠女郎
27 夕闇は 道たづたづし 月待ちて 行ませ我が背子 その間にも見む (巻4・七〇九  大宅女)
28 銀も 金も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも (巻5・八〇三  山上憶良)
29 梅の花 夢に語らく みやびたる 花と我れ思ふ 酒に浮かべこそ (巻5・八五二  大伴旅人)
30 若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (巻6・九一九  山部赤人)
31 み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒く 鳥の声かも (巻6・九二四  山部赤人)
   ぬばたまの 夜の更けゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く (巻6・九二五  山部赤人)
32 道の辺の 草深百合の 花笑みに 笑みしがからに 妻と言ふべしや (巻7・一二五七  作者未詳)
33 月草に 衣は摺らむ 朝露に 濡れての後は うつろひぬとも (巻7・一三五一  作者未詳)
34 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも (巻8・一四一八  志貴皇子)
35 春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける (巻8・一四二四  山部赤人)
36 かはづ鳴く 神なび川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花 (巻8・一四三五  厚見王)
37 昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや 戯奴さへに見よ (巻8・一四六一  紀女郎)
38 夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ (巻8・一五〇〇  大伴坂上郎女)
39 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝ねにけらしも (巻8・一五一一  舒明天皇)
40 彦星し 妻迎へ舟 漕ぎ出づらし 天の川原に 霧の立てるは (巻8・一五二七  山上憶良)
41 萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 (巻8・一五三八  山上憶良)
42 夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも (巻8・一五五二  湯原王)
43 常世辺に 住むべきものを 剣大刀 汝が心から おそやこの君 (巻9・一七四一  高橋虫麻呂)
44 埼玉の 小崎の沼に 鴨ぞ翼霧る 己が尾に 降り置ける霜を 掃ふとにあらし (巻9・一七四四  高橋虫麻呂)
45 春されば まづさきくさの 幸くあらば 後にも逢はむ な恋ひそ我妹 (巻10・一八九五  柿本人麻呂歌集)
46 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は (巻11・二四八〇  柿本人麻呂歌集)
47 新室の 壁草刈りに いましたまはね 草のごと 寄り合ふ娘子は 君がまにまに (巻11・二三五一  柿本人麻呂歌集)
48 我が命し 衰へぬれば 白栲の 袖のなれにし 君をしぞ思ふ (巻12・二九五二  作者未詳)
49 磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ (巻13・三二五四  柿本人麻呂歌集)
50 筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも 愛しき子ろが 布乾さるかも (巻14・三三五一  東歌)
51 多摩川に さらす手作り さらさらに なにぞこの子の ここだ愛しき (巻14・三三七三  東歌)
52 君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ (巻15・三五八〇  作者未詳)
53 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも (巻15・三七二四  狭野弟上娘子)
54 食薦敷き 青菜煮て来む 梁に 行縢懸けて 休めこの君 (巻16・三八二五  長意吉麻呂)
55 勝間田の 池は我知る 蓮なし しか言ふ君が 鬚なきごとし (巻16・三八三五  作者未詳)
56 織女し 舟乗りすらし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る (巻17・三九〇〇  大伴家持)
57 天皇の 御代栄えむと 東なる 陸奥山に 金花咲く (巻18・四〇九七  大伴家持)
58 紅は うつろふものぞ 橡の なれにし衣に なほしかめやも (巻18・四一〇九  大伴家持)
59 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子 (巻19・四一三九  大伴家持)
60 もののふの 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花 (巻19・四一四三  大伴家持)
61 朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人 (巻19・四一五〇  大伴家持)
62 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも (巻19・四二九〇  大伴家持)
63 我がやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも (巻19・四二九一  大伴家持)
64 うらうらに 照れる春日に ひばり上り 心悲しも ひとりし思へば (巻19・四二九二  大伴家持)
65 韓衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母なしにして (巻20・四四〇一  他田舎人大島)
66 防人に 行くは誰が背と 問ふ人を 見るが羨しさ 物思ひもせず (巻20・四四二五  防人の妻)
67 あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ (巻20・四四四八  橘諸兄)
68 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 (巻20・四五一六  大伴家持)


