2012年11月21日水曜日
『万葉集』誕生の物語
(平山郁夫『やすらぎの風景』と『飛鳥・藤原京展』)
藤原宮にて
「書物」としての『万葉集』が誕生した時の情景は、どのようなものであったでしょうか―。“「書物」としての『万葉集』”というテーマに取り組み始めて間もない年頃に、それを「日本の本の物語・序章」というタイトルで小説めいた文章にしてみたことがあります。『万葉集』の誕生した時を具体的に想像すると、その「書物」としての命が新たに感じられるようです。
藤原宮の内裏の持統天皇の御座所に、宮内官が一軸の巻子本を携えて参内したのは、この会議のあった年の秋頃のことであったろうか。
来る年の早々には、軽皇子(かるのみこ)の立太子が行われることが決していた。女官が天皇に奉ったその巻子本は、天皇が普段見慣れていた経巻に比べれば分量の少ないささやかなものであった。しかしその装丁は極めて美しく、見るものを引きつけてやまない気品を湛えていた。
表紙・軸はもちろん、料紙、さらには巻紐に至るまで、天皇は宮内官に細かい注文を付けた。天武元年(673)三月の飛鳥の川原寺での一切経の書写以来、大規模な写経を次々と手がけて高い造紙・造本の技術を培っていた宮内官管轄下の写経所は、天皇の厳しい注文によく応えた。
この巻子本の装丁を満足な面持ちでしばし眺めた後、持統天皇はこれを手にとって、その紐を静かに解いた。見返しに続いて、当時の最高級の純白の麻紙に、謹直な楷書で書かれた本文が現れた。白地に映える鮮やかな墨の色は、力強い生命力を感じさせた。
冒頭には、「万葉集」という内題が記されている。この題は、天皇と、編集の実務を担当した柿本人麻呂が何度も意見を交換して決定したものであった。続いて「泊瀬朝倉宮治天下天皇代」(雄略天皇代)という標目が書かれ、その次行には「天皇御製歌」と記されている。
籠毛與美籠母乳布久思毛與美夫君志持此岳尓菜採須兒……
思わず天皇は口ずさんだ。
/komojo mikomoti Fukusimojo mibukusimoti kono?okani natumasuko/
日本語を書き表すために独自な用いられ方をした漢字をリズミカルに読み上げるにつれ、蘇る季節の中、人も自然も喜びに満ちた光景が立ち上がってくる。
巻子本を繙いてゆくと、次々と、左手から皇統の祖で、幼い日よりその存在の大きさを聞かされてきた祖父・舒明天皇、そして若き日の自分を、早く亡くなった母に代わって養育してくれた祖母・皇極・斉明天皇、近江でともに暮らした父・天智天皇、厳しい戦争をともに戦い抜いた夫・天武天皇ら懐かしい人々の治世の歌々が現れては、右手に巻き込まれてゆく。
言葉の力に満ちたこれらの歌々は、舒明天皇から天武天皇までの波乱に富んだ時代に、目映いばかりに光り輝く輪郭を与えていた。あまたの政争の渦、人間の欲望との欲望のぶつかり合いなど個々の歴史的事実は遠景に退けられ、天皇たちの治世の意味が人々の心にはっきりと刻みつけられるのであった。
そして持統天皇自らの時代「藤原宮治天下天皇代」。治世者として立った自身への、聖地天香具山からの祝福の歌に始まり、父の時代への鎮魂、夫への追慕が奏でられた後に、軽皇子を中心とする新しい時代の到来が高らかに宣言される。
このささやかな巻子本において、古代の政治と文化の歴史は、舒明天皇から軽皇子(文武天皇)に至る一筋の系譜に収斂した。舒明天皇・皇極天皇の二代の天皇を即位させ、絶大な権力を誇った蘇我氏の影は見えない。新しい政治を断行した孝徳天皇の姿も、天智天皇の皇子で、近江朝廷を率いて天武天皇と戦った大友皇子の姿もここにはない。皇位は、舒明天皇、皇極・斉明天皇、天智天皇、天武天皇、持統天皇、そして軽皇子(文武天皇)へと真直ぐに受け継がれてゆくのである。
史書では語り尽くせぬ約70年の「日本」の《歴史》を「やまと歌」によって鮮やかに示したこの巻子本を巻き直して、紐を結んだ持統天皇はつぶやいた。「私たちの真の歴史が今ここに始まった。未来永劫続いてゆく歴史が」と。
2012年9月20日木曜日
NHK文化センター講座「写本で味わう『萬葉集』」のお知らせ
王朝ブックデザインへの招待
この秋、2012年10月より、NHK文化センター青山教室にて、講座「写本で味わう『萬葉集』―王朝ブックデザインの美―」を、下記の要領で開催することになりましたので、お知らせします。
秋の短期講座「写本で味わう『萬葉集』―王朝ブックデザインの美―」
講 師:小川靖彦
日 時:
第1回 2012年10月6日(土) 15:30~17:00 桂本萬葉集―絵と色と書の交響―
第2回 2012年10月27日(土)15:30~17:00 藍紙本萬葉集―祈りの書物―
第3回 2012年11月10日(土)15:30~17:00 金沢本萬葉集―唐紙と躍動する書―
会 場:NHK文化センター青山教室
〒107-8601 東京都港区南青山1-1-1新青山ビル西館4階
電話03-3475-1151
東京メトロ銀座線・半蔵門線、都営大江戸線「青山一丁目」駅直結
受講料:会員9,450円、一般11,340円(消費税込)
(電話で予約ができます)
日本最古の歌集『萬葉集』は、平安時代に美しい写本に仕立てられました。細部まで心の配られた装丁、繊細な色に染められた料紙(金銀で草花や鳥が描かれたり、優美な文様が刷られたりしました)、そして書の名手による漢字と「かな」の交響―。
平安時代の萬葉集古写本は美の粋を極めたものです。そのブックデザインは、世界の書物の文化の中でも誇れるものです。しかもその美は、『萬葉集』の歌の内容とも深く関わっています。
このブログでも、平安時代の萬葉集古写本の美を紹介してきましたが、講座では、最新の研究成果を踏まえながら、画像や複製を用いて、その鑑賞法や楽しみ方を具体的に解説します。
伝統的でありながら斬新で現代的な王朝ブックデザインの感性と美意識は、今日のブックデザインの制作にとっても大きなヒントとなるに相違ありません。
また書かれている『萬葉集』の歌の内容を知って、装丁・料紙・書を見つめ直すと、それらの深い意匠に驚きを覚えます。平安の能書たちが、どのように歌を味読し、これに姿を与えようとしたかを、丁寧に見つめてゆきます。
