2009年9月20日日曜日
秋の野に咲きたる花を(山上憶良):この世の宝
(萩の花)
9月も半ばを過ぎ、日増しに秋の気配が深まっています。秋の花を目にすることも多くなりました。秋の花というと、山上憶良の歌がすぐに思い出されます。
山上臣憶良詠秋野花歌二首
秋野尓咲有花乎指折可伎数者七種花 其一(巻8・1537)
芽之花乎花葛花瞿麦之花姫部志又藤袴朝皃之花 其二(巻8・1538)
山上臣憶良、秋の野の花を詠む歌二首
(やまのうへのおみおくら、あきのののはなをよむうたにしゆ)
秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 その一
(あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな)
萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 その二
��はぎのはな をばなくずはな なでしこのはな をみなへし またふぢばかま あさがほのはな)
〔訳〕秋の野に咲いている花を指折り数えてみれば、七種の花。
萩の花に、尾花に、葛の花に、なでしこの花に、おみなえしに、それから藤袴に、
朝顔の花。
この一組の歌は、“秋の七草”を初めて詠んだ歌として有名なものです。2009年9月に刊行された『NHK日めくり万葉集』vol.10(講談社)に収める第203回放送分の中でも、東京都世田谷区立船橋小学校2年1組の皆さんが、この憶良の歌について、さまざまな意見を述べています。その柔らかな感性に驚かされています。
その最後に、次のような意見を述べた生徒さんがいました。
「私も秋の野原に行って、こういう短歌を作ってみたくなりました。短歌を作った人のほんとうの気持ちをわかりたいです。」
私なりに考えた、作者憶良の気持ちを、ここに書いてみたいと思います。
何よりもまず、憶良が「七種」の花を挙げたことに注目したいと思います。なぜ「七種」なのでしょうか。現代の私たちの間では、“秋の七草”という考え方は常識になっています。しかし改めてなぜ「七」なのか、と考えると不思議です。
『NHK日めくり万葉集』vol.10の第203回のページのコラムにもあるように、七種の花のうち、葛の花と藤袴は、『万葉集』ではこの憶良の歌にしか詠まれていません。
憶良は、当時歌に詠まれることの少なかった葛の花や藤袴を挙げてまで、どうしても「七種」の花を揃えたかったようです。
憶良が「七」という数にこだわったことについて、中国の文化や思想、また仏教では、「七」を大切な数、めでたい数と考えていたことに影響を受けている、という説があります(斎藤正二氏、有岡利幸氏)。確かに、それも理由であったでしょう。
しかし、それだけではなく、憶良自身が、別の歌で「七種(ななくさ)の宝」ということを詠んでいることに、注意したいと思います。
世の人の 尊び願ふ 七種の 宝も我は なにせむに 我が中の 生まれ出でたる 白玉の
我が子古日は……(巻5・904)
(よのひとの たふとびねがふ ななくさの たからもわれは なにせむに わがなかの うまれいでたる しらたまの
あがこふるひは……)
これは、「古日」という名の幼子の死を悼む長歌の冒頭です。“世の中の人全てが、尊んで欲しがる「七種の宝」も、私には何になろうか。私たちの、願いに願って生まれた、真珠のように美しく、大切な、わが子古日は”と、憶良は歌っています。
「七種の宝」よりも、子の古日こそが、自分にとっては宝であると言うのです。この「七種の宝」は、仏教の経典に出てくるの「七宝(しちほう、しっぽう)」という言葉を踏まえたものです。
「七宝」は、仏の国を美しく飾る、七つの宝のことを言います。例えば、日本や中国でよく読まれた『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』(「法華経(ほけきょう)」)という経典には、
金
銀
瑠璃(るり。バイカル湖の岸などでとれる青色の玉)
硨磲(しゃこ。シャコガイの貝殻。内側が白い)
瑪瑙(めのう。石英が集まった鉱物で、縞模様が美しい)