Ⅲ学僧仙覚と小川町
1 仙覚の生涯
   (幼くして研究を志す 校訂事業に加わる 研究に捧げた生涯)
2 仙覚の業績
   (厳格な本文校訂 漢字本文と緊密に対応した読み下し 初めての本格的注釈書)
3 仙覚の和歌
   仙覚略年譜(年齢は数え年)
4 『万葉集註釈』を完成した地―比企郡北方麻師宇郷政所
   (『万葉集註釈』の完成 比企郡北方麻師宇郷政所 信仰の地・比企郡)
5 小川町と仙覚を結んだ人々―佐佐木信綱が拓いた道
   (佐佐木信綱 石川巌 大塚仲太郎 認められた功績 仙覚への追贈)
6 小川町における仙覚顕彰
   (仙覚律師遺跡保存会と仙覚律師顕彰碑 仙覚律師贈位奉告祭と仙覚遺跡建碑式典
仙覚についての参考文献
監修者あとがき


             万葉うためぐり2

2014年6月24日火曜日

【資料】1925~1945年の『万葉集』鑑賞書

私は、このところ、近代日本における万葉集研究の歴史的検討を少しずつ進めています。万葉学者・歌学者で歌人の佐佐木信綱、その歌の門人で、元陸軍軍人の歌人の齋藤瀏(さいとう・りゅう)の万葉集研究について、いくつかの論文をまとめました。

齋藤瀏の万葉集研究は、「鑑賞」という形で進められました。瀏の「鑑賞」は、歌の〈しらべ〉を細密に読み解くすぐれたものでしたが、日中戦争の勃発後には、極めて国家主義的なものとなってゆきました。

近代的な万葉集研究にとって、「鑑賞」とは何か、という視点から、瀏の研究について検討を加えたのが、私の論文「齋藤瀏『万葉名歌鑑賞』をめぐって―近代的万葉集研究における「鑑賞」の行方―」(『青山学院大学文学部紀要』第55号、2014年3月刊)です。

この論をまとめるために、1925~1945年までに出版された、『万葉集』の「鑑賞」書と、それらと関わるとともに、この時代を色濃く反映する、『万葉集』に関わる書物の一覧表を作成しました。戦争の時代の中で、『万葉集』の「鑑賞」書が数多く出版されてゆくことが、わかります。論文にこの一覧表を掲載しましたが、このブログでも公開したいと思います。

*論文の一覧表を一部訂正したところがあります(配列を正しました。また、瀏の「日本の母名歌鑑賞」、鈴木敏也『萬葉摘英』を一覧表に加え、『増補 萬葉名歌鑑賞』の書名を奥付に従って『改訂増補 萬葉名歌鑑賞』としました)。

近代日本の万葉集研究については、まだ基礎となる情報の整備が十分に進んでいるとは言えません。この一覧表にもまだ見落があるかと思いますが、近代日本の万葉集研究を見渡すための、一助となれば幸いです。


1925~1945年の『万葉集』の「鑑賞」書年表(齋藤瀏『萬葉名歌鑑賞』に関わって)

    ■齋藤瀏の著書  ◆齋藤瀏の雑誌掲載鑑賞文  □その他の『万葉集』の「鑑賞」書
    ◇『万葉集』の「鑑賞」を収めた書物  ◎関連する重要な書物

1925(大正14)
□島木赤彦『万葉集の鑑賞及び其批評 前編』岩波書店

1928(昭和3)済南事件
1930(昭和5)世界恐慌が日本にも及ぶ(昭和恐慌)
1931(昭和6)満州事変(柳条湖事件)
1932(昭和7)満州国建国/五・一五事件

1933(昭和8)国際連盟脱退、「栄光ある孤立へ」
◆齋藤瀏「萬葉名歌鑑賞(一)~(二十四)」「心の花」1月~9年12月
◎佐佐木信綱・藤村作・吉澤義則監修「萬葉集講座」(全六巻)、春陽堂、9月
□高田浪吉『萬葉集の鑑賞』巻第一・巻第二・巻第三、古今書院、8月、9年3月、9月
□丸穂満佐夫『作者別年代順・萬葉集の鑑賞』大久保正夫、11月

1934(昭和9)
◆齋藤瀏「名歌鑑賞(一)~(四)」(短歌初学講座)「日本短歌」9月~12月
□土屋文明『萬葉集名歌評釈』非凡閣、11月

1935(昭和10)国体明徴声明発表
◆齋藤瀏「続萬葉名歌鑑賞」「心の花」2月~5月
◇久松潜一『日本精神歌集』(日本精神叢書、文部省思想局編)、2月
■齋藤瀏『萬葉名歌鑑賞』人文書院、6月

1936(昭和11)二・二六事件/外務省が「大日本帝国」を日本の呼称とする
◎武田祐吉『萬葉集と忠君愛国』(日本精神叢書、文部省思想局編)、日本文化協会出版部、1月