そして、写本の美に注目する時、『萬葉集』の歌は今まで以上の魅力を見せてくれます。歌に込められた心を味わい、「歌」とは何か、をご一緒に考えたいと思っています。
『萬葉集』に関心のある方にも、ブックデザインに関わっていらっしゃる方にも、平安時代の料紙装飾に興味のある方にも、古筆をさらに深く味わいたい方にも、是非ご参加いただきたいと願っております。もちろん日本の文化や美、世界の文学や書物に関心のある方ならば、どなたも大歓迎です。
第1回 桂本(かつらぼん)萬葉集(平安中期・11世紀半ば、源兼行筆)
―絵と色と書の交響―
『萬葉集』の現存最古の写本。巻子本。
色変わりの染紙に金銀で草花や鳥を描く。次々と変化してゆく書の姿は音楽的。恋歌の心を生き生きと写し出す。
第2回 藍紙本(あいがみぼん)萬葉集(平安後期・11世紀後半、藤原伊房筆)
―祈りの書物―
『萬葉集』の二番目に古い写本。巻子本。
銀を散らした薄藍色の染紙に濃墨で力強く書く。新時代の息吹と祈りの心を示す。旅の思いを豊かに造形する。
第3回 金沢本(かなざわぼん)萬葉集(平安後期・12世紀前半、藤原定信筆)
―唐紙(からかみ)と躍動する書―
小型の冊子本。唐草(からくさ)・亀甲文(きっこうもん)・水波文(すいはもん)などを刷り出した色変わりの唐紙に、速度感のある書で躍動する空間を作る。揺れる恋心に大胆に姿を与える。
��尾長鳥と虫は桂本萬葉集の下絵を模写したものです)
10月6日(土)に無事第1回の講座が終わりました。熱心な受講者に恵まれ、心より感謝申し上げます。第2回からでも参加可能です。また、第2回・第3回のうちの1回のみのご参加も歓迎します。
私自身も王朝のブックデザインの、「統一の中の大胆な変化」に改めて驚きを覚えています。現代のブックデザインに関わる若い方々にも、伝統文化の斬新さを是非知ってもらいたいと願っています。
王朝のブックデザインを、いつの日か、海外の人々にも紹介したいと思いました。
3回の講座が終わりました。学ぶ意欲に満ちた受講者の皆様と、NHK文化センターのスタッフの皆様に、心より御礼申し上げます。
この秋、2012年10月より、NHK文化センター青山教室にて、講座「写本で味わう『萬葉集』―王朝ブックデザインの美―」を、下記の要領で開催することになりましたので、お知らせします。
秋の短期講座「写本で味わう『萬葉集』―王朝ブックデザインの美―」
講 師:小川靖彦
日 時:
第1回 2012年10月6日(土) 15:30~17:00 桂本萬葉集―絵と色と書の交響―
第2回 2012年10月27日(土)15:30~17:00 藍紙本萬葉集―祈りの書物―
第3回 2012年11月10日(土)15:30~17:00 金沢本萬葉集―唐紙と躍動する書―
会 場:NHK文化センター青山教室
〒107-8601 東京都港区南青山1-1-1新青山ビル西館4階
電話03-3475-1151
東京メトロ銀座線・半蔵門線、都営大江戸線「青山一丁目」駅直結
受講料:会員9,450円、一般11,340円(消費税込)
(電話で予約ができます)
日本最古の歌集『萬葉集』は、平安時代に美しい写本に仕立てられました。細部まで心の配られた装丁、繊細な色に染められた料紙(金銀で草花や鳥が描かれたり、優美な文様が刷られたりしました)、そして書の名手による漢字と「かな」の交響―。
平安時代の萬葉集古写本は美の粋を極めたものです。そのブックデザインは、世界の書物の文化の中でも誇れるものです。しかもその美は、『萬葉集』の歌の内容とも深く関わっています。
このブログでも、平安時代の萬葉集古写本の美を紹介してきましたが、講座では、最新の研究成果を踏まえながら、画像や複製を用いて、その鑑賞法や楽しみ方を具体的に解説します。
伝統的でありながら斬新で現代的な王朝ブックデザインの感性と美意識は、今日のブックデザインの制作にとっても大きなヒントとなるに相違ありません。
また書かれている『萬葉集』の歌の内容を知って、装丁・料紙・書を見つめ直すと、それらの深い意匠に驚きを覚えます。平安の能書たちが、どのように歌を味読し、これに姿を与えようとしたかを、丁寧に見つめてゆきます。
そして、写本の美に注目する時、『萬葉集』の歌は今まで以上の魅力を見せてくれます。歌に込められた心を味わい、「歌」とは何か、をご一緒に考えたいと思っています。
『萬葉集』に関心のある方にも、ブックデザインに関わっていらっしゃる方にも、平安時代の料紙装飾に興味のある方にも、古筆をさらに深く味わいたい方にも、是非ご参加いただきたいと願っております。もちろん日本の文化や美、世界の文学や書物に関心のある方ならば、どなたも大歓迎です。
第1回 桂本(かつらぼん)萬葉集(平安中期・11世紀半ば、源兼行筆)
―絵と色と書の交響―
『萬葉集』の現存最古の写本。巻子本。
色変わりの染紙に金銀で草花や鳥を描く。次々と変化してゆく書の姿は音楽的。恋歌の心を生き生きと写し出す。
第2回 藍紙本(あいがみぼん)萬葉集(平安後期・11世紀後半、藤原伊房筆)
―祈りの書物―
『萬葉集』の二番目に古い写本。巻子本。
銀を散らした薄藍色の染紙に濃墨で力強く書く。新時代の息吹と祈りの心を示す。旅の思いを豊かに造形する。
第3回 金沢本(かなざわぼん)萬葉集(平安後期・12世紀前半、藤原定信筆)
―唐紙(からかみ)と躍動する書―
小型の冊子本。唐草(からくさ)・亀甲文(きっこうもん)・水波文(すいはもん)などを刷り出した色変わりの唐紙に、速度感のある書で躍動する空間を作る。揺れる恋心に大胆に姿を与える。
��尾長鳥と虫は桂本萬葉集の下絵を模写したものです)
10月6日(土)に無事第1回の講座が終わりました。熱心な受講者に恵まれ、心より感謝申し上げます。第2回からでも参加可能です。また、第2回・第3回のうちの1回のみのご参加も歓迎します。
私自身も王朝のブックデザインの、「統一の中の大胆な変化」に改めて驚きを覚えています。現代のブックデザインに関わる若い方々にも、伝統文化の斬新さを是非知ってもらいたいと願っています。
王朝のブックデザインを、いつの日か、海外の人々にも紹介したいと思いました。