真珠
玫瑰(まいえ。赤色の美しい石)
の「七宝」で、八千億の仏それぞれのために塔を建てる、ということが書かれています。その高さは1000由旬(ゆじゅん。サンスクリットの「ヨージャナ」。1000由旬は約11000~15000km)で、幅は500由旬にもなるということです。その途方もない華やかさと大きさは、すぐには想像がつきません。
「七宝」が具体的に何をさすかについては、仏教経典の間で、多少違いがあります。しかし、この世界で手に入れることのできる、最も貴重で美しい宝であることに、変わりはありません。もちろん、全て高価なものです。この世界では、財力のある人だけが、手にすることのできるものです。
憶良は「七宝」よりも、古日という幼い子が宝であると言います。そういえば憶良は別の歌でも、次のように歌っていました。
銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子に及かめやも(巻5・803)
(しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも)
この「銀」「金」「玉」も「七宝」を意識しています。この世を生きる、有限で小さな存在でしかない人間にとって大切なことは、高価な宝を手に入れることや、「さとり」を開いて、その宝で飾られた遠い遠い仏の国に行くことではなく、自然と湧き上がってくる、子どもをかわいいと思う優しい気持ちである、と憶良は言っているのです。
実は、仏教の教えでは、子どもをかわいいと思う心も、人間の心を迷わせる執着として、否定されます。すべての執着を捨てなさい、と仏は説きます。
しかし、憶良は、人間というものは執着を捨てることのできない、愚かで小さな存在でしかない、と思います。その人間が人間らしく生きるとは、どういうことかを考えます。そして、憶良は、“身近なものを、いとおしく思うことこそが、人間らしく生きることだ”、という結論にたどり着いたのです。
このように見てくると、憶良は、秋の「七種の花」の歌では、遠い仏の国の、高価な宝ではなく、野に咲くなにげない美しい七種の花こそが、この世を生きる人間にとっての宝である、と言いたかったのではないでしょうか。
「指折りかき数へれば」という言葉からは、秋の花を、ひとつひとつ、いとおしむような心が伝わってきます。
今、身近なところで、たくさんの秋の花が、時を惜しむように美しく咲いています。憶良がこの歌を通して、私たちに教えてくれたことを心に置いて、改めてその花たちを見ると、今まで以上に美しく見えることでしょう。
[主な参考文献]
��.斎藤正二『植物と日本文化』八坂書房、1979年
��.有岡利幸『秋の七草』ものと人間の文化史145、法政大学出版局、2008年
��.中西進『山上憶良』河出書房新社、1973年(『中西進万葉論集』第8巻〈講談社、1996年〉に収録)
��.井村哲夫『憶良と虫麻呂』桜楓社、1973年
��.高木市之助『大伴旅人・山上憶良』日本詩人選4、筑摩書房、1972年 〔*憶良の秋の「七種」の歌の言葉を深く味わった文章があります(102~105ページ)〕
2009年9月18日金曜日
『NHK日めくり万葉集』vol.10(講談社MOOK)
誌上展覧会への招待
��藤原茂樹・坂本信幸監修『NHK日めくり万葉集』vol.10(講談社MOOK)、講談社、B5判96頁、2009年9月刊、690円〈税込〉)
2009年9月17日(木)に『NHK日めくり万葉集』vol.10が発売となりました。
この号では、「万葉集古写本を味わう」という特集を組んでいます。特集は次のような構成です。
〈カラー〉 平安時代に極めた美
〈記 事〉 「装丁、料紙、書」の魅力と鑑賞の手引き
(*カラーページの編集・解説と記事の執筆を担当させていただきました)
巻頭の5ページからなるカラーページでは、平安時代に調度品として制作された、『万葉集』の4種類の古写本、桂本(かつらぼん)、藍紙本(あいがみぼん)、元暦校本(げんりゃくこうほん)、金沢本(かなざわぼん)の見どころを紹介しました。