1937(昭和12)盧溝橋事件、日中戦争始まる(7月7日)
◎久松潜一『萬葉集に現れたる日本精神』至文堂、1月
◎文部省『国体の本義』文部省、3月
◎武田祐吉『萬葉集と国民性』(日本精神叢書、文部省思想局編)、3月
□北原白秋・折口信夫編『萬葉恋愛歌読本』(鑑賞短歌大系)、学芸社、7月
◎中河與一『萬葉の精神』(「萬葉名歌解」も収録)、千倉書房、7月
□北原白秋・折口信夫編『東歌・大伴集』(鑑賞短歌大系)、学芸社、8月

1938(昭和13)国家総動員法成立/「東亜新秩序声明」発表
◎鴻巣盛広『萬葉精神』(日本精神叢書、教学局編)、6月
□簗瀬一雄『萬葉集の鑑賞』興文閣、10月
□斎藤茂吉『萬葉秀歌』岩波新書、岩波書店、11月

1939(昭和14)ドイツ、ポーランドに侵攻、第二次世界大戦勃発/「朝鮮戸籍令改正」(創氏改名)(※この年から日本全体が皇国的に。「国民精神総動員」)
◆齋藤瀏「萬葉名歌鑑賞(一)~(二十一)」「短歌人」4月~16年2月
◎吉澤義則『大和魂と萬葉歌人』平凡社、5月

1940(昭和15)アメリカが屑鉄の日本輸出を禁止/日独伊三国軍事同盟調印/紀元二六〇〇年の大式典挙行

1941(昭和16)ドイツがソ連に侵攻/アメリカが在米日本資産凍結/日本軍、南部仏印進駐/アメリカが対日石油輸出全面禁止を通告/太平洋戦争開戦
□土屋文明『萬葉集小径』三学書房、6月
◆齋藤瀏「萬葉のこゝろ―国民文学としての萬葉集鑑賞」「婦人朝日」7月~17年3月
◇川田順『愛国百人一首』大日本雄弁会講談社、8月

1942(昭和17)日本文学報国会結成/ミッドウェー海戦で日本海軍大敗(6月5日~7日)
□橘宗利『萬葉短歌拾珠』加藤中道館、1月
□佐佐木信綱・今井福治郎『萬葉集防人歌の鑑賞』有精堂、4月
◎実方清・森本治吉他『萬葉集の倫理(皇国文学)』六藝社、4月
■齋藤瀏『改訂増補 萬葉名歌鑑賞』人文書院、5月
■齋藤瀏『萬葉のこゝろ』朝日新聞社、5月
◎保田與重郎『萬葉集の精神 その成立と大伴家持』筑摩書房、6月
■齋藤瀏『防人の歌』東京堂、6月
□武田祐吉『勤皇秀歌・萬葉時代篇』聖紀書房、6月
■齋藤瀏「日本の母名歌鑑賞 一~六」「少国民文化」7月~12月
□小林一郎『萬葉集愛国歌抄』(皇国精神講座)、平凡社、8月
□美夫君志会編『萬葉秀歌鑑賞』正文館、11月
□鈴木敏也『萬葉摘英』弘道館、12月

1943(昭和18)ガダルカナル島の戦いで敗北/「撃してしやまむ」の決戦標語
□森本治吉『萬葉精粋の鑑賞』大日本雄弁会講談社、1月
□澤瀉久孝『萬葉佳品抄』全国書房、3月
◇日本文学報国会編『定本愛国百人一首解説』毎日新聞社、7月
◎武田祐吉『萬葉精神』上巻、湯川弘文社、7月

1944(昭和19)サイパン島陥落/学童疎開始まる
1945(昭和20)東京大空襲/ドイツ降伏/広島・長崎に原子爆弾投下/ソ連、満州に侵攻/ポツダム宣言受諾


*歴史的出来事については、半藤一利『昭和史 1926-1945』(平凡社ライブラリー、平凡社、2009〈初版第1刷〉、2011〈初版第10刷〉)、有馬学『帝国の昭和』(日本の歴史23、講談社学術文庫、講談社、2010)などによった。

2014年5月22日木曜日

新田文子『青木てる物語』

青木てる物語1

富岡製糸場と小川町の女性たち
(新田文子『官営富岡製糸場工女取締 青木てる物語―養蚕と蚕糸―』新田文子、B6判118頁、口絵6頁、2014年4月20日刊、700円)

世界遺産(産業遺産)に登録される見通しとなった、「富岡製糸場と絹産業遺跡群」が今注目を集めています。

今日まで保存されてきた富岡製糸場の建物や、日本近代産業史において富岡製糸場が果たした役割はもちろん重要ですが、それと同時に、この富岡製糸場を出発させた、明治の女性たちの心意気も見逃せません。

