【藍紙本万葉集巻第九の継ぎ直しに関して】
先の記事「『美の万葉集』」で紹介しました、私の研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」につきまして、お読みくださった方々から、貴重なご意見を賜りました。心より御礼申し上げます。
その中で、特に考え直すことが必要な点がありました。「継ぎ直された巻第九」の項で、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目で、上となっている料紙の文字が切れていることに注目して、私は次のように記しました。
◆「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、巻首に近い方の料紙の左端を裁って整えた上で継ぎ直されたと考えられます。」(326頁)
これについて、公益財団法人根津美術館の松原茂氏より、左端の、文字の書かれたところを裁つということはありえず、むしろ次の料紙にかかっていた部分が、継ぎ直しの際に継ぎ目の下に隠れてしまっているのではないか、というご意見を賜りました。
確かに、修補の際に、文字の書かれた部分を裁つことが果たしてあるのか、原本調査の時から疑問を覚えていました。しかし、同時に「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかかることを避ける傾向が強く見られ、私は「藍紙本万葉集」では、本来継ぎ目に文字がかかることはなかったのではないか、という先入観を持ってしまっていました。
研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」では割愛しましたが、原本調査の時に、巻第九の継ぎ目幅(糊代)のデータも採取していました。確認できるところでは、継ぎ目幅は、3~4mmほどですが、しばしば4mm幅のところが見られます。研究報告の図1に示した、第④紙と第⑤紙の継ぎ目幅も4mmです。
��mmは巻子本の継ぎ目幅としては広めです。奈良朝写経や巻子本に仕立てられた正倉院文書、またきちんと造られた敦煌写経では、継ぎ目幅は3mmが標準です。繊細に造られたものでは2mmのものもあります。
*正倉院文書については、杉本一樹氏『日本古代文書の研究』(吉川弘文館、2001年)の71~72頁参照。杉本氏は「糊代が2ミリではやや頼りなく、4ミリになるとこれはもう何となく野暮ったい、というのが私の印象である」と述べています。
「藍紙本万葉集」が継ぎ直される時に、継ぎ目幅が本来のものよりも広くとられ、次の料紙にかかっていた文字が継ぎ目の下に潜り込んでしまった可能性は、十分に考えられます。
現在、継ぎ目の下の料紙の様子を、目で確認することはできません。将来何らかの方法で、それが確認できるようになることを期待しています。
なお、「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかからないように書く傾向が強いことについても、さらに考察を深めてゆきたく思います。
そこで、326頁の記述を、次のように改めたいと思います。
◇「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、本来よりも糊代をやや広めにとって継ぎ直されたように思われます。」
なお、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目幅のデータについては、将来この研究報告をまとめ直す折に、全て提示したく思っております。
先入観にとらわれずに、データの物語ることに、注意深く耳を澄ますことの大切さを、改めて痛感しました。
2012年5月19日土曜日
2012年4月30日月曜日
『萬葉学史の研究』の在庫について
2007年2月に上梓し、2008年10月に第2刷を発行した私の著書『萬葉学史の研究』は、現在アマゾンでは「お取扱いできません」となっており、「日本の古本屋」のサイトにもあまり登場しません。
『萬葉学史の研究』は品切れですね、と言われることが時々あります。実は、版元の「おうふう」にはまだ在庫があります。ご入用の方は、「おうふう」に直接お問い合わせください。または、上代文学会などの学会の大会会場に「おうふう」が出店していますので、そこでお問い合わせください。
