2011年7月30日土曜日
『校本万葉集』の復興
(『校本万葉集』和装版の首巻・巻上)
「一すぢの光」
東日本大震災から4か月が過ぎました。復興が徐々に進んでいるという知らせに喜び、未だに収束しない放射線による被害の大きさに、悲しみと不安を覚えています。
先の記事「佐佐木信綱の震災の歌」で紹介しましたように、1923年(大正12)9月1日の関東大震災の火災によって失われた『校本萬葉集』は、佐佐木信綱らの驚異的な努力によって、2年後の1925年(大正14)3月に見事に復興を遂げました。
佐佐木信綱宅と、『校本萬葉集』の編者の一人・武田祐吉の手許に、それぞれ1セットの校正刷が残っていたという幸運が、それを可能にしました。
とはいえ、復興に至る道のりは容易なものではありませんでした。『校本萬葉集』を出版する予定であった書肆は、出版を断りました。
「復興という詞は、あらゆるものの標語となつた。貨物自動車はすさまじい音をたてて走せちがひ、槌の音や鉄槌(ハンマー)の音はいたる処に響き渡つた。復興の時は早く来たが、校本萬葉集の復興は、容易でない。さきに出版しようとした書肆は、啓明会からの補助もあつたが、焼失した損害が少なくないので、再び出すことを断つた。一二の人に相談したが、数年後にしたならばといはれたので、自分の心は暗くさびしかつた」(佐佐木信綱「校本萬葉集に就いて」『佐佐木信綱文集』)
この度の東日本大震災でも、出版は大変厳しい状況に直面しています。東北地方の製紙工場が被害を受け、紙不足に見舞われながら、その中で出版を続けていることを、笠間書院の重光徹氏から伺いました。そのような事情もあったのかもしれません。
その信綱に力を与えたのが、11月中旬に信綱を見舞った熊沢一衛(古筆収集家。手鑑「月台帖」の持ち主)の、できる限りの助力はするから是非再興をはかられよ、という激励のことばでした。
一すぢの 光さしぬれ ぬば玉の 心の道の をぐらきに今 (『豊旗雲』)
*『佐佐木信綱全歌集』では、
「ひとすぢの 光はさしぬ ぬばたまの こころの道の をぐらきに今」
力を得た信綱は、出版社に頼らずに、自ら「校本萬葉集刊行会」を興して資金を募り、そして、自分自身のイメージする、書物としての姿を『校本萬葉集』に与えたのでした。関東大震災の時に完成目前であった『校本萬葉集』は洋紙洋装6冊でしたが、再興された『校本萬葉集』は和装帙入25冊、用紙は耐久性を保つために土佐の八千代紙の別漉としました。
多くの人々が、この「校本萬葉集刊行会」に進んで手を差し伸べたことを、信綱は「校本萬葉集に就いて」で、感謝の気持ちを込めて書き記しています。人々の献身的助力が、どれほど信綱の心の支えとなったかが窺われます。
私は、それを具体的に示した資料に出合いました。1931年(昭和6)に、岩波書店から『校本萬葉集』の洋装普及版を出版するに当たって作られたパンフレットです。その裏表紙の見返しに、和装版が出版された時の支援者の名前の一部が記されています。意外な名前も見出せます。実に多くの人々が、『校本萬葉集』の復興に関わっていたのです。
貴重な資料ですので、そのまま引用しおきます(見返しは6段で、一機関または一人1行となっていますが、ここでは列挙します。また旧字体は新字体に改めました)。
本書和装版は
侍従職 皇后宮職 東宮職 宮内大臣官房 図書寮 東京帝室博物館
より御買上の恩命を忝うし
秩父宮家 高松宮家 澄宮家 山階宮家 久邇宮家 梨本宮家 朝香宮家
東久邇宮家 北白川宮家 竹田宮家 昌徳宮家
より同じき光栄を受けぬ
和装版応募諸家芳名録の一部
浅野長武 浅野応輔 青木昌吉 安藤正次 岩原謙三 今井彦三郎
岩崎男爵 上野精一 浦和高等学校 大阪朝日新聞社 大島雅太郎 大谷尊由
大阪府立図書館 大手前高等女学校 沢瀉久孝 筧克彦 春日政治 香取秀真
金沢庄三郎 鐘紡正和婦人会 亀井伯爵 川田順 川合玉堂 喜多又蔵
北原白秋 木村久寿弥太 九州帝国大学 京都帝国大学 京都第一高等女学校
桐島像一 串田万蔵 久原房之助 窪田空穂 熊沢一衛 黒田侯爵
華族会館 官幣大社出雲大社 官幣大社石清水八幡 官幣大社稲荷神社
官幣中社北野神社 古泉千樫 郷男爵 高知高等学校 国学院大学 児玉一造
斎藤茂吉 佐賀高等学校 佐々木勇之助 静岡高等学校 実践女学校
島木赤彦 神宮皇学館 真言宗京都中学 杉浦非水 杉敏介 鈴木敏也
住友合資会社 諏訪図書館 第一高等学校 第四高等学校 第五高等学校
第六高等学校 第八高等学校 大東文化学院 高楠順次郎 宝塚少女歌劇学校
伊達侯爵 玉井幸助 団男爵 ダン・エフ・ウオー 知恩院 女子学習院
津軽照子 土屋文明 帝国図書館 東京女子大学 東京帝国大学
東大法学部研究室 東北帝国大学 東京高等師範学校 東洋大学 東京美術学校
東京音楽学校 土岐善麿 徳川侯爵 内藤虎次郎 中村憲吉 鍋島侯爵
奈良女子高等師範 南天荘講堂 満鉄大連図書館 日本青年館 日本大学
蜂須賀侯爵 阪正臣 姫路高等学校 平福百穂 平沼騏一郎 広島高等学校
深井英五 福田徳三 福原俊丸 藤瀬政治郎 藤田男爵 藤代禎輔
藤井乙男 藤岡勝二 法政大学 北海道帝国大学 保科孝一 細川侯爵
積穂(ママ)男爵 牧野英一 間島弟彦 正宗敦夫 益田男爵 松井簡治
前田侯爵 三井男爵 武蔵高等学校 武藤山治 無窮会 文部省図書局
安田善次郎 安田靫彦 柳田国男 矢野恒太 山下亀三郎 山崎直方
山室宗文 山形高等学校 吉沢義則 米山梅吉 陸軍士官学校 早稲田大学
渡辺千冬 井上哲次郎 岡麓 小倉正恒 尾崎行雄 小田柿捨次郎
尾上八郎 折口信夫
[参考文献]
��.佐佐木信綱「校本萬葉集に就いて」『佐佐木信綱文集』竹柏会、1956年
��.佐佐木信綱『作歌八十二年』毎日新聞社、1959年
��.佐佐木信綱『豊旗雲』実業之日本社、1929年
��.『佐佐木信綱全歌集』ながらみ書房、2004年
��.岩波書店作成、『校本萬葉集』の内容案内パンフレット(全18頁、1931年)
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