富岡製糸場の工女は、初代工場長の尾高惇忠の長女ゆうがその第一号として有名です。ゆうの後に、多くの女性たちが続くことになりますが、それは決して平坦な道のりではありませんでした。

工女たちが集まる、大きなきっかけとなったのは、埼玉県小川町出身の青木てるの情熱でした。
このあまり知られていない事実に、光を当てたのが、この『官営富岡製糸場工女取締 青木てる物語』です。

なぜ群馬県富岡市からは遠い、小川町の青木てるが、富岡製糸場に小川の若い女性たちを率いて駆け付けたのでしょうか―。

ゆうを工女第一号にしたものの、“富岡製糸場で若い女性を集めているのは、若い女性たちの生き絞って飲むためだ”という風評のために女工を集められたなかった工場長の尾高は、近県の村々の旧名主宛に手紙を書き送りました。

その手紙が小川町(当時小川村)の紙漉きと養蚕を営む豪農の青木伝次郎にも届いたのです。伝次郎の母で、自分自身も生糸を紡ぎ、美しく糸を紡ぐことに強い関心を持っていた、当時59歳のてるが、尾高の切羽詰った手紙に心動かされました。てるは、小川の人々に工女なるよう熱心に説いて回り、孫娘の敬をはじめ、30余名の若い女性を富岡に連れて行くことになったのです。

明治5年(1872)7月、てるの率いる一行は、富岡製糸場に到着しました。尾高は感激しました。

そして、てるらの集団入所は、風評を打ち消して、全国から工女が集まるようなったのです。てるは、初代工女取締役に就任し、小川出身の早津さく、前田ますの二人が副工女取締役となり、青木敬をはじめとする5人が一等工女に選ばれました。開業時の富岡製糸場を支えたのは、実は小川の女性たちであったのです。

この小川の女性たちの活躍を、温かな筆致で描いたのがこの本です。そして、この本では、江戸から明治にかけて、生糸産業が近代化してゆくプロセスも、わかりやすく教えてくれています。さらに、西洋人に接した明治初期の人々の驚きや、江戸時代の感覚で暮らしていた人々にとって、若い女性が村を出て旅することが、今日では想像できないほどの、勇気ある行為であったことを、生き生きと伝えてくれます。

著者の新田文子氏は、『小川小学校誌』編さん室長などを務め、また小川町社会教育課文化財係行政情報整理室に籍を置き、小川町の歴史の研究と普及に長年努めて来られました。現在は、小川町教育委員会特別専門協力員として、活躍されています。小川町と小川町教育委員会が編集・発行した『『万葉集』と仙覚律師と小川町』という小冊子の製作や、小川町立図書館の「おがわ仙覚万葉コーナー」の展示も担当されています。

小さな本でありながら、明治の女性たちへの共感と、小川町への愛情の詰まった、心打つ書物です。この本を通じて、近代日本の産業を支えた女性たちと、その女性たちを育んだ文化と歴史を、多くの人々の知ってもらいたいと思います。

なお、この本は書店では購入できませんが、小川町観光協会観光案内所「楽市おがわ」で取り扱っています。お問い合わせください。
小川町観光協会観光案内所「楽市おがわ」
電話:0493-74-1515
価格:700円(送料別)



【目次】
近代製糸伝習の先駆者 青木てる
一枚の手紙から/職人技に支えられた製糸場建設/伝習工女が集まらない/黒船がもたらした情報公開/生糸と蚕種に注文殺到/創業の立役者 埼玉県人/青木てるの奔走/五九歳の集団入所/「てる」の取締役就任と工女たちの日々/青木敬と小川からの工女たち/ウィーン万国博覧会/帰郷/郷土への伝承/青木伝次郎の働き
〔資料〕上州富岡御製糸場御役人附 明治六年四月/富岡製糸場の小川町域出身伝習工女/工女御雇願
養蚕と蚕糸
一 養蚕と地場産業
二 蚕種の道が絹の道へ
三 幕末から明治初期の生糸
四 埼玉の養蚕改良と養蚕業
五 明治・大正期の小川絹
〔資料〕輸出に占める養蚕類の割合/幕末から明治維新の出来事
養蚕と民俗
お蚕さま/養蚕と信仰/養蚕とネコ/小正月の繭玉
〔資料〕小川町における生糸・絹織物略年表