おうふうのホームページ
なお、第2刷の際に、誤植の訂正と、6頁の「補記」の追加を行っています。第2刷にて、お読みいただきたく存じます。
「日本の古本屋」や古書店で購入くださる場合には、第2刷であるかどうかを必ずご確認ください。第2刷の特徴は以下です。
① 奥付に次のように記載されています。
二〇〇七年二月二四日 初版一刷発行
二〇〇八年十月一五日 初版二刷発行
〔第1刷では、
二〇〇七年二月一五日 初版印刷
二〇〇七年二月二四日 初版発行〕
② 頁数が640頁です(奥付は639頁にあります)。
〔第1刷は636頁です(奥付は635頁にあります)〕
③ 「あとがき」の末尾に「補記」があります(610~615頁)
『萬葉学史の研究』第2刷をお手元に置いて、利用していただけるならば、この上なく幸いです。
*『萬葉学史の研究』の紹介と目次
『萬葉学史の研究』は品切れですね、と言われることが時々あります。実は、版元の「おうふう」にはまだ在庫があります。ご入用の方は、「おうふう」に直接お問い合わせください。または、上代文学会などの学会の大会会場に「おうふう」が出店していますので、そこでお問い合わせください。
おうふうのホームページ
なお、第2刷の際に、誤植の訂正と、6頁の「補記」の追加を行っています。第2刷にて、お読みいただきたく存じます。
「日本の古本屋」や古書店で購入くださる場合には、第2刷であるかどうかを必ずご確認ください。第2刷の特徴は以下です。
① 奥付に次のように記載されています。
二〇〇七年二月二四日 初版一刷発行
二〇〇八年十月一五日 初版二刷発行
〔第1刷では、
二〇〇七年二月一五日 初版印刷
二〇〇七年二月二四日 初版発行〕
② 頁数が640頁です(奥付は639頁にあります)。
〔第1刷は636頁です(奥付は635頁にあります)〕
③ 「あとがき」の末尾に「補記」があります(610~615頁)
『萬葉学史の研究』第2刷をお手元に置いて、利用していただけるならば、この上なく幸いです。
*『萬葉学史の研究』の紹介と目次
2012年4月11日水曜日
『美の万葉集』
藍紙本万葉集の美
��高岡市万葉歴史館編『美の万葉集』高岡市万葉歴史館論集15、笠間書院、B6判356頁、2012年4月刊、2,800円〈本体〉)
高岡市万葉歴史館の編集する、「高岡市万葉歴史館論集」の第15冊、『美の万葉集』が刊行されました。
「高岡市万葉歴史館論集」は、『万葉集』について年度ごとに、「水辺」「色」「恋」「四季」などのテーマを立て、それをさまざまな角度から追究する論集です。この論集は、市民の中の博物館である高岡市万葉歴史館が、市民に研究成果を広く公開する役割も持っています。
「美」をテーマとするこの第15冊に、私も執筆の機会を賜りました。私の文章は、『萬葉集』の二番目に古い写本である「藍紙本(あいがみぼん。「らんしぼん」とも)万葉集」についての研究報告です。「藍紙本万葉集」は、平安後期・11世紀後半に書写された巻子本で、筆者は当時の能書・藤原伊房(これふさ。行成の孫)と推定されています。薄藍色の料紙にちなんで「藍紙本」と言います。
萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―
一 調度本としての萬葉集古写本
二 平安時代の萬葉集古写本
三 藍紙本の料紙装飾(藍紙本の復元)
四 巻第九の原姿(藍紙本の復元)
五 藍紙本の美
*口絵カラー図版
1 萬葉集巻第九残巻(藍紙本)〈国宝〉(京都国立博物館蔵)巻9・1691
2 同上 巻9・1707
3 同上 料紙表面の顕微鏡写真
(*3は、私が撮影したものを京都国立博物館の御許可を得て掲載しました)
*付 表1 藍紙本巻第九の色相と横寸法
表2 藍紙本断簡の色相と寸法
表3 薄藍色の漉き染め紙の料紙の厚さ
図1 萬葉集巻第九残巻(藍紙本)〈国宝〉(京都国立博物館蔵)第4紙と第5紙の継ぎ目
図2 同上 巻9・1804下部の補修箇所(第23紙)
図3 藍紙本萬葉集巻第九の推定原形と現状
私の研究報告では、京都国立博物館御所蔵の「藍紙本万葉集巻第九残巻」をはじめ、諸機関御所蔵の断簡や、同時期製作の藍紙の経典の調査をもとに、まず「藍紙本万葉集」の本来の装飾や規模を推定しました。
