私は、このところ、近代日本における万葉集研究の歴史的検討を少しずつ進めています。万葉学者・歌学者で歌人の佐佐木信綱、その歌の門人で、元陸軍軍人の歌人の齋藤瀏(さいとう・りゅう)の万葉集研究について、いくつかの論文をまとめました。
齋藤瀏の万葉集研究は、「鑑賞」という形で進められました。瀏の「鑑賞」は、歌の〈しらべ〉を細密に読み解くすぐれたものでしたが、日中戦争の勃発後には、極めて国家主義的なものとなってゆきました。
近代的な万葉集研究にとって、「鑑賞」とは何か、という視点から、瀏の研究について検討を加えたのが、私の論文「齋藤瀏『万葉名歌鑑賞』をめぐって―近代的万葉集研究における「鑑賞」の行方―」(『青山学院大学文学部紀要』第55号、2014年3月刊)です。
この論をまとめるために、1925~1945年までに出版された、『万葉集』の「鑑賞」書と、それらと関わるとともに、この時代を色濃く反映する、『万葉集』に関わる書物の一覧表を作成しました。戦争の時代の中で、『万葉集』の「鑑賞」書が数多く出版されてゆくことが、わかります。論文にこの一覧表を掲載しましたが、このブログでも公開したいと思います。
*論文の一覧表を一部訂正したところがあります(配列を正しました。また、瀏の「日本の母名歌鑑賞」、鈴木敏也『萬葉摘英』を一覧表に加え、『増補 萬葉名歌鑑賞』の書名を奥付に従って『改訂増補 萬葉名歌鑑賞』としました)。
近代日本の万葉集研究については、まだ基礎となる情報の整備が十分に進んでいるとは言えません。この一覧表にもまだ見落があるかと思いますが、近代日本の万葉集研究を見渡すための、一助となれば幸いです。
1925~1945年の『万葉集』の「鑑賞」書年表(齋藤瀏『萬葉名歌鑑賞』に関わって)
■齋藤瀏の著書 ◆齋藤瀏の雑誌掲載鑑賞文 □その他の『万葉集』の「鑑賞」書
◇『万葉集』の「鑑賞」を収めた書物 ◎関連する重要な書物
1925(大正14)
□島木赤彦『万葉集の鑑賞及び其批評 前編』岩波書店
1928(昭和3)済南事件
1930(昭和5)世界恐慌が日本にも及ぶ(昭和恐慌)
1931(昭和6)満州事変(柳条湖事件)
1932(昭和7)満州国建国/五・一五事件
1933(昭和8)国際連盟脱退、「栄光ある孤立へ」
◆齋藤瀏「萬葉名歌鑑賞(一)~(二十四)」「心の花」1月~9年12月
◎佐佐木信綱・藤村作・吉澤義則監修「萬葉集講座」(全六巻)、春陽堂、9月
□高田浪吉『萬葉集の鑑賞』巻第一・巻第二・巻第三、古今書院、8月、9年3月、9月
□丸穂満佐夫『作者別年代順・萬葉集の鑑賞』大久保正夫、11月
1934(昭和9)
◆齋藤瀏「名歌鑑賞(一)~(四)」(短歌初学講座)「日本短歌」9月~12月
□土屋文明『萬葉集名歌評釈』非凡閣、11月
1935(昭和10)国体明徴声明発表
◆齋藤瀏「続萬葉名歌鑑賞」「心の花」2月~5月
◇久松潜一『日本精神歌集』(日本精神叢書、文部省思想局編)、2月
■齋藤瀏『萬葉名歌鑑賞』人文書院、6月
1936(昭和11)二・二六事件/外務省が「大日本帝国」を日本の呼称とする
◎武田祐吉『萬葉集と忠君愛国』(日本精神叢書、文部省思想局編)、日本文化協会出版部、1月