3回の講座が終わりました。学ぶ意欲に満ちた受講者の皆様と、NHK文化センターのスタッフの皆様に、心より御礼申し上げます。
2012年8月4日土曜日
講演会「世界の文字史と『万葉集』」のお知らせ
「文字」とは何か―『万葉集』を通じて
来る2012年8月10日(金)に、青山学院大学文学部日本文学科主催の講演会「世界の文字史と『万葉集』」が開催されます。
講演会「世界の文字史と万葉集」
講師:コロンビア大学准教授 デイヴィッド・ルーリー氏(Prof. David B. Lurie)
〔使用言語・日本語〕
日時:2012年8月10日(金) 14:00~16:00(受付13:30~)
14:00~15:00講演 15:15~15:25コメンテイターによるコメント
15:25~16:00質疑応答
場所:アイビーホール(青学会館) グローリー館4階 クリノン
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷4-4-25
アイビーホールアクセス
参加費無料・事前申込不要
私はこのブログの2008年2月の記事「万葉集の文字法(1)」に次のように記しました。
日本語の場合を含めた、文字と「ことば」の関係一般については、現在、デイヴィッド・ルーリー氏(コロンビア大学)が、世界の文字を視野に収めた、スリリングな研究を進めています。一日も早く、氏の研究が論文化されることを願っています。
2011年、ルーリー氏はその研究成果を大著 Realms of Literacy: Early Japan and the History of Writing にまとめられました。この講演会「世界の文字史と『万葉集』」では、その研究成果の一部が、日本語で披露されます。
ルーリー氏はその著書の第7章(Japan and the History of Writing)で、「表語(logography)」と「表音(phonography)」を多様に組み合わせた、『万葉集』を始めとする古代日本の書記システムの研究を通じて、アルファベットを文明の象徴とする西洋的な文字史観を批判しています。さらに文字がそのまま「ことば」を写すものでなく、「ことば」から独立して機能するものであることを、世界の文字史によって明らかにしています。
漢字の歴史、中国周辺の日本・朝鮮半島・ヴェトナムにおける漢字と自国語との関係、さらに西アジアの文字なども幅広く視野に収めたルーリー氏の理論的な研究は、“文字とは何か”、を私たちに改めて考えさせるものです。
また、ルーリー氏の研究は、万葉集研究が世界の文字研究に大きく貢献するものであることを具体的に示しています。それは、今後の万葉集研究、さらに日本古典文学研究の新たな可能性を力強く提示するものと言えます。
講演会「世界の文字史と『万葉集』」では、この第7章を基礎に、発見が相継ぐ歌木簡についてのルーリー氏の見解も示されます。
私たち青山学院大学文学部日本文学科は、この講演会を日米の万葉集研究の成果を共有し、また世界の文字・文学研究に寄与する機会としたいと思っております。多数の皆様のご来場をお待ちしております。
*デイヴィッド・ルーリー氏(Prof. David Barnett Lurie)
コロンビア大学東アジア言語文化学部准教授、ドナルド・キーン日本文化センター所長
ハーバード大学卒業(比較文学専攻)、コロンビア大学大学院(日本古典文学専攻)にて博士号(Ph.D)取得(2001年)。東京大学に留学(1998~2001年)。(エドウィン・クランストン氏、ドナルド・キーン氏、ハルオ・シラネ氏の教え子)
研究テーマ: 書記(writing)とリテラシーの歴史、古代日本のリテラシー・知・文化の歴史、日本にける「読む(reading)」システムの発展と中国の書記(writing)の受容、日本における辞書と百科事典の歴史、日本中世・近世における古典注釈、日本近世の金石学・考古学、言語思想、比較神話学
著書: Realms of Literacy: Early Japan and the History of Writing. Cambridge (Massachusetts) and London: The Harvard University Asia Center, 2011
論文: 「神話学として見る津田左右吉の『上代史』に関するノート」(『没後50年津田左右吉展図録』早稲田大学・美濃加茂市民ミュージアム編集・発行、2011年)、「万葉集の文字表現を可能にする条件(覚書)」(『国語と国文学』第84巻第11号(特集・上代文学研究の展望)、2007年11月)、その他、英語・日本語の論文多数。
【謝辞】多くの方々にご来場いただき、会場は満席となりました。御礼申し上げます。ルーリー氏のお話は、文字史についての広い知識をもとに、日本の複雑な書記(writing system)に新しい光を当てると同時に『万葉集』の書記を通じて、世界の文字史を再構築するという野心的なものでした。この講演会の内容は、小冊子にまとめられる予定です。小冊子が完成しましたら、このブログなどで報告いたします。
来る2012年8月10日(金)に、青山学院大学文学部日本文学科主催の講演会「世界の文字史と『万葉集』」が開催されます。
講演会「世界の文字史と万葉集」
講師:コロンビア大学准教授 デイヴィッド・ルーリー氏(Prof. David B. Lurie)
〔使用言語・日本語〕
日時:2012年8月10日(金) 14:00~16:00(受付13:30~)
14:00~15:00講演 15:15~15:25コメンテイターによるコメント
15:25~16:00質疑応答
場所:アイビーホール(青学会館) グローリー館4階 クリノン
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷4-4-25
アイビーホールアクセス
参加費無料・事前申込不要
私はこのブログの2008年2月の記事「万葉集の文字法(1)」に次のように記しました。