今日見る「藍紙本万葉集」は大小の銀の揉み箔を料紙全面に散らした華やかなものとなっています。金の揉み箔を散らしたところもあります。しかし、当初は、小さな銀の揉み箔のみをまばらに散らした静謐で気品あるものであったと考えられます。
現在「藍紙本万葉集巻第九残巻」は、本紙(ほんし)25紙と巻首紙・尾紙の各1紙の全27紙からなります(全長12.208m)。切り出された断簡をもとに戻し、また失われた部分の行数を計算すると、「藍紙本万葉集」の巻第九は本来本紙37紙、尾紙1紙の合計38紙からなり、その全長は約18mにも及ぶものであったと推定されます。威厳に満ちた姿が浮かび上がります。
また、私の研究報告では、「藍紙本万葉集」に独特な力強い筆致と料紙の関係を考察しました。
「藍紙本万葉集」の料紙は、一度漉いた地紙(じがみ)の上に、着色した繊維を流し掛けて堆積させる「漉き掛け」という技法によって色付けされています。それを示すのが、口絵に掲載した顕微鏡写真です。目の詰まった細い雁皮の無染色繊維の間を、鮮やかな青色に染まった太く長い楮(こうぞ)の繊維が走っていることが確認できます。
この「漉き掛け」の技法による料紙は、平滑で筆の滑りがよく墨が滲まない雁皮紙(がんぴし)と、濃い墨や細い線ではかすれやすい楮紙(ちょし)の両方の性質を具えることになります。能書・藤原伊房はこの特徴を最大限に利用して、「かすれ」を多用して力感と速度感を表現するとともに、濃墨の極太と極細の筆線によって強い装飾性をも実現していったと思われます。
そして、「藍紙本万葉集」の原姿や、その書のベースにある濃墨の重厚な上に柔らかみのある文字の姿に、同時代に薄藍色の経典が製作されていることや、青色が仏の国を荘厳する七宝の一つの「瑠璃」を表すものであったことなどを考え合わせると、「藍紙本万葉集」は供養(自分自身のための供養も含めて)を目的に作られた“祈りの書物”であった可能性があります。
詳細につきましては、この研究報告を御一読いただければ幸いです。なお、「研究報告」ではありますが、万葉集古写本の「美」について多くの皆様に知っていただきたく思い、論文のスタイルは採らず、叙述の仕方も可能な限り平易をめざしました。日本の豊かな書物文化に触れる一助にしていただければと願っております。
調査・研究を進めるに当たり、本当に多くの方々から大きなご支援とご学恩を賜りました。また顕微鏡写真を含め、図版の掲載につきましては、京都国立博物館の格別の御厚意により、掲載許可を賜りました(顕微鏡写真の不鮮明なところは、私の撮影技術の未熟さによるものです)。厚く御礼申し上げます。
なお、編集委員会の「編集後記」によれば、「高岡市万葉歴史館論集」はこの第15冊をもってひとまず休刊となります。開館25周年を迎える平成27年度(2015)まで、充電期間を持ちたいとのことです。『万葉集』の研究と普及に大きな役割を果たして来られた高岡市万葉歴史館の益々のご発展を心より祈念しております。
最後に私事にわたりますが、小松茂美先生の三回忌の行われる年に、この研究報告をまとめる機会を得ましたことを本当にありがたく思っております。
【目次】
『美の万葉集』の目次を紹介します。
万葉集の「美」について(坂本信幸)
「天離る夷」考―都の美と夷の情と―(岩下武彦)
ことばの「美」―序詞― ―用語「序」の発見をめぐって―(近藤信義)
さびしからずや道を説く君―天平感宝元年の家持をめぐって―(新谷秀夫)
女歌の美―大伴坂上郎女の言葉―(井ノ口史)
藤波の美の誕生―大伴家持「布勢の水海」遊覧歌―(田中夏陽子)
風土の美をうたう(関隆司)
天象の美(垣見修司)
赤人・ことばの美的整斉(森朝男)
大伴家持の美―巻十九巻頭越中秀吟―(小野寛)
萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―(小川靖彦)
【訂正】私の研究報告中に誤りがありました。深くお詫び申し上げます。
320頁14行 (誤)財団法人国立文化財機構 (正)独立行政法人国立文化財機構
330頁5行 (誤)岡泰央(やすお) (正)岡泰央(やすひろ)
2012年4月2日月曜日
2013年度からの青山学院大学日本文学科
来年の2013年4月から、いよいよ青山学院大学日本文学科のカリキュラムが新しい体制となります。
