2009年8月12日水曜日

木版印刷の熟練の技(その2)

文字と余白と力:塙保己一史料館

先の記事「木版印刷の熟練の技」で紹介しましたように、毎年、塙保己一史料館で、社団法人・温故学会主催の、《江戸時代の版木を摺ってみよう》の企画が行われています。

2009年も7月25日(土)と8月2日(日)に開催されました。私も8月2日に参加しました。昨年、印刷した『元暦校本万葉集』が、まだまだ不満足なものであったので、もう一度挑戦してみたい、と思っていました。

しかしそれ以上に、文化庁の登録有形文化財ともなっている塙保己一史料館の建物(1927年完成)の、畳敷きの2階講堂で行われる「摺立(すりたて)」の、静かで暖かな雰囲気が、忘れ難いものになっていました。

今年も、日本の木版印刷について、学ぶところがたくさんありました。今回は、①『群書類従』第296の「今川了俊和哥所江不審条々〔今称二言抄〕」、②山崎美成(やまざきよししげ)編『御江戸図説集覧』、③『元暦校本万葉集』巻1の目録、の3枚の版木の印刷を体験させてもらいました。

今年は小学生の子どもたちが、何人も参加していました。まず子どもたちから印刷を始めました。驚いたことに、初めての木版印刷なのに、皆きれいに摺り上げました。参加していた大人たちからは、拍手が起こりました。

木版体験
(初めて木版印刷をした子どもたちと理事長代理の斎藤幸一さん)

温故学会理事長代理・斎藤幸一氏によれば、印刷は5~6秒程度で、手早く刷り上げなければいけません。このお話を考え合わせると、子どもたちの、やさしい手の力が、木版印刷に合っていたのだ、と思いました。

昨年、私はバレンで刷っている途中で、墨を紙から吹き出させてしまうという失敗をしました。今思うと、墨を多く塗りすぎただけではなく、力も入れすぎていたようです。

ところで、①の『群書類従』を今回初めて印刷しましたが、バレンで摺っていると、手に不思議な心地よさを覚えました。それは、『群書類従』の版面の文字の多さと、その性質によるのでしょう。

群書類従の版木

『群書類従』は、1頁あたり10行、上下がきちんと揃っています。1行には、20~25文字ほどが、小さめの文字で彫られています。句読点や改行はありません。文字の彫られた〈区画〉が定まっており、字粒もある程度揃っている版面は、実に整然としたものです。

しかし、文字は漢字・平仮名交じりで変化があります。文字の大きさも決して均一ではありません。さらに文字を連綿させて、流動感もあります。

『群書類従』の版面は、整然としたものでありながら、同時に、適度に変化のあるものとなっているのです。それが、印刷の効率のよさをもたらすとともに、刷り上りの美しさを生み出しているのでしょう。印刷と手書き文字とを調和させた和学講談所の技術に、改めて感銘を受けました。

群書類従と元暦校本
(私の摺った群書類従と元暦校本。まだまだ未熟です)

そのような観点からすると、平安時代の名筆である、『元暦校本万葉集』を版木に彫り、印刷するというのは、極めて大胆な事業であったと思います。

『元暦校本万葉集』は、一定の〈区画〉を、整然と文字で埋めている、というわけではありません。まず『万葉集』の写本そのもののレイアウトが複雑です。その上、平安時代の写本である『元暦校本万葉集』は、文字と余白の調和も充分に配慮しています。また頁によって、書体や字形を自由に変えることも、行っています。

この『元暦校本万葉集』を、忠実に木版印刷で再現することが、どれほど難しいものであったか、想像に余りあります。

そして『元暦校本万葉集』を正式に印刷する場合には、まず本文の周囲の界線(罫線)を摺り、次に墨で本文を摺り、最後に朱の墨で、朱の書入(かきいれ)を摺る、という3段階の印刷を行います。斎藤氏のお話では、朱の書入は、刷毛ではなく、筆で朱の墨を塗って印刷する、とのことです。気の遠くなるような細かい作業です。

それにもかかわらず、塙保己一検校は、何としても『元暦校本万葉集』の“姿”を、当時の人々に伝えたいと思ったのでしょう。

やはり今年も『元暦校本万葉集』の印刷は、容易ではありませんでした。力を少し抑え気味にしましたので、昨年よりは、心なしか、少しはうまく摺れたような気がします(しかし、ご覧の通り、均一に摺るまでにはいたっていません)。

日本の木版印刷の技術の高さについて、ますます興味を覚えています。

*今回も斎藤幸一氏をはじめ、温故学会の皆様に大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。
塙保己一史料館・温故学会ホームページ