日本語の場合を含めた、文字と「ことば」の関係一般については、現在、デイヴィッド・ルーリー氏(コロンビア大学)が、世界の文字を視野に収めた、スリリングな研究を進めています。一日も早く、氏の研究が論文化されることを願っています。
2011年、ルーリー氏はその研究成果を大著 Realms of Literacy: Early Japan and the History of Writing にまとめられました。この講演会「世界の文字史と『万葉集』」では、その研究成果の一部が、日本語で披露されます。
ルーリー氏はその著書の第7章(Japan and the History of Writing)で、「表語(logography)」と「表音(phonography)」を多様に組み合わせた、『万葉集』を始めとする古代日本の書記システムの研究を通じて、アルファベットを文明の象徴とする西洋的な文字史観を批判しています。さらに文字がそのまま「ことば」を写すものでなく、「ことば」から独立して機能するものであることを、世界の文字史によって明らかにしています。
漢字の歴史、中国周辺の日本・朝鮮半島・ヴェトナムにおける漢字と自国語との関係、さらに西アジアの文字なども幅広く視野に収めたルーリー氏の理論的な研究は、“文字とは何か”、を私たちに改めて考えさせるものです。
また、ルーリー氏の研究は、万葉集研究が世界の文字研究に大きく貢献するものであることを具体的に示しています。それは、今後の万葉集研究、さらに日本古典文学研究の新たな可能性を力強く提示するものと言えます。
講演会「世界の文字史と『万葉集』」では、この第7章を基礎に、発見が相継ぐ歌木簡についてのルーリー氏の見解も示されます。
私たち青山学院大学文学部日本文学科は、この講演会を日米の万葉集研究の成果を共有し、また世界の文字・文学研究に寄与する機会としたいと思っております。多数の皆様のご来場をお待ちしております。
*デイヴィッド・ルーリー氏(Prof. David Barnett Lurie)
コロンビア大学東アジア言語文化学部准教授、ドナルド・キーン日本文化センター所長
ハーバード大学卒業(比較文学専攻)、コロンビア大学大学院(日本古典文学専攻)にて博士号(Ph.D)取得(2001年)。東京大学に留学(1998~2001年)。(エドウィン・クランストン氏、ドナルド・キーン氏、ハルオ・シラネ氏の教え子)
研究テーマ: 書記(writing)とリテラシーの歴史、古代日本のリテラシー・知・文化の歴史、日本にける「読む(reading)」システムの発展と中国の書記(writing)の受容、日本における辞書と百科事典の歴史、日本中世・近世における古典注釈、日本近世の金石学・考古学、言語思想、比較神話学
著書: Realms of Literacy: Early Japan and the History of Writing. Cambridge (Massachusetts) and London: The Harvard University Asia Center, 2011
論文: 「神話学として見る津田左右吉の『上代史』に関するノート」(『没後50年津田左右吉展図録』早稲田大学・美濃加茂市民ミュージアム編集・発行、2011年)、「万葉集の文字表現を可能にする条件(覚書)」(『国語と国文学』第84巻第11号(特集・上代文学研究の展望)、2007年11月)、その他、英語・日本語の論文多数。
【謝辞】多くの方々にご来場いただき、会場は満席となりました。御礼申し上げます。ルーリー氏のお話は、文字史についての広い知識をもとに、日本の複雑な書記(writing system)に新しい光を当てると同時に『万葉集』の書記を通じて、世界の文字史を再構築するという野心的なものでした。この講演会の内容は、小冊子にまとめられる予定です。小冊子が完成しましたら、このブログなどで報告いたします。
2012年5月19日土曜日
「萬葉集古写本の美」追考
【藍紙本万葉集巻第九の継ぎ直しに関して】
先の記事「『美の万葉集』」で紹介しました、私の研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」につきまして、お読みくださった方々から、貴重なご意見を賜りました。心より御礼申し上げます。
その中で、特に考え直すことが必要な点がありました。「継ぎ直された巻第九」の項で、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目で、上となっている料紙の文字が切れていることに注目して、私は次のように記しました。
◆「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、巻首に近い方の料紙の左端を裁って整えた上で継ぎ直されたと考えられます。」(326頁)
これについて、公益財団法人根津美術館の松原茂氏より、左端の、文字の書かれたところを裁つということはありえず、むしろ次の料紙にかかっていた部分が、継ぎ直しの際に継ぎ目の下に隠れてしまっているのではないか、というご意見を賜りました。
確かに、修補の際に、文字の書かれた部分を裁つことが果たしてあるのか、原本調査の時から疑問を覚えていました。しかし、同時に「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかかることを避ける傾向が強く見られ、私は「藍紙本万葉集」では、本来継ぎ目に文字がかかることはなかったのではないか、という先入観を持ってしまっていました。
研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」では割愛しましたが、原本調査の時に、巻第九の継ぎ目幅(糊代)のデータも採取していました。確認できるところでは、継ぎ目幅は、3~4mmほどですが、しばしば4mm幅のところが見られます。研究報告の図1に示した、第④紙と第⑤紙の継ぎ目幅も4mmです。
��mmは巻子本の継ぎ目幅としては広めです。奈良朝写経や巻子本に仕立てられた正倉院文書、またきちんと造られた敦煌写経では、継ぎ目幅は3mmが標準です。繊細に造られたものでは2mmのものもあります。
