万葉集1250年の展覧会
今年は、大伴家持が『万葉集』の巻末歌、巻20・4516を、天平宝字3年(759)に制作してから、1250年になります。来年は、平城遷都1300年ということもあって、この秋から来年にかけて、『万葉集』に関わる展覧会が、多く開催されそうです。
○夏季特別展「春日懐紙・春日本万葉集とふるさとの文芸」(重要文化財指定記念)
石川・石川県立歴史博物館 2009年7月18日(土)~8月31日(月) 会期中無休
・春日懐紙・春日本万葉集(春日懐紙として17枚)
*「春日懐紙」は、13世紀前半の奈良の春日社周辺の神官・僧侶の和歌懐紙です。この懐紙の紙背を利用して、春日若宮社神主の中臣祐定(なかとみのすけさだ。後に祐茂〈すけしげ(すけもち)〉)が寛元元年(1243)から2年に書写した、『万葉集』の写本が、「春日本万葉集」です。仙覚と同時代の、「非仙覚本」として、極めて重要な写本です。
��「春日本万葉集」は、漢字本文の右傍に訓を片仮名で書き込む形式(傍訓形式)をとっています。傍訓形式が、平安末期から鎌倉時代にかけて、広く受け入れられていたことがわかります。また漢字本文の書風にも注目したいと思います。
��今回展示されるものをはじめ、「春日懐紙」「春日本万葉集」については、田中大士氏(文部科学省)の研究があります。その精密で献身的な研究が推進力となって、石川県立歴史博物館蔵の「春日懐紙(春日本万葉集)」は、2009年3月19日、重要文化財に指定されました。
〔今回の展示に関わる田中氏の主な論文〕
①「春日本万葉集と春日懐紙」『国文学』第49巻第8号、2004年7月
②「石川県立歴史博物館蔵春日懐紙・春日本解説」『石川県立歴史博物館紀要』第21号、2009年
○常設展「ひむがしの...-万葉集1250年によせて-」
東京・東京大学総合図書館 2009年7月24日(金)~10月16日(金)
��8月27日(木)、9月17日(木)、9月27日(日)休館)
・「東」をキーワードに、東京大学総合図書館の所蔵する関連資料を展示。
○「万葉集享受の世界―國學院大學学びへの誘い―(松本)」
長野・松本市時計博物館 2009年9月19日(土)~27日(日)(24日(木)休館)
・元暦校本万葉集断簡(有栖川切) 〔平安後期〕
・春日本万葉集断簡 〔鎌倉中期〕
・『古葉略類聚鈔(こようりゃくるいじゅうしょう)』の写本
・仙覚『万葉集註釈』の写本
*9月20日(日)に城崎陽子氏(國學院大學兼任講師)の講演もあります。
○企画展「万葉時代の大宰府」
福岡・財団法人古都大宰府保存協会 大宰府展示館 2009年10月10日(土)~11月17日(火)
○「「万葉集」1250年記念展」(仮称)
東京・早稲田大学総合学術センター 2009年10月16日(金)~11月17日(火)
��10月18日以外の日曜・祝日は閉室)
・早稲田大学図書館の所蔵する、『万葉集』関連資料を展示。貴重な「柘枝切(つみのえぎれ)」も展示される予定(2枚しか発見されていないうちの1枚)。
*「柘枝切」は、『万葉集』の鎌倉時代の古写本の断簡です。漢字本文の右傍に片仮名で訓を書き入れた傍訓形式をとっています(左に「仙覚本」の訓を書き入れたところもあります)。この早稲田大学図書館蔵切によって、「柘枝切」が非仙覚本であることが、明らかになりました(田中大士氏「柘枝切万葉集考―片仮名訓本としての性格―」『早稲田大学日本古典籍研究所年報』第2号、2009年3月)。
��鎌倉時代の『万葉集』を知るための貴重な資料です。また濃墨で堂々と書かれた書も、見ごたえがあります。
��展示内容の詳細がわかり次第、このブログで改めて紹介します。
2009年8月14日金曜日
2009年8月12日水曜日
木版印刷の熟練の技(その2)
文字と余白と力:塙保己一史料館
先の記事「木版印刷の熟練の技」で紹介しましたように、毎年、塙保己一史料館で、社団法人・温故学会主催の、《江戸時代の版木を摺ってみよう》の企画が行われています。
2009年も7月25日(土)と8月2日(日)に開催されました。私も8月2日に参加しました。昨年、印刷した『元暦校本万葉集』が、まだまだ不満足なものであったので、もう一度挑戦してみたい、と思っていました。