ネコ札
��小川町の養蚕や、養蚕にまつわる民俗信仰についても、詳しく書かれています。養蚕農家にとって、蚕、蚕種、繭をかじるネズミは大敵であり、猫の絵やお札を蚕室に貼りました。笠山神社のネコ札や「新田の猫絵」は、どこかユーモラスで温かみがあります。猫好きの人には見逃せません。


2014年4月23日水曜日

小川靖彦『万葉集と日本人』

万葉集と日本人

万葉集が読まれてきた歴史
��小川靖彦『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』角川選書、KADOKAWA、四六判256頁、2014年4月刊、1600円〈本体〉)

この4月、角川選書の1冊として、私の『万葉集と日本人 読み継がれる千百年の歴史』が刊行されます(4月25日発売)。

平安時代から現代まで、『万葉集』が読まれてきた歴史を辿りました。その時代その時代に『万葉集』がどのように読まれていたかを見つめました。

私の『万葉学史の研究』をベースにしていますが、さらにその後の研究成果も加えて、通史として、日本人が『万葉集』を読んできた歴史を展望しました。

過去の人々が『万葉集』に寄せてきた思いを受けとめ、未来の『万葉集』を考える一つの手ががりとしていただければ幸いです。

【目 次】
はじめに

第一章 『万葉集』と「読む」ということ

第二章 『万葉集』を読んでいた紀貫之―平安時代前期における『万葉集』
一 平安時代初期の『万葉集』
二 菅原道真の『新撰万葉集』
三 『古今和歌集』の万葉像
四 紀貫之と『万葉集』―〈古代〉世界への参入

第三章 紫式部と複数の『万葉集』―平安時代中期における『万葉集』
一 平安時代中期の『万葉集』
二 佳麗な『万葉集』抄出本
三 〈訓み〉による「万葉歌」
四 「訓読」の始まり
五 『万葉集』への関心の高まり
六 藤原道長・頼通による書写
七 紫式部が読んでいた『万葉集』

第四章 藤原定家の〈古代〉―平安時代後期における『万葉集』
一 平安時代後期の『万葉集』
二 後三条天皇・白河天皇の親政と『万葉集』
三 写本の並立と吸収
四 『堀河百首』と『万葉集』
五 冊子本の『万葉集』の登場
六 歌学の時代へ
七 動乱の時代の中の『万葉集』
八 藤原俊成の新たな万葉像
九 「うたの源なり」
十 藤原定家と『万葉集』―〈古代〉への憧憬

第五章 「道理」によって『万葉集』を解読した仙覚――中世における『万葉集』
一 鎌倉武士の『万葉集』
二 源実朝の『万葉集』
三 学僧仙覚による新しい『万葉集』
四 仙覚の「道理」

第六章 賀茂真淵の〈批評〉――江戸時代における『万葉集』
一 印刷本の『万葉集』
二 鑑賞・批評の萌芽――〈批評〉前史
三 方法としての〈批評〉
四 賀茂真淵による〈批評〉の理論化
五 賀茂真淵の「万葉調」

第七章 佐佐木信綱による「校本」と「評釈」――近代における『万葉集』
一 近代日本の『万葉集』
二 江戸から明治へ
三 東京大学における『万葉集』研究
四 「国文学」への関心の高まり
五 和歌革新運動と『万葉集』
六 佐佐木信綱の和歌革新と「評釈」
七 『校本万葉集』

第八章 『万葉集』の未来

参考文献
おわりに


2013年11月2日土曜日

佐佐木信綱没後50年

短歌往来2013年11月号

信綱の業績を新しい目で捉える
��「短歌往来」25巻第11号、ながらみ書房、A5判、144頁、2013年10月15日刊、750円〈税込〉)

月刊短歌雑誌「短歌往来」の2013年11月号において、「佐佐木信綱(没後50年)」の特集が組まれました。

佐佐木信綱は1872年(明治5)に生まれ、1963年(昭和38)に亡くなりました。2013年で没後50年、また生誕141年になります。

先の記事「「佐佐木信綱研究」創刊」で、佐佐木幸綱氏が、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、佐佐木信綱研究会を立ち上げたことを紹介しました。

今回の「短歌往来」の特集も、まさに同じ問題意識に立つものです。信綱の歌人としての業績を中心に、国文学者としての研究業績も含めて、新しい目で信綱の功績を捉え直そうという、意欲に満ちた特集となっています。

「短歌往来」の2013年11月号の冒頭には、この特集と関わって、佐佐木幸綱氏の21首の短歌からなる作品「凌寒荘」が掲載されています。幸綱氏の作品は、人生の節目における信綱の姿を象っています。その作品は、ある時は信綱を外から見つめ、ある時は信綱の心となってのものとなっています。信綱と幸綱氏との交感が生き生きと感じられます。