*正倉院文書については、杉本一樹氏『日本古代文書の研究』(吉川弘文館、2001年)の71~72頁参照。杉本氏は「糊代が2ミリではやや頼りなく、4ミリになるとこれはもう何となく野暮ったい、というのが私の印象である」と述べています。
「藍紙本万葉集」が継ぎ直される時に、継ぎ目幅が本来のものよりも広くとられ、次の料紙にかかっていた文字が継ぎ目の下に潜り込んでしまった可能性は、十分に考えられます。
現在、継ぎ目の下の料紙の様子を、目で確認することはできません。将来何らかの方法で、それが確認できるようになることを期待しています。
なお、「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかからないように書く傾向が強いことについても、さらに考察を深めてゆきたく思います。
そこで、326頁の記述を、次のように改めたいと思います。
◇「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、本来よりも糊代をやや広めにとって継ぎ直されたように思われます。」
なお、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目幅のデータについては、将来この研究報告をまとめ直す折に、全て提示したく思っております。
先入観にとらわれずに、データの物語ることに、注意深く耳を澄ますことの大切さを、改めて痛感しました。
先の記事「『美の万葉集』」で紹介しました、私の研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」につきまして、お読みくださった方々から、貴重なご意見を賜りました。心より御礼申し上げます。
その中で、特に考え直すことが必要な点がありました。「継ぎ直された巻第九」の項で、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目で、上となっている料紙の文字が切れていることに注目して、私は次のように記しました。
◆「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、巻首に近い方の料紙の左端を裁って整えた上で継ぎ直されたと考えられます。」(326頁)
これについて、公益財団法人根津美術館の松原茂氏より、左端の、文字の書かれたところを裁つということはありえず、むしろ次の料紙にかかっていた部分が、継ぎ直しの際に継ぎ目の下に隠れてしまっているのではないか、というご意見を賜りました。
確かに、修補の際に、文字の書かれた部分を裁つことが果たしてあるのか、原本調査の時から疑問を覚えていました。しかし、同時に「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかかることを避ける傾向が強く見られ、私は「藍紙本万葉集」では、本来継ぎ目に文字がかかることはなかったのではないか、という先入観を持ってしまっていました。
研究報告「萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―」では割愛しましたが、原本調査の時に、巻第九の継ぎ目幅(糊代)のデータも採取していました。確認できるところでは、継ぎ目幅は、3~4mmほどですが、しばしば4mm幅のところが見られます。研究報告の図1に示した、第④紙と第⑤紙の継ぎ目幅も4mmです。
��mmは巻子本の継ぎ目幅としては広めです。奈良朝写経や巻子本に仕立てられた正倉院文書、またきちんと造られた敦煌写経では、継ぎ目幅は3mmが標準です。繊細に造られたものでは2mmのものもあります。
*正倉院文書については、杉本一樹氏『日本古代文書の研究』(吉川弘文館、2001年)の71~72頁参照。杉本氏は「糊代が2ミリではやや頼りなく、4ミリになるとこれはもう何となく野暮ったい、というのが私の印象である」と述べています。
「藍紙本万葉集」が継ぎ直される時に、継ぎ目幅が本来のものよりも広くとられ、次の料紙にかかっていた文字が継ぎ目の下に潜り込んでしまった可能性は、十分に考えられます。
現在、継ぎ目の下の料紙の様子を、目で確認することはできません。将来何らかの方法で、それが確認できるようになることを期待しています。
なお、「藍紙本万葉集」では、継ぎ目に文字がかからないように書く傾向が強いことについても、さらに考察を深めてゆきたく思います。
そこで、326頁の記述を、次のように改めたいと思います。
◇「巻第九はある時点で継ぎ目が剥(はが)され、本来よりも糊代をやや広めにとって継ぎ直されたように思われます。」
なお、「藍紙本万葉集」巻第九の継ぎ目幅のデータについては、将来この研究報告をまとめ直す折に、全て提示したく思っております。
先入観にとらわれずに、データの物語ることに、注意深く耳を澄ますことの大切さを、改めて痛感しました。
2012年4月30日月曜日
『萬葉学史の研究』の在庫について
2007年2月に上梓し、2008年10月に第2刷を発行した私の著書『萬葉学史の研究』は、現在アマゾンでは「お取扱いできません」となっており、「日本の古本屋」のサイトにもあまり登場しません。
『萬葉学史の研究』は品切れですね、と言われることが時々あります。実は、版元の「おうふう」にはまだ在庫があります。ご入用の方は、「おうふう」に直接お問い合わせください。または、上代文学会などの学会の大会会場に「おうふう」が出店していますので、そこでお問い合わせください。
おうふうのホームページ
なお、第2刷の際に、誤植の訂正と、6頁の「補記」の追加を行っています。第2刷にて、お読みいただきたく存じます。
「日本の古本屋」や古書店で購入くださる場合には、第2刷であるかどうかを必ずご確認ください。第2刷の特徴は以下です。
① 奥付に次のように記載されています。
二〇〇七年二月二四日 初版一刷発行
二〇〇八年十月一五日 初版二刷発行
〔第1刷では、
二〇〇七年二月一五日 初版印刷
二〇〇七年二月二四日 初版発行〕
② 頁数が640頁です(奥付は639頁にあります)。