しかしそれ以上に、文化庁の登録有形文化財ともなっている塙保己一史料館の建物(1927年完成)の、畳敷きの2階講堂で行われる「摺立(すりたて)」の、静かで暖かな雰囲気が、忘れ難いものになっていました。
今年も、日本の木版印刷について、学ぶところがたくさんありました。今回は、①『群書類従』第296の「今川了俊和哥所江不審条々〔今称二言抄〕」、②山崎美成(やまざきよししげ)編『御江戸図説集覧』、③『元暦校本万葉集』巻1の目録、の3枚の版木の印刷を体験させてもらいました。
今年は小学生の子どもたちが、何人も参加していました。まず子どもたちから印刷を始めました。驚いたことに、初めての木版印刷なのに、皆きれいに摺り上げました。参加していた大人たちからは、拍手が起こりました。
(初めて木版印刷をした子どもたちと理事長代理の斎藤幸一さん)
温故学会理事長代理・斎藤幸一氏によれば、印刷は5~6秒程度で、手早く刷り上げなければいけません。このお話を考え合わせると、子どもたちの、やさしい手の力が、木版印刷に合っていたのだ、と思いました。
昨年、私はバレンで刷っている途中で、墨を紙から吹き出させてしまうという失敗をしました。今思うと、墨を多く塗りすぎただけではなく、力も入れすぎていたようです。
ところで、①の『群書類従』を今回初めて印刷しましたが、バレンで摺っていると、手に不思議な心地よさを覚えました。それは、『群書類従』の版面の文字の多さと、その性質によるのでしょう。
『群書類従』は、1頁あたり10行、上下がきちんと揃っています。1行には、20~25文字ほどが、小さめの文字で彫られています。句読点や改行はありません。文字の彫られた〈区画〉が定まっており、字粒もある程度揃っている版面は、実に整然としたものです。
しかし、文字は漢字・平仮名交じりで変化があります。文字の大きさも決して均一ではありません。さらに文字を連綿させて、流動感もあります。
『群書類従』の版面は、整然としたものでありながら、同時に、適度に変化のあるものとなっているのです。それが、印刷の効率のよさをもたらすとともに、刷り上りの美しさを生み出しているのでしょう。印刷と手書き文字とを調和させた和学講談所の技術に、改めて感銘を受けました。
(私の摺った群書類従と元暦校本。まだまだ未熟です)
そのような観点からすると、平安時代の名筆である、『元暦校本万葉集』を版木に彫り、印刷するというのは、極めて大胆な事業であったと思います。
『元暦校本万葉集』は、一定の〈区画〉を、整然と文字で埋めている、というわけではありません。まず『万葉集』の写本そのもののレイアウトが複雑です。その上、平安時代の写本である『元暦校本万葉集』は、文字と余白の調和も充分に配慮しています。また頁によって、書体や字形を自由に変えることも、行っています。
この『元暦校本万葉集』を、忠実に木版印刷で再現することが、どれほど難しいものであったか、想像に余りあります。
そして『元暦校本万葉集』を正式に印刷する場合には、まず本文の周囲の界線(罫線)を摺り、次に墨で本文を摺り、最後に朱の墨で、朱の書入(かきいれ)を摺る、という3段階の印刷を行います。斎藤氏のお話では、朱の書入は、刷毛ではなく、筆で朱の墨を塗って印刷する、とのことです。気の遠くなるような細かい作業です。
それにもかかわらず、塙保己一検校は、何としても『元暦校本万葉集』の“姿”を、当時の人々に伝えたいと思ったのでしょう。
やはり今年も『元暦校本万葉集』の印刷は、容易ではありませんでした。力を少し抑え気味にしましたので、昨年よりは、心なしか、少しはうまく摺れたような気がします(しかし、ご覧の通り、均一に摺るまでにはいたっていません)。
日本の木版印刷の技術の高さについて、ますます興味を覚えています。
*今回も斎藤幸一氏をはじめ、温故学会の皆様に大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。
塙保己一史料館・温故学会ホームページ
先の記事「木版印刷の熟練の技」で紹介しましたように、毎年、塙保己一史料館で、社団法人・温故学会主催の、《江戸時代の版木を摺ってみよう》の企画が行われています。