特集では、まず5編の評論が信綱の業績を論じています。信綱の多面的活動や人的ネットワークが鮮やかに描かれ、また従来の信綱の短歌への評価に対する批判が鋭く提出されています。

私も「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」という一文を寄せました。今回は、歌人としての信綱に注目して、その萬葉学について考えたいと思い、「佐佐木博士」や「佐佐木」ではなく、「信綱」という呼称を使いました。信綱の萬葉学の基礎に、強烈な「和歌」の普及の意識があったことを改めて確認しました。信綱に戦前・戦後を通じて変わることなく研究を続けさせたものを垣間見たように思いました。

評論に続く「信綱の素顔」は、信綱の生きざまについての貴重な証言です。また6氏による「佐佐木信綱の五首」には、現代的視点に立って、新たに信綱秀歌が選ばれています。再録された「佐佐木信綱自選百首」と対照して読むとさらに興味が深まります。

特集を通じて、信綱の充実期の作品が、「全体の調和の中で過剰な自我の主張はせず、それでいながら確かな強度をもった『われ』」を確立した上で、古典和歌に帰ってきたものであると捉えた森本平氏の見解と、「境遇や、生きていた時代や、性別が作者と相違する人物、さらには、人間ならぬ生き物を〈われ〉に設定している」信綱の発想の自由さが古典和歌に由来するという安田純生氏の指摘が、私の心に特に強く残りました。

私の論文「願はくはわれ春風に身をなして」や、「佐佐木信綱研究」創刊0號に寄稿した「ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉」で、信綱の万葉学を通じて考えてきたことと、問題意識を共有するものと思います。信綱の〈われ〉は、現代短歌にとっても、万葉集研究にとっても大きな問題を投げかけています。

特集には、佐佐木信綱研究会の会員の方たちも多く執筆されています。この特集号を機に、新たな信綱像への関心が高まることを期待しています。

【特集の目次】
��特集評論=
 佐佐木信綱 そのとき三十一歳にして(藤島秀憲)
 佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作(小川靖彦)
 佐佐木信綱と近世和歌研究(盛田帝子)
 『常盤木』という契機(渡英子)
 信綱と現代(森本平)
信綱の素顔
 ミイラの歌というか(大野道夫)
 熱海の信綱(松井千也子)
佐佐木信綱の五首(山本陽子/安田純生/中西由起子/今野寿美/塩野崎宏/前川佐重郎)
佐佐木信綱自選百首(「短歌研究」昭和38年3月号より)
佐佐木信綱著作概略(高山邦男編)


【お詫び】
私の「佐佐木信綱の萬葉学と短歌制作」に誤りがありました。
 ・40頁上段12行 (誤)「新編日本古典文学大系」 (正)「新編日本古典文学全集」
また、41頁下段17行の「浅香社」の表記は、「あさ香社」の方が適切でした。
【補記】
小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」(『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月)がウェブに公開されました。
http://www.agulin.aoyama.ac.jp/metadb/up/upload/00013027.pdf

2013年6月30日日曜日

「佐佐木信綱研究」創刊0號

佐佐木信綱研究0號1

新たな信綱研究の始まり
��「佐佐木信綱研究」創刊0號、編集兼発行人・佐佐木頼綱、発行所・佐佐木信綱研究会、A5判108頁、2013年6月3日刊、1,000円〈税込〉)

2013年6月に、佐佐木頼綱氏を編集兼発行人とする「佐佐木信綱研究」創刊0號(問題提起号)が、佐佐木信綱研究会から刊行されました。

佐佐木信綱研究会は2011年に発足した研究会です。佐佐木幸綱氏を始め、「心の花」会員を中心とする約30名で構成され、歌人にして万葉学者・古典学者であった佐佐木信綱の膨大で多面的な創作・研究業績、また信綱と関わる人々のネットワークについての研究を進めています。

佐佐木信綱研究会は、佐佐木幸綱氏の「巻頭言」によれば、信綱没後「半世紀の時間が経って、佐佐木信綱を客観的に研究し、論じる時期がやってきた」という問題意識のもと、信綱の後輩・弟子であった人々によるこれまでの信綱研究に対して、「まったく自由な立場で、また、信綱が生きた時代とはちがう時代の発想と価値観によって、信綱研究の新しい切口を見つけてゆく」ことをめざしています。