〔第1刷は636頁です(奥付は635頁にあります)〕
③ 「あとがき」の末尾に「補記」があります(610~615頁)
『萬葉学史の研究』第2刷をお手元に置いて、利用していただけるならば、この上なく幸いです。
*『萬葉学史の研究』の紹介と目次
『萬葉学史の研究』は品切れですね、と言われることが時々あります。実は、版元の「おうふう」にはまだ在庫があります。ご入用の方は、「おうふう」に直接お問い合わせください。または、上代文学会などの学会の大会会場に「おうふう」が出店していますので、そこでお問い合わせください。
おうふうのホームページ
なお、第2刷の際に、誤植の訂正と、6頁の「補記」の追加を行っています。第2刷にて、お読みいただきたく存じます。
「日本の古本屋」や古書店で購入くださる場合には、第2刷であるかどうかを必ずご確認ください。第2刷の特徴は以下です。
① 奥付に次のように記載されています。
二〇〇七年二月二四日 初版一刷発行
二〇〇八年十月一五日 初版二刷発行
〔第1刷では、
二〇〇七年二月一五日 初版印刷
二〇〇七年二月二四日 初版発行〕
② 頁数が640頁です(奥付は639頁にあります)。
〔第1刷は636頁です(奥付は635頁にあります)〕
③ 「あとがき」の末尾に「補記」があります(610~615頁)
『萬葉学史の研究』第2刷をお手元に置いて、利用していただけるならば、この上なく幸いです。
*『萬葉学史の研究』の紹介と目次
2012年4月11日水曜日
『美の万葉集』
藍紙本万葉集の美
��高岡市万葉歴史館編『美の万葉集』高岡市万葉歴史館論集15、笠間書院、B6判356頁、2012年4月刊、2,800円〈本体〉)
高岡市万葉歴史館の編集する、「高岡市万葉歴史館論集」の第15冊、『美の万葉集』が刊行されました。
「高岡市万葉歴史館論集」は、『万葉集』について年度ごとに、「水辺」「色」「恋」「四季」などのテーマを立て、それをさまざまな角度から追究する論集です。この論集は、市民の中の博物館である高岡市万葉歴史館が、市民に研究成果を広く公開する役割も持っています。
「美」をテーマとするこの第15冊に、私も執筆の機会を賜りました。私の文章は、『萬葉集』の二番目に古い写本である「藍紙本(あいがみぼん。「らんしぼん」とも)万葉集」についての研究報告です。「藍紙本万葉集」は、平安後期・11世紀後半に書写された巻子本で、筆者は当時の能書・藤原伊房(これふさ。行成の孫)と推定されています。薄藍色の料紙にちなんで「藍紙本」と言います。
萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―
一 調度本としての萬葉集古写本
二 平安時代の萬葉集古写本
三 藍紙本の料紙装飾(藍紙本の復元)
四 巻第九の原姿(藍紙本の復元)
五 藍紙本の美
*口絵カラー図版
1 萬葉集巻第九残巻(藍紙本)〈国宝〉(京都国立博物館蔵)巻9・1691
2 同上 巻9・1707
3 同上 料紙表面の顕微鏡写真
(*3は、私が撮影したものを京都国立博物館の御許可を得て掲載しました)
*付 表1 藍紙本巻第九の色相と横寸法
表2 藍紙本断簡の色相と寸法
表3 薄藍色の漉き染め紙の料紙の厚さ
図1 萬葉集巻第九残巻(藍紙本)〈国宝〉(京都国立博物館蔵)第4紙と第5紙の継ぎ目
図2 同上 巻9・1804下部の補修箇所(第23紙)
図3 藍紙本萬葉集巻第九の推定原形と現状
私の研究報告では、京都国立博物館御所蔵の「藍紙本万葉集巻第九残巻」をはじめ、諸機関御所蔵の断簡や、同時期製作の藍紙の経典の調査をもとに、まず「藍紙本万葉集」の本来の装飾や規模を推定しました。
今日見る「藍紙本万葉集」は大小の銀の揉み箔を料紙全面に散らした華やかなものとなっています。金の揉み箔を散らしたところもあります。しかし、当初は、小さな銀の揉み箔のみをまばらに散らした静謐で気品あるものであったと考えられます。
現在「藍紙本万葉集巻第九残巻」は、本紙(ほんし)25紙と巻首紙・尾紙の各1紙の全27紙からなります(全長12.208m)。切り出された断簡をもとに戻し、また失われた部分の行数を計算すると、「藍紙本万葉集」の巻第九は本来本紙37紙、尾紙1紙の合計38紙からなり、その全長は約18mにも及ぶものであったと推定されます。威厳に満ちた姿が浮かび上がります。
また、私の研究報告では、「藍紙本万葉集」に独特な力強い筆致と料紙の関係を考察しました。
「藍紙本万葉集」の料紙は、一度漉いた地紙(じがみ)の上に、着色した繊維を流し掛けて堆積させる「漉き掛け」という技法によって色付けされています。それを示すのが、口絵に掲載した顕微鏡写真です。目の詰まった細い雁皮の無染色繊維の間を、鮮やかな青色に染まった太く長い楮(こうぞ)の繊維が走っていることが確認できます。
この「漉き掛け」の技法による料紙は、平滑で筆の滑りがよく墨が滲まない雁皮紙(がんぴし)と、濃い墨や細い線ではかすれやすい楮紙(ちょし)の両方の性質を具えることになります。能書・藤原伊房はこの特徴を最大限に利用して、「かすれ」を多用して力感と速度感を表現するとともに、濃墨の極太と極細の筆線によって強い装飾性をも実現していったと思われます。
そして、「藍紙本万葉集」の原姿や、その書のベースにある濃墨の重厚な上に柔らかみのある文字の姿に、同時代に薄藍色の経典が製作されていることや、青色が仏の国を荘厳する七宝の一つの「瑠璃」を表すものであったことなどを考え合わせると、「藍紙本万葉集」は供養(自分自身のための供養も含めて)を目的に作られた“祈りの書物”であった可能性があります。
詳細につきましては、この研究報告を御一読いただければ幸いです。なお、「研究報告」ではありますが、万葉集古写本の「美」について多くの皆様に知っていただきたく思い、論文のスタイルは採らず、叙述の仕方も可能な限り平易をめざしました。日本の豊かな書物文化に触れる一助にしていただければと願っております。
調査・研究を進めるに当たり、本当に多くの方々から大きなご支援とご学恩を賜りました。また顕微鏡写真を含め、図版の掲載につきましては、京都国立博物館の格別の御厚意により、掲載許可を賜りました(顕微鏡写真の不鮮明なところは、私の撮影技術の未熟さによるものです)。厚く御礼申し上げます。