2009年も7月25日(土)と8月2日(日)に開催されました。私も8月2日に参加しました。昨年、印刷した『元暦校本万葉集』が、まだまだ不満足なものであったので、もう一度挑戦してみたい、と思っていました。
しかしそれ以上に、文化庁の登録有形文化財ともなっている塙保己一史料館の建物(1927年完成)の、畳敷きの2階講堂で行われる「摺立(すりたて)」の、静かで暖かな雰囲気が、忘れ難いものになっていました。
今年も、日本の木版印刷について、学ぶところがたくさんありました。今回は、①『群書類従』第296の「今川了俊和哥所江不審条々〔今称二言抄〕」、②山崎美成(やまざきよししげ)編『御江戸図説集覧』、③『元暦校本万葉集』巻1の目録、の3枚の版木の印刷を体験させてもらいました。
今年は小学生の子どもたちが、何人も参加していました。まず子どもたちから印刷を始めました。驚いたことに、初めての木版印刷なのに、皆きれいに摺り上げました。参加していた大人たちからは、拍手が起こりました。
(初めて木版印刷をした子どもたちと理事長代理の斎藤幸一さん)
温故学会理事長代理・斎藤幸一氏によれば、印刷は5~6秒程度で、手早く刷り上げなければいけません。このお話を考え合わせると、子どもたちの、やさしい手の力が、木版印刷に合っていたのだ、と思いました。
昨年、私はバレンで刷っている途中で、墨を紙から吹き出させてしまうという失敗をしました。今思うと、墨を多く塗りすぎただけではなく、力も入れすぎていたようです。
ところで、①の『群書類従』を今回初めて印刷しましたが、バレンで摺っていると、手に不思議な心地よさを覚えました。それは、『群書類従』の版面の文字の多さと、その性質によるのでしょう。
『群書類従』は、1頁あたり10行、上下がきちんと揃っています。1行には、20~25文字ほどが、小さめの文字で彫られています。句読点や改行はありません。文字の彫られた〈区画〉が定まっており、字粒もある程度揃っている版面は、実に整然としたものです。
しかし、文字は漢字・平仮名交じりで変化があります。文字の大きさも決して均一ではありません。さらに文字を連綿させて、流動感もあります。
『群書類従』の版面は、整然としたものでありながら、同時に、適度に変化のあるものとなっているのです。それが、印刷の効率のよさをもたらすとともに、刷り上りの美しさを生み出しているのでしょう。印刷と手書き文字とを調和させた和学講談所の技術に、改めて感銘を受けました。
(私の摺った群書類従と元暦校本。まだまだ未熟です)
そのような観点からすると、平安時代の名筆である、『元暦校本万葉集』を版木に彫り、印刷するというのは、極めて大胆な事業であったと思います。
『元暦校本万葉集』は、一定の〈区画〉を、整然と文字で埋めている、というわけではありません。まず『万葉集』の写本そのもののレイアウトが複雑です。その上、平安時代の写本である『元暦校本万葉集』は、文字と余白の調和も充分に配慮しています。また頁によって、書体や字形を自由に変えることも、行っています。
この『元暦校本万葉集』を、忠実に木版印刷で再現することが、どれほど難しいものであったか、想像に余りあります。
そして『元暦校本万葉集』を正式に印刷する場合には、まず本文の周囲の界線(罫線)を摺り、次に墨で本文を摺り、最後に朱の墨で、朱の書入(かきいれ)を摺る、という3段階の印刷を行います。斎藤氏のお話では、朱の書入は、刷毛ではなく、筆で朱の墨を塗って印刷する、とのことです。気の遠くなるような細かい作業です。
それにもかかわらず、塙保己一検校は、何としても『元暦校本万葉集』の“姿”を、当時の人々に伝えたいと思ったのでしょう。
やはり今年も『元暦校本万葉集』の印刷は、容易ではありませんでした。力を少し抑え気味にしましたので、昨年よりは、心なしか、少しはうまく摺れたような気がします(しかし、ご覧の通り、均一に摺るまでにはいたっていません)。
日本の木版印刷の技術の高さについて、ますます興味を覚えています。
*今回も斎藤幸一氏をはじめ、温故学会の皆様に大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。
塙保己一史料館・温故学会ホームページ
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