研究会の会員それぞれが現在進めている信綱研究について、問題関心の在りかを、熱く語り、その成果の一端を示したのが、創刊0號(問題提起号)です。信綱の戦争観、信綱の英訳萬葉集、バジル・ホール・チェンバレンらとの交友、軍歌・新体詩・校歌の制作など、興味の尽きないテーマが挙げられています。「心の花」に発表されながら、歌集に収録されなかった歌を、信綱自身の書入とともに紹介する貴重な報告も掲載されています。

私も2011年9月の第8回研究会で、信綱の万葉集研究について、お話しする機会を賜りました縁で、小論を寄稿しました。万葉集研究を支える、信綱の強靭な〈私〉、それでありながらやわらかな〈私〉、について論じました。「ゆるぎない〈私〉」を無条件に信じることのできない今日において、新たな研究主体を築いてゆく手懸りが、信綱の「やわらかな〈私〉」にあると思います。

「佐佐木信綱研究」誌は、今後1年に2号刊行予定とのことです(6月、12月)。多彩で、熱気に満ちた「佐佐木信綱研究」誌は、歌壇はもちろん、日本語・日本文学研究にも新たな風を吹き込むに相違ありません。その創刊に、心より敬意と祝意を表したいと思います。

【目次】
巻頭言(佐佐木幸綱)
研究会の歩み
 佐佐木信綱研究会の活動紹介(高山邦夫)
 佐佐木信綱研究会の発足(山本陽子)
特別評論
 佐佐木信綱と西行(平田英夫)
 ゆるぎない〈私〉、やわらかな〈私〉
  ―佐佐木信綱博士の萬葉学における研究主体―(小川靖彦)
 *信綱写真館(昭和12年)
人物信綱
 佐佐木信綱と明治(大野道夫)
 佐佐木信綱像の再構築(盛田帝子)
 日向の御船出 書簡にみる信綱(大口玲子)
 妻・雪子が記す信綱(田中薫)
 佐佐木信綱と英訳万葉集(今泉摩美)
 *信綱写真館(明治41年、昭和13年、昭和14年)
交友関係
 ようござんす(今野寿美)
 持続する志を(渡英子)
 和歌革新運動と信綱~旧派、新派の人物群像(高山邦男)
 王堂チェンバレンと佐佐木信綱(河野千絵)
 心友 中野逍遙(山本陽子)
 佐佐木信綱と北海道、アイヌ(屋良健一郎)
 *信綱写真館(昭和13年)
作品信綱
 『新月』私考メモ(三枝昻之)
 信綱の飲食の歌~信綱の酒の歌~(田中拓也)
 「水師営の会見」に関する一考察(武藤義哉)
 社会への眼差し―青年信綱の新体詩をめぐって―(松岡秀明)
 「心の花」創刊以前の信綱評(中西由起子)
 「心の花」創刊号の信綱の歌(鈴木陽美)
 『思草』と数詞―「語彙」「初出」を試用する(藤島秀憲)
 棚ぼた『思草』研究(経塚朋子)
 国語教材の中の信綱(大津貴寛)
 未知の水脈としての佐佐木信綱(川野里子)
 愛する信綱の三冊(奥田亡羊)
 信綱作詞の校歌について(間宮清夫)
 信綱は何を残そうとしたのか(佐佐木頼綱)
   *          *
 『思草』講読会便り(藤島秀憲)
筆者紹介・編集後記
表紙画・向井潤吉(佐佐木信綱記念館所蔵) 装丁・高山ケンタ

              佐佐木信綱研究0號2

【次号予告】第一号 特集『思草』
特集1 『思草』語彙 付録『思草』初版550首(藤島秀憲・経塚朋子・鈴木陽美)
特集2 『思草』初出異同一覧
特集3 アンケートわたしが好きな『思草』の一首
昇仙峡レポート(佐佐木頼綱)
平成25年(2013)12月3日刊行予定(定価1000円〈税込〉)

【購読連絡先】
佐佐木信綱研究会(e-mail: nobuken0708[at]gmail.com)
Amazon.co.jpにても注文できます。電子版はシナノブックドットコムにてダウンロード販売しています。

【補記】
第8回研究会で私がお話しした内容の前半は、1の論文に拠り、後半は2の論文にまとめました。

1.小川靖彦「「文献」から「書物」へ―佐佐木信綱・小松茂美の萬葉集研究と新たな本文(ほんもん)学への道」『国文学 解釈と鑑賞』第76巻5号、2011年5月
2.小川靖彦「願はくはわれ春風に身をなして―佐佐木信綱の萬葉学における「評釈」〔『萬葉集選釈』と『新月』〕―」『青山学院大学文学部紀要』第54号、2013年3月