桂本や金沢本の「書物」としての姿の写真や、桂本の下絵の鳥や虫の拡大写真を収めるなどの工夫もしてみました(鳥が虫をついばもうとするところを描いた、緊張感のある中にもユーモアを漂わせる絵は必見です)。金沢本を開いたときの状態がわかる貴重な写真もあります。
古写本の所蔵機関のご協力と講談社編集部のご尽力により、さながら誌上展覧会のようなページに仕上がっています。平安時代の『万葉集』の古写本の美を堪能していただければ幸いです。
また記事の方では、『万葉集』の古写本の味わい方を具体的に解説しました。展覧会で『万葉集』の古写本を観覧すると、“美しい”と感動します。その感動をさらに深めるための見方を、私の経験を踏まえて紹介しました。
特に、『万葉集』の古写本を「書物」として、つまり、『万葉集』の中身とも深く関わる、装丁・料紙・書からなる総合芸術として味わうことにこだわりました。
見方を知ると、『万葉集』の古写本が、今までの何倍も面白くなるはずです。
桂本と金沢本は、御即位20年記念特別展「皇室の名宝-日本美の華-」(東京国立博物館)の2期(11月12日(木)~29日(日))に出展されます。実物の迫力を経験するまたとない機会です。この「手引き」を参考に、新しい魅力を発見してください。
【御礼】
*掲載されている図版は、宮内庁侍従職、宮内庁三の丸尚蔵館、東京国立博物館、京都国立博物館、MOA美術館からお借りしました。桂本の巻姿については、集英社から図版をお借りしました(複製本を撮影した写真も使っていますが、その旨を明記しています)。ご厚情に心より御礼申し上げます。
【お詫び】
��85ページの図2については、手違いにより、記事のレイアウトのために仮に用いた桂本の複製の写真がそのまま印刷されてしまいました。桂本の所蔵機関である宮内庁に、謹んでお詫び申し上げます。また読者の皆様にも誤った写真をお見せすることになり、申し訳ございません。ご海容のほど、心よりお願い申し上げます。
〔お知らせ〕 2009年10月21日現在、出版社の講談社では、この『NHK日めくり万葉集』Vol.10は、在庫切れとなっています(講談社BOOK倶楽部のウェブサイトによる)。
【追記】
��カラーの3ページ下の藍紙本の解説にて、先行文献に基づき、「巻一・九・十・十八の断簡がある」と記しましたが、その後、調べ直しましたところ、巻一の断簡の所在情報については、不確実なものであることがわかりました。この一文を、「巻九・十・十八の断簡がある」とさせていただきたく存じます。(2009年11月8日)
2009年9月4日金曜日
常設展示「文化の風景」(文京ふるさと歴史館)
草書・平仮名と片仮名
「かな」が発明される以前に編まれた『万葉集』は、すべて漢字で書かれています。しかし、平安時代以後に書写された『万葉集』は、歌に読み下し文(「訓」または「訓点」と言います)を伴うようになります。
その訓は、平仮名で書かれることも、片仮名で書かれることもあります。平仮名と片仮名の違いは何なのか、ということを考えている時に、面白い展示に出会いました。文京ふるさと歴史館の2階の常設展示「文化の風景」です。
展示スペースに足を踏み入れると、文京区にゆかりある文人たちの手紙や書物が目に入ってきます。ひときわ目を引くのが、樋口一葉の手紙(複製)です。流麗でしかも力強い草書と平仮名で書かれています。
小松茂美氏は、一葉を加藤千蔭(かとうちかげ。江戸中期の和学者、著書に『万葉集略解(まんようしゅうりゃくげ)』など)の書流の優れた書き手であると評しています。複製の手紙からも、一葉の教養基盤に、江戸のかな書道が確かに存在していたことが窺えます。
しかし、それだけに現代の私たちが、この手紙を読むことは容易ではありません。草書を読むためには習練が必要です。また平仮名と言っても、今日私たちが読み書きする、活字の明朝体をベースとする書体ではありません。現代には使わない変体仮名を織り交ぜ、それを連綿して書き記してあります。
さらに進むと『商売往来』という、江戸時代の小型の刊本が展示されています。商売に関わる物品が絵で示され(青、赤の色刷り)、そばにその名称が漢字で「手拭」「風呂敷」「服紗」などと書かれています。その漢字が草書なのです。そして漢字の脇に、平仮名でその読み方が記されています。