東日本大震災のため延期になった文学部の青山キャンパス統合が、2013年4月に実現します。これに合わせて、新カリキュラムも2013年4月にスタートします。
この新しいカリキュラムについて、改めてアナウンスします。
■従来の「文学・語学コース」「日本語教育コース」の2コースが、「日本文学コース」「日本語・日本語教育コース」の2コースに再編成されます。
■「日本文学コース」には、日本文学を国際的な視野から捉える力を養う「文学交流科目」と、多様な表象を通して現代を論じる力を養う「表象文化科目」が新たに設置されます。
*「文学交流」とは、文学分野での国際的な交流を意味します。「文学交流科目」では、日本文学が海外の文学から受けた影響だけでなく、海外の文学に与えた影響についても考察を深めます。
■「文学交流科目」
「日本学入門」「文学交流入門」「日本文学研究のための英語」(1・2年次)
「文学交流特講」「日本文学とアメリカ・ヨーロッパ」「日本文学とアジア」「中国文学・思想特講」(2~4年次)
「文学交流演習」「翻訳演習」「中国文学・思想演習」(2~4年次)
■「表象文化科目」
従来の「表象文化論」(2~4年次)に、その基礎科目として「表象文化研究概論」(1・2年次)が加わります。
■「日本語・日本語教育コース」には、「文章表現法」「音声表現法」という日本語表現技術を学ぶ科目が、新たに設置されます(「日本文学コース」の学生も履修できます)。
■「日本語・日本語教育コース」の学生は、最終的には日本語専攻と日本語教育専攻に分かれますが、どちらの専攻の学生も、日本語学と日本語教育の両方の知識を身につけることになります。
新しい視野から日本文学、中国古典文学、日本語、日本語教育を学びたいという、意欲あふれる皆さんをお待ちしています。
2012年1月9日月曜日
新たな日本語・日本文学一般誌の刊行を願う
『國文學 解釈と教材の研究』『国文学 解釈と鑑賞』の休刊
2011年10月号で、至文堂編集・ぎょうせい発行の『国文学 解釈と鑑賞』誌が休刊となりました。既に學燈社発行の『國文學 解釈と教材の研究』誌が2009年7月号を最後に休刊となっています。日本語・日本文学に関する一般誌が、出版界から姿を消しました。
読者として、また執筆者として両誌に育てられてきた一人として、私はこのことを大変残念に思っております。両誌の休刊は、日本語・日本文学研究者にとっても、また日本語・日本文学に関心を持つ読者にとっても、大きな痛手に他なりません。
確かに、『国文学 解釈と鑑賞』(1936年〈昭和11〉6月1日創刊)、『國文學 解釈と教材の研究』(1956年〈昭和31〉4月20日創刊)を支えてきた、社会のあり方が大きく変化したことは事実です。副題に表れているように、両誌は研究(国文学研究)と教育(国文教育・国語教育)の連繋をめざしていました。しかし、今日では研究と教育の隔たりは、広がるばかりです。
そもそも日本語・日本文学研究を取り巻く環境も、厳しいものとなっています。さまざまな困難が降りかかってきていますが、意欲ある若い人々を強く惹き付ける力が、減退しつつあることが、何よりも不安に感じられます。
しかし、このような状況であるからこそ、日本語・日本文学に関する一般誌の意義が高まっているのではないでしょうか。日本語・日本文学研究者は、研究の細分化が急激に進む中、日本語・日本文学のさまざまな分野の基本的研究情報を手に入れたいと思っています。また、日本語・日本文学に関心のある読者は、多数潜在しており、拠るべき水先案内人を求めています。
日本語・日本文学の魅力や、日本語・日本文学に関する広範囲の研究情報を、わかりやすく、しかも高い信頼性とスピードをもって伝えることができるのは、一般誌に他なりません。
私は具体的には次のような一般誌の登場を願っています。
(1)あくまでも日本語・日本文学、つまり「言語と文学」を中心に置いた一般誌
『国文学 解釈と鑑賞』誌と『國文學 解釈と教材の研究』誌はある時点から、日本語・日本文学の周辺領域の特集に力を入れるようになりました。読者層の拡大をめざしたのでしょう。しかし、従来の読者は離れていってしまったように思います。
愚直なまでに「言語と文学」にこだわり続ける姿勢が大切です。あくまでも、日本語・日本文学の研究者と、日本語・日本文学に関心を持つ人々を、中核となる読者として考えるべきです。