2012年11月21日水曜日

『万葉集』誕生の物語

藤原宮
(平山郁夫『やすらぎの風景』と『飛鳥・藤原京展』)

藤原宮にて

 「書物」としての『万葉集』が誕生した時の情景は、どのようなものであったでしょうか―。“「書物」としての『万葉集』”というテーマに取り組み始めて間もない年頃に、それを「日本の本の物語・序章」というタイトルで小説めいた文章にしてみたことがあります。『万葉集』の誕生した時を具体的に想像すると、その「書物」としての命が新たに感じられるようです。

 藤原宮の内裏の持統天皇の御座所に、宮内官が一軸の巻子本を携えて参内したのは、この会議のあった年の秋頃のことであったろうか。

 来る年の早々には、軽皇子(かるのみこ)の立太子が行われることが決していた。女官が天皇に奉ったその巻子本は、天皇が普段見慣れていた経巻に比べれば分量の少ないささやかなものであった。しかしその装丁は極めて美しく、見るものを引きつけてやまない気品を湛えていた。

 表紙・軸はもちろん、料紙、さらには巻紐に至るまで、天皇は宮内官に細かい注文を付けた。天武元年(673)三月の飛鳥の川原寺での一切経の書写以来、大規模な写経を次々と手がけて高い造紙・造本の技術を培っていた宮内官管轄下の写経所は、天皇の厳しい注文によく応えた。

 この巻子本の装丁を満足な面持ちでしばし眺めた後、持統天皇はこれを手にとって、その紐を静かに解いた。見返しに続いて、当時の最高級の純白の麻紙に、謹直な楷書で書かれた本文が現れた。白地に映える鮮やかな墨の色は、力強い生命力を感じさせた。

 冒頭には、「万葉集」という内題が記されている。この題は、天皇と、編集の実務を担当した柿本人麻呂が何度も意見を交換して決定したものであった。続いて「泊瀬朝倉宮治天下天皇代」(雄略天皇代)という標目が書かれ、その次行には「天皇御製歌」と記されている。

  籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持此岳尓菜採須兒……

思わず天皇は口ずさんだ。

  /komojo mikomoti Fukusimojo mibukusimoti kono?okani natumasuko/

 日本語を書き表すために独自な用いられ方をした漢字をリズミカルに読み上げるにつれ、蘇る季節の中、人も自然も喜びに満ちた光景が立ち上がってくる。

 巻子本を繙いてゆくと、次々と、左手から皇統の祖で、幼い日よりその存在の大きさを聞かされてきた祖父・舒明天皇、そして若き日の自分を、早く亡くなった母に代わって養育してくれた祖母・皇極・斉明天皇、近江でともに暮らした父・天智天皇、厳しい戦争をともに戦い抜いた夫・天武天皇ら懐かしい人々の治世の歌々が現れては、右手に巻き込まれてゆく。

 言葉の力に満ちたこれらの歌々は、舒明天皇から天武天皇までの波乱に富んだ時代に、目映いばかりに光り輝く輪郭を与えていた。あまたの政争の渦、人間の欲望との欲望のぶつかり合いなど個々の歴史的事実は遠景に退けられ、天皇たちの治世の意味が人々の心にはっきりと刻みつけられるのであった。

 そして持統天皇自らの時代「藤原宮治天下天皇代」。治世者として立った自身への、聖地天香具山からの祝福の歌に始まり、父の時代への鎮魂、夫への追慕が奏でられた後に、軽皇子を中心とする新しい時代の到来が高らかに宣言される。

 このささやかな巻子本において、古代の政治と文化の歴史は、舒明天皇から軽皇子(文武天皇)に至る一筋の系譜に収斂した。舒明天皇・皇極天皇の二代の天皇を即位させ、絶大な権力を誇った蘇我氏の影は見えない。新しい政治を断行した孝徳天皇の姿も、天智天皇の皇子で、近江朝廷を率いて天武天皇と戦った大友皇子の姿もここにはない。皇位は、舒明天皇、皇極・斉明天皇、天智天皇、天武天皇、持統天皇、そして軽皇子(文武天皇)へと真直ぐに受け継がれてゆくのである。

 史書では語り尽くせぬ約70年の「日本」の《歴史》を「やまと歌」によって鮮やかに示したこの巻子本を巻き直して、紐を結んだ持統天皇はつぶやいた。「私たちの真の歴史が今ここに始まった。未来永劫続いてゆく歴史が」と。