江戸の商人たちの初等教育の教科書である『商売往来』が、草書と平仮名を重視していたことがわかります。草書・平仮名の読み書きが出来なければ、一人前の商人にはなれなかったのでしょう。
『商売往来』の先には、近代の小学校の教科書があります。1881年(明治14)刊の『小学校修身書一』は、漢字平仮名交じり文で書かれています。それが1933年(昭和8)刊の文部省編『小学校国語読本 尋常科用巻一』では片仮名書きとなります。
サイタ/サイタ/サクラ/ガ/サイタ
『商売往来』と『小学校国語読本 尋常科用巻一』を見比べていると、単なる用字の違いということに止まらない、「ことば」と「文字」についての考え方の違いが感じられてきます。
『商売往来』は、「文字」(商人として必要な)を修得することを目標にしているようです。それに対して、『小学校国語読本 尋常科用巻一』は、誰もが身に付けるべき、〈日本語〉という「ことば」を学ぶことを目指しているように見えます。
『小学校国語読本 尋常科用巻一』は、現代の私たちももちろんすぐに読むことができます。片仮名書きは、草書・平仮名書きに比べて、「文字」を修得する努力が格段に少なく済みますし、読み誤りも避けることができます。
とはいえ、片仮名書きが優れていることを、主張しようとしているわけではありません。この違いの背景にあるものをもっと見てみたい、そして草書・平仮名書きの文化が途絶えてしまったことの意味を考えてみたい、というのが、この二つの教科書を見ての私の思いです。
ところで、平仮名書き・片仮名書きについては、近年、親鸞の「消息」(書状)について興味深い研究が進められています。親鸞の自筆「消息」は本来漢字・平仮名交じり文で書かれていましたが、広く門徒に読み上げるために、自筆の「消息」の難しい漢字に片仮名で振り仮名が施されたり、また平仮名が片仮名に書き改められたりしています。
この研究を進めている永村眞氏は、本来特定の門徒に宛てられた一過性の親鸞の「消息」が、永続する教説の拠り所に変容する過程で、平易で正確に読み取り易い片仮名に書き換えられていった、と見ています。しかし、それと同時に、親鸞の「消息」が師弟関係の正統性を証し立てるものとして、弟子たちによって平仮名でも書写され続けたことにも、永村氏は注意しています。
活字文化の中では、平仮名と片仮名の違いは、それほど強くは意識されません(もちろん片仮名は欧米由来の外来の語や擬音語などの表記に限定的に使う、という使い分けの意識はありますが)。
しかし、手書きの文化の中では、平仮名と片仮名の機能、芸術性、社会的役割には、想像以上の大きな違いがあったはずです。手書き文化と相性のよかった草書も含めて、手書き文化の文字について、さらに考察を深めたいと思い、文京ふるさと歴史館を後にしました。
*なお、教科書については、印刷博物館で「近代教育をささえた教科書展」が開催されています(2009年7月18日(土)~10月12日(月))。
[主な参考文献]
��.小松茂美『日本書流全史(上)』講談社、1970年
��.小松茂美『展望 日本書道史』中央公論社、1986年
��.永村眞「親鸞聖人の消息と法語-主に高田専修寺所蔵自筆『消息』を通して-」『高田学報』第94輯、2006年3月
文京ふるさと歴史館
〒113-0033 東京都文京区本郷4-9-29
開館時間:10時~17時
休館日:月曜日、第4火曜日(*祝日にあたるときは開館し、翌日休館)
全館くん蒸期間、年末年始
入館料:一般100円、団体(20名以上)70円、中学生以下・65歳以上無料
(*特別展開催中は別に定める)
ホームページ:http://www.city.bunkyo.lg.jp/rekishikan/
※『文京ふるさと歴史館だより』が発行されています。第16号には、平野恵氏「20世紀前半、文京の園芸文化-菊栽培と温室文化-」などの記事や収蔵品展余話などが掲載されています。
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