ですから、『万葉集』『源氏物語』『奥の細道』などの主要な作品や、「写本」「出版」「本文の捉え方」などの基礎的で、しかも新しい研究成果が蓄積されつつあるテーマについては、繰り返し特集が組まれてよいと思います。
(2)編集力が行き渡った特集を組んだ一般誌
それだけに、編集力が重要となります。「論文」の寄せ集めでは、読者を惹き付けることはできません。特集号として、何を伝えたいかを強く意識することが必要です(「研究の最前線」や「新しい研究」というコンセプトでは、不十分です)。明確な編集意識に貫かれた、熱気ある特集号が望まれます。
日本語・日本文学の研究者などから編集人を立てて、ある期間その人(または人々)が連続して企画を担当することがあってよいと思います。ただし、その場合に、同じ執筆者集団が繰り返し登場することは避けるべきです。同じ執筆者集団では、回を重ねる度に、執筆者の意欲も読者の関心も弱まり、全体のエネルギーが下がるからです。編集人には、企画にあった人材を、その都度発掘する努力が必要です。
意想外の執筆者を組み合わせて、新しい化学反応を起させるということも、編集人が思い切って試みたならば面白いと思います。
また編集人は、その特集に掲載する文章が、日本語・日本文学の特定分野の専門家のみを相手とする学術論文にならないようにリードし、助言する役割も果たします。
*『国文学 解釈と鑑賞』の「三島由紀夫というプリズム」の特集号は、近年では例外的に熱気ある企画で(2011年4月号)、編集人の井上隆史氏(白百合女子大学教授)の熱意が隅々にまで感じられました。専門外の私も引き込まれて読みました。ただし、図版を多く用いたならば、もっと多くの読者が手に取ったに相違ないことが、惜しまれます。
一日も早い、日本語・日本文学研究の一般誌の刊行を願ってやみません。
2011年10月号で、至文堂編集・ぎょうせい発行の『国文学 解釈と鑑賞』誌が休刊となりました。既に學燈社発行の『國文學 解釈と教材の研究』誌が2009年7月号を最後に休刊となっています。日本語・日本文学に関する一般誌が、出版界から姿を消しました。
読者として、また執筆者として両誌に育てられてきた一人として、私はこのことを大変残念に思っております。両誌の休刊は、日本語・日本文学研究者にとっても、また日本語・日本文学に関心を持つ読者にとっても、大きな痛手に他なりません。
確かに、『国文学 解釈と鑑賞』(1936年〈昭和11〉6月1日創刊)、『國文學 解釈と教材の研究』(1956年〈昭和31〉4月20日創刊)を支えてきた、社会のあり方が大きく変化したことは事実です。副題に表れているように、両誌は研究(国文学研究)と教育(国文教育・国語教育)の連繋をめざしていました。しかし、今日では研究と教育の隔たりは、広がるばかりです。
そもそも日本語・日本文学研究を取り巻く環境も、厳しいものとなっています。さまざまな困難が降りかかってきていますが、意欲ある若い人々を強く惹き付ける力が、減退しつつあることが、何よりも不安に感じられます。
しかし、このような状況であるからこそ、日本語・日本文学に関する一般誌の意義が高まっているのではないでしょうか。日本語・日本文学研究者は、研究の細分化が急激に進む中、日本語・日本文学のさまざまな分野の基本的研究情報を手に入れたいと思っています。また、日本語・日本文学に関心のある読者は、多数潜在しており、拠るべき水先案内人を求めています。
日本語・日本文学の魅力や、日本語・日本文学に関する広範囲の研究情報を、わかりやすく、しかも高い信頼性とスピードをもって伝えることができるのは、一般誌に他なりません。
私は具体的には次のような一般誌の登場を願っています。
(1)あくまでも日本語・日本文学、つまり「言語と文学」を中心に置いた一般誌
『国文学 解釈と鑑賞』誌と『國文學 解釈と教材の研究』誌はある時点から、日本語・日本文学の周辺領域の特集に力を入れるようになりました。読者層の拡大をめざしたのでしょう。しかし、従来の読者は離れていってしまったように思います。
愚直なまでに「言語と文学」にこだわり続ける姿勢が大切です。あくまでも、日本語・日本文学の研究者と、日本語・日本文学に関心を持つ人々を、中核となる読者として考えるべきです。