なお、編集委員会の「編集後記」によれば、「高岡市万葉歴史館論集」はこの第15冊をもってひとまず休刊となります。開館25周年を迎える平成27年度(2015)まで、充電期間を持ちたいとのことです。『万葉集』の研究と普及に大きな役割を果たして来られた高岡市万葉歴史館の益々のご発展を心より祈念しております。
最後に私事にわたりますが、小松茂美先生の三回忌の行われる年に、この研究報告をまとめる機会を得ましたことを本当にありがたく思っております。
【目次】
『美の万葉集』の目次を紹介します。
万葉集の「美」について(坂本信幸)
「天離る夷」考―都の美と夷の情と―(岩下武彦)
ことばの「美」―序詞― ―用語「序」の発見をめぐって―(近藤信義)
さびしからずや道を説く君―天平感宝元年の家持をめぐって―(新谷秀夫)
女歌の美―大伴坂上郎女の言葉―(井ノ口史)
藤波の美の誕生―大伴家持「布勢の水海」遊覧歌―(田中夏陽子)
風土の美をうたう(関隆司)
天象の美(垣見修司)
赤人・ことばの美的整斉(森朝男)
大伴家持の美―巻十九巻頭越中秀吟―(小野寛)
萬葉集古写本の美―藍紙本萬葉集について―(小川靖彦)
【訂正】私の研究報告中に誤りがありました。深くお詫び申し上げます。
320頁14行 (誤)財団法人国立文化財機構 (正)独立行政法人国立文化財機構
330頁5行 (誤)岡泰央(やすお) (正)岡泰央(やすひろ)
2012年4月2日月曜日
2013年度からの青山学院大学日本文学科
来年の2013年4月から、いよいよ青山学院大学日本文学科のカリキュラムが新しい体制となります。
東日本大震災のため延期になった文学部の青山キャンパス統合が、2013年4月に実現します。これに合わせて、新カリキュラムも2013年4月にスタートします。
この新しいカリキュラムについて、改めてアナウンスします。
■従来の「文学・語学コース」「日本語教育コース」の2コースが、「日本文学コース」「日本語・日本語教育コース」の2コースに再編成されます。
■「日本文学コース」には、日本文学を国際的な視野から捉える力を養う「文学交流科目」と、多様な表象を通して現代を論じる力を養う「表象文化科目」が新たに設置されます。
*「文学交流」とは、文学分野での国際的な交流を意味します。「文学交流科目」では、日本文学が海外の文学から受けた影響だけでなく、海外の文学に与えた影響についても考察を深めます。
■「文学交流科目」
「日本学入門」「文学交流入門」「日本文学研究のための英語」(1・2年次)
「文学交流特講」「日本文学とアメリカ・ヨーロッパ」「日本文学とアジア」「中国文学・思想特講」(2~4年次)
「文学交流演習」「翻訳演習」「中国文学・思想演習」(2~4年次)
■「表象文化科目」
従来の「表象文化論」(2~4年次)に、その基礎科目として「表象文化研究概論」(1・2年次)が加わります。
■「日本語・日本語教育コース」には、「文章表現法」「音声表現法」という日本語表現技術を学ぶ科目が、新たに設置されます(「日本文学コース」の学生も履修できます)。
■「日本語・日本語教育コース」の学生は、最終的には日本語専攻と日本語教育専攻に分かれますが、どちらの専攻の学生も、日本語学と日本語教育の両方の知識を身につけることになります。
新しい視野から日本文学、中国古典文学、日本語、日本語教育を学びたいという、意欲あふれる皆さんをお待ちしています。
2012年1月9日月曜日
新たな日本語・日本文学一般誌の刊行を願う
『國文學 解釈と教材の研究』『国文学 解釈と鑑賞』の休刊
2011年10月号で、至文堂編集・ぎょうせい発行の『国文学 解釈と鑑賞』誌が休刊となりました。既に學燈社発行の『國文學 解釈と教材の研究』誌が2009年7月号を最後に休刊となっています。日本語・日本文学に関する一般誌が、出版界から姿を消しました。
読者として、また執筆者として両誌に育てられてきた一人として、私はこのことを大変残念に思っております。両誌の休刊は、日本語・日本文学研究者にとっても、また日本語・日本文学に関心を持つ読者にとっても、大きな痛手に他なりません。
確かに、『国文学 解釈と鑑賞』(1936年〈昭和11〉6月1日創刊)、『國文學 解釈と教材の研究』(1956年〈昭和31〉4月20日創刊)を支えてきた、社会のあり方が大きく変化したことは事実です。副題に表れているように、両誌は研究(国文学研究)と教育(国文教育・国語教育)の連繋をめざしていました。しかし、今日では研究と教育の隔たりは、広がるばかりです。
そもそも日本語・日本文学研究を取り巻く環境も、厳しいものとなっています。さまざまな困難が降りかかってきていますが、意欲ある若い人々を強く惹き付ける力が、減退しつつあることが、何よりも不安に感じられます。
しかし、このような状況であるからこそ、日本語・日本文学に関する一般誌の意義が高まっているのではないでしょうか。日本語・日本文学研究者は、研究の細分化が急激に進む中、日本語・日本文学のさまざまな分野の基本的研究情報を手に入れたいと思っています。また、日本語・日本文学に関心のある読者は、多数潜在しており、拠るべき水先案内人を求めています。
日本語・日本文学の魅力や、日本語・日本文学に関する広範囲の研究情報を、わかりやすく、しかも高い信頼性とスピードをもって伝えることができるのは、一般誌に他なりません。
私は具体的には次のような一般誌の登場を願っています。
(1)あくまでも日本語・日本文学、つまり「言語と文学」を中心に置いた一般誌
『国文学 解釈と鑑賞』誌と『國文學 解釈と教材の研究』誌はある時点から、日本語・日本文学の周辺領域の特集に力を入れるようになりました。読者層の拡大をめざしたのでしょう。しかし、従来の読者は離れていってしまったように思います。
愚直なまでに「言語と文学」にこだわり続ける姿勢が大切です。あくまでも、日本語・日本文学の研究者と、日本語・日本文学に関心を持つ人々を、中核となる読者として考えるべきです。