1937(昭和12)盧溝橋事件、日中戦争始まる(7月7日)
◎久松潜一『萬葉集に現れたる日本精神』至文堂、1月
◎文部省『国体の本義』文部省、3月
◎武田祐吉『萬葉集と国民性』(日本精神叢書、文部省思想局編)、3月
□北原白秋・折口信夫編『萬葉恋愛歌読本』(鑑賞短歌大系)、学芸社、7月
◎中河與一『萬葉の精神』(「萬葉名歌解」も収録)、千倉書房、7月
□北原白秋・折口信夫編『東歌・大伴集』(鑑賞短歌大系)、学芸社、8月
1938(昭和13)国家総動員法成立/「東亜新秩序声明」発表
◎鴻巣盛広『萬葉精神』(日本精神叢書、教学局編)、6月
□簗瀬一雄『萬葉集の鑑賞』興文閣、10月
□斎藤茂吉『萬葉秀歌』岩波新書、岩波書店、11月
1939(昭和14)ドイツ、ポーランドに侵攻、第二次世界大戦勃発/「朝鮮戸籍令改正」(創氏改名)(※この年から日本全体が皇国的に。「国民精神総動員」)
◆齋藤瀏「萬葉名歌鑑賞(一)~(二十一)」「短歌人」4月~16年2月
◎吉澤義則『大和魂と萬葉歌人』平凡社、5月
1940(昭和15)アメリカが屑鉄の日本輸出を禁止/日独伊三国軍事同盟調印/紀元二六〇〇年の大式典挙行
1941(昭和16)ドイツがソ連に侵攻/アメリカが在米日本資産凍結/日本軍、南部仏印進駐/アメリカが対日石油輸出全面禁止を通告/太平洋戦争開戦
□土屋文明『萬葉集小径』三学書房、6月
◆齋藤瀏「萬葉のこゝろ―国民文学としての萬葉集鑑賞」「婦人朝日」7月~17年3月
◇川田順『愛国百人一首』大日本雄弁会講談社、8月
1942(昭和17)日本文学報国会結成/ミッドウェー海戦で日本海軍大敗(6月5日~7日)
□橘宗利『萬葉短歌拾珠』加藤中道館、1月
□佐佐木信綱・今井福治郎『萬葉集防人歌の鑑賞』有精堂、4月
◎実方清・森本治吉他『萬葉集の倫理(皇国文学)』六藝社、4月
■齋藤瀏『改訂増補 萬葉名歌鑑賞』人文書院、5月
■齋藤瀏『萬葉のこゝろ』朝日新聞社、5月
◎保田與重郎『萬葉集の精神 その成立と大伴家持』筑摩書房、6月
■齋藤瀏『防人の歌』東京堂、6月
□武田祐吉『勤皇秀歌・萬葉時代篇』聖紀書房、6月
■齋藤瀏「日本の母名歌鑑賞 一~六」「少国民文化」7月~12月
□小林一郎『萬葉集愛国歌抄』(皇国精神講座)、平凡社、8月
□美夫君志会編『萬葉秀歌鑑賞』正文館、11月
□鈴木敏也『萬葉摘英』弘道館、12月
1943(昭和18)ガダルカナル島の戦いで敗北/「撃してしやまむ」の決戦標語
□森本治吉『萬葉精粋の鑑賞』大日本雄弁会講談社、1月
□澤瀉久孝『萬葉佳品抄』全国書房、3月
◇日本文学報国会編『定本愛国百人一首解説』毎日新聞社、7月
◎武田祐吉『萬葉精神』上巻、湯川弘文社、7月
1944(昭和19)サイパン島陥落/学童疎開始まる
1945(昭和20)東京大空襲/ドイツ降伏/広島・長崎に原子爆弾投下/ソ連、満州に侵攻/ポツダム宣言受諾
*歴史的出来事については、半藤一利『昭和史 1926-1945』(平凡社ライブラリー、平凡社、2009〈初版第1刷〉、2011〈初版第10刷〉)、有馬学『帝国の昭和』(日本の歴史23、講談社学術文庫、講談社、2010)などによった。