ですから、『万葉集』『源氏物語』『奥の細道』などの主要な作品や、「写本」「出版」「本文の捉え方」などの基礎的で、しかも新しい研究成果が蓄積されつつあるテーマについては、繰り返し特集が組まれてよいと思います。
(2)編集力が行き渡った特集を組んだ一般誌
それだけに、編集力が重要となります。「論文」の寄せ集めでは、読者を惹き付けることはできません。特集号として、何を伝えたいかを強く意識することが必要です(「研究の最前線」や「新しい研究」というコンセプトでは、不十分です)。明確な編集意識に貫かれた、熱気ある特集号が望まれます。
日本語・日本文学の研究者などから編集人を立てて、ある期間その人(または人々)が連続して企画を担当することがあってよいと思います。ただし、その場合に、同じ執筆者集団が繰り返し登場することは避けるべきです。同じ執筆者集団では、回を重ねる度に、執筆者の意欲も読者の関心も弱まり、全体のエネルギーが下がるからです。編集人には、企画にあった人材を、その都度発掘する努力が必要です。
意想外の執筆者を組み合わせて、新しい化学反応を起させるということも、編集人が思い切って試みたならば面白いと思います。
また編集人は、その特集に掲載する文章が、日本語・日本文学の特定分野の専門家のみを相手とする学術論文にならないようにリードし、助言する役割も果たします。
*『国文学 解釈と鑑賞』の「三島由紀夫というプリズム」の特集号は、近年では例外的に熱気ある企画で(2011年4月号)、編集人の井上隆史氏(白百合女子大学教授)の熱意が隅々にまで感じられました。専門外の私も引き込まれて読みました。ただし、図版を多く用いたならば、もっと多くの読者が手に取ったに相違ないことが、惜しまれます。
一日も早い、日本語・日本文学研究の一般誌の刊行を願ってやみません。
2011年9月28日水曜日
『萬葉語文研究 第7集』
『万葉集』の基礎研究の新たな展開
��萬葉語文研究会編『萬葉語文研究 第7集』、和泉書院、A4判192頁、2011年9月刊、3300円〈本体〉)
萬葉語文研究会が編集する『萬葉語文研究』の第7集が刊行されました。萬葉語文研究会は、2000年(平成12)に、『万葉集』をはじめ上代文献の語学文学研究会として発足しました。その前身である萬葉有志研究会は、井手至氏(大阪市立大学名誉教授)の発案をもとに、若手研究者が、互いに切磋琢磨する場として、1991年(平成3)に誕生しました
この度刊行された第7集は、巻頭に井手至氏のインタビューを掲げています。このインタビューからは、『万葉集』の厳密な本文批判と訓釈を成し遂げ、また萬葉学会を創設された澤瀉久孝(おもだか・ひさたか)氏(京都大学名誉教授)のお人柄と、澤瀉氏の周りに集った人々の姿が、生き生きと浮かび上がってきます。
続いて、様々な年齢層の研究者による、『万葉集』などに関する基礎的研究の成果が報告されています。訓読・伝本・作品解釈などの地道な研究から、新たな視界が開けてくることが強く感じられる1冊となっています。
私も、「継色紙」と藤原定信筆「金沢本万葉集」を中心に、古写本の本文を、書との関わりで捉え直すことを試みました(美しく書かれた「誤写」の意味するものを考えみました)。
*なお、私の論文と田中大士氏の論文は、2010年度奈良女子大学古代学学術
研究センター「若手研究者 研究支援プログラム(「萬葉集原本への道」)」
での特別講義に基づくものです。
以下に、目次を紹介します。
萬葉学会の草創期を振り返る
―井手 至先生をかこんで―(聴手・毛利正守、坂本信幸、内田賢徳)
「鳥翔成」考(山口佳紀)
万葉集〈片仮名訓本〉の意義(田中大士)
「書物」としての萬葉集古写本
―新しい本文研究に向けて(「継色紙」・金沢本萬葉集を通じて)―(小川靖彦)
山上憶良「貧窮問答歌」について(廣川晶輝)
筑前国風土記逸文(怡土郡)にみる地名起源説話の特徴
―仲哀天皇紀との比較から―(大館真晴)
人麻呂長歌の分節(瀧口翠)
《書評》八木孝昌著『解析的方法による万葉歌の研究』
��「萬」「万」は、固有名詞や論文タイトルについては、原表記に従いました。
和泉書院ホームページ
2011年7月30日土曜日
『校本万葉集』の復興
(『校本万葉集』和装版の首巻・巻上)
「一すぢの光」
東日本大震災から4か月が過ぎました。復興が徐々に進んでいるという知らせに喜び、未だに収束しない放射線による被害の大きさに、悲しみと不安を覚えています。