ですから、『万葉集』『源氏物語』『奥の細道』などの主要な作品や、「写本」「出版」「本文の捉え方」などの基礎的で、しかも新しい研究成果が蓄積されつつあるテーマについては、繰り返し特集が組まれてよいと思います。
(2)編集力が行き渡った特集を組んだ一般誌
それだけに、編集力が重要となります。「論文」の寄せ集めでは、読者を惹き付けることはできません。特集号として、何を伝えたいかを強く意識することが必要です(「研究の最前線」や「新しい研究」というコンセプトでは、不十分です)。明確な編集意識に貫かれた、熱気ある特集号が望まれます。
日本語・日本文学の研究者などから編集人を立てて、ある期間その人(または人々)が連続して企画を担当することがあってよいと思います。ただし、その場合に、同じ執筆者集団が繰り返し登場することは避けるべきです。同じ執筆者集団では、回を重ねる度に、執筆者の意欲も読者の関心も弱まり、全体のエネルギーが下がるからです。編集人には、企画にあった人材を、その都度発掘する努力が必要です。
意想外の執筆者を組み合わせて、新しい化学反応を起させるということも、編集人が思い切って試みたならば面白いと思います。
また編集人は、その特集に掲載する文章が、日本語・日本文学の特定分野の専門家のみを相手とする学術論文にならないようにリードし、助言する役割も果たします。
*『国文学 解釈と鑑賞』の「三島由紀夫というプリズム」の特集号は、近年では例外的に熱気ある企画で(2011年4月号)、編集人の井上隆史氏(白百合女子大学教授)の熱意が隅々にまで感じられました。専門外の私も引き込まれて読みました。ただし、図版を多く用いたならば、もっと多くの読者が手に取ったに相違ないことが、惜しまれます。
一日も早い、日本語・日本文学研究の一般誌の刊行を願ってやみません。
2011年10月号で、至文堂編集・ぎょうせい発行の『国文学 解釈と鑑賞』誌が休刊となりました。既に學燈社発行の『國文學 解釈と教材の研究』誌が2009年7月号を最後に休刊となっています。日本語・日本文学に関する一般誌が、出版界から姿を消しました。
読者として、また執筆者として両誌に育てられてきた一人として、私はこのことを大変残念に思っております。両誌の休刊は、日本語・日本文学研究者にとっても、また日本語・日本文学に関心を持つ読者にとっても、大きな痛手に他なりません。
確かに、『国文学 解釈と鑑賞』(1936年〈昭和11〉6月1日創刊)、『國文學 解釈と教材の研究』(1956年〈昭和31〉4月20日創刊)を支えてきた、社会のあり方が大きく変化したことは事実です。副題に表れているように、両誌は研究(国文学研究)と教育(国文教育・国語教育)の連繋をめざしていました。しかし、今日では研究と教育の隔たりは、広がるばかりです。
そもそも日本語・日本文学研究を取り巻く環境も、厳しいものとなっています。さまざまな困難が降りかかってきていますが、意欲ある若い人々を強く惹き付ける力が、減退しつつあることが、何よりも不安に感じられます。
しかし、このような状況であるからこそ、日本語・日本文学に関する一般誌の意義が高まっているのではないでしょうか。日本語・日本文学研究者は、研究の細分化が急激に進む中、日本語・日本文学のさまざまな分野の基本的研究情報を手に入れたいと思っています。また、日本語・日本文学に関心のある読者は、多数潜在しており、拠るべき水先案内人を求めています。
日本語・日本文学の魅力や、日本語・日本文学に関する広範囲の研究情報を、わかりやすく、しかも高い信頼性とスピードをもって伝えることができるのは、一般誌に他なりません。
私は具体的には次のような一般誌の登場を願っています。
(1)あくまでも日本語・日本文学、つまり「言語と文学」を中心に置いた一般誌
『国文学 解釈と鑑賞』誌と『國文學 解釈と教材の研究』誌はある時点から、日本語・日本文学の周辺領域の特集に力を入れるようになりました。読者層の拡大をめざしたのでしょう。しかし、従来の読者は離れていってしまったように思います。
愚直なまでに「言語と文学」にこだわり続ける姿勢が大切です。あくまでも、日本語・日本文学の研究者と、日本語・日本文学に関心を持つ人々を、中核となる読者として考えるべきです。
ですから、『万葉集』『源氏物語』『奥の細道』などの主要な作品や、「写本」「出版」「本文の捉え方」などの基礎的で、しかも新しい研究成果が蓄積されつつあるテーマについては、繰り返し特集が組まれてよいと思います。
(2)編集力が行き渡った特集を組んだ一般誌
それだけに、編集力が重要となります。「論文」の寄せ集めでは、読者を惹き付けることはできません。特集号として、何を伝えたいかを強く意識することが必要です(「研究の最前線」や「新しい研究」というコンセプトでは、不十分です)。明確な編集意識に貫かれた、熱気ある特集号が望まれます。
日本語・日本文学の研究者などから編集人を立てて、ある期間その人(または人々)が連続して企画を担当することがあってよいと思います。ただし、その場合に、同じ執筆者集団が繰り返し登場することは避けるべきです。同じ執筆者集団では、回を重ねる度に、執筆者の意欲も読者の関心も弱まり、全体のエネルギーが下がるからです。編集人には、企画にあった人材を、その都度発掘する努力が必要です。
意想外の執筆者を組み合わせて、新しい化学反応を起させるということも、編集人が思い切って試みたならば面白いと思います。
また編集人は、その特集に掲載する文章が、日本語・日本文学の特定分野の専門家のみを相手とする学術論文にならないようにリードし、助言する役割も果たします。
*『国文学 解釈と鑑賞』の「三島由紀夫というプリズム」の特集号は、近年では例外的に熱気ある企画で(2011年4月号)、編集人の井上隆史氏(白百合女子大学教授)の熱意が隅々にまで感じられました。専門外の私も引き込まれて読みました。ただし、図版を多く用いたならば、もっと多くの読者が手に取ったに相違ないことが、惜しまれます。
一日も早い、日本語・日本文学研究の一般誌の刊行を願ってやみません。
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