先の記事「佐佐木信綱の震災の歌」で紹介しましたように、1923年(大正12)9月1日の関東大震災の火災によって失われた『校本萬葉集』は、佐佐木信綱らの驚異的な努力によって、2年後の1925年(大正14)3月に見事に復興を遂げました。
佐佐木信綱宅と、『校本萬葉集』の編者の一人・武田祐吉の手許に、それぞれ1セットの校正刷が残っていたという幸運が、それを可能にしました。
とはいえ、復興に至る道のりは容易なものではありませんでした。『校本萬葉集』を出版する予定であった書肆は、出版を断りました。
「復興という詞は、あらゆるものの標語となつた。貨物自動車はすさまじい音をたてて走せちがひ、槌の音や鉄槌(ハンマー)の音はいたる処に響き渡つた。復興の時は早く来たが、校本萬葉集の復興は、容易でない。さきに出版しようとした書肆は、啓明会からの補助もあつたが、焼失した損害が少なくないので、再び出すことを断つた。一二の人に相談したが、数年後にしたならばといはれたので、自分の心は暗くさびしかつた」(佐佐木信綱「校本萬葉集に就いて」『佐佐木信綱文集』)
この度の東日本大震災でも、出版は大変厳しい状況に直面しています。東北地方の製紙工場が被害を受け、紙不足に見舞われながら、その中で出版を続けていることを、笠間書院の重光徹氏から伺いました。そのような事情もあったのかもしれません。
その信綱に力を与えたのが、11月中旬に信綱を見舞った熊沢一衛(古筆収集家。手鑑「月台帖」の持ち主)の、できる限りの助力はするから是非再興をはかられよ、という激励のことばでした。
一すぢの 光さしぬれ ぬば玉の 心の道の をぐらきに今 (『豊旗雲』)
*『佐佐木信綱全歌集』では、
「ひとすぢの 光はさしぬ ぬばたまの こころの道の をぐらきに今」
力を得た信綱は、出版社に頼らずに、自ら「校本萬葉集刊行会」を興して資金を募り、そして、自分自身のイメージする、書物としての姿を『校本萬葉集』に与えたのでした。関東大震災の時に完成目前であった『校本萬葉集』は洋紙洋装6冊でしたが、再興された『校本萬葉集』は和装帙入25冊、用紙は耐久性を保つために土佐の八千代紙の別漉としました。
多くの人々が、この「校本萬葉集刊行会」に進んで手を差し伸べたことを、信綱は「校本萬葉集に就いて」で、感謝の気持ちを込めて書き記しています。人々の献身的助力が、どれほど信綱の心の支えとなったかが窺われます。
私は、それを具体的に示した資料に出合いました。1931年(昭和6)に、岩波書店から『校本萬葉集』の洋装普及版を出版するに当たって作られたパンフレットです。その裏表紙の見返しに、和装版が出版された時の支援者の名前の一部が記されています。意外な名前も見出せます。実に多くの人々が、『校本萬葉集』の復興に関わっていたのです。
貴重な資料ですので、そのまま引用しおきます(見返しは6段で、一機関または一人1行となっていますが、ここでは列挙します。また旧字体は新字体に改めました)。
本書和装版は
侍従職 皇后宮職 東宮職 宮内大臣官房 図書寮 東京帝室博物館
より御買上の恩命を忝うし
秩父宮家 高松宮家 澄宮家 山階宮家 久邇宮家 梨本宮家 朝香宮家
東久邇宮家 北白川宮家 竹田宮家 昌徳宮家
より同じき光栄を受けぬ
和装版応募諸家芳名録の一部
浅野長武 浅野応輔 青木昌吉 安藤正次 岩原謙三 今井彦三郎
岩崎男爵 上野精一 浦和高等学校 大阪朝日新聞社 大島雅太郎 大谷尊由
大阪府立図書館 大手前高等女学校 沢瀉久孝 筧克彦 春日政治 香取秀真
金沢庄三郎 鐘紡正和婦人会 亀井伯爵 川田順 川合玉堂 喜多又蔵
北原白秋 木村久寿弥太 九州帝国大学 京都帝国大学 京都第一高等女学校
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尾上八郎 折口信夫
[参考文献]
��.佐佐木信綱「校本萬葉集に就いて」『佐佐木信綱文集』竹柏会、1956年
��.佐佐木信綱『作歌八十二年』毎日新聞社、1959年
��.佐佐木信綱『豊旗雲』実業之日本社、1929年
��.『佐佐木信綱全歌集』ながらみ書房、2004年
��.岩波書店作成、『校本萬葉集』の内容案内パンフレット(全18頁